131話 フランタ市にドラゴン襲来
柔らかな日差しが降り注ぐ、標高二千メートルを超す大地に、大きな峡谷が亀裂のように走っている。
底に流れる大きな川と、高さ数百メートルはあろうかという岩棚だ。
川の流れが何万年もかけて、大地を削って造り上げた地形なのだろうか。はたまた超常現象的な力によって、大地が引き裂かれたのであろうか。それはわからない。
岩棚には所々に大きな洞穴が空いていて、ある巨大な生物の住処になっていた。
ここは東の海に浮かぶ諸島の一つ、『青のドラゴンの居住地』である。
あるとき、温厚な彼らの居住地に突如、厄災が降りかかった。
二頭の黒褐色のドラゴンによる襲撃を受けたのである。
その二頭は兄弟で、はるか東方の大陸から海を越えてやってきた。
粗暴な性格の兄は、欠陥を抱えた体質を馬鹿にされ、騒動を起こして群れから追い出されたのだ。
弟は兄に付き従い、一緒に群れを離れた。
大遠征の末にやっと見つけた陸地、おあつらえ向きに同族の住処であった。
体は傷つき、体力的に疲弊していたものの、獰猛な兄弟はそのまま構わず、青のドラゴンに襲い掛かった。
突然の出来事に、青のドラゴンたちはパニックに陥った。
果敢に反撃するも、体躯的に一回り大きな黒褐色のドラゴンに力で圧倒される。
首をかみ千切られ、翼を折られ、口から吐く炎で焼かれ、次々と死んでいく。
たった二頭に手も足も出ない。
それはさながら、オオススメバチに襲われたミツバチの如く一方的に殺戮されていく。
青のドラゴンは草食獣、黒褐色のドラゴンは肉食獣、はなから相手にならなかった。
雄ドラゴンの大半は殺され、二百頭以上いた青のドラゴンは約半数まで減らすと、残りを服従させた。
二頭はこの地を乗っ取ると、それぞれ別の洞穴を巣穴とし、体を癒すために長い眠りについた。
長い年月を経て、体の傷が癒えた兄が目を覚ました。
体調を確かめるように飛び立つと、この大陸を散策がてらに飛び回り、目についた都市を気晴らしに襲って楽しんだ。
居住地でも傍若無人に振る舞う。
巣穴に体を横たえたまま、丸めていた尻尾に力を入れて、バンと地面に叩きつける。
食事を要求する合図である。
当然、大型獣を欲している。狩りなどしない青のドラゴンには困難な作業であった。
怯えながら入ってきた二頭の雌ドラゴンは、大型獣を彼の前に差し出す。
態度が気に入らなかったのか、差し出す彼女を何も言わず右足で払いのけた。
彼女の体は横倒しで吹き飛ばされ、壁に激突してぐったりとする。その様子にもう一頭は頭を下げたまま震えていた。
雌ドラゴンのさまにふんっと鼻を鳴らし、食事を済ませてまたしばらく眠りについた。
兄が再び目を覚ました。最初に目覚めてから三度目である。
また気晴らしに出ようかと巣穴からのっそり顔を出す。それを目にした青のドラゴンたちは巣穴に隠れた。
威圧するように一吠え咆哮を上げ、巣穴から飛び立った。
海を渡り、山々を越え、大森林を越えた先に、人間の都市を目にした。
◆ ◆ ◆
昼過ぎに珍しい人物が顔を見せた。
大剣を携えた冒険者のアッシュだ。リリーさんの前へつかつかと歩み寄る。
「リリーさん、久しぶり!」
「えっと……ガッシュさん!」
「アッシュですっ!」
彼女の間違いにガクッとしつつも、そんなお茶目も可愛いと軽く受け流す。
「しばらく見ませんでしたけど、どちらか行かれてたんですか?」
「ええ。護衛依頼で出てました。けど道中トラブルに巻き込まれてしまって……」
腰に手を当てて右手で後頭部を掻く。
その苦笑いするその表情から、かなり大変な目に遭ったような感じである。
「トラブルですか……どちらへ行かれてたんです?」
「ダイラント帝国です」
その国名にリリーさんは驚くと、俺のほうに顔を向けた。
政情不安、各地で内戦と、碌な話を聞かない国……ドラゴンの襲撃があったとされる国だ。
俺はアッシュが来たことに気がついていたが、特に話すこともないので無視していた。
だがドラゴンの襲撃があった帝国の名前、しかもそこに行っていたという。
何かしら情報を持っているかも……と、リリーさんの後ろに行く。
「どうでした? 帝国は」
「ああ!?」
リリーさんとの会話を邪魔され、露骨に嫌な顔を見せる。
けどリリーさんの手前、すぐに表情を戻した。
「あー……散々だった」
リリーさんが椅子に腰かけるように促すと、アッシュは嬉しそうに口元を緩め、背に担いでた大剣を下ろして座った。
大きく息を吐くと、思い出すように語り始めた――
アッシュがティアラに姿を見せたのは十一月の終わり頃。
そのとき話してた通り、しばらくフランタ市で活動することにした。リリーさん目当てっぽかったがな。
とはいえティアラじゃ見合う仕事もあまりなく、ヨムヨムやアーレンシアにも顔を出していた。
あるとき、ヨムヨムで『ダイラント帝国の遺跡までの護衛』という個人の依頼を目にする。
受付で話を聞くと、報酬はいいのだが、受け手が見つからずに困っているという。
そこで依頼者が泊っている宿に出向き、話を聞いた。
何でも遺跡の調査をしている人物らしく、帝国の通行許可書と調査許可書も持っている。
遺跡に送って帰るだけの護衛、だが場所が紛争地域に近いらしい。それで受け手がいないわけだ。
アッシュの見立てではおよそ二週間で到着……年末には帰ってこれると考え、依頼を受けることにした。
ところがいざ出発して帝国に入ると、思ったより内政不安定で、事あるごとに足止めを食らう。
その結果、遺跡への到着が、なんと三週間もかかってしまった。
急いで国を出ようとしたが、休息日を間に挟んでしまい、思うように進めなかった。
さらに年明け、いきなり国境が閉鎖される。
理由を聞いても教えてもらえず、移動も制限させられてしまったという。
抜け道を知っている商団とも掛け合ったが、取り締まりが尋常じゃないらしく、諦めて帝国内で過ごすことになる。
しかし当然、路銀は尽きる。なので仕方なく帝国内で仕事を請け負い、何とか過ごしていた。
二月に入りやっと封鎖が解除された。
道中、路銀を稼ぎながらの移動だったので、時間がかかってしまったという。
アッシュは話を終わると、再び大きく息を吐いた。
それはそれはご愁傷様……と、一言で片付けるには不憫すぎる仕事であったな。
「報酬は貰えたの?」
「もちろん。それがよかったのがせめてもの救いだ」
リリーさんが「大変でしたね」と労うと、彼は顔を崩して照れた。
年明けから一ヶ月も国境封鎖、まちがいなくドラゴンの襲撃の関わることだろう。
「ところでさ、ドラゴン襲撃の件、帝国で何か聞いてない?」
「あ? あー……」
彼は後頭部をポンポンと叩き、辺りをキョロキョロと見渡すと、前のめりにリリーさんに顔を近づけた。
いや、質問したの俺なんだけど……。
「東のリンガラ市ってとこが襲われたらしい」
「それは確かなん?」
「間違いないな。飲み屋で帝国兵が『都市はダメらしい』とか『同僚が帰ってこない』とポロっと漏らしていたからな」
帝国兵には箝口令が敷かれ、市民も口にするのを禁じられていたという。
だが酒が入ればやはり口は緩む。
国境封鎖の原因は、ドラゴン襲撃の情報をばら撒いた商団を探すのが目的だったらしい。
というのも商団は軒並み足止めを食らい、抜け道は厳しく取り締まられ、捕まった連中も多いという。
なるほど、口封じのためか。
「それに食料が入らないだの、酒が届かないだの、酒場の主人が愚痴っていたからな」
アッシュは帝国で二ヶ月弱過ごす羽目になり、肌で感じるものもあったのだろう。
一都市が丸々潰れたとなれば、経済的にも困窮するはずだ。
リリーさんが俺を見上げると、ほくそ笑む俺を目にしてアッシュが嫌そうな顔をする。
「なんだ?」
「あんたは優秀だなーと思っただけだ」
「んだよ……ったりめーだろ!!」
俺はもともとドラゴンの襲撃を疑っていたわけではない。
けれど第三者から「間違いない」とお墨付きを貰えたのはありがたかった。
アッシュは俺に構わず、リリーさんに道中の冒険譚を語りだした。
彼女は多少困惑しつつも笑顔で聞いている。
せっかくの対面を邪魔しては悪かろうと離れ、席に着こうとした――
そのとき、遠くから下品な笑い声が聞こえた。
「ギャッハハハハッ! 見ぃ――つけたッ! ギャアッハッハッハッ――ッ!!」
椅子を引いた姿勢で手が止まる。
とても下品な笑い声、かなり遠くから聞こえた気がする。
たとえるなら、山向こうを走る街宣車が、煩い声をがなり立てながら猛スピードでこちらに向かってくる感じ。
アッシュも話をピタッと止め、店内にいた人たちは皆、声のした方向に首を向けた。
「何? 今の……」
ラーナさんが呟いた瞬間、ものすごい強風に建物がドドドっと揺れた。
「きゃあぁぁぁああああ!!」
「うぅわぁぁぁああああ!!」
女性は悲鳴を叫び、男性は呻き声を上げた。
立っていたものは腰を落とし、座っていたものは身をすくめる。
柱や壁は悲鳴を上げ、ガラスはビリビリと震え、二階の廊下はミシミシっと軋んだ。
屋根裏に積もった土埃やゴミがバラバラっと振り落ちてくる。
あまりの出来事に皆、恐怖した。
座ろうとしていた俺は、そのまま身体を屈めて天井を見やる。
災害大国日本出身の俺は比較的冷静に頭が回る。
これは地震ではない。台風か竜巻……暴風の類の直撃だろう。
数秒建物が揺れると、その暴風は西へ抜けていった。
まるでジェット機が通り過ぎたあとに起きる衝撃に似ているな……と、映画のワンシーンが頭をよぎる。
上空を通り抜ける巨大な暴風……すぐにピンときた。
カウンターに手をついて飛び乗り、尻を滑らせて店内へ降りる。
駆けって扉を出て上空を眺めた。
あちこちから鐘が鳴っている。初めて聞く警報の鐘だ。叫び声もあちこちから聞こえている。
《跳躍》を発動。
ギルドに近い二階建ての屋根の上に飛び上がり、三階建てのギルド本館の屋根に飛び移る。
目にした光景……それはとても信じられないものだった。
フランタ市上空をゆっくり西から南へと旋回している巨大な生物――ドラゴンだ。
大きく翼を広げて飛んでいる姿がはっきり見える。
日に照らされるその色は黒か褐色、体長は……地方空港を飛ぶプロペラ機といったとこか。
自分でも不思議なほど冷静だ。
最初に見た感想は、「あ……飛んでる」とだけ感じた。
『2月21日、13時18分、フランタ市にドラゴンが襲来した』