208話
フランタ市はドラゴンの襲撃に遭い復興のさなかである。
侯爵は「国は支援に来るのではなく、略奪に来るのだな」と嫌味を吐き捨てる。度重なる失態に、侯爵の怒りは収まらない。
返す言葉もない……。
隣に立つ宰相も黙ったままだ。本来なら「王族に対して不敬だ」とか「侮辱罪に問うぞ」と反論するところだろう。しかしその気もなさそうだ。ユリウスのことで頭を悩ませるのはもう何度目だ……と文句が首まで出かかってそうだ。
重苦しい空気が執務室を支配する。
「ブルーノ」
目で「どうしたらいい?」と訴える。
「まずは第一王子の保護を致しませんと――」
「ほごぉ?」
「当然であろう。ユリウス殿下は王位継承第一位のお方だぞ。それが逮捕されているなどという事態は一刻も早く解決せねばならぬ」
「ふん! 王位継承権なんぞ取り上げてしまえ!!」
もはや侯爵の無礼は留まるところを知らない。
「……被害に遭った市民には国から謝罪と相応の見舞金を供与する」
これでよいだろう。あとは――
「さいしょう…………エルフにはどうわびたらよいのだ?」
「…………わかりませんよ!」
力なく答えた宰相は目をつぶる。これには侯爵も口をギュッとして黙ったままだ。
よりにもよってエルフを誘拐しようとしたのだ。あれほど『エルフに手を出すと国が亡ぶ』と教育してきたというのにだ!
「どう対処すべきかは過去の事例などを調べてからでないと……」
「そうだな」
とりあえずの対応を決めると、改めて侯爵に謝罪を述べた。
ところが当の侯爵は納得がいかない様子。大きなため息をつき、目頭を押さえながら苦悶の表情を浮かべている。
「――これではダメか?」
「はあ……。ひとつ大きな問題が残ってまして……」
「ん?」
侯爵は陛下の机に歩み寄り、手紙の二枚目の最後を一文をトントンと指で叩いた。
「これです」
「これ?」
それは防衛隊のカートン隊長が追記した、とある人物への所見である。
『御手洗瑞樹は激怒している』
ん? 誰だ?
「彼が、ドラゴンの牙と鱗を提供してくれたギルド職員です。例のダイラント帝国の一件にも対応した……」
「ああ!」
思い出した! なるほど、たしか妙な名前……異国の人間だったな。
そうだ、侯爵が大変世話になったとか言っておった。その彼を怒らせたことに侯爵は心を痛めているというわけか。
「んーわかった。私からも此度の一件の謝罪の手紙を出そう。それで――」
「そういうことではないんですよ、陛下」
「では何だッ!」
「わかりませんよ!」
「ああ?」
だんだん腹が立ってきたぞ!
いい加減、無礼が過ぎる。いつまでも駄々をこねる子供じゃあるまいに!
「ダスター、何が不満なんだ?」
「とにかく、このあと仮眠をとったら朝一番にフランタ市へ出立します。領主として此度の不始末を詫びないと……。ああ、こんなことになるならもっと早くにフランタ市へ行っておくべきだった……」
「……詫びるって……その職員にか?」
「当たり前です!!」
侯爵は話を切り上げるとばかりに踵を返すと、去り際に振り向いた。
「リュック! フランタ市に王国兵を寄越す際は気をつけたほうがよいぞ。かの地の防衛隊員たちは王国兵を敵視しておるようだし、なにより御手洗瑞樹が怒っていて大変とある。対応を間違えたら全員生きて帰れないと思ったほうがいい。そうだな……ドラゴンと戦う覚悟で来るんだな、ふん!」
我々に捨て台詞を吐くと、足早に執務室をあとにした。
「な……なんだ、あの侯爵の態度は!! さすがに無礼が過ぎますぞ、陛下!!」
執務室に三人になった途端、ブルーノは堰を切ったように声を荒らげた。
「そう言うてやるな。自領でユリウスに好き放題されては頭にくるのも仕方なかろう。それも自分の不在時にだ」
背もたれに身体を預けると、大きく息を吐き目を閉じた。
まだ夜が明けてもいないのにこの騒動だ。朝になれば他の大臣たちの耳に入るだろう。どんな騒ぎになることやら……それを考えただけで気が重い。
王家のこの不祥事に皆どう動く? 親王室派、反王室派、他の領主の動向が気になるところだ。
当然、第一王子の王位継承にも支障がでるのは間違いない。元から素行の悪いユリウスの継承に批判的な連中が多かった……この件が耳に入ればここぞとばかりに叩くだろう。それもこれもあの愚息が逮捕などされるからだ……。
「リュックに聞きたい。ユリウスはなぜ逮捕されたのだ?」
「えっ?」
じっと彼を見つめるも、リュックは質問の意図がわからない様子。
「ユリウスの逮捕を近衛兵はなぜ阻止できなかったのかという意味だ。兵の犠牲を出してでも逃がすべきだろう」
「ああ」
今度は意味を理解したらしく小さく頷いた。
ユリウスに非があるなしにかかわらず、近衛兵の職務として王子を守れなかったことが問題である。相手が盗賊であれば人質にとられ、敵国兵であれば最悪殺害されていた可能性もある。近衛兵としてあり得ない失態だ。
「正直に申し上げますと、第一王子直属の近衛兵たちは役立たずですので」
「なんだと!?」
彼は淡々と説明した。
ユリウス殿下の近衛兵の人事は王子の近衛騎士団長のギュンターが差配している。彼の出身であるオルトナム公爵家にいい顔をする貴族の子息たちの就職先になっているのだ。つまりコネで配属されているだけなので実力などありはしない。
そう……今までそれで何も問題なかったのだ。
ユリウス殿下が襲われるような事態はまず起きないし、隊内で実力を競うような必要もない。殿下に連れられて遊び回っているだけの連中なのだ。
「そんなひどい有様なのか!? リュック、私の近衛兵も似たようなものなのか?」
「陛下直属の近衛兵の人事権は私が握っております。きちんと実力で選んでおりますのでご心配なく」
「うーむ……」
たしかに近衛兵が活躍するような事態はないに等しい。だからといって実力もないのにコネで配属などもってのほかだ。
ここでリュックが首を捻る。
「しかし……兵たちはともかく、団長のギュンターと副団長のユベールは相応の腕前の持ち主です。二人が捕まるというのはちょっと意外です」
「そうなのか?」
「ギュンターは金に汚いですが、頭は切れますし剣の腕も私に引けは取りません。ユベールも体は大きいですし力もあります。ただ臆病なのでギュンターがいないと何もできない男ですが……」
ここでリュックがはたと気がつく。
「そういえば防衛隊の隊長はドラゴンと戦った人物ではなかったですか?」
「ああ、あの手紙の隊長か!」
侯爵の去り際の台詞が浮かぶ。
「それでか! ダスターは『ドラゴンと戦う覚悟で来い』と言ったのは!」
「なるほど。こちらの出方次第では『ドラゴンと戦った隊長が相手をするぞ』という意味ですか!」
「うーむ」
「ギュンターやユベールを倒した隊長となるとかなりの手練れですね。ドラゴンを撃退した隊長ですか……」
おや? リュックが何やら思案している様子。
おそらくその隊長とやらの腕前が気になるといったところか。
「お主ならその隊長に勝てるか?」
「!? もちろんです!!」
「ふ~む……ということはお主もドラゴンに勝てるということだな?」
「――――ッ!?」
リュックが返答に窮する。ちょっと意地悪な質問だったか。
「たしかその隊長と冒険者二人で撃退したのだったな?」
「……私もドラゴン撃退の噂は耳にしましたが、たった三人というのは過分に誇張されていると思います。それにドラゴンといってもフランタ市の防衛隊や冒険者たちで撃退できる程度の魔獣なのでしょう? でしたら我が国の騎士団と魔法士団の精鋭で挑めば余裕でしょう」
ん、どうもその隊長との実力を比較したのが気に入らなかったようだな。リュックの癇に障ってしまったか。
我々はドラゴンを見たことがない。なのでその強さも恐ろしさもよくわからない。……わからないが、フランタ市の戦力だけで撃退できたとなれば、リュックの言うように王国軍で撃退も可能であろう。
「ふむ、まあよい」
「それでは陛下、第一王子の保護に向かう人員はいかようにすべきでしょうか? 侯爵の言によると王国兵は敵視されているようですし……」
すかさず宰相が口を挟む。
「気にすることはなかろう。侯爵は嫌味を言いたかっただけだ」
「そうでしょうか……?」
「侯爵もフランタ市に向かうと言っていたし、うまく現地の連中を取りなしてくれるさ」
「私もそう思う。ダスターも夜中に報告を受けて気が立っていただけだろう。素直に引き渡しに応じるはずだ」
リュックもそれならばと小さく頷く。彼としても派遣する王国軍に何かあっては困るだろうしな。
「わかりました。では私が不在の間は副団長に軍の指揮を任せます」
「え? お主が行くのか?」
「はい。あちらでトラブルがあったとき、ドラゴンと戦ったという隊長を相手にできるのは私ぐらいでしょうから!」
あーしまったな。どうやらリュックの自尊心を焚きつけてしまったようだ。
助けを求めようと宰相に一瞥をくれるが、彼は知りませんとばかりにふいっと顔をそむけた。
「……わかった。お主に任せる」
「了解しました。出立は昼頃でよいでしょうか?」
「そうだな。なるべく早いほうが――」
「陛下、それだと問題が……」
「なんだブルーノ?」
「侯爵の到着前にはフランタ市に入れませんよ! かの地の防衛隊にユリウス王子の釈放を通達してもらいませんと」
「そうか……そうだな」
ユリウスが近衛兵を率いて狼藉を働いたばかりの町にまた事前連絡なしに軍がやってきたらどうなるか? 侯爵の言葉通り、戦闘になりかねん。
「リュック、すまんが侯爵の出立前に予定を聞き、貴公らは侯爵の一日後にフランタ市に到着するように調整してくれぬか?」
「了解しました」
とりあえずこんなところか。二人に「こんな時間にご苦労であった」と告げ、退出を命じた。
やれやれとため息をついて席を立つ。
それにしてもユリウスの奴、面倒ばかり起こしよって……。
夜中の侯爵の訪問はすでに城内で噂になっているだろうし、おそらく主要な大臣の耳には届いているなあ……。ああ頭が痛い。
ん? そういえば、ダスターはやたらとギルド職員のことを気にしていたな。怒っているからどうとか……なんという名前だったか?
寝室に戻り、ベッドに入ったところで思い出す。
「ああ! みたらいみずき……だ!」
やけに侯爵がその人物を気にしていたことが引っかかったが、眠気に負けてそのまま寝てしまった。