205話 瑞樹の激しい怒り
時刻は15時過ぎ。
お日様はだいぶ西に傾き、気温も幾分下がったようで、聖職者の衣服の下がシャツ一枚ではさすがに肌寒い。血だらけの制服を脱いだせいであるが、いうてシャツも血で真っ赤のまま。はよ風呂入って着替えたい。
だがその前に一仕事終わらせないとな……。
「お疲れさんです」
「!?」
防衛隊本部に到着。
門番の隊員に挨拶をするが驚かれて返事はなし。そら隠蔽状態から突然出現されればな……。いつものことだ。
顔を布で覆っているけど顔パス。そのまま入って正面広場を進む。すると玄関からカートン隊長とクールミンがダッシュでやってきた。
「カートン隊長、クールミンさん、連中は地下ですか?」
二人は俺の数メートル手前で立ち止まると表情を強張らせた。
「瑞樹、それは何だ?」
この変装のときはランマルだっつってんのに相変わらず覚えていない……もう諦めた。
「これ? ここに来る前に鍛冶屋に寄ってきたんですよ。そこで手に入れてきました」
手にしているのは鉄製のバケツ、日本の掃除道具の定番であるスチールバケツより厚みがあって重い。
中には真っ赤に熱せられた“熱石”と呼ばれている鍛冶炉で使われる燃料がバケツ半分ぐらい入っている。そしてそこに直径三センチ、長さ五十センチ程度の鉄棒が三本刺さっている。
さらにそのバケツを持つ手は肘まである灰色の耐火性の革手袋を装着している。右腕だけ見た目がゴツい。
ところで、この熱石入りバケツにはある魔法を施してある――エルフの『保存の魔法』だ。
この魔法は熱の状態も保存するため、物体は放熱または吸熱をほとんどしなくなる。つまり常温に感じられるのだ。なので熱石の放熱を抑えられ、高温であるバケツも安全に運べるのだ。
ただし時間が止まっているわけではないのでずっと触っているといずれ大火傷してしまう。当然、魔法を解除した途端、ものすごい高温にさらされるので注意が必要だ。
「――それで何をするつもりだ?」
「あ゛? 決まってるじゃないですか! あいつら全員“殺す”んですよ」
さも当然だろうという軽い調子で述べたのだが、おそらくこのときの俺は目が据わっていたと思う。
俺の言葉にカートン隊長の表情は怒気をはらんだ険しいものになり、クールミンは異様な雰囲気に焦りだしている。
ふん、まあ隊長の性格からしてそうだろうなとは思っていたので気にしない。スッと視線を外して地下牢のほうへ歩み始めた。
「待てッ! そんなことはさせない!」
慌てて正面に立ちはだかり、俺を止めようとするカートン隊長。警戒しているのか数メートルの距離は維持したままだ。
「ふふん、冗談ですよジョーダン。ちょっとヤキを入れるだけです」
「ヤキ?」
「ん? ああ。元は刀という日本の剣を造る工程の言葉なんですがね、転じて暴力的な制裁を加えることです」
「結局は痛めつけることじゃないか!」
「ダッタラナンダァ――ッ!!」
俺の怒号が辺りに響き渡った。
正面広場にいた隊員たちは何事かと色めき立ち、こちらの様子を遠目にうかがっている。
ちょうどパトロールに出ていたバザル副隊長とシーラが戻ってきた。俺とカートン隊長のやり取りに不穏な空気を察してすぐに駆け寄る。
手にしたバケツを地面に置き、両手で着ている聖職者の衣装を裾からまくり上げる。
皆が目にする……血で染まったズボンとシャツ。剣で刺され、腹から大量の血が噴き出たのが一目瞭然だ。
「俺はなーあのギュンターとかいうクソ野郎に剣で背中から刺されて殺されたんだぞッ!!」
ここでは敢えて『殺された』という表現を使った。治癒魔法で死ななかったというより、死んでから生き返ったと思わせるほうが不気味だからだ。
「俺は殺され、目の前で彼女を攫われ、部屋では裸にひん剥かれてた……。わかる? 一足遅かったら王子になぶりものにされてたんだぞッ! それにギルドじゃ兵隊が女性職員を犯そうとしてたし、あのクソ王子……ティナメリルさんまで連れ去ろうと画策してやがった!」
怒りが抑えられず、じわりと涙が浮かぶ。
「あいつらどうすんです? どうせ罪に問えずにそのまま帰すんでしょ?」
「そ……れについては領主に判断を仰ごうかと」
隊長の代わりにクールミンが答えた。
「領主も貴族でしょうがッ!! 王族相手に何ができんの? どうせ『釈放しろ!』と言われるのがオチでしょうよ!」
大声で不満を述べるも、内心ではワンチャンあるのではと思っている。
フランタ市はいまだ責任者が不在のまま。ドラゴンの襲撃から二ヶ月経つのにそれもどうかと思うんだけど……まあいろいろと事情があるのだろう。
ただ、見知らぬ責任者に判断を仰ぐより、こちらの事情……特に俺のことを知っている領主、コーネリアス侯爵なら悪いようにはならないのではという期待がある。
王族たる王子側に付くか、それとも俺たちの側に付くか……。決して分の悪い賭けではないと思う。
……ま、それはそれとして、連中に痛い目を見せないと俺の気が済まない! 復讐しないと怒りが収まらない! そのためにヤキを入れる道具を準備してきたのだ。
「――隊長、どいてください!」
「いや……みずき、ダメだ!」
「なにがダメだ……『どいて』って言ってんの!」
怒気をはらんで脅すも隊長は怯まない。一触即発の雰囲気に辺りは騒然としだした。さらに一歩踏み出すと隊長は腰を下げた。
あぁ? 俺を取り押さえようとするつもりか? こちとらバケツに熱石持ってんだぞ!
「チッ、どけって言ってんでしょうがぁ――ッ!!」
カチンときた俺は、警告の意味で隊長の足元に向けて魔法を撃ち込んだ!
《詠唱、風弾発射》
パンという音、一瞬巻き上がる猛烈な風。それが隊長に浴びせられると思っていた。
ところが寸前、クールミンがカートン隊長の腕をつかんで強引に引っ張った。俺の異変に気づいて「隊長が攻撃される!」と思ったのかもしれない。
先日、新人試験の際に俺のおでこ魔法を見せたせいか? 無詠唱なのに気づかれるとは……さすがベテラン魔法士といったところか。
突然、地面から発生した強烈な風を受けたみんなは驚きと恐怖で顔色を失っていた。
みんなの顔色を見て、俺は自分のしたことを反省した。
「…………すみません。頭に血が上ってしまって……すみません」
あくまで手を出させようとしないカートン隊長に腹が立ち、ギュッと歯をかみしめて悔しさを露わにする。
「――隊長、もうやらせましょうよ」
「なに!?」
クールミンが助け舟を出した。
見回すと、バザル副隊長、シーラ、それに他の隊員たちも憤りを見せていた。
「隊長の姿勢は立派だと思いますよ。滅多なことじゃ拷問もしませんしね。捕らえた人間に手を上げるなというのはわかります――でもね、我々もあいつらに散々コケにされて腹が立ってんですよ!」
「そうですよ隊長!」「そうだそうだ!」
声を上げるバザル副隊長とシーラ。
二人は俺が殺されるのを見ていたらしい。大恩ある人物が殺される……その怒りはいかばかりか。それもあって俺の復讐に賛同の意を示している。
「我々は手を出しません。見て見ぬふりをするだけです。それならどうです?」
「隊長、我々二人は瑞樹さんに命を救われたんです! 隊長も救われたんでしょ? その彼をあの騎士団長は刺したんです。殺したんですよ! 痛い目をみるのは当然じゃないですか!」
「隊長! 隊長だって愛する人が攫われて慰み者にされたらどうします? 殺してやりたくなるでしょ?」
三人の説得にもカートン隊長は首を縦に振らない。渋い表情のままじーっとこちらを見つめている。
しかしダメと言わないということは心が揺れている証拠。もう一押しといったところ……クールミンの説得が功を奏しそうだ。
「――彼らを殺しはしないんですよね?」
「しない。殺す気なら宿の時点で殺してる。残念だけど、連中を殺すとこちらの身が危険になる。貴族とはそういう人種だからね」
「なら痛めつけても同じじゃないのか? そのことであとで処罰を食らうだろう?」
カートン隊長が反論する。だがそれには及ばない。
「何のために俺がこの恰好をしてると思うんです? こちとら凄腕のヒーラーですよ! 何したって治すのでバレません」
バケツから真っ赤に熱せられた鉄棒を引き抜いてみせる。
「ヒーラーを怒らせたらどんな目に遭うのか……、二度と立ち直れないように心をへし折ってやりますよ」
「…………」
「時間もそんなかかりません。一人一分程度で済みます」
カートン隊長は顎に手をやり思案する。周りの隊員たちを見渡すと、ため息をついて承諾した。
「わかった。ただし絶対に殺すなよ!」
「はい」
よし、隊長の許可をいただいた。ただし防衛隊の関与がないことを示す必要がある。
「それでクールミンさん、隊員を三名貸していただけませんか? 連中を牢屋から出したり動かないように押さえつける役目の人が欲しいんです」
「んー……」
「そうですね……『体躯が大きくて力がある』『肝が据わっている』『口が堅い』という条件でお願いします。あーあと私服で。うちの冒険者パーティー“ホンノウジ”のメンバーということにするんで」
するとすぐにバザル副隊長が手を挙げた。
「ではそのうちの一人は私が――」
「副隊長はダメです!」
即座に却下。その理由をバケツを指さして告げる。
「今回、焼ける匂いがします……皮膚のね。副隊長はまだ自身のトラウマ……心の傷が癒えていないでしょ?」
「…………」
「それに宿で大立ち回りをしたって聞きましたよ。面が割れてるでしょうから避けたいです」
それを聞いてバザル副隊長は「わかりました」と諦めてくれた。
十数分後、クールミンが選んだ三名が私服で集まった。
「ご無理を言います。手伝いのほどよろしくお願いします」
「了解です」
今回、カートン隊長や他の防衛隊員は地下牢には来ない。俺と手伝いの三名だけで向かう。
さあ、地獄の宴の開演だ!