123話 猪の魔獣
「アッ……アッ……アッ……」
幸い意識は飛んでいない。目もバッチリ冴えている。
だが息が吸えない!
人は呼吸ができないとわかると、途端に死の恐怖に襲われる。
横倒しになったままパニックになり、意識がぐるぐる回る。
一体何をされた!?
いきなり胸の辺りに強烈な衝撃を受けたのだ。
まるで空手有段者の中段蹴りを食らったか、もしくは砲丸投げの鉄球を食らったかに思えた。
近くに敵の青い玉は見えなかった……てことは後者、遠距離攻撃か。
そんなもん食らってたら普通は即死だ。
けど生きている!
毛布の両端をしっかり掴んで両腕を交差させていたため、敵の攻撃はその交差した前腕のど真ん中に直撃した。
運よく二本の前腕がクッションになってくれたのだ。
おそらく腕の骨折は確実だろう。
たぶん今、ものすっごく痛いはず……だけど痛みはまったく感じない。息ができないことが怖くて気にならないのだろう。
ゆっくり息を吐いていく。
大丈夫……死なない。落ち着いて息を吸ってみる……おっ、少し吸えた。
体がやんわりと怪我が治癒されていくのを感じる。
俺にかけてある《更新》という治癒魔法が自動で発動したためだ。
更新――これは神聖魔法書にある魔法の一つで、HOTと呼ばれる『じわじわ回復する』治癒魔法である。
利点は戦闘中でも勝手にヒールし続けること。かけてもらった対象は、治癒されながら攻撃ができる点だ。
欠点は大ダメージの回復は間に合わないこと。致命的な攻撃を食らったら普通に死ぬ。
自分に発動する場合、術者は手を自分の胸にでも当てて唱えるのだと思う。見たことないから知らんけど。
俺の場合はおでこ発動なので、そのまま唱えるしかない。祈る気持ちで詠唱したら……無事発動できた。
効果時間は十数秒、その間ずっとヒールし続けてくれる。
回復量とかスピードとかは、まだ詳しくわからない。
魔法書には『使用マナ量に依存する……高クラスの……』みたいなことが書いてあり、使える聖職者は限られるみたい。
まあ「俺は使えるのでヨシ!」ってことだ。
でだ……この魔法、十数秒経ったら切れるわけだが――
『これずっとかけっぱなしにできないかな?』
と思いつき、そこで応用を利かせるアイデアを閃いた。
水を放水する魔法《詠唱、放水発射》の『放』、風を吹き出す魔法《詠唱、送風発射》の『送』、これって『連続』という意味だ。
つまり《詠唱、連続水発射》《詠唱、連続風発射》でも発動する。
そこで、更新を連続で発動させられるかな……と試してみた。
《詠唱、連続更新》(“連続”の部分は魔法言語、他は神聖言語)
魔法言語と神聖言語の複合呪文というわけだ。
そしたら見事にリニュアがかかりっぱなしになったのだ。おかげでこの不測の事態に自動で発動したわけである。
もちろん効果発動中はずっとマナを消費する。なので普通の人がやるとすぐマナ切れを起こすだろう。
俺の場合は指輪のマナを使う。なのでまあ……永続使用可能なんじゃなかろうか。
不測の事態に対する保険であるが、今がまさにそのときであった。
みぞおちの上辺りがものすごく痛む。ゆっくり息を吸ってみる……吸える!
立ち上がろうと右手を地面に突こうとした。
ところが突けずにバランスを崩し、そのまま横倒しにこけた。
「ふぬぁあ!」
前腕が折れていることを忘れてた。
仰向けになって腕を掲げてみる。
右の前腕は、何かに踏まれて押し潰されたようにブランブランしており、左は潰れてはいないが、やはり骨折したところが、クニャリと曲がっていた。
夜の薄暗がりでよかった。
折れた両腕を明るい日差しのもとで目にしてたら、ショックで吐いてたかもしれん。
手を組んでいたまさにど真ん中に食らったのか。一体何を食らったんだ!?
……ていうか敵に気づいて立ち上がらなかったら、この攻撃を頭に食らって……。
危うく即死だったことに恐怖が走る。
コンマ数秒が生死を分けたわけだ。
しかも両腕をクロスしていなかったら、肺は潰されてそのまま気絶、へたすりゃ死亡も有り得た。
つまり二つの意味で幸運だったわけか。
にしてもいまだ腕の痛みを感じない。よほど呼吸困難が怖かったのだろうか。
非常事態でアドレナリンがドバドバ出ているせいもあるな。
胸が呼吸のたびにギリっと痛むぐらい。
あととにかくクソ寒い。
寒さに文句が思い浮かぶぐらい落ち着いてきた。思考がはっきりしてきたのが自分でもわかる。
まずは治療からだ。
完全回復……は使わずにとっておこう。
まだ戦闘が終わったわけじゃないし、幸い怪我は腕の骨折と胸の打撲だけっぽい。
敵は近くにいないし、目にした青い玉はまだこちらに来ない。警戒しているのだろうか?
幸いにも俺の身体は、倒した猪の陰に隠れている。運がよかった。
うつ伏せになり、寝転がったまま腕をおでこにくっつけて大ヒールを詠唱する。
《詠唱、大ヒール》
潰れた右腕と折れた左腕がメキメキと治る様子を初めて目にする……ぶっちゃけ気色悪い。
別の生物に取り憑かれてるんじゃないかって動きだ。
あーたしかそんな漫画があったなー……と感想が浮かぶ。
十数秒ほどで腕が治った。
腕を動かし、指を軽く握って確かめる……問題ない。
更新によるヒールも停止、胸の打撲も完治したようだ。
仰向けになって大きく深呼吸をする。息を吸うと胸が痛み、思わず苦悶の表情を浮かべた。
寝っ転がったまま首を曲げて青い玉を見る。
じっとしたまま動かないが、このまま起き上がると奴に姿をさらすことになる。
姿が見えた時点で攻撃されるのは確実、それでは二の舞だ。
這って穀物庫のほうへ移動、建物の陰に入って立ち上がり、『隠蔽』を発動する。
《我が姿を隠せ》
隠蔽の魔法は、足以外の部分が接地していると解ける率が高い。なのでなるべく立っている状態がいい。
ひょいと顔を覗かせすぐ戻す……反応なし。とりあえずホッとした。
呼吸を整えて静かに移動し、倒した猪のところで静かにしゃがむ。
身体強化術の《暗視》と《遠視》を再び発動して敵の姿を見据えた――
とてつもなくデカい猪だ!
パッと見の印象……何かいっぱいゴテゴテついている大型バイクぐらいにはデカい。
そして牙がものすごく長い……けど反り過ぎ!
口の端から二本生えている牙は、反り返った先は目の高さ。そのうち自分の頭に突き刺さりそうに湾曲している。
それ……攻撃できなくない?
奴との距離は百メートルは切っている。先ほどより近づいているのだろうか。
鼻を地面に向け、何やら塊を鼻先で転がしているように見える。
この期に及んで遊んでるわけじゃあるまい……。
奴の動きをじっと目を凝らして見る。
もしかして……鼻でその塊を弾き飛ばして俺にぶつけたのか!?
そんな芸当できるのか!
思わずさっき食らった辺りの地面を眺める。
そこにはボウリングの玉ぐらいの大きさの木の塊が転がっていた。
おいおいおい、これを鼻で弾いて飛ばしたってことか!?
とんでもない攻撃だな……と、そのとき、ある単語が浮かぶ――
魔獣か!
魔法を使う獣である。
俺が殺されかけたグレートエラスモスと同じ、猪が特殊個体として成長して魔獣になった奴だ。
知恵が働き、立ち回りも賢い。
魔法となると、視線誘導とか使うのかも。もしくはターゲットのマナにめがけて飛んでいく誘導弾って可能性もある。
とにかく絶対何かを持ってるな!
でなきゃ百メートルも離れた位置から鼻で弾いた塊をぶつけるなんて芸当ができるわけがない。
ライフル射撃並みの精度だぞ。
てことは次、姿がバレたら即、弾が飛んでくる……しかも確実に当たる。
チートかよ、クソッ!
俺が言うなってか……まあ世の中『他人に厳しく自分に甘く』だ。
目をつむって静かに深呼吸……気持ちを落ち着かせる。
青い玉は微動だにせず、頭を下げたまま。
おそらく俺がいるのは気づいている。姿を現すのを待っているのだろう。
よし……殺ろう。
小さく深呼吸を一回。
では再び《暗視》《遠視》から目標視認。
死んでいる猪を土嚢代わりに、身体を少し沈め、頭を下げている奴の額に狙いを定める。
《詠唱、大石弾発射》
――ドパンッ
おでこ戦車砲を発射……すると同時に隠蔽が解けた。
すぐさま体を横たわってる猪に隠す。
奴はおそらく鼻を跳ね上げ、弾を飛ばそうとしたのだろう。だがそんな余裕はなかったようだ。
ドスンという鈍い音がした。奴の額に見事、着弾したようだ。
だが貫通したような音ではないな……こいつも表皮が硬いのか?
土嚢代わりの猪ごしに奴の青い玉を確認する。
……先ほどと変わらない!?
効かなかったか……と思いきや、数秒後……ゆっくり左に崩れ落ちた。
よっしゃああ!
だが青い玉はまだ見えている。死んではいないのだ!
《我が姿を隠せ》
立ち上がって隠蔽を発動し、慎重に奴に近づく。
あまりの大きさに声が出そうになる。
おそらく体長三メートルはありそうだ。猪集団のボスなのだろうか。
ピクピクと体が痙攣している状態で、額の部分は少し陥没しているように見える。
うーん……やはり石の弾では抜けないのか。頭蓋骨が硬いのかもしれないな……まあいっか。
奴の体に手を置き、おでこをくっつけて『雷の魔法』を発動する。
《詠唱、最大雷》
ババババッという音がして、奴の体が大きく震えると、青い玉は消えた。
大きく息を吐き、その場にしゃがみ込んだ。
「……ホント……勘弁してくれよな」
呆れるように愚痴を吐くと、脱力感と同時に腕の激痛が襲ってきた。
まさか村の中で死にかけるとは思ってもいなかったが、とにかく害獣駆除は完了した。
再び毛布を羽織り、疲れた足取りで宿へ戻る。
道中、何軒かの家の明かりが見えた。戦闘の音で気になって起きたのだろう。
宿では店主が起きて待っていた。
「ど……どうでした?」
「……終わりました」
一言だけ告げると部屋へ戻り、ベッドに寝転がると、腕の痛みを我慢して寝た。
猪のモデルはイボイノシシです。
魔獣の角のモデルは、バビルサという猪の角です。めっちゃ反り返ってます。