207話 真夜中の王城
四月二十三日、深夜二時。王都マルネリア。
真夜中の王城は、朝の支度をしなければならない一部を除いて静かな眠りについている。
元気なのは誰もいない真っ暗な庭園で捕食に励む夜行性の小動物たちぐらい。王城の廊下を歩く近衛兵の足音も慣れ親しんだ音として気にもしない。
ところが、この夜は遠くから近づいてくる喧騒に驚いて、ガサガサっと住処に逃げていった。
「――――ッ! お待ち――」
「―――するな!! ……いる」
この城の主、エーヴェルト・マルゼン国王も寝室にて王妃とともに眠っていた。
しかし廊下を伝って聞こえてきた喧騒に目を覚ます。夜中でも起こされる立場でもあり、ちょっとした異変で起きる習性がついてしまっている。
それにこういうときは必ず誰かが扉を叩いて起こしに来るのだ。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「国王陛下、申し訳ありません!」
部屋の扉を激しく叩く音に小さくため息をつく。いつもなら静かにノックされるのだが、よほどの事態か?
ぐっすりと眠る王妃に気を使いながら静かに身体を起こす。
「どうした?」
「失礼します」
文官の姿は廊下の灯火が逆光となり誰だかはわからない。
「お休みのところ申し訳ありません。フランタン領領主、ダスター・コーネリアス侯爵が火急の用件ということで謁見を求めてきたのですが、その――」
「……その……なんだ?」
文官は慌てて廊下に目をやる。喧騒が近づいてくるのがわかったのだ。
「お止めしているのですが、侯爵がそのままこちらにやってきます」
「ダスターが?」
「はい。その……ものすごい剣幕でして、護衛の兵士とともに近衛の制止をものともせず……」
震える声で答える文官。顔は見えないがおそらく真っ青なのだろう。
通常、謁見は謁見の間で行われるか来賓室に案内される。そこで国王がやってくるまで三十分から一時間は待たされるもの。よほどの火急であれば、国王がいる執務室へ直接通される。
それは夜中であっても変わらない。段取りは大事だし貴族たるものそれは十分承知している。なのに侯爵は直接寝室にやってくるという。
よほどのことが起きたのか? 嫌な言葉が頭よぎる――反乱? 戦争? いやいやそれはないだろう。
城の近衛兵は侯爵の前進を必死に制止しようと試みている。
しかしながら国の一角をなす領主、一介の貴族というわけではない。近衛兵も剣を抜くわけにもいかず、止めるに止められないでいた。
「――邪魔をするな!!」
「お待ちください! 陛下はいまお休み中です! すぐに取り次ぎ致しますので――」
「うるさい! それどころではない!!」
喧騒の集団が廊下の角を曲がったようだ。すぐさまガウンを羽織り扉に向かう。
一歩廊下に出ると、団子状態になった一団がやってきた。
皆は私の姿に気づくとすぐに姿勢を正して動きを止めた。
近衛兵たちは廊下の端によって敬礼し、騒動の中心にいた侯爵は顔を真っ赤にして険しい表情だ。侯爵の護衛も一歩下がって敬礼した。
「ダスター、一体何事だ?」
「陛下、第一王子はいまどこにいらっしゃいます?」
「……第一? ユリウスか?」
この騒動に続々と近衛兵たちが集結する。
「ユリウスがどうかしたのか?」
「陛下!!」
集団の後ろのほう、正装に着替えた王国騎士団団長リュック・ベルマンの声だ。
廊下にごった返す近衛兵たちをかき分けて現れた。この真夜中の騒動に険しい表情だ。
「――これは何の騒動だ!!」
少し遅れて、寝巻姿にガウンを羽織った国務大臣ブルーノ・レオタールも現れた。侯爵に気づいたブルーノは驚いた表情で彼に問いただす。
「コーネリアス侯爵、これは一体どういうことですか! 陛下の寝室に押し掛けるなど無礼にも程がありますよ!!」
「無礼! 無礼と申すか! それはこちらの台詞だ!!」
ブルーノはまさか反論されるとは思ってもいなかったようで、たじろぐと表情を強張らせた。
侯爵の様子が尋常ではないなー……一体なんだ!?
そのとき、寝室の奥から王妃の声がした。
「あなた……どうかしたのですか?」
部屋の奥から聞こえた女性の声に皆が一斉に黙る。
「大事ない。ダスターが急ぎの用件だそうだ。ちょっと行ってくる」
侯爵も王妃の寝所に押し掛けたことを悪いと思ったようで、就寝の邪魔をしたことを詫びた。
「執務室で話を聞こう。ブルーノ、リュックも同席してくれ。あー衣服はそのままでよい」
「かしこまりました」
「皆、持ち場に戻れ。陛下は大丈夫だ」
騎士団長リュックの言葉に皆は陛下に頭を下げ、持ち場に戻っていった。
執務室に入り椅子に腰かける。右横に宰相のブルーノが立ち、左横に騎士団長のリュックが立った。
「――で、どうしたのだ?」
「まずは夜分に寝室に押し掛けたことをお詫びします」
恭しく頭を下げる侯爵。彼もおそらく慌てて館を出てきたのであろう。正装ではあるが髪は寝ぐせが少し残り、顎下の髭も剃っていないようだ。
侯爵は鼻から大きく息を吐き、チラっと横のブルーノを一瞥した。そのブルーノは侯爵の暴挙に憤懣やるかたないといった様子だ。
とはいえ夜中にたたき起こされるというのはよほどの事態、よくて事件事故か誰かの死、悪ければ反乱や戦争だ。
「よい。――で? 先ほどユリウスの所在を尋ねておったな?」
「はい。ユリウス殿下はいまどちらに?」
「さあな。王城にいないのならば……城下の小宮殿にいるのではないか?」
宰相に目をやるも、彼もまた知らぬと首を振る。侯爵は懐から手紙を取り出して宰相に手渡した。
「これは先ほど領都から届いた手紙です。差出人はフランタ市の防衛隊隊長カートンからのものです」
「フランタ市……例のドラゴンの襲撃を受けた町か!」
「はい」
先に宰相が手紙を受け取り目を通す――すると見る見るうちに顔色が変わり、目を見開いて叫んだ。
「なんだこれは!!」
驚いて宰相を見やる。彼は引きつった表情で口を半開きに固まっていた。
「――ブルーノ?」
「陛下、大変です! ユリウス殿下が逮捕されました!」
「――は?」
逮捕……とは? 一体どういうことだ?
宰相から手紙を受け取ると、そこにはとんでもない出来事が書かれてあった。
『ユリウス第一王子と称する人物率いる一団四十二名、フランタ市における犯罪行為により逮捕』
とあった。その罪状もひどいもので、
『第一王子による冒険者ギルド女性職員三名の拉致、暴行、凌辱未遂』『近衛騎士団団長による男性職員の殺害、暴行』『近衛兵による女性職員への暴行未遂』
を皮切りに、
『冒険者ギルド所有のドラゴンの牙の強奪』『ギルド職員への脅迫、殺害予告』『エルフである副ギルド長の誘拐未遂』『防衛隊隊長カートンへの暴行、彼の所持するドラゴンの鱗の強奪』『民間の宿泊施設“素晴らしき太陽”にて無銭宿泊、無銭飲食、器物破損、従業員への暴行』
という内容である。およそ凶悪な盗賊団の所業と思われる犯罪行為が列挙されていた。
「なっ、なんだこれは!?」
あまりのひどい内容に血の気が引く。
騎士団長のリュックも陛下から手紙を受け取り黙読する。
手紙の三枚目には逮捕者の氏名がわかる範囲で書かれていた。彼がその名前を確認するのをじっと待つ。第一王子直属の近衛兵たちは上位貴族の子息たちが多く、騎士団長も近衛兵の名前を知っているからだ。
そして残念なことに、そのすべてが第一王子直属の近衛兵のものだと申し訳なさそうに頷いた。
ああ、なんてことだ!
まずは状況を整理しよう。
「事件の日付は二十一日……二日前だな。ダスター、これはいつ届いたのだ?」
「先刻、早馬で届きました」
一枚目は事件の概略、二枚目に聴取内容、三枚目が逮捕者の氏名……か。
侯爵によると、最初は館に届けられたものの領主は不在、代行をしている叔父が大慌てでこちらに届けさせたとのこと。
「手紙には『人物の確認と、処遇についての対応』を尋ねられているな」
「はい。どうやら第一王子を確認できる人物がいないようです」
「ふむ。それで『――と称する』とあるのか」
宰相が侯爵に尋ねる。
「フランタ市はいま、どうなっているのだ?」
「それが……私もいまだ赴いておりませんので詳しい状況までは……」
主だった貴族たちはフランタ市を離れて王都に避難したまま戻っていない。行政官だった貴族はドラゴンの襲撃で死亡、後任は二ヶ月経っても決まらないという。
宰相の「怠慢では?」との嫌味に、侯爵は「支援もしない国がそれを言うか!」と火になって反論した。
「二人とも落ち着け」
温厚と知られる侯爵がここまで怒りを露わにするとは。我が愚息のしでかした事態に脱力感が襲う。
「リュック、念のためユリウスの動向をたしかめてくれ……なるべく内密にな」
「はっ」
リュックは副団長を呼ぶと、第一王子の部屋や入り浸っている小宮殿を速やかに確認するように指示を出した。
「しかし、なんであいつはフランタ市に――」
そう口にした瞬間、すぐに理由がわかった。
「ああ。ユリウスの目的はこれだろう……。ドラゴンの牙だ」
ユリウスは謁見の間でドラゴンの牙を目にしたときかなり興奮していた。おそらく欲しいと思ったのだろう。それが他にも存在すると知り、居ても立っても居られなくなったというところか。
「ん? 妙だな……。ユリウスはなぜ他に牙があることを知っていたのだ?」
私ですら侯爵から話を聞いたのは献上の前日。しかもここ……執務室でだ。いたのは私と宰相だけ。
「リュック、お主はドラゴンの牙と鱗が他にあることを知っていたか?」
「えっ? いえ。いま初めて知りました」
「ダスター、お主は誰かに牙の存在を話したか? 例の……ダイラント帝国の侵入事件とか」
「いえ」
「陛下! 侵入事件とはなんです? 私は聞いておりません!」
「リュック!」
陛下に詰め寄るリュックを宰相が制す。
宰相は、『ダイラント帝国の潜入部隊が、フランタ市の冒険者ギルドに保管されているドラゴンの牙を奪いに来たこと』『帝国がドラゴンを撃退したという話は作り話である』という内容を説明した。
「そんなことが……!」
帝国はフランタ市のギルドにも牙があることを知っていたわけだから他に知っている者がいてもおかしくはない。しかし王都においては私ですら侯爵から聞くまで知らなかった事実……。あのユリウスが知っていたはずはない!
現にあいつは謁見の間で初めて牙を見て興奮していたぐらいだ。知るとすればそれ以降……となると――
「宰相、牙の話はここから漏れた可能性があるだろうか?」
「えっ!?」
一瞬、沈黙が支配する。そして皆が部屋のあちこちを見渡した。そのとき――
コンッコンッ
ドアをノックする音に皆が目を向ける。
「入れ」
「失礼します」
宰相の言葉にゆっくりと扉が開く。入ってきたのは扉の衛兵だ。
「――なんだ?」
彼は入室すると、もう一人の衛兵の首根っこをつかんで部屋の中に引き入れた。
「あのっ、我々は扉の警護しているわけですが、中の話がその……時折り聞こえます。それでどうもこいつは話を外に漏らしたようで……」
「あっ、あっ……」
バラされた衛兵は顔を真っ青にして小刻みに震えている。
すぐさま王国騎士団団長たるリュックが詰め寄る。
「貴っ様ッ! ここで聞いた話を漏らしたのか!!」
むんずと鎧の襟首をつかまれた兵士は、半泣き状態で白状した。
彼は第一王子直属の近衛騎士団団長ギュンターから金をもらい、この部屋のドア越しに聞こえた『ドラゴンの牙が他にある』という話を漏らしたという。
リュックは怒り心頭で衛兵を突き放すと、近衛兵を呼んで彼を連行させた。
「陛下、申し訳ありません!」
「――リュック、お主のせいではない」
管理責任を問うなら近衛騎士団団長のアンドレイ・バニングになる。
彼は身内の不幸があったとかで数日前から休暇を取って帰郷している。責を問うのも帰ってきたからになるが、アンドレイにとっては寝耳に水の話だな……。
両肘を机について手を組むと、頭を手に乗せてうな垂れる。
どうやらフランタ市て逮捕された人物が、ユリウス本人であることがほぼ確定した。
さてどうしたものか……。