180話 ティナメリルさんとの一夜
三十分ぐらい歓談し、いよいよ本題に入る。
「ティナメリルさん……」
「なに?」
彼女の目をじっと見つめ、大きく深呼吸――
「――今日、ここに泊まりたいんですが……」
彼女の動きがピタリと止まった。
少し沈黙が続き、彼女は葡萄酒の入ったコップを手にしたまま、背もたれに身体を預けた。
「それはドウキンしたいってこと?」
ドウキン?
なんだっけ、どうきん…………同衾……あ、一緒に寝るって意味か!
「あっハイ、そうです!」
少し間抜けな感じに答えてしまった。
彼女は眉をピクリと動かすと、ベッドのほうへ目を向ける。
「――ダメ……ですか?」
あーなんか不安。口をギュッと閉じてこちらも動きを止める。
やおら彼女はコップをテーブルに置くと、何も言わずに立ち上がり、スンとした表情で自分の服に手をかけた――
「ちょちょ、ちょっと待って!!」
嬉しさや恥じらいなどの感情が一切ない所作に慌てて止める。
「……なに?」
「いや、そんな仕方なくっていうか、義務的な感じなのはちょっと――」
彼女は、俺の言ってる意味がわからないという顔をしている。
なんかこう……気持ちが萎えるというか、一気に酔いが冷めてしまった。
「とにかく座ってください!」
一旦ふりだしに戻る。
これはいろいろ確認してからお願いしないとダメっぽいな。雰囲気もなにもあったもんじゃない!
「あの……ですね、ティナメリルさんは人間とその、セッ……クスすることに抵抗があったりします?」
「……わからないわ」
わかんない!? そこからかー!!
いやまあたしかに異種族だもんな。むしろ抵抗があるほうが普通かも……。
「その……いままで人間に魅力を感じたとかは?」
「……どうかしら」
いただいた日記には人と生活を営んでいた記録があるけどすでに忘れてしまっている。
この三百年間にはそういった浮いた話の痕跡はなかった。
「今まで人間の男から身体を求められたとか……あったでしょ!」
彼女は思い出すのに時間がかかったが、そういった出来事はなかったという。
……いやありえるかな? 言い寄られるぐらいはあると思うが――
あーでもすでに人に興味がなくなってたのかもしれん。
考えたくはないが、無理やり襲われたとか……そういう出来事もあったんじゃ……。
つっても嫌な出来事なんざ書きたくないだろうし、聞いても言わないよな。
まあおそらく憶えてないが正解なのだろう。
想像はいくらでもできてしまうが、ないというのだから信じよう。
「その……ティナメリルさんは俺のこと、好きなんですよね?」
「ええ」
間髪容れずにその言葉、顔がにやけるほどとても嬉しい。
「その好きという気持ちから、俺と閨を共にしたいという感情は湧きませんか? 身体をギュッとされたいとか……」
「……そういえば、あのときはあなたを目にして――」
俺の目をじっと見て表情を崩す。
「嬉しかったわ」
「あのとき?」
「ドラゴンを撃退したあとよ」
「ああ!」
たしかにドラゴン撃退したあとに抱きついてきたな。しかもキスされて……それにいきなり涙を流したし。だいぶ感情が高ぶっていたってことかな。
つまり感情が揺さぶられる何かがあれば、抱かれたいって欲求が生まれるわけか。
「先日、デートのときはどうでした? 最後、俺が抱きあげたとき、キスしてくれたでしょ?」
「んー……」
コップをくゆらせながらしばし考えている。
「そうね。楽しかったし、あなたが好きなんだと思ったわ」
うおっと!! 嬉しいこと言ってくれるじゃなーい!
感情が高ぶれば、人間相手でも抱きたくなるしキスもしたくなる……と。
それがもっと進めば身体を重ねる行為もしたくなる……はず。
そういやこのまえ手をつないで親指でさわさわしたら少し微笑んでたな。
ふーむ……つまり、
『ティナメリルさんの感情はスロースターター』
ということなのかもしれない。
たしかに……たしかに彼女は人と時間の流れが違う。
そのせいかわからないけど、感情が高ぶるまでに時間を要するのかも。
彼女がその気になるのを見極めないといけないのか……。
チラっと彼女を見やると、いつもよりはご機嫌には見える。酒の影響もあるのかな。
わかった。ゆっくりいこう……ゆっくりな。
「ティナメリルさん……」
「ん?」
「椅子、近づけていいですか?」
「えっ?」
彼女の左隣に椅子を寄せ、密着するほど身体を近づけると、長い耳が俺のこめかみに触れた。
「――嫌ですか?」
「…………いいわよ」
「やった」
ふと、高校生カップルが公園のベンチに座って、楽しそうに話をしている光景が浮かんだ。
俺も一度だけ彼女ができたけど、そういう経験はなかったんだよな……。
しばらくティナメイルさんと、酒を傾けながら他愛もない話に終始した。
鳥の求愛行動のようにときどき頬を寄せてじゃれると、ティナメリルさんはふふっと楽しげに笑った。
いい感じいい感じ。彼女の気持ちが高ぶってきている気がする。
俺はコップを置くと、両手で彼女の左手をとり、その手を指をいつくしむように触る。
親指……人差し指……中指……薬指……小指、爪の先から掌まで感触を味わう。
スベスベの白い肌に細くて長い指。
思わず口にパクっとしたくなるほど愛おしい。
齢を重ねても若々しい肉体……やはり人間とは違うなーと肌感覚でわかる。
彼女を見つめ、衣擦れの音をさせながらやんわりと彼女を抱きしめた。
自分の心臓がバクバクと音を立てているのがわかる。
キャロルやリリーさんのときは落ち着いてたんだけどな……。
彼女にこの音を聞かれているのかな……そう思うと少しおかしくなった。
少し身体を離すと、ティナメリルさんから顔を近づけて鼻頭をくっつけた。
そういや前も鼻をくっつける行為をしてなかったっけ……彼女の癖、いやエルフの習性かな?
互いに目と目で見つめ合う。
彼女の翠玉の瞳が熱を帯びているのを感じ、彼女の笑みが挑戦的な雰囲気を醸し出す。
何となくいけそう――
彼女の目を見つめたまま、左手を彼女の背中に回し、右手を太腿の下に差し入れて一気に抱き上げ、そしてベッドに運んでそっと下ろした。
俺は半身をベッドに乗せた状態で動きを止め、じっと見つめ合う。
彼女の胸が大きく上下しているのがわかる。
これは興奮してるのかな……それとも酒に酔っただけかな……まあいっか。
すると彼女が俺の首に手を回した。
おっ! さすがにこれはオッケーの合図でしょ!
俺が「愛してます」と囁くと、彼女は「私もよ」という意味の笑みを浮かべて目を閉じる。
今までで一番長い口づけを交わすと一気に気分が高揚したのか、互いを求め合うように褥を共にした。
次の日。
出社すると、俺を一目見たラーナさんがにんまりと笑った。
「どうだったの?」
「!?」
彼女に顔を向けたまま固まった。
ナンデバレテンノ!?
俺……ティナメリルさんと一夜を過ごしたって一言も言ってないんですがねー……。
「なんで?」
「なんでじゃないわよ! わかるわよ!」
女の直感っておっそろしー!!
キャロルとリリーさんも興味津々とばかりに目を輝かせている。
いやいやいやいや、なんつーか……彼氏が他の女性を行為に及ぶことに抵抗がないのかなー。
一夫多妻における女性の感覚がわからないが、まあ嫉妬でムッとされないのは助かるな。
――別に浮気してるわけじゃないんだけどもさ。
男性陣も『エルフと一夜を共にした男』という、およそ人の歴史にない偉業に前のめり。
「――まあ……よかったです」
「おおー!!」
皆から称賛の声が上がった。
ただし感情を高めないと素っ気なさ過ぎてつらい……というかある意味怖い……と、人と違う面を話すとみんな驚いた表情を見せた。
「まだ初心者なので、ヘタなだけかもしれませんがね……」
「朝まで励める男がか? なあ!」
ガランドがリリーさんとキャロルに同意を求めると、二人は照れて下を向いた。
ラーナさんから「うまくいったのならよかったわね」と及第点をいただいた。
そのとき、通路から足音が聞こえてきた。
最近よく聞くようになった、静かなゆっくりめの足音――ティナメリルさんだ。
開店前の朝一に来るのはかなり珍しい。
今朝まで一緒にいたこともあり、途端に心臓がバクバクしだした。
姿を現すと、職場を見渡し「おはよう」と声をかけた。
「おはようございます」
ん……なんか上機嫌じゃない? 皆も彼女の機嫌のよさに気づいた様子。
主任に帳簿を手渡す彼女を目にしたラーナさんは思わず口にした――
「腰っ!」
えっ!?
昨日話題にしてた、リリーさんの腰つきが変わったとかいうあれか?
思わずみんな、ティナメリルさんの腰に目を向ける。
――全然わからない!
ふっと彼女がこちらに振り向いたので、皆、一斉に視線を逸らす。
話が終わったのか、ゆっくりこちらに向かってきた。
「なあに?」
「いえ、相変わらずお美しいと……」
今朝まで逢瀬を重ねていたというのに、ティナメリルさんはいつもと同じスンとした態度……と思っていたそのときだった――
口元が少し緩み、人差し指でチョンと俺のおでこを突いた。
その仕草に皆が目を丸くする。
彼女は踵を返すと職場をあとにした。
「オイオイオイオイ! なんだ今の!?」
「瑞樹! なんて言ったんだ?」
「明らかに今までと違うぞ!!」
「うっわ~!! ティナメリルさん明るくなってた!」
「……すごいびっくりしました」
「瑞樹、やったわね! 進展してるわよ!」
皆の驚きの声に、俺もまんざらでもない笑みを浮かべていた。