158話 大混乱の領都
以前、乗合馬車で領都へ向かったときは、片道八時間コースだった。
ずいぶんと距離がある印象がするが、現代の車社会だと実はそんなに遠くないのだなというのをあとで知った。
おそらく距離だと四~五十キロといったところじゃないだろうか。車だと一時間半ってとこ。
この程度の距離ならわざわざ遷都せんでも……と思うが、いろいろと事情もあるのだろう。現代人の感覚とは違う。
で、馬なら同じく二時間ぐらいで着くのかなーと思いきや、案外馬は遅かった。
というより競馬のようなスピードをイメージしていたのが間違いで、あんな全速力でずっと走れるわけないよな……というのを出立してすぐに理解した。
軽くパカラッパカラッって走るのと、パッカパッカと歩くのを繰り返す。
イメージ的には『ママチャリの立ち漕ぎと、座り乗りの繰り返し』って感じかな。速度的にも似ている気がする。
走るときは、鐙に乗せた足に力を入れて腰を浮かせるみたい。
俺はシーラの同乗……なので彼女に身体をぴったりくっつけて、彼女の動きに任せている。
抱きつく体勢、腰の位置、前が女性、馬に合わせて前後に運動……何だかアダルトビデオで観たプレイっぽいなー。
……なんて想像する余裕は微塵もない。
とにかく落ちないように必死にしがみつくので精いっぱいだった。
馬の休息のために、途中の村で休憩をとる。
本当に急ぐときは替え馬を用意して乗り継ぐらしいが、あいにく替えの馬が手配できなかったという。
襲撃の騒動で、皆が避難のために馬の取り合いになっているのだ。
おそらく今乗っている馬を手配するのも大変だったのだろう。
「どうぞ」
俺は一人で降りられないので、副隊長が手を貸してくれた。
降りた途端、ものすごいケツの痛みに襲われた。
「ぐおぉおおおおお!!」
今から四股でも踏むのかという恰好で動けない。
その様子にアッシュは大きく笑い、バザル副隊長は微笑み、シーラはふんと鼻を鳴らす。
くっそー! こいつらを車に乗せてギャフンと言わせたい!!
休憩が終わり、出立するとすぐに異変に遭遇する。
人通りが増えてきたのだ。
どうやらフランタ市から避難をする人々とタイミングがぶつかったようだ。
考えたら襲撃からまだたった二日だ。
取るものも取らず逃げてきた者、荷物を積んで逃げ出した者、ぎゅうぎゅう詰めの乗合馬車、大荷物を積んだ馬車など、領都に近づくにつれ増えてきた。
この光景に副隊長が気を引き締める。
「ここからは注意して進みましょう」
馬の速度を落として一列になって進む。
隊長が先頭、シーラと俺が二番手、後をアッシュが固める。
もし盗賊団がこの避難民を襲ったらやりたい放題かな……と思ったが、避難する中に剣を携えた冒険者っぽいの連中も見かけた。
逃げるついでに護衛として雇われたか、単に避難しているだけかはわからないが。
人ごみに注意しながら進んでいると、バザル副隊長が後ろを向いて叫んだ。
「領都の城壁が見えてきました」
その言葉にホッとするとともに空を見上げる。
お日様はちょうど真上を過ぎたあたり。
ということは13時前ぐらいかな。出立から約四時間といったところか。
いやホント領都近いな。自転車があれば日帰りで来れそうだ。
そんなことを思いながら周りの風景を眺めていた。
前回来たときは城壁外に出店などがあったのだが、今回は影も形もなく、それどころか避難する人たちでごった返している。
……いやこれ全然進んでいないな。
「道を空けろ! 通してくれ!」
副隊長が大声を上げて人込みをかき分けて進む。
馬には勝てないから道が開く。
しかし、あとからやってきた連中に押し通られていい顔する人はいない。周りの人々の視線が刺さる。
シーラはキリッとした姿勢を保ち、副隊長のあとをピッタリ進む。
アッシュは右へ左へと視線を流しながら、不意の襲撃に備えて警戒を怠らない。
俺はただシーラの背中にギュッと抱きついて、人々と目を合わさないようにしていた。
城門に到着すると、バララト市の衛兵が大勢で城門を封鎖していた。
どうやら避難民の受け入れを制限しているらしい。門前で押し問答が繰り広げられている。
それでこの渋滞なのか。
暴動でも起きそうな雰囲気に、衛兵も避難民もかなり気が立っている。
そんな中、副隊長は正面から逸れて、空いているところにいる衛兵に声をかけ、責任者を呼ぶように告げる。
するとすぐに呼びに行き、指揮官らしい人物が現れた。
「フランタ市から領主に状況説明に来た。通してくれ!」
「話は聞いている。通ってくれ……おい! そこを空けろ!」
指揮官の指示で横の柵がどけられ、そこを通って中へ進む。
それを見た一部の人たちが殺到し、入ろうとするのを衛兵が阻止する。
「おい! 俺たちも入れろ!!」
「お願い! 中に入れてー!!」
「下がれ下がれ! 今は町には入れられない! 大人しくしてろ!!」
そんな喧騒を聞きながら俺たちは領都へ入った。
城門から領都の衛兵が二人つき、馬に乗って先導してくれる。昨晩、先ぶれを出していたのが功を奏したようだ。
領都の町も騒然としていて驚きを隠せない。
背中に大荷物を背負い、家族の手を取って逃げる人々や、あちこちで荷車に荷物を積み込み、避難しようとしている姿など、疎開行動真っ只中といった雰囲気だ。
いやーもう襲われることはないと思うんだけどー……などという言葉は耳に届かないだろう。
頭の中で「パニック映画でこういう光景あるなー」と妙に達観していた。
領主の館に到着すると、ここもまた厳戒態勢で門前に厳重な警備を敷いている。
見ると建物の上にも衛兵を配置している。おそらくドラゴンの襲撃をいち早く発見するためだろう。
騒然としている広場を通り、玄関先に到着するとすぐさま次席執事のアルナーが飛び出してきた。
バザル副隊長が馬を降り、ビシッと敬礼して告げる。
「アッシュ殿、御手洗瑞樹殿、両名をお連れして参りました」
「ご苦労様です」
挨拶が済むとすぐに副隊長は俺を馬から降ろそうと、両手を組んで足場を作ってくれた。
そこへ足をかけてゆっくり降りる。
「瑞樹さん」
少し緊張した面持ちのアルナーが歩み寄る。
俺はガニ股のまま、トホホな表情で挨拶をする。
「ご、ご無沙汰してます」
「……大丈夫ですか?」
「あんまり大丈夫じゃないです。想像してたより馬に乗るのはつらかったです」
一応こっそりヒールをかけてみたのだが、痛みは取れないので意味はなかった。
さすがにずっとガニ股というわけにはいかず、痛みをこらえて真っすぐ姿勢を正す。
アッシュが馬から牙を降ろして俺の隣に来た。
「彼は冒険者のアッシュ、例のものを持参しました。こちらのお二人は防衛隊のバザル副隊長とシーラ隊員、私たちの護衛をしていただきました」
「コーネリアス閣下がお待ちです。こちらへどうぞ」
邸内に入り、中央階段へ進む。
以前、火災があった厨房はすでに綺麗に改修されていた。
「綺麗に直ってますね」
「結構大変でした」
「それは申し訳ない」
お互いに軽く会話を交わし、二階の領主の部屋へ案内された。
コンッコンッ
「どうぞ」
「失礼します。御手洗瑞樹様、アッシュ様、お二人をお連れ致しました」
「ご苦労」
アルナーに促されて中に入ると、机についていた領主、コーネリアス侯爵閣下が立ち上がった。
手前には筆頭執事のオルトナさんが書類束を小脇に抱えて立っていて、来客用のソファーにはリーシェ夫人と息子のライナス君もいた。