194話
「侯爵、掛けてくれ」
「はい」
陛下も執務机を離れ、対面に座った。
それが合図とばかりにブルーノ宰相も陛下の隣に座り、「やれやれ」と首を回した。陛下はバニング近衛騎士団長にも「休め」と促すと、剣を外して陛下の隣に着席した。
この三人は常にそろっているせいか、仲のいい友人同士といった雰囲気がある。当の陛下もそれが心地よいのか、砕けた態度がとれて安心しているようにみえる。
「フランタ市には出向いたのか?」
「いえ、情けないことにまだ」
行かねばならぬと思いつつ、政務に追われて行けずじまい。正直、王都に来ている場合ではないが、陛下のお呼び出しとあれば仕方ない。まあこれを機会に、懇意にしている貴族へのあいさつ回りができると思えばよい。もちろん援助の要請も兼ねてだが……。
「どうした? やはりこれを提供するのは嫌か?」
「――いえ、彼にもそうしろと言われたので問題はないのですが……」
「彼とは?」
「これを提供してくれたギルド職員です」
「そのギルド職員がどうかしたのか?」
「彼にはその……大変世話になっているといいますか……」
陛下と宰相は互いに顔を見合わせる。領主が一庶民に世話になるとはどういう意味かといった顔だ。
「ふむ、まあ謝礼金でも渡せばよいのではないか? なんなら国から出してもよいぞ」
フランタ市をドラゴンから救った謝礼金とは、はたしていくらになるのだろうな……と頭をよぎり、陛下を前に笑いそうになった。
「そういうことでは。それよりもご報告しておかなければならないことが……」
「なんだ?」
「――実はですね……帝国が喧伝しているドラゴン撃退というのは真っ赤な嘘なんです。証拠としている『ドラゴンの肉片』は、そのギルド職員が帝国に提供したものです」
「――は!?」
対面の三人は目を皿のように見開いて固まった。が、すぐに宰相は立ち上がり、火がついたように怒りだした。
「なん……どういうことだ?」
「!? 落ち着いてください! 説明しますから!!」
「ダスター、冗談にしては面白くないぞ?」
険しさを増した陛下の顔を見ながら、フランタ市防衛隊のカートン隊長から受けた報告の内容を話した――
帝国の兵がひそかに国内に侵入し、ティアラ冒険者ギルドにある二本の牙を奪いに来たこと。ティアラのエルフが襲われかけたこと。運よく凄腕の冒険者のおかげで未然に防げたこと。今後の襲撃を防ぐために肉片を渡して逃がしたこと。すべては穏便に済ませるためにギルド職員の案を採用したとのことである。
「ドラゴンの牙は他に二本もあるのか!」
「はい。少々小ぶりだそうですが、ティアラ冒険者ギルドに保管してあります」
話を聞き終えた三人は、意外な事実を知って唖然とした。
「――では帝国が撃退したというのは嘘なのか!」
「はい」
「我が国は帝国兵の襲撃を受けたということか」
「そうです」
「その……エルフが襲われかけたというのは本当か?」
「そう報告を受けました」
「うーむ……」
マルゼン王国には三人のエルフが住んでいるが、王国では自由に活動させている。言い伝えに『エルフに手を出すと国が亡ぶ』とあるせいだ。なのでこの国の貴族や兵士には厳しく言い渡されている。無理強いなど絶対にしてはならないと。
「今後、襲われることがないように、彼は肉片を渡さざるを得なかったわけです」
それでも宰相は憤る。
「だったら護衛を強化すればよいではないか!」
「そんな余力はありません! フランタ市の死者は百人を超え、防衛隊も数十人規模で亡くなっているんです」
人員補充もいまだ満足にできず、領都から兵を回す余力もない。人、物、金……すべてが足らないのだ。第一、襲ってくる可能性が高い……という理由だけでギルドの警備に人員は割けない。
「帝国に抗議すべきではないのですか?」
「あぁ?」
近衛騎士団長の、いかにも軍人らしい意見に宰相は諭すように言い返す。
「何と抗議するのだ? 『お前んとこの兵士がうちの国の冒険者ギルドを襲いました』とでも言うのか? 認めるわけがない! それに証拠もなしにそんなことをしてみろ! へたをすればそれを口実に宣戦布告すらされかねん。なんせ帝国だからな」
「捕らえた兵士を突き出せばよかったのでは?」
「貴公が指揮官であったらどうする? 『うちの兵士ではない』と切り捨てるのではないか?」
「報告によれば、送り込まれた兵士たちは占領国の人間で構成された部隊だったそうで、失敗すれば処刑も有り得たそうです」
「……ひどい話だな」
近衛騎士団長は押し黙ってしまった。彼の意見はもっともであるが、こと政治的には対応が難しい案件である。
「なるほど。先ほど言い出さなかったのはそういうことか」
「そのうち陛下と国務大臣にはお話しせねばと思っていたのですが……」
バニングをチラっと見やる。まあ彼なら話を漏らすことはないだろう。
「先ほどの方々にお話しする判断はお任せしますが、まあ……控えておいたほうが賢明かと」
「ふーむ……。血の気の多い軍務大臣や、古参の財務大臣……ベルナント爺なんかに聞かせたら、『帝国許すまじ!』と騒ぎかねんな。魔法士団長のロベールは違うと思いますが、戦を望む若い連中もいるようですし」
「ふん、呆れたものだ」
マルゼン王国はもう長いこと他国との戦争がない。数十年前に内乱はあったものの、実に素晴らしい治世である。
しかしそれを面白く思わない連中も少なからずいる。爵位の低い貴族連中や、貴族に成り上がりたい商人などの金持ちだ。帝国と戦い、戦功による陞爵を狙いたいわけだ。
ふざけるな! 戦争などしてたまるものか!
「彼の機転のおかげで帝国と事を構えなくて済んだのです」
帝国は戦利品を得るまで何度も兵を送り込む可能性が高いという。そうなればいずれ市民に被害が出るかもしれない。どちらにしろ大問題になる。それを防ぐべく、『帝国に花を持たせる』という形で穏便に済ませたわけだ。
しばし執務室を沈黙が支配した。
「――それにしてもダスター、そのギルド職員とは何者だ? 庶民にしてはやけに知恵が回るではないか」
「はい。名を御手洗瑞樹といいまして、異国の人間です。家名がミタライで名がミズキです」
「家名? では貴族か?」
「いえ。庶民だと述べておりました」
「異国とはどこの国だ?」
「日本という国ですが、私は存じません」
陛下が宰相に目を向けるも、彼も知らないと首を振った。
「彼には息子も世話になりましたし」
「息子? あーそういえば、十歳の息子がいるんだったな。元気かね?」
「もう十一です」
少し温和な空気が漂う。
「ふむ……。で、世話になったとは?」
「王都の子供たちの間で『紙飛行機』が流行っていると聞きましたが――」
「紙飛行機?」
陛下が宰相を見やる。
「ああ。たしか空を飛ぶ紙のおもちゃでしたかな?」
「あーあれか!」
「ええ。それを提供したのが彼です。息子は彼から直に手ほどきを受けましたので」
三人は「ほぉぉー」と少しだけ驚いた。ここで宰相は何やら思い出したようで、
「そういえばロベールの奴がその紙飛行機とやらに興味を持っていたような……」
「ほう、なぜに?」
「私も詳しくは知らぬ。今度聞いてみるがよろしかろう」
「……いえ止めておきます。どうせ聞いても私にはわからないでしょう」
「違いない。ははは」
やっと執務室を和やかな空気が覆った。
最後に陛下からねぎらいの言葉をいただいて、執務室をあとにした。