126話
「ここどこだっけ?」
眩しい日差しが降り注ぎ、心地よい風が草原の葉を揺らしている。
辺りを見渡すと、グレートエラスモスが木に激突死して、ずり落ちている姿が目に入った。
「ああ、サイ野郎を倒したんだったな」
腰に手を当てぼんやりしていると、何やら犬の鳴き声がする。
振り向くと、四匹のローゲンウルフが嬉しそうに足元にまとわりついている。
両手で抱きかかえられるほど小さかった子供たちは、もうすっかり成長して成犬に近い。
「お前ら成長早いなー」
撫でてやろうと右手を伸ばすと、四枚のフリスビーを指に挟んで持っていた。
おもちゃ屋で売っている、赤や紫のプラスチック製の柔らかいやつだ。
なんでこんなもん持ってるんだろう……。
ああ……こいつらと遊ぼうと思って百均で買ってきたんだっけ。すっかり忘れてた。
四匹は「まだかまだか」と待っている。
「いくぞー! そぉぉおれ!!」
指に挟んだまま四枚を同時に投げる。
風に乗ったフリスビーは、綺麗に真っすぐ飛んでいく。
投げたのを目にするや、ローゲンウルフたちは、フリスビーめがけて元気に駆けていく。
「俺はやるぞ! 俺はやるぞ!」「父ちゃん待ってー!」「父ちゃん早ーい!」「あらあら!」
あれ……お前らしゃべれるようになったのか。
一番先を飛ぶフリスビーを父ちゃんが大ジャンプでキャッチ、後ろから子供たちを追い抜いて母ちゃんが次を華麗にキャッチ。
遅れて二匹の子供たちは、低くなったところをそれぞれキャッチした。
「うまいうまい!」
感心しながら拍手を送ると、四匹は褒めてもらおうと全力で俺に突っ込んできた。
「わはぁあ!!」
バサッと寄っかかられてしまい、バランスを崩して倒れてしまう。
俺に構ってほしいのか、子供たちが俺の顔を舐め回す。
「あははは。ちょいくすぐったい……待て待て待て! あはははは……」
目にする光景が白く霞んでいく――
ゆっくりと目が覚める。
寒空の草原に倒れ込んだまま、涙で濡れた目には水色の空が映っている。
なんで俺は地面に寝っ転がっているんだ?
さっきまで楽しく遊んでた気がするんだが……よく思い出せない。
すごい脱力感に驚く……なんでこんなに疲れているんだ?
それにさっきから頬に生温かい感触を感じる。
ゆっくり首だけ回すと、黒い犬の顔がどアップで目に入る。
なんだっけこいつら……どっかで見たことあるな。
じんわりと記憶がよみがえる。
そうか……俺は大鹿と遭遇して襲われて、串刺しになって意識を失ったんだ。
右肩を突き刺されたはず……とゆっくり左手で刺された箇所を触る。
貫かれた肩の傷は、更新が気絶中も効いていたため治っていた。
幸い、致命傷になる怪我は負わなかっようだ。
もし心臓や首に角が刺さっていたら、もうこの世にはいなかっただろう。
痛む体を押してゆっくり半身を起こす。
「ワゥウワゥウ(ご主人! 生きてる!)」
「ワッフワッフ(俺はやった! 俺はやった! 俺はやった!)」
その鳴き声はいつぞやの黒い犬、ローゲンウルフだっけか。
父ちゃんと母ちゃんと、大きな二匹……まさかあの子犬たちか!
顔を舐めていたのは成長した子犬たちだった。
彼らの後ろには、倒れている大鹿が見える。立派な角が目に飛び込んだ。
それで状況を把握した。彼らが俺を助けてくれたのだ!
大きく深呼吸をして彼らを見渡す。
「お前らなんでここにいるんだ?」
父ちゃんがそばに寄って体を摺り寄せる。
「ワゥゥンワウゥゥワン(森でご主人の匂いがしたので来た。大きなのに捕まってたので戦った)」
とても嬉しそうな表情をしている。
いや……「匂いがした」って、前と全然場所が違うんじゃないか!?
彼らと遭遇した森は街の東、ここは西側になるので距離もだいぶ離れているはず。
四匹に目をやる。
……まあそんなことはどうでもいいか
俺はホッとして……嬉しくて、助かったことを実感し……涙が溢れた。
父ちゃんと母ちゃんの首に手を回して抱き寄せる。
「ありがとう……ホントにありがとう……うっ…ううっ……」
俺は顔を伏せ、声を押し殺して泣いた。
二匹は嬉しそうに頭を俺の肩に乗せ、子犬たちは俺の胸のところに顔を突っ込んで見上げていた。
◆ ◆ ◆
果樹園の男二人は悩んでいた。
もう日がだいぶ傾いてきたというのに、森へ入っていったティアラの職員が帰ってこない。
単身で森の中で野宿するなどありえない。これは何かあったに違いない。
職員は「ギルドに連絡しろ」と言っていたが、とりあえず村役場に話を持っていくことに決めた。
中年の男性は外套を羽織って家を出る。
そのとき、森から戻ってくる人影が目に入る。
木の陰で誰かはわからないが、背格好から間違いなくギルド職員だ。
ずいぶん遅かったな……。
大きく息を吐き安堵した。
そう思った瞬間、職員のそばに動く物体を目にして戸惑う。
何だ……何がいる?
職員のそばに寄り添うように歩く四足歩行の獣……黒い……狼か!
途端、身体が硬直した。
「う……うぁ……あっ、あああぁあ!!」
悲鳴を上げると、男は家へ駆け込み、年配の男性に助けを求めた。
「あ……お、狼……職員が狼と……」
「な、なんだ! 何があった!?」
二人は家の玄関口に出ると、四匹の黒いローゲンウルフを連れたティアラの職員が、森からちょうど出てきたところだった。
◆ ◆ ◆
俺はぼんやりと座っていた。
落ち着きを取り戻し、頭が働き始めると、帰り道がわからないことを思い出した。
どうしようか頭を悩ませていると、ローゲンウルフの父ちゃんのへらっとした顔が目に入る。
そういやこいつら、俺の匂いに気づいてやってきたって言ってたな。
「なあお前たち、他の人間の匂いもわかるか?」
「ワン(わかる!)」
「ホントか! じゃあ俺をそこまで案内してくれるか?」
「ワン(わかった!)」
よかった……森の中で夜を明かす羽目にならなくて済んだ。というかあの寒さは凍死するな。
やおら腰を上げ、水魔法で顔を洗う。
《詠唱、小放水発射》
突然、俺のおでこから水が出たことに、四匹は不思議そうに見上げている。
「あーお前たち、喉乾いてるか? この水飲むか?」
「ワフゥー(飲むー!)」
その声に俺はしゃがむと、手でお椀を作って水を溜める。
父ちゃんが顔を近づけて水を舐める。子供たちも続き、最後に母ちゃんが水を舐めた。
「それじゃあ連れてってくれる?」
「ワン(はい)」
子供たちが「こっちこっち―」とばかりに先行する。
病み上がりの俺には体がついていかず、「早い早い!」と言いながらゆっくり歩く。
母ちゃんは俺の体調を察してるのか、真横にぴったりついて歩く。
さながら盲導犬のようでとても頼もしい。
途中、倒した鹿を目にし、村人に回収を頼まないといけないなと考えを巡らせる。
だいぶ時間がかかったが、何とか果樹園まで戻ってこれた。
「あーここここ、やっと道が見えたわ……」
安堵して大きく息を吐くと、そばにいるローゲンウルフの母ちゃんの頭を撫でた。
突然、悲鳴が聞こえた!
顔を上げると、果樹園の男性が逃げていくのが見えた。
あ……こいつらを目にして驚いたのか。
森から出て、彼らの家へ向かうと、玄関先に二人が警戒して立っている。
俺は即座に手を挙げて、大丈夫という仕草をしてみせる。
「落ち着いてください! 彼らは味方で仲間です!」
しゃがんで四匹の頭を寄せて撫で繰り回すと、ローゲンウルフの親子は嬉しそうに尻尾を振る。
その光景を二人の男は絶句し、目を見開いて眺めていた。
◆ ◆ ◆
日が暮れる間際、果樹園の男が村役場に駆け込んだ。
「すまん、大変なことが起こった!」
「どうした?」
「冒険者ギルドの職員がうちに来たんだが……」
その場にいた村人は、その言葉に如実に反応した。
おそらく昨晩、猪の魔獣を仕留め、穀物庫を守ってくれた職員のことだろう。
「彼がどうした?」
「森に入って鹿を駆除したというんだが……数が多くて運ぶのに人手がいると頼まれた」
皆、感嘆の声が漏れる。
果樹園の男は、彼らの反応を不思議がった。村人たちが誰も驚かなかったからだ。
「なんだ……そいつのこと知っているのか?」
「知っているも何も……昨晩、村の穀物庫を襲う猪を討伐してくれたのは彼だ。それに外の大きな魔獣を倒したのも彼だ!」
男は『魔獣』という単語を聞き、ハッとした。
「そう、魔獣だ! こっちも魔獣がいたんだ!」
「なんだって!?」
ギルド職員は血だらけになって帰ってきて、壮絶な戦闘があったようだと告げる。
途端、村人たちは顔から表情が消える。
「無事なのか?」
「ああ、だが相当疲れた様子で、今晩はうちで休んでもらうことにした」
職員は一通り話を済ませると、玄関先でへたり込んだという。
そのまま部屋の一室に運んで寝かせたそうだ。
皆、彼が無事で何よりと、村の恩人のことを気にかけた。
「……で? 鹿を運ぶのに人手がいるんだな。何人ぐらい?」
「それがなー……百頭以上いるというんだ!」
「ひゃっ……えっ? 百!!」
「ああ」
男は腕を組みながら眉をひそめる。
本当にそんな数を一人で倒したとは思えないからだ。
ちょうどそこへ、帰り支度をした村役場の上役がやってきた。
村人たちは男から聞いた話を彼に話すと、明日、朝一で村人を集めて向かわせる算段になった。
約束を取り付けた果樹園の男は、もう一つ大事な話を村人に告げる。
「それとな……ローゲンウルフがうちにいるんだが、明日来ても驚かないでくれ」
「は!?」
「そのギルド職員の仲間らしい」
村人一同、唖然とする。
ローゲンウルフは魔獣だということは村人たちも知っている。
幸い村人の被害は過去にもないが、森で出会うと間違いなく殺されると聞く。
そんな魔獣が人里に出没しただけでも大騒ぎなのに、果樹園にいて、しかもギルド職員の仲間だという。
さすがに不安を覚えたが、とにかく明日人手をやると決定した。