195話 小宮殿にて
王都郊外に、『小宮殿』と呼ばれる豪邸がある。
元はとある子爵家の邸宅であったが、散財が過ぎて破産し、その子爵の上位にあたるオルトナム伯爵家の手に渡った。
当主は長男から「ぜひ私に――」と請われたのでそのまま譲った。
木々に囲まれた閑静な場所にあり、無駄に豪華で見栄えもよかったので、さる人物の隠れ家として利用されている――主に女と情事に耽るためのものだ。
小宮殿の寝室でまぐわう一人の男と複数の女。女は乱暴に扱われているのか、時折り苦痛に悲鳴を上げ、男は喜んでそれを笑う。
そこへ軽鎧に身を包んだ男が無遠慮に入ってきた。
「――相変わらずお盛んですな」
「キャアッ!」
突然の侵入者に女性たちは悲鳴を上げた。しかし素っ裸の男は驚くこともなく、女を抱きかかえたまま振り向いた。
「なんだギュンター、俺は忙しいんだぞ!」
「そのようで」
情事に耽っていた男はマルゼン王国の第一王子――ユリウス・マルゼン。そして入ってきた男は、第一王子直属近衛騎士団団長――ギュンター・オルトナム。オルトナム伯爵家の長男で四十歳、この邸宅の持ち主である。ふふんと王子を鼻で笑うも、当の王子は彼の態度を気にする様子もない。
彼は王子が十歳の頃に副団長として着任し、数年後に団長に昇格。以後十数年にわたり王子の直属として仕えている。なので王子は彼を年の離れた兄のように思っており、今では困ったときのよき相談役である。
とはいえいつも人を見下すような冷たい表情をしており、十歳の王子に初見で泣かれて危うく任を解かれかけた経緯がある。そのことをたまに持ち出して、王子の自尊心をからかったりもする。
性格も見たまんま冷酷ではあるが、部下からの信頼は厚い。というのも近衛兵たちは皆、彼の家と親交のある下位貴族の子息たち。彼らの親から「ぜひうちの息子を……」と黄金色の手土産持参で持ちかけられたコネ入社組だ。実力などありはしないが必要とする機会もまずないだろうと気にしていない。忠実に言うことを聞いてくれればよいと思っている。
彼自身の剣の腕前はすごく、国王陛下の近衛騎士団長のアンドレイ・バニングにも引けを取らない。なので「自分さえいれば、万が一のときはなんとかなる」と考えていることも、部下に期待していない理由でもある。
頭の回転もよく、わがままな王子の要求を忠実に叶える有能さを備えている。
「殿下が気に入る面白い話を持ってきたんですがね……」
「あぁ?」
ギュンターは冷たい目で女たちに一瞥をくれると、王子は女たちに席を外すように告げた。
「で、何だ? 面白い話って」
「ふふ、ドラゴンの牙と鱗が手に入るかも……と言ったらどうします?」
思わぬ単語に王子の目の色が変わった。ドラゴンの牙と鱗……それは王子が欲してやまない品である。
先日、王城の謁見の間でそれを目にして以来、どうしても頭から離れないでいた。昔、子供の頃に聞かされた冒険譚の頂点に立つ魔獣のアイテムに魅了されたのだ。その憂さを晴らすために女で気を紛らわせていたことをギュンターは知っていた。
「おいッ! どういうことだ!?」
「まずは服を着てくださいよ殿下。そんなそそり立つもの見せられても困りますな」
「ん? ああわかったわかった。ちょっと待て」
そそくさとパンツとシャツを着ると、ベッドに腰かけた。
「で? どういうことだ?」
ギュンダーは仕入れた情報を王子に伝えた――
ドラゴンの鱗は三枚存在し、一枚は先日国王に献上されたもの、一枚は冒険者が所持、一枚はフランタ市防衛隊隊長が所持している。
しかもドラゴンの牙は別にもう二本存在していて、フランタ市のティアラ冒険者ギルドに保管されているという。
「それは本当か?」
「はい」
ドラゴン撃退の件は各都市の防衛隊員たちにも噂になっていて、鱗の所在の情報はそこから得た。牙の情報源は国王の執務室の警護をしていた近衛兵に金を渡して聞き出したものだ。なのでまず間違いないという。
その話にユリウス王子は身体中の血が沸き立つのを覚えた。
「ギュンター! すぐに出立する準備をしろ。今すぐだ!」
「今からですか?」
「ああ? 文句があるのか?」
「……いえ? そう言うと思って準備させてますが?」
「チッ、こいつ……」
ギュンターの手回しのよさに、王子は苦笑いした。
「それで殿下、国王陛下には何と報告するんで?」
「んぁ? 言えるわけないだろ! 止められるに決まってる」
「まあそうでしょうな。ですが何も言わずに王都を出るわけにもいきませんよ」
第一王子ともなれば所在はきちんと判明していなければならない。この小宮殿に入り浸っていることも知られていて、父たる国王からは眉をひそめられている。何度か近隣の都市へ外遊するぐらいは目をつぶってもらっているが、行ったこともないフランタ市となるとまず許可が下りない。
「ギュンター、どうすればいい?」
「そうですなー……」
出来の悪い弟の面倒を見るような目でギュンターは王子を見やる。そして腕を組み、顎に手を当てて思案した。
「――ドラゴンの被害に遭ったフランタ市に、救援物資を持参して慰問する……としますか。報告は遅延するように手を回して」
「おおー! なんだかそれっぽいじゃないか!」
「領主のコーネリアス侯爵は支援目当てで牙と鱗を献上したわけですし、殿下が出立したとなれば率先して動いたと見えるでしょう」
「そうだな……ん?」
「いかがなさいましたか?」
「なあ、行き先は違う場所を告げればいいんじゃないか?」
するとギュンターはやれやれとため息をつくと、自分の立場的にそれはできないことを告げる。
「殿下、そんなことをすれば我々は『虚偽報告』した罪で即刻クビになります」
「俺が命じたのならよいのではないのか?」
「いいですか王子――」
ギュンターはわからせ口調で述べる。
近衛兵の役職は、王子にいただいたのではなく国にいただいたもの。つまりは陛下。しかももっとも信頼されることを要求され、王族をお守りするのが仕事。行き先の報告義務はあるし、虚偽報告などもってのほか。
それに、たとえば王子が「俺が指示したところと違うところに連れていかれた」と言えば、その時点で誘拐罪になり処刑もありうる。近衛兵は出自のいい貴族の子息がほとんどなので、家名を汚すようなことはできない。なのでいくら王子の命令でも、自身の立場を危うくするマネはできない。
「あーわかったわかった、もういい!」
「ちなみにこれ三回目ですからね。説明するの」
「――悪かった。もうお前に任せる」
納得した王子が身支度をしようと立ち上がると、廊下から軽鎧をカチャカチャ鳴らしながら大男の近衛兵が一人やってきた。
「団長、第一王子直属近衛騎士団四十名、出立の準備が整いました」
「ん、ご苦労。ユベール」
彼は副団長――ユベール・アントンソン。子爵家の次男。少し抜けたところがあり臆病者。しょっちゅうギュンターから叱咤されるも、そのことを彼は期待されていると捉えているのでむしろ嬉しいらしい。
彼もコネで近衛騎士団に配属になったため、剣も武術もからっきし。だが力はあるので大振りする彼の剣に当たると、訓練でも大怪我をする。
「もう準備できたのか!」
「できてないのは殿下だけです。パンツで出立なさいますか?」
「待て待て待て! ホントお前は口が減らないな」
王子の文句にギュンターは口の端を上げた。
「で? 支援物資とは何を持っていくんだ?」
意外なことを口にするなという表情のギュンター。
「――持っていくんで?」
「ん?」
「王子のお気持ちだけで十分じゃないですか」
ニヤリと笑うギュンターに、王子は「……それもそうだな」と笑いながら相槌を打つと急いで支度した。