132話
フランタ市にドラゴンが飛来した。
奴の叫び声と建物の振動で誰もが気づき、わらわらと人々が家から出てくる。
けれど下からドラゴンの姿は見えない。何事かと皆、動揺している。
ドラゴンはゆっくりと街の上空を外壁に沿って飛行する。体躯の太さから大型輸送機が旋回飛行してるようだ。
再び東のこちら側に近づいてくる。
羽ばたかずに大きな翼をピンと広げて滑空するその姿は、まるで風を受けた巨大な凧。
見た目の形容がいろいろと頭に浮かぶ。
「ギャッギャッギャッ……小さい、小さいなあぁぁあ! アーッハッハッ!!」
また気色悪い笑い声とともに言葉が聞こえた。
これってドラゴンの声か!
みんなにはどう聞こえているのだろう。
それにしてもムカつくほどにゲスな台詞だ。
下を見ると、出てきた人たちが上を見上げている。その中にアッシュもいた。
サッと降りて彼にドラゴンだと告げる。
「今の奴の言葉聞こえたか?」
「はあ!?」
意味がわからないという表情……やはりただの叫び声か。
アッシュはサッと屋根に上った。
あっ、やっぱり彼は身体強化術が使えるんだな。
俺は状況を掴めずにいるみんなに向けて叫んだ。
「ドラゴンです! 今すぐ逃げましょう!」
店内を覗くと、奥にいた職員が続々と出てきた。
主任に目がいき、二階の階段にギルド長の姿を目にした。
「何も持たずに広場に出るように伝えてください! 急いで!」
別棟の財務の職員にも伝えるようにお願いした。
再び屋根の上に乗ると、アッシュは度肝を抜かれていた。初見だろうしな……って俺も初見だ!
けど不思議とドラゴンを見てもあまり恐怖を感じない。
むしろ見慣れている感すらある。
なるほど……たしかにドラゴンだ。
アニメや漫画、映画にゲームと、ドラゴンが登場するものは現代にごまんと溢れている。
ファンタジー映画も流行ったし、怪獣映画は日本のお得意芸。ネトゲ三昧の俺には何度も討伐した生物。
本当に想像通りの生物……それが目の前を飛んでいる……こんなことってある!?
その実物にお目にかかれて少なからず感動していた。
もし奴がこちらに来れば瞬殺されるだろうに……。
ドラゴンは旋回を止め、中心街の上空で静止。都市全体を眺めているようだ。
いかにも今から攻撃しますよ……という感じがする。
「一体何を!?」
ドラゴンは上空でバッサバッサと羽ばたいている。
突然、大地が震えるほどの咆哮を上げた。
「ああぁぁそぼぉぉぉぜえぇぇぇぇ!!」
頭に響くような奴の声に恐怖が走り、頭が混乱した。
これはただの咆哮とは違う!
バランスを崩し、屋根から落ちかける。
「うぉっと!」
しかしすぐにふわっとした柔らかいオーラのようなものに包まれ、おかげで頭は正常に戻った。
何事かとびっくり!
隣にいたアッシュは、発狂したように頭を抱えて震えている。
彼もあやうく屋根から落ちかけたので掴んで引き戻す。
「おいおいおい!」
じっとアッシュを見やる。怯えたような苦悶の表情を浮かべている。
俺も一瞬そうなった……が、すぐに正常に戻った――
「あっ、わかった!」
すぐにアッシュにおでこを近づけて魔法をかける。
《詠唱、精神浄化》
彼の身体にふわっとしたオーラが見え、すると彼は落ち着いて怯えるのをやめた。
「な……な……何が?」
息をゼイゼイさせながら茫然としている。
なるほど、今の奴の咆哮には人に恐怖を与える効果が付いてるのか……。
「危ないから下へ降りよう」
アッシュは状況が理解できずにいる様子。とりあえず一緒に下に飛び降りた。
精神浄化――これは神聖魔法書に載っていた魔法で、混乱や発狂、恐怖や不安といった精神状態を正常に戻す治癒魔法の一つである。
覚えてはいたのだが、どういうときに使うのかわからずにいた。
恐怖や混乱と言われてもピンと来なかったからだ。
けれど先の大鹿の叫び攻撃で頭痛がしたあと、足が麻痺したように動かなくなった。
あれが恐怖や混乱といった精神攻撃の類だと思われる。
その状態を解除する魔法が、精神浄化である。
ところが当然、俺も食らうと混乱する。そうなると使うどころの騒ぎではない。
そこでこれも自動で発動するように《連続》の魔法語を追加し、自分には常時発動させるようにしていた。
更新と同じ要領である。
《詠唱、連続精神浄化》
俺にはこれがすでにかけてある。おかげで自動で混乱状態から復帰できたわけだ。
キャロル、ラーナさん、リリーさん、ガランド、ロックマン、レスリー……と次々に《精神浄化》をかける。
外に出ていた人たちも一様に怯え、震え、泣き叫ぶものもいた。
混乱状態がひどい人におでこを近づけ、精神浄化をかける。
全員にはかけられなかったが、しばらく経つと皆、正気を取り戻した。
しかし精神的に応えたようだ。
その場に突っ伏して動けなくなっている人が続出。
これあれだな……咆哮で動けなくなっているところをブレス(炎を吐く)されたらハメ技だな。
「み……瑞樹さん、どうしたら……」
キャロルは涙で頬が濡れていた。先ほどのドラゴンの咆哮の影響だ。
両肩を掴んで「大丈夫!」と何度も告げる。
「ドラゴン……なんですか?」
レスリーはこめかみを押さえながら頭を振る。
俺は小刻みに頷いた。
大通りにはすでに多くに人が逃げ出していたが、今の咆哮で混乱に陥っている。
「みんな無事か!」
ギルド長の声が飛ぶ。
今、主任と一緒にギルドから出てきたようで、広場にいた人たちの混乱っぷりに驚いている。
二人にはドラゴンの咆哮の影響はなさそうだ。
おそらく建物内にいたからか!
ドラゴンの咆哮は聞かなければ無効化できるっぽい。
「ギルド長! 主任! 職員が全員いるか確認取ってください!」
そう告げてもう一度屋根に上る。
ドラゴンは親指ぐらいの大きさに見える位置、奴はフランタ市の象徴的な建物――教会の真上にいた。
ゆっくり羽ばたいて、ホバリングをしている状態――
と、思いきや次の瞬間、教会の周辺めがけて口から炎を吐き出した。
「う…ぅわっ!!」
奴の口から炎が筋となって伸びる。
狙いはおそらく西大通り……通りに沿ってブレスを放ったようだ。
大気が熱で揺れている。
家屋が一瞬で燃え、火の粉が舞い上がる。
少し遅れて音が耳に届く。ガスバーナーを噴射してるような重低音だ。
風は東から西に吹いているのでブレスの熱気はこちらに伝わらないが、上空の景色が歪んで見えるので熱量は相当なものだろう。
数秒後、奴が吐き終わると一帯の家屋から黒煙が立ち上った。
「――ああぁぁ……」
自然と声が漏れる。
見たこともない惨劇に心が動揺した。こんな大災害は見たことがない!
焼かれる家屋を目にして悲しくなり、知らず涙が頬を伝う。
ドラゴンが怖いというより、燃えさかる光景が怖かった。
奴はブレスが終わると同時に、教会めがけて落下するように体当たりをかまし、その巨体で建物を破壊した。
「うぃぃっひっひっひ! そぉおれぇええ!」
奴の叫び声が耳に届く。
まるで子供がはしゃいでるような言動だ。奴は楽しんで建物を破壊しているというのか?
「瑞樹!」
下からギルド長の声がした。
降りて状況を伝えようとしたが動揺が激しく、声が詰まりうまく話せない。
俺が泣いているの目にして「どうした?」と聞かれた。
「に……西大通りが焼かれて火の海です!」
その言葉に皆、血の気が引いた。
大きく深呼吸をして言葉を続ける。
「ドラゴンは今、教会を襲撃しています。こっちに来るまで時間はあります。今のうちに東門まで走って逃げましょう!」
とにかく町から離れること。それを第一に考えよう。
すぐにティナメリルさんの姿がないのに気づいた。
「ねえ、ティナメリルさんは?」
俺の質問に財務の職員が答える。
「ドラゴンの襲撃だと伝えました!」
伝えた……だけ? 副ギルド長は一緒じゃないのか?
と聞こうとしたそのとき、ガランドが東門ではなく別の方向へ走るのが見え、そのせいで気がそれてしまった。
「ガランド!」
「妻が……迎えに……」
あ、そうか……家族がいる人たちがいるんだ。俺は独身だから気が回らなかった。
頷いたあと、奥さんと一緒に東門へ向かうように叫んだ。
すぐにギルド長と主任に目を向ける。二人にも家族がいるのを知っている。
「あの……お二人は?」
二人とも心配ないと俺に告げる。
ギルド長の家族は先月から王都に、主任の奥さんは数日前から領都に滞在しているという。
何という幸運!
それは何より……と安堵の表情を浮かべ、二人に避難誘導を取り仕切ってもらうことにした。
「家族のいる人は迎えに行ってください。ですが西地区は大通りが焼かれています。そっち方面は……厳しいかと」
苦虫を噛んだような顔で言葉を吐き出した。
ティアラの職員は概ね東地区に居を構えていると聞いたことがある。しかし全員ではないと思う。
もし俺の家族が西地区に住んでいたら、やはり迎えに行くだろう。
無事ならいいが……。
「家族と合流したら、とにかく東門へ逃げてください!」
そう言うと、十数名が家族を迎えに家に向かった。
受付の三人、経理の二人、購買の二人を含むギルド職員は主任に従い、ギルド長はその他の広場にいる住民や、アッシュなどの冒険者を従えて、東門へ避難を開始した。