116話 新たな美容品
「はいたしかに。ご苦労様でした」
リリーさんが冒険者からの依頼完了の報告と品物を受け取る。
「瑞樹さん、品物が届きましたよ」
「ほーい」
書類に数字を書き終えてから彼女のもとへ向かう。
「何ですこれ? 結構重たいですが……」
「んー……」
届いたのはゆうパックの中サイズの梱包された荷物、抱えるとずっしりと重い。
机で包みを開けると、中身は『蜜蝋』『杏の植物油』だ。
「なんだかいい香りがしますね」
「どちらも甘い食べ物に由来してますしね」
隣のガランドが手を置いてこちらを向いた。
「また新商品ですか?」
「んー、知り合いが作ってたのを真似してみようかなとね」
「……また女性用ですか?」
ロックマンが書類から目を上げてこちらを見る。
「え? 女性だけじゃないよ。てか『シャンプー』は男の人も使ってるでしょ」
「……そうか」
「女性のほうが髪に気を使うから需要が多いだけだよ」
マグネル商会の洗髪料が相変わらず品不足。職員から「ティアラにあるのを知人に分けていいか」と聞かれる。
もちろん構わないのだが、「一度やると次の人を断れなくなりますよ」と釘を刺すと、少し考えて自重したみたい。
この手の引き合いは必ず収拾つかなくなるもんだ。
俺でも材料が手に入りにくくなっているしな。
昼休憩に炊事場で試作開始。
実は作るのはとても簡単な品物である。
蜜蝋と植物油を1対4の比率で湯煎して溶かし、混ぜるだけ。それを小さな薬壺に小分けして冷やす。
冷蔵庫はないが、この時期は外気が冷たいので外に出しとけば勝手に冷える。それで出来上がり。
湯煎のせいで炊事場から甘い匂いが店内に流れてしまう。
そこへキャロルが炊事場を覗きにやってきて、ススッと近くに寄る。
「それ何です?」
「できてからのお楽しみ~!」
にやりと頬を緩めると、彼女も楽しそうに微笑んだ。
台に十個ほど壺を並べて混ぜた液体を入れていく。キャロルは興味深げにじっと眺めている。
しばらく調理台に置いといて、冷めたら外に出す。一晩かければ中まで固まるだろう。
「明日のお楽しみ!」
「やたー!」
キャロルが俺の右肩に両手を乗せてはしゃぐ。
いきなりのボディータッチにびっくりして振り向くが、彼女はただ嬉しさを爆発させただけのようだ。
お風呂の一件以来、俺に対するキャロルの距離が近くなっている気がする。
自意識過剰かな……まあそうだな。
次の日、朝一で取り込む。
壺の一つを取って中身を指で掬い、掌に塗ってみる。
いい感じの緩さだ。台に並べて壺蓋を被せて完成だ。
始業前に受付の彼女たちのところに一つ持参する。
「はいどうぞ」
ラーナさんの机に置くと、三人揃ってマジマジと見た。
「これは何です?」
「これは『ハンドクリーム』です」
「ハンドクリーム?」
蓋を開けて指で掬い、手に取って伸ばしてみせる。
「こうやって手に塗り込むと、乾燥した肌がしっとりして、ひび割れやあかぎれなどが治ります」
「へー」
ガランドたち三人も興味深そうに寄ってきた。
「これが昨日の蜜蝋と植物油で作ったもの?」
「そう」
「別に女性専用ってわけじゃなく、男性も手荒れに効く。あとここかな」
顎をスリスリする。髭剃り後にいいよ……という意味である。
「ほお……」
男性でも水仕事をする人は使うからな。俺の両親は二人ともハンドクリームを愛用していた。
キャロルがさっそく指で掬って手に塗ってみる。
「手全体に馴染ませるように、手の甲にも伸ばしてね」
「ふんふん」
「しばらくはねっとりするけど、すぐにさらっとしてくるよ」
掌をスリスリパチパチしながら感触を確かめてた。
「あーなるほど……スルっとしてきた」
それを見てラーナさんとリリーさんも手に取って試す。
「ふーん……何だかスッとしますね」
「スベスベ感がいいですね」
経理の連中にもいいよと促すと、三人とも試してくれた。
塗った直後のベタベタ感が、すぐにツルツル感に変わるのが不思議なようだが、男性陣も気に入ってくれた。
「すぐ効果があるもんじゃないので、今はよさが実感できないかもだけど、使い続けてると肌がよくなるよ」
肌がよくなるという発言に女性陣は如実に反応した。
「使用頻度はどれくらいですか?」
「んー……一日、一、二回でいいけど、水仕事のあととか、風呂上がりに塗るといいかな」
「わかりました」
リリーさんが笑顔で頷く。
「あ、あとここにもいいよ」
そう言って指で唇を指す。
「似た商品で『リップクリーム』ってのがあるんだけど、成分は同じだから指で塗ってくれればいいよ」
ちなみにリップクリームにする場合は1対3にすると硬さがちょうどよくなる。
三人が指で取って唇に塗る。
色っぽい仕草をじっと見てしまい、いいなーと見惚れてしまった。
それをキャロルに気づかれた。
「あ……いや、何でも」
思わず目を伏せる。
「瑞樹さ~ん」
キャロルの意地悪い笑みに、ラーナさんとリリーさんがくすくす笑った。
けどガランドたちも、彼女たちの唇が艶々になったのを見て、鼻の下が伸びそうになっていた。
「いや……これは……」
妻帯者のガランドの戸惑いを彼女たちは察知。男の機微にはすごく敏感である。
すぐに鏡を見に行った。
残った俺たちは、互いに顔を見合わせてにやけた。
「ヤバいなあれ」
「めっちゃドキドキした」
「唇……いいな」
「でしょでしょ!」
彼女たちが晴れやかな顔で戻ってきた。
「瑞樹さーん!」
「はいっ!」
キャロルが満面の笑みで俺のそばに近づいた。
「またいいもん作りましたね!」
俺の肩に両手を乗せると、頬にチュッとキスをした。
「!?」
突然の出来事に俺はフリーズ、その場の全員が目を丸くした。
主任は立ち上がり、こちらを見ていた数人の客も口をあんぐりとさせている。
だが当の本人は気にする風でなく、にこにこと上機嫌でハンドクリームを手にしていた。
俺はみるみるうちに顔が熱くなり、キスされた頬の感触を頭の中で反芻していた。
「……ど……どうも」
ガランドは笑い、ロックマンとレスリーからの羨ましそうな視線が痛い。
ラーナさんは口を押さえて吹き出すのを堪え、リリーさんはおでこに手を当て苦笑した。
品質に問題はなさそうだ……。作った『ハンドクリーム』を携えて他の部署へ向かう。
買取部門に三つ、財務部門に三つ、それぞれ手渡した。
使用方法を説明し、継続使用で効果が出ると付け加えた。
「この前、手を見せたときのですか?」
「そうそう。それの対策です」
洗髪料の実演のときに手を見せてもらった職員だった。
買取部門は薬草の仕分けとかで常に手に傷がつく。なので重宝してくれると思う。
さらに唇にも使えると説明し、女性が唇に塗ると、男性がおおっという表情をした。
すぐに彼女たちも更衣室へ確認に行くと、感嘆の声が聞こえてきた。
皆、口元が艶々なのに驚いて喜んでいた。
ところで、この世界の製品はマナの影響だと思うが効き目が強く、そして早い。
俺が怪我した際に飲んでいる鎮痛剤がそう。すぐに痛みが緩和し、一時間もすればかなり低減する。
薬効成分を混ぜたシャンプーは髪が数日で元気になるし、トリートメントも五分程度で洗い流してよい。
今回のハンドクリームも、普通は二週間ぐらいで効果が見えてくるのだが、これは半分の一週間で手が綺麗になった。
そもそも論なのだが、本来はハンドクリームなど必要ない世界である。
なぜならヒールをかければすぐに傷は治るからだ。
しかし手荒れ程度でわざわざ教会に出向く市民はいない。お布施も馬鹿にならない。
ところがハンドクリームは治療だけではない。肌が潤うという利点がある。
要は美しくなるのだ。女性は絶対に喜ぶと思った。
俺には必要ないと思っていたら、数回使うと手がスベスベになった。俺も手が乾燥していたようだ。
「まあ……キャロルのキスはプライスレスだったな」
思わぬご褒美に作ってよかったと、思い出しては顔が緩んでしまっていた。