160話
侯爵は机に戻ると、両肘を机について頭を抱えた。
さすがに堪えるわな。
スマホはともかく、フランタ市がドラゴンに焼かれる映像を見せられちゃあな。
領都まであんなふうに焼かれると想像してしまうだろう。
噂だけで領都は絶賛混乱中。片付けなければならない問題が山積みだ。
しかし襲撃を受けたフランタ市はもっと大変なのだ。うな垂れていてもらっては困る。
「とにかくドラゴンは撃退しましたし、奴のフラフラな状況を見てもどこかの町を襲うとは思えません。安心してもらって大丈夫かと」
「…………」
「フランタ市は被害を受けてます。人、物、金、すぐに手配していただかないと……」
侯爵は微動だにしない。俺の声が届いてるのかわからんな。
「この牙と鱗はいれば差し上げますんで、これを提示して『フランタ市は撃退したぞ』とアピールしてみては?」
アッシュが驚いて口を挟む。
「おいッ! その鱗はお前のじゃねえの?」
「んーまあそうだが、牙だけじゃドラゴンってわかんないかなーと思って持ってきたんだよ」
「ただでやるのかよ!」
「援助してもらうのに必要ならな」
侯爵は少しだけ手を下げてこちらを見ている。
「なんせ教会は潰されて聖職者は全滅、アーレンシアが潰されて輸送が停滞、領主代行は死亡、防衛隊本部長は仕事放棄、冒険者もほとんど逃げちゃって人手はない。こんなもんどうしろってんだよ!」
ショルダーバッグから、手紙と書類を出して侯爵の机の上に置く。
「ティアラのギルド長からの手紙と、俺の書いたドラゴン撃退のあらすじ、防衛隊のカートン隊長からの報告書を置いておきます。私からは以上です」
侯爵は手紙を手にすると、何も言わずに小さく頷いた。
血の気が引いたその表情は、何とか意識を保っているといった感じか。
まあ、情報を咀嚼する時間は必要だろうな。
アルナーが侯爵の気持ちを代弁するかのように質問する。
「瑞樹さん、その今の……スマホ……でしたか。それを披露することはできないんですか?」
「お断りします。これを奪おうとした冒険者に町で襲われて死にかけたので……」
「えっ!?」
その話に皆が驚きの声を上げた。
理由はストーカーの逆恨みではあったが、スマホが狙われたのは事実だからな。嘘は言ってない。
もし貴族なんぞに知られた日にゃ、どんな手を使ってくるかわかったものじゃない。
「侯爵も今、これ『欲しいなー』って思いました?」
少し意地悪な質問だったかな。侯爵は俺をじろっと見たまま黙っている。
「……まあ奪ったところで使えないんですけどね」
「そうなのか?」
「俺しか使えないし、そもそも使い方すらわからないだろ」
「でもキャロルさんは使ってたぞ!」
「彼女には少し教えただけだ。それにこれ……一日使ったら次の日はもう使えないしな」
「えっそうなのか?」
アッシュの質問はちょうどいい説明になるな。
「ふふ、使うためにいろいろと制約があるんだよ」
「ふぅ~ん」
姿勢を正して侯爵に向く。
「スマホのことは忘れていただいて、とにかく『ドラゴンを撃退した証拠は見た』ぐらいで話を進めていただきたく。牙と鱗は置いて帰ります。これを王都に差し出して救援を頼んでもよろしいのでは?」
「……王都か」
「まあまずは手紙の一通でも至急に出すべきかと。状況は把握したでしょうから」
侯爵はしばらく考え込むと、踏ん切りをつけたかのように大きく頷き、そして立ち上がった。
「わざわざ報告に来てくれてありがとう。とても参考になった」
「いえ、領主としては大変でしょうが、ぜひともフランタ市への援助をお願いします」
「わかった。早急に手配しよう」
顔色は悪いままだが、状況がわかって多少は安心したのか言葉に力がこもっていた。
フランタ市が壊滅していないことがわかったのも大きいだろう。政治的にも経済的にもな。
そのうち『ドラゴンを撃退した唯一の町――フランタ市』みたいな宣伝も可能だろう。
そんな感じの話を手紙には書いておいた。
時刻は14時を回ったところ。
バザル副隊長とシーラは、このまま休んでもらうことにした。
俺とアッシュの二人で帰るわけだが、
「俺があんたの後に乗るのかー」
「なんだ……不満か?」
「そりゃそうだろ。シーラさんの腰は細かったし、背中も柔らかかったしな……革鎧越しなのでイメージだけど」
「じゃ歩いて帰るか?」
「うーん……正直それもありかなー。前回は走って帰ったし……馬は股が痛くなるしなー」
「おいおい冗談だよ。ゆっくり帰るから心配するな」
タンデムの鞍をアッシュの馬に付け替え、アルナーに手伝ってもらって馬に乗る。
「瑞樹さん、馬に乗れないんですね」
「うちの国じゃ乗れる人が珍しいんだよ」
アッシュが馬の手綱を引いて姿勢を正す。
「じゃなんで移動するんだよ」
「車に決まってんだろ!」
「なんだよ、『クルマ』って」
「馬より速い乗り物だよ」
「んなもんあるか!」
「あるんだよ、うちの国には!!」
軽口を叩きながら彼の腰に手を回す。
ところが体格が大きくて腕がしっかりまわせない。
「ちょ、お前デカすぎ! 手首が掴めねえよ!」
指しか触れてない。さすがにこれはマズい。
アルナーにタオルを一枚いただき、結んでわっかにする。
アッシュの腹の前で両腕をわっかに通し、左腕をぐるぐるっと捻ってねじって両手首が抜けないように絞る。
そして捻った部分を手で掴んで身体を固定した。
「これでよし」
「お前、器用なこと思いつくな」
「いや、たしか救急搬送でこんな感じのテクニックがあったような……」
「『キュウキュウ……』、お前の言うことはいろいろとわからん!」
「まあいいから帰ろう。みんな待ってる」
「そうだな」
見送りは次席執事のアルナーだけ。
「アルナー、落ち着いたら『フランタ市を見に来てください』と伝えておいてください」
「わかりました」
アッシュの背中に左頬をくっつけると、それを合図にアッシュが馬を出した。
「ゆっくりな、ゆっくり。飛ばすと吐くからな!」
「ああ? 吐いたら許さん!!」
そういや今日一日、用心のために何も食ってないなーと思い出した。
途中で何か食べようかとも思ったが、『帰るまでが遠足』である。リバース案件は排除しないとな……。
しかしそんな心配は不要だった。
アッシュの騎乗はうまくて吐きそうな状況にはならなかった。
そして日が暮れた18時過ぎにフランタ市に帰り着いた。