137話
雑貨街を屋根を、跳び跳びしながら逃げている。
この辺りの建物は、屋根が平らで移動しやすい。日本の三角屋根だったら厳しかったな。
が、ドラゴンが通ったあとは更地になってしまう。ホント申し訳ない。
二百メートルぐらい先に川を渡る橋があり、それを越えたら冒険者広場だ。
突然、追ってくるドラゴンが止まる。
「――あれ?」
奴との距離を百メートル程度を維持しながら逃げていたのだが……。
「おいおい……来ねえのかよ」
腰に手をやりため息をつく。石弾でも撃ち込んでやろうか……。
そのとき、ドラゴンが翼を広げて飛び上がった。
「あ……くっそ! マズい!!」
ここで飛ぶんかい!
先を越されてはマズいと思い、慌てて広場へ急ごうとした――
しかし遅かった。
翼をバサバサする音が聞こえたと思ったときには、俺の上を追い越していた。
風に煽られたせいで埃が舞い上がり、思わず手で顔を覆う。
すぐに顔を上げて奴を目にしたときには、俺に向いて小刻みに翼を羽ばたかせて静止していた。
あっ、ブレスか!!
《動体視力強化》
即座に片膝と両手をつき、奴の口を見据えて迎撃態勢をとる。
数秒後、奴が口を開くとオレンジ色の熱源を見た。
《詠唱、最大放水発射》
みたびブレスと放水の撃ち合い……大丈夫、もうタイミングはバッチシ覚えた。
……にしても奴は同じ攻撃を繰り返す……もしかして放水で防がれていることに気づいていないのではないか?
考えてみれば、俺も放水時は水しか見えない。
ということは、ドラゴンもブレス時は、炎しか見えてないのかも。なるほどな……これならブレスを撃たせまくって燃料切れを狙えるかもしれない。
三度の撃ち合いで確信を得た気がした。
動体視力を切り、もうほんの数秒でブレスが終わるだろうというときだった――
突然、足場の屋根が底抜けた。
「うわわわ!」
俺のいた位置で穴が空くように崩れ、ひっくり返るように仰向けに沈んだ。
運よくドラゴンのブレスが終わったときだったようで、吐き出す炎は見えなかった。
真上を見上げながら落ちる俺、水柱が空へ向けて伸びた。
《停止》
幸い店の床が板張りで、落ちた瞬間に衝撃を吸収できたらしい。痛みをそれほど感じなかった。
まあアドレナリンが出まくっているおかげもあるだろう。
とはいえ背中をまともに打ってしまい、一瞬呼吸ができなくなって焦った。
そこへバケツをひっくり返したような大量の水が降り注ぐ。
「うぶぶぶ……」
落ちた店内は、木の皿がたくさん散らばっている。どうやら食器店だったか。
人の気配はなく、ちゃんと避難していたようだ。
《詠唱、完全回復》
すぐさま全快する治癒魔法を唱えた――しかし発動しない!
そういやさっき使ったばかり……先ほどの落下からまだ五分経たないのか。
使えないことで猛烈に恐怖に襲われる。奴が来たらマズい!
幸い《更新》は自動で発動しているが、何を怪我したかわからない。
《詠唱、大ヒール》
ドラゴンがやってこないことを祈りつつ、念のためヒールを唱える。
建物下に落下したおかげか、どうやら奴に見つかっていないらしい。すぐには襲いかかってこなかった。
すると突然、ドラゴンの高笑いが聞こえた。
「ファッハッハッハ! 所詮は人間……俺にかなう相手ではない!」
何だ? 俺を倒したと思い込んでいるのか!?
……それはそれは好都合だ。
音をたてないように気をつけ、こちらに向かって動き出さないかと注意を払い、急いで体調を整える。
奴の姿は見えないが、どうやら倒したことにご満悦の様子である。よほど俺のことが腹に据えかねていたようだな……。
図体と態度はデカいくせに何と器の小さい奴! 威厳もへったくれもない。
漂う小物臭に少し気が楽になった。
正座した状態で大きく深呼吸し、ずぶ濡れになった衣服を乾かす。
《詠唱、脱水発射》
よし、それじゃあ行くか!
ドラゴンが何やらぶつくさ言っているが、お構いなしに建物上に跳び乗った。
「まあ竜語を話す変わった人間ではあ――」
「あー死ぬかと思った!」
能天気な台詞を吐いて建物の上に姿を現すと、倒したと思っていた人間の出現にドラゴンのしゃべりが止まる。
ふふん……あまりの出来事に完全に意表をつかれたらしい。
焼け死ぬどころか、何の傷も負っていない平然とした様子に、ドラゴンはついに堪忍袋の緒が切れたように叫んだ。
「にぃんげぇんがあぁぁ――――ッ!!」
「ブゥアァ――――カ!!」
こいつの口ぶりから察するに、おそらく相当幼稚な奴ではなかろうか。しかも煽り耐性も低そう。
これは完全にヘイトを稼いだに違いない。このまま俺を追ってくるだろう。
だが奴は今、進行方向にいる。
奴を迂回しなければならないが、さて右か左か――
少し逡巡しているところに奴が俺めがけて向かってきた。
咄嗟に右にジャンプ。
少し迂回する形で移動して川を渡る。
俺の移動に合わせてドラゴンが動き、うまく冒険者広場へ誘い込むことに成功した。
さあて、しばらくは鬼ごっこだ……。
◆ ◆ ◆
ティアラの職員たちは、ロキギルド長に先導され、フランタ市から離れた木陰に避難していた。
立ち上る水蒸気雲、水が弾けるような爆発音、建物が崩れ去る破壊音などを耳にし、ドラゴンの攻撃に震え上がっていた。
「い……一体何が……」
誰となく不安を口にする。
フランタ市の東地区でドラゴンが暴れている。その出来事に皆、打ちのめされていた。
そこへ衛兵が、女性二人を抱えてやってきた。
小柄のティアラの職員と、耳が笹葉のような女性――エルフのティナメリル副ギルド長である。
「おい、ティナメリル!」「アリッサ!」
ギルド長と主任が揃って駆け寄る。
小さな女性職員の名前はアリッサ、買取部門の職員である。避難したあとに姿が見えず、皆で心配していた。
他の職員たちも気づき、二人の下へ。
買取部門の同僚たちは、アリッサの姿を目にして大粒の涙を流した。
服に血痕、泥だらけ、ぐったりとして意識がない。パッと見死んでいるのではないかと見えた。
衛兵から生きていると告げられると、安堵するとともに遠慮なく泣いた。
小さい彼女を見失って避難した自責の念もあったのかもしれない。
ティナメリル副ギルド長は意識を取り戻しており、弱弱しくではあるが受け答えができた。
「二人とも怪我をしたのか!?」
「……たぶん……大丈夫です」
ギルド長の問いかけに、ティナメリルは小さく頷く。
とはいえ二人には怪我をした形跡が見て取れた。
ギルド長と主任は互いに見合い、瑞樹が治療したのだなと察した。
キャロルが衛兵に詰め寄る。その表情はとても強張っている……大事な人がいないからだ。
「瑞樹さんは?」
「それが……」
衛兵は、よくわからないと言いつつ説明をする。
その職員は「ドラゴンを何とかする」と言って東門へ戻っていくと、しばらくして大通りから再び轟音が鳴り響き、巨大な水蒸気雲が発生したという。
その後、建物が破壊される音が鳴り響き、驚愕したという。
自分たちも何が起きているのかさっぱりわからない……と凍り付いたような表情で告げた。
――と、そのとき、城壁の向こうにドラゴンの飛ぶ姿が見えた。
奴が町に向けてブレスを放った……が、その先で水蒸気が濛々と立ち上る。
「きゃあああああああああ!」
「うわぁああああ!」
「……また……何だ!?」
避難した人たちは、城壁越しではあるが、初めてドラゴンのブレスを目の当たりにした。
ものすごい炎に恐怖する。
だが建物が燃える気配はなく、水蒸気雲が立ち上るの見た。
ブレスの直後、水柱が一瞬空に伸びた。
その水柱がドラゴンのブレスを防いでいると気づくものは誰もいない。もちろん水の出所が瑞樹の魔法だともわからない。
ドラゴンが着地すると、建物を破壊しながら遠ざかる音が聞こえた。
どうやら南へ……方角的には冒険者広場があるほうへ向かっている。
「ドラゴンが……移動しているのか!?」
みんな、音が進む方向を眺めていた。
リリーは、副ギルド長が瑞樹のウェストポーチを持っていることに気づいた。
「ティナメリルさん……それ……」
職員は皆、それが彼の物だと知っている。
彼はずっとそれを肌身離さず持っていた。それがここにあることの意味に、言い知れぬ不安を感じた。
もしかして、瑞樹は死を覚悟しているのではなかろうか……と。
「それ……ちょっといいですか?」
キャロルがウェストポーチを受け取り、中からスマホを取り出した。
「キャロル!?」
リリーは驚いて口にした。何をする気か……。
彼女は気にせず、スマホの暗号ロックを手慣れた様子で解除する。スマホで音楽を聞くために教えてもらっていたのだ。
もしやと思い、最新の動画を再生する。
するとそこに映っていたのは――ドラゴンが南大通りを焼き払っている光景だった。
皆がその映像を覗き込む。
「み……瑞樹さん……こんなの相手にしてるんですか!?」
大通りを焼き払う炎、立ち上る黒煙、どれも恐ろしい光景である。
ラーナはギルド長にしがみつき、何とか必死に気を保っていた。
リリーは体が震え、足の力が抜けてへたり込む。他のみんなも顔から血の気が引いた。
こんなのは人間がどうこうできる相手ではない……誰もがそう思った。
アッシュは、初めて見るその道具が何かわからなかったが、映っているドラゴンは、さっき見た奴だというのは理解した。
皆の話しぶりから、瑞樹がこのドラゴンを相手に戦っているらしいことを知った。
しばらくして、また町の南のほうから弾けるような爆発音が聞こえ、大量の水蒸気雲が立ち上る。
「ま……まただ!」
「あれは一体何なんだ!?」
衛兵が口走る。人知を超えた出来事に足がガクガク震えていた。
「あ……あれ、あいつがやってんのか!」
アッシュは何となく、あれは瑞樹の仕業なのだろうと、彼の想像を絶する能力に驚嘆する。
ドラゴンが火を吐いているにもかかわらず、町に火の手が上がる気配がない。かわりに水蒸気が雲となって立ち上るからだ。
皆が避難しているところへ、防衛隊のガットミル隊長がやってくる。逃げてきた住民たちを連れてきたのだ。
彼の口から、ドラゴンは冒険者広場のほうへ向かっていると知らされる。
キャロルはスマホを掴むと、隊長に詰め寄る。
「ねえ、あそこ……あそこに上がるのはどう行くの? 教えて?」
彼女は城壁の上を指さして尋ねた。
「はあ!?」
隊長はダメだと拒否する。
だがキャロルは瑞樹のことが気になって、勝手に行くと言って走り出した。
ギルド長と主任が引き留めようと声をかけたが、彼女にその声は届かなかった。
東大通りからドラゴンが去ったことに気づいた町の人々が、東門からどんどん避難してくる。
ティアラの職員も、防衛隊を手伝い、人々を草原へ逃げるように誘導していた。
しばらくすると、城壁の上から身を乗り出して、こちらに向かって叫ぶ人影にラーナが気づいた。
日の光に反射する金髪のポニーテール……キャロルだ。
彼女は何かを指さしながら大声で叫んでいる。
「……さん……る。みず……あそ…いる」
キャロルの声が断片的に届く。
どうやら『瑞樹が冒険者広場でドラゴンと戦っている!』……と言っているようだ。
みんなが気づいたことを知ったキャロルは、城壁の上を南へ走る。おそらく瑞樹の近くへ向かったのだろう。
ティアラのみんなは、彼女の行動に唖然とした。
……よほど瑞樹のことが気になるのか。
いつも職場をともにしているリリー、ラーナ、ロックマン、レスリーは、キャロルの行動に感化されたのか、自然と足が城壁に向かう。
リリーも瑞樹のことが心配になり、気づくと早足で向かっていた。
その姿をギルド長と主任が目で追う。
「――瑞樹は?」
ティナメリルの声にギルド長――ロキは振り向く。
彼女は顔色が戻り、少し元気を取り戻したようで、その様子にロキは安堵した。
「どうやらドラゴンと戦っているようだ。信じられないことだがな……」
「……そう」
しばらくしてまた水蒸気雲が立ち上った。
ロキは、心配そうな表情を浮かべているティナメリルに、思ってもみなかった言葉をかける。
「――行ってみるか?」
ドラゴンが暴れているところを見に行くなど、正気の沙汰ではない。
しかし、瑞樹が自分たちのため、町のためにドラゴンと戦っている。
その雄姿を見たい……いや、ティナメリルに見せてやりたいと、憂いた彼女の表情を見て思ってしまった。
ティナメリルは何も言わなかった……。
だがロキはタランに目配せすると、他の職員にはアリッサとともに残るように伝え、ティナメリルを連れて城壁へ向かった。