140話 ドラゴン戦の結末
ドラゴンは目玉をぶち抜かれると、激痛に身をよじりながら後ろへ下がった。
あきらかに動揺と警戒が見られ、俺たちに向かって近づこうとしない。
奴の動向を、俺とアッシュは膝をついたまま見ていた。
間違いない……目玉を攻撃されたことで混乱している。
どうやって攻撃されたのかがわからないのだろう。普通の動物ならここで去る行動をとるのではないか……。
すると奴が大きく翼を広げ、空中へ浮かんだ。
おっ、そのまま諦めて帰るか?
――という淡い期待はすぐに裏切られた。
ゆっくり、ゆっくりとこちらへ間を詰めてくる。
少し首を右に向け、残る左目でこちらを睨む姿は、とても怒気をはらんでいるようだ……。
ああ、これは怒髪天を突いているな。
跳ぶ直前、何か言ったようだが聞こえなかった。どうせクソ文句だろうな。
「きたきた浮上した! アッシュ準備しろ!」
「おう!」
そう言うと、彼は自分の大剣を、右横の地面に突き立てた。
彼の剣は隊長のより幅が広い。ブレスを吐かれたときに少しでも防げる壁にするためだ。
といっても身体全体は防げないが……。
カートン隊長の大剣を手に取ると、刃の部分を両方の掌に乗せ、片膝をついて俺の前に掲げる。
まるで儀式でも行うような姿勢……だが向きが違う。
剣先はドラゴンに向いている。
俺はアッシュの両手首をそれぞれ掴むと、剣の柄頭におでこを近づけ、目標に向けて角度を調整する。
「そのまま! そのまま!」
彼の腕を掴む体勢がキツい。
ちょうど剣の真下に目がくるのでドラゴンの口が見えづらい。
そう……目標とはドラゴンの口だ!
「アッシュ! 失敗したらすまん!」
チラっと顔を見ると、アッシュは「今更だな……」と言わんばかりにふんと鼻で息を吐いた。
覚悟を決めたもの同士、笑みがこぼれた。
ドラゴンはさらに距離を詰める――奴がブレスを放つ定位置だ。
途端、奴が吠えた!
「もぉぉ――えぇぇ――くぅう――ちぃぃ――ろぉぉぉ―――ッ!!」
その声に《精神浄化》が自動で発動した!
人に恐怖を与える精神攻撃だ。瞬時に解除される。
だがアッシュが影響を受ける。彼の表情が恐怖に歪み、剣を支える腕が震えた。
揺れる揺れる揺れる!!
今ここで彼におでこを向けて精神浄化してやる暇はない。
剣を落とさないように、掴んでいる手に力を込める。
ドラゴンがブレスを放つ。
――反応が遅れた。
《動体視力強化》
かけた瞬間、奴の口から放たれたブレスのオレンジ色の炎が見えた。
南無三!!
続けて魔法を唱える――
《詠唱、発射》
ただ発射のみ!
おでこの前の大剣は、衝撃波の音を立てて消えた。
――俺はたしかに見た……。
奴の口に向かって、剣が戦車砲の速度で飛んでいくのを……。炎の中へ吸い込まれていくのを……。
そこで俺の視界は消えた。
放たれたブレスが俺を襲い、顔面を焼かれて両目が蒸発した。
「――――ッ!?」
咄嗟に手で顔を覆い、もんどりうって倒れる。
それなりに経験で知っている痛み……火傷だ。
けれど尋常ではない痛さ……顔面の皮を引っ剥がされているようだ。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
み……水を……水を出さな……いや先に……ヒール……いやまだブレスが……あっ……み……。
考えがまとまらない!
転げ回る地面が冷たいことに気づく。
度重なる大放水により、冒険者広場の地面はあちこち水浸しで、今いる場所もしっとり濡れている。
幸いドラゴンの周回ルートからずれた草地。
急ぎ土下座状態で顔を地面につける。
濡れた草の冷たさに少しだけ、ほんの少しだけ癒される。
同時に更新の発動を感じた。
ここでやっと気づく――
『ブレスがない! ドラゴンが絶叫している!』
そういえば焼かれていない! 食らったのは最初の一瞬だけ……か?
ということは……せ、成功した!?
ならば……とすぐに自分に治癒魔法をかける。
《詠唱、完全回復》
瞬時に回復した。
だが顔の皮膚がなくなっている感触がそのままだ。怖くて顔から手が離せない。
顔に手に当て、伏せたまま正座する。
手を離し、恐る恐る目を開けた。
ぼやけた視界……だが光は見える。
よし、目は回復している。
ものすごく……ものすごく安堵した。
魔法で治ると信じていても、全損の場合は治らない……とかだったらどうしよう……と不安だった。
目が潰されるのはさすがに怖い。二度とゴメンだ。
痛みがひどいせいで涙がずっと止まらない。
「――ヴ……グゥ、ウァガァアア!!」
少し周りに気を配る余裕ができたので、声のするほうに目を向ける。
そこにはドラゴンの悶絶する姿があった。
すでに地面に着地していて、苦しそうな声を吐きながら、口から噴水のように液体を噴き出している。
落ちた液体からは湯気が立ち上っている。熱い液体のようだ……。
何だ……ブレスの燃料か?
幸い、俺たちのところまでは飛び散っていない。
が、すぐにそばでアッシュが顔を押さえて倒れているのを目にした。
「アッシュ!」
彼も顔を焼かれたか……。
俺は肘をついた四つん這いの体勢で、彼にゆっくりと近づく。
《詠唱、更新》
《詠唱、大ヒール》
彼におでこをあて、治療が完了するまでかけ続けた。
次いで後ろにいるカートン隊長に目を向ける。相変わらず気絶したまま……おそらく彼も炎を浴びている。
一呼吸置いて、隊長のそばへ這って向かい、彼にも治癒魔法をかける。
よし、三人ともこれで大丈夫だ……。
俺はダンゴムシ状態で顔を横に向け、ドラゴンの様子を見た。
どうやら狙い通りの攻撃が決まったようだ――
『ドラゴンの口に大剣を撃ち込んだのだ!!』
雑貨街で追われているとき、俺に飛んできた瓦礫をおでこ魔法が撃ち返した。
先ほど、カートン隊長の剣が地面に突き刺さっているのを目にしたとき、そのことが頭をよぎった。
それで俺の中で魔法の方程式が解けた。
『魔法は二つの呪文でできている』
ということ。
魔法書の魔法は、マナを『エネルギーに変換すること』だ。
風や水や石を作る事象は“質量エネルギー”への変換で、撃ち出す事象は“運動エネルギー”への変換である。
後者の運動エネルギーは、前者の質量――いわゆる物がなければ発動しないらしい。
つまり、物があれば運動エネルギーの呪文だけでいい――
それが瓦礫をはじき返した理由だと気づいた。
思い返せば、追われているときに「たぶん焦って《発射》しか唱えなかった気がするなー……」と。
『呪文は《発射》だけでも発動する』
とはいえ確認したわけではないから完全にぶっつけ本番。ダメだったらブレスで焼き殺されていた。
仮説が正しくてホントよかった……本当に助かった。
◆ ◆ ◆
人間のくせにバカにしやがって!
ドラゴンはブレスの準備が完了し、翼を広げて飛び上がった。
彼の欠点――ブレスを放つと、飛ぶためのマナも消失してしまい飛べなくなること。これが彼の抱えている欠陥体質だ。
そのことに無性に腹が立ち、憂さ晴らしに恣意的な振る舞いをするようになった。
それで群れから追い出される羽目になる。
自分は弱くない……他の弱い生物をいたぶることで、己の強さを誇示していた。
しかしここにきて、反撃を食らうという屈辱を味わう。
到底許せることではなかった……。
何だ? 右目が見えない……やられたのか?
ありえない! 人間に手傷を負わされるとは!! 目の前に這いつくばっている人間の仕業だと!?
もう勘弁ならん……奴らを焼き払って終いにしてやる!
左目だけだと視界の端になる……。少し首を傾ける。
距離がよくわからない……が、どうやら動けずにうずくまっているようだ。
ふん、今度は絶対に大丈夫、いつもより時間をかけてギリギリいっぱいまでガスを溜めた。
よし、いくぞ!!
燃え朽ちろ! 食らえっ!!
ドラゴンが渾身のブレスを放つ――
が、すぐにブレスが消えた!
ブレスを放ったのとほぼ同時……コンマ数秒後の出来事だ。
喉奥の熱源発生器官に何かが刺さった感触を覚え、そのまま突き抜ける勢いに驚く間もなかった。
反動で頭がぐんっと後ろに数メートル押し下がる。
――なんだ!?
ドラゴンは知る由もなかった――
人間が魔法で放った長い剣が喉奥に刺さったなどと。
それは熱源を破壊し、剣の鍔が中で引っかかり、刺さった状態で止まったなどとは……。
急にブレスが切れたことに困惑した。
――あれ?
途端、猛烈な痛みに襲われた!
「ギャアアァァアアアアァァァアアアア!!」
今まで味わったことのない痛みに絶叫する。
突き刺さった剣は、喉奥まで一気に進み、脊髄を掠めていた。
付近を通る神経節を切断、さらに痛覚神経に触れた状態で止まっている。
気が変になりそうだ……。
引火させるための熱源が破壊されたため、高圧ガスがそのまま口から噴き出し続けた。
意識を正常に保つことが困難になり、崩れるように落下する。
ブレスを吐き切る前だったため、落下の衝撃で高圧ガスを貯蔵している臓器が圧力で損傷した。
いつもより多く溜めていたせいだ。
体内にガスが漏洩し、漏れ出したガスで他の臓器も損傷した。
喉に何かが刺さったせいだ! 何をされた! 一体何が起こったのだ!!
ドラゴンは半狂乱になって暴れた。
高圧ガスを吐き切ると、喉の奥に突き刺さった何かを吐き出そうと首をブンブン振り回す。
――だが抜けない。
前足や、翼の腕を口に伸ばす。しかし当然口には入らない。
もんどりうって大暴れし、横倒しになりながら、頭を地面に打ちつけた。
するとその衝撃で、剣が抜ける感触を覚えた。
――ん……これだ!!
ドラゴンはここぞとばかりに、何度も何度も横倒しの状態で、地面に頭を叩きつける。
もはや自分が何をしているか、正常な判断ができないでいる。
打ちつけるのは相当に痛いはず……だが剣の激痛がそれを上回っていた。
遠心力と衝撃で、剣がずりずりと抜けていく……その感触に恍惚な表情が浮かぶ。
顔がひどいことになっていることに気づかない。
左側面の口元は大きくめくれあがり、歯と歯茎が露出する。歯も数本折れ、頬骨辺りの肉も剥げ落ちた。
何度目かの打ちつけで剣がスルっと抜けた。
剣は空中を舞い、人間の後ろのほうへ飛んでいった。
◆ ◆ ◆
俺たちは動けずにいた。
アッシュは横倒し、カートン隊長は仰向け、俺はダンゴムシ状態だ。
しばらくすると、後ろのほうに大剣が落ちる金属音が聞こえた。
喉に刺さっていた剣を外された!? マズい!!
顔だけ上げてドラゴンを視認する――
奴は横倒しでぐったりしていた。
お? これは? ……いよっしゃああああああ!! 奴に大ダメージを与えたようだぞ!!
奴はまだ息はあるようだが動く気配はない。
その姿を目にした俺は勝ちを確信した。
本来なら飛び上がって喜びたいところだが、俺たちもそれどころではない。
急いで体調を整えなければ……。
先ほどまで騒々しかった広場は、動くもののない静寂に包まれている。避難する人たちの声が遠くに聞こえる程度だ。
どれくらいの時間が経っただろうか――
先にドラゴンの方が動き出した。
奴は死に際のような、弱弱しい声を上げながら体を起こす。
「……お……おのれ………お…のれえええええ………」
聞こえた声に、俺は顔を上げる。
涙目でよく見えないが、顔がえぐれ、歯が剥き出しになっているようだ。
しかも口からは涎なのか油なのか、わからない体液がこぼれ落ちている。
……どうやら顔を激しく地面に打ちつけたらしい。それで剣を抜いたのか……いい気味だ!
大きく息を吸って体を起こすと、正座して息を吐いた。
悪態でもつこうかと口を開いたが、何かもう……いろいろと考えるのがめんどくさかった。
というかずっと顔が痛い。ホントに皮膚があるかも疑わしい。
あー……足にも力が入らない。
怪我はしていないはずだが、どうやら立つ気力も尽きたようだ……。
今、これで来られたら……もうダメだな。
腹を括った。
――だが奴は襲ってこなかった。
ドラゴンは翼を大きく広げてゆっくりと羽ばたいた。
ふわりと浮上すると、ふらつきながら向きを変え、静かに東の空へ飛び去っていった。
――飛び去っていったのだ!!
その光景を見て、大きくため息をついた。
「ああ――……しんどっ……」
絞り出すように吐き出すと、再びその場に突っ伏した。