124話
次の朝早く、ドアをドンドンと叩く音で目が覚めた。
大あくびをしながらドアを開けた途端、晴れやかな表情の店主が目に入る。
「村の連中が……」
「あー……」
村の住人が倒した猪を目にしたのか。
そういや真夜中だったし、俺もはっきり見てないんだよな……。
「今行きます!」
現場に向かうと、大きな魔獣に人だかりだ。
俺が出向くと皆がざわめき、道を空けて通してくれた。そばには駆除依頼を出した村役場の人もいる。
明るくなってやっと姿を確認した――
あ、これ日本の猪じゃねえわ……でも知ってる。何だっけ……。
イボイノシシ……だったかな、顔が平べったい奴。
体長は歩幅三つを超える大きさ。薄茶色の体毛が泥に汚れていて、しかも異様にムキムキ。ボス感が溢れている。
牙が異様に長く反り返っているのが特徴的で、先端が頭にまで届きそうな反り具合。戦闘では使えないなーそれ。
そばに頭の大きさぐらいの、かじられた跡がある木の塊が転がっている。
削りだしてこれを鼻で弾いて飛ばしてたのか……。
もしかして『突撃したら自分の牙で死ぬから投擲を覚えた』とかだったりする?
賢いを通り越した知性の高さに驚きを隠せない。
道具を使うとか勘弁してほしい。
毛布にくるまって両手を交差してなかったら肺が潰れてたかも。頭に食らってたらパーン……即死だ。
後ろのほうにいくつも木片が転がっている。用意周到にも程がある。まあ運搬はあの五匹にさせたのかもしれないがな。
穀物庫の前の五体は、普通の猪と同じ大きさぐらいかな。詳しく知らないので何とも言えないが……。
二体の体長は二メートル弱、逃げた三体は一回り小さい。
倒した魔獣を前に、タバコを取り出して一服する。
「多分こいつがボスですね。もう襲ってこないと思います」
「あ…あんたが倒したのか」
「ん~~……」
村人たちは目を白黒させながら俺を眺めている。
その質問にどう答えようか迷ったが、誤魔化しようがないのでこくりと頷いた。
「獲物は全て差し上げます。魔獣の皮と牙もあげるんで、村の足しにでもしてください」
その言葉に驚きと、感謝の笑みをいただく。
「その代わり相談があるんですが……」
討伐したのは俺ではなく、とある冒険者パーティーがやったことにしてくれと頼む。
村人たちは互いの顔を見合わせる。
表情からは「そんなこと?」と読み取れる。彼らは頷きながら、この提案を素直に飲んでくれた。
おっとそうそう忘れるとこだった。
ウエストポーチからスマホを取り出して、魔獣の死体を撮影する。
「何してるんだ?」
「ん? ギルドに報告するための仕事です」
にっこりしながら答える。帰ったら『魔物図鑑』で調べてみよう。
「ところでこの村は柵で囲ってないんですか? それに穀物庫がこんな外に近いのもどうかと」
周りをぐるっと見渡すと畑で、魔獣の位置から穀物庫は丸見えだ。村の中って聞いてたんだが、どう見ても外だ。
「家々が離れすぎてるんです」
村役場の人が、遠くに見える家を指さしながら答えた。
この村は家が点在していてまとまった形をしていない。農業や果樹園を営んでいるので、土地の範囲が広いのだという。
なるほど……俺が泊まった宿や、村役場のとこだけではないということか。
宿に戻ると店主はすこぶるご機嫌だ。朝食も奮発してくれて朝から肉が出てきた。
おい、昨日の夕食と全然違うじゃねえか!
「……これは?」
「いやあんたすごいな! サービスするよ」
現金なものだな……と思わなくもないが、食料に不安があったのは事実だろう。素直に感謝を述べる。
案の定、食事をしながらあれこれと聞かれる。
おそらく解決しただろうと告げると、店主もホッとしていた。
ただし彼にも、『ホンノウジという冒険者パーティーが倒した』ということにしてほしいと告げる。
いろいろ事情があって公にしたくないと話すと、「わかった」と納得してくれた。
店主の満面の笑みが、『実はここだけの話だがな……』とか口にしそうに見えた。まいっか。
そして日が昇った頃に村を出立する。
村人たちはさっそく魔獣の解体をどうするかと相談していた。
彼らが手を振ってくれたのでこちらも手を挙げ、次の依頼者のところへ向かうことにした。
毛布を羽織ったまま依頼者の家へ向かう。
店主に汚したことを謝ったら、気にするなと言われ、必要なら……といただけた。
日が差してはいるが、朝だからか温度が上がらない。
毛布を掴んでいる前腕はまだズキズキする。痛み止めは飲んだのだが……まあ右腕は潰れていたしな。
昨晩のことを思い出しながらてくてく歩く。
「よく考えたら、猪も魔獣も『知らない』って誤魔化せたかな……」
俺が深夜に出かけたのを知っているのは宿の店主だけだ。
彼に「穀物庫を襲っているようだが怖いので手が出せない。夜が明けるまで待とう」とでも言って寝て、次の日の朝に死体を発見……「わあすごーい!」って俺も驚いて……。
鼻でふっと息を吐く。さすがに無理があるな。
それにあの宿の店主は自重せんだろう……俺がやったと喧伝しまくる気がする。すごい冒険者が泊まった宿だ……とかな。
素直に打ち明けて、食料で口止めのほうがマシだ。
少し下り気味の田舎道を歩いていると、数軒の家が見えてきた。
道沿いに畑があり、果樹と思われる木もたくさん生えている。
まずは『探知』を発動して辺りを警戒する。
「すみません」
青い玉が見えた家を尋ねると、中年の男性が出てきた。
毛布を羽織った訪問者に驚いた顔をする。
「ティアラ冒険者ギルドの者ですが、この辺りで鹿の討伐の依頼を出された人を探しているのですが……」
「ああ。ちょっと待っててくれ」
そう言うと隣の家へ駆けていき、年配の男性を呼んできた。
「駆除の依頼を出された方ですか?」
「ああ俺だ」
軽く会釈をして、事情を聞きに来たと告げる。
白髪交じりの男性は、やっと来たかというような顔で、そばの丸太に腰かけた。
それが合図のように中年の男性が話し始めた。
この辺りに住んでるのは四軒の農家。果樹園を営んでいるので、村役場や宿のある中心地より離れたところに暮らしている。
今までも畑の被害はあったが、自分たちで対処してきた。
ところが去年の十二月頃からいきなり鹿の数が増えたらしい。十数頭の団体があちこちに出没し始めて、手に負えなくなった。
そこでティアラに駆除を依頼したという。
「冒険者はお宅に来たんですよね?」
「ああ。で、畑を見てもらって、鹿を見た辺りを教えると森に入っていった」
「なるほど」
ここも依頼者の所には来ている。で、また森の中で行方不明……か。
「これで三回目だがな……」
「はい!?」
年配の男性が諦めたように口にした言葉に、一瞬、何を言われたかわからなかった。
「三回って、依頼ですか?」
「そうだ。別のとこに頼んだんだが、そいつらも帰ってこなくてな。二度もダメだったのでお宅に持ち込んだんだ。街で取引してる人から、あんたのとこには凄腕のパーティーがいるって聞いたから……」
「それは初耳でした」
依頼はミールブル市のギルドに一回、ヨムヨムに一回、ティアラに一回だという。
いずれも五人組のパーティーだったそうだ。
「ちなみに、他に四人組の連中を見ませんでした?」
「四人組?」
「ええ。顔のいい若い連中なんですが……」
「いや」
例のイケメン冒険者はこっちに来てないのかな……。
「鹿ってそんなに狂暴なんですか? 草食ですよね?」
「そうだ。だから困ってるんだ。畑を荒らされて……」
「そうじゃなくて、冒険者が返り討ちに遭うぐらい強いんですか?」
男はかなり疲れ切った表情をしている。心痛が顔に出ているのだろう。
「ん~いや……脅せば逃げていく。でもあいつらすぐ戻ってくるんだ……」
「そうですか」
二人の話からは鹿が強いという印象はしない。
しかし三回も駆除に失敗してるというのはどう考えてもおかしい……これも嫌な予感しかしない。
年配の男性が、襲われた畑を見せると言うのでついていく。
「うわぁ……」
思わず声が漏れるほどの惨状――目につく大小さまざまな畑が全て荒らされている。
葉物野菜は食いつくされ、根菜は掘り起こされ、支柱もなぎ倒されている。
豆類は無事に見えるが、豆だけ綺麗に食べられているそうだ。
さらに問題は、苗を植えてもすぐに苗も食べてしまう。
「それはどうにもなりませんね……」
いやこれ、日本でニュースになるような、ちょっとやられました……みたいなレベルじゃないな。
中年の男性は気丈にふるまっているが、年配の男性は気落ちしているのが傍目にもわかる。
果樹園も、低木の果実が去年やられて、収入が芳しくなかったという。
「他の家は?」
うんうんと頷く。同様にやられているという意味だな。
「うちが森に一番近いんだよ」
「いつも鹿がやってくるのはあっちですか?」
「ああ」
指さした方角にはミールブル市がある。この田舎道を下っていくと街道に出るのか。
どうやらこの辺りの数軒が、村の西端なのか。
「そうそう……大型の鹿を見かけたことはないですか?」
「大型?」
「ん~どれくらいってのはわからないんですが、おそらく見たら『あ、デカい!』って思うぐらいの鹿……」
二人は知らないと首を振った。
「そもそも鹿は夜行性だからな。夜は危なくて出ないしな」
「まあそうですよね……」
話を聞き終えた。さてどうしたものか……。
気軽に森に行っていい状況ではないのはわかる。
けれど二人を目にしてこのまま帰るのも気が引ける。
まあ俺には『隠蔽』と『探知』という捜索に向く魔法が使えるしな……。
腰に手を当てて空を見上げる。
日もまだ高いし、サラッと覗いて確認するぐらいならいけるだろう……ヤバそうなら逃げる。
「少しだけ森を覗いてきます」
彼らは無言で俺を凝視する。
無謀と思われているのだろうか。それとも藁をもすがる思いだろうか。
「暗くなる前に帰ります。帰らなかったら何かあったと思ってギルドに連絡してください」
「……わかった」
あまり期待はされてなさそうだ。
そらギルド職員が一人で森へ……だもんな。普通は無謀ってもんだろう。
まあとにかく何かしら報告できる話がないとな。あー死体との遭遇は勘弁だなー……。
森に入るとすぐに『隠蔽』を発動する。歩みは遅くなるが、気づかれないことが重要だ。
野生動物は匂いに敏感だ。人間はすぐに気づかれる。
以前、ローゲンウルフの親子に遠くから気づかれたもんな。そういやあの黒い犬、狼の魔獣なんだと知ったときは驚いた。
意思疎通ができたのはそういうことなのかなと、妙に納得したのを覚えている。
足元に目をやる。
地形は多少起伏があるものの、硬い地面で歩きやすい。
とはいえ毛布にくるまって歩くのはバランスを取りにくい。こけないように注意しないとな。
しばらく歩き続け、特に異常は見当たらないな……と思った矢先、索敵内に青い玉を捉えた。
数は十個……おそらく鹿だろう。
さらに近づくと玉の数がどんどん増えて驚いた。おいおい……十や二十じゃきかねえぞ!
森が途切れて草原に出る。
目の前には何と、大小合わせて百頭はいるんじゃないかという群れに遭遇した。
即座にある単語が浮かぶ……『奈良公園』だ。
壮観な眺め……というよりはむしろ怖い。
鹿……圧倒的数の鹿だ!
普通はこんなに近づけない。奈良公園の鹿みたいに慣れてるわけじゃないからな。
よく見ると五頭ずつぐらいに分かれて草を食んでいる。それが家族単位なのかな……。
あまりの数の多さに度肝を抜かれた。
おっと忘れるとこだった。例のデカい奴がいないかを確認……いなさそうだ。
となると、見つけた以上は倒すべきだろう。
全部は無理でも数頭はいける。倒して成果報告という形にもできるしな。
それに脅せば来ないとか言っていた。
よし、鹿討伐作戦を開始しよう。