114話 避難訓練の話
「その……逃げる訓練って何ですか? 逃げるのに訓練がいるんですか?」
リリーさんが席を立ち、俺の横にやってきた。
つい口をついた話だが、どうにも食いつかれてしまったようだ。
「いるいる。してるのとしてないのとじゃ雲泥の差です。まあ私も高校……5年前か……にしたのが最後ですがね」
放課後の避難訓練を思い出す。
俺自身、学生時代は馬鹿にしてた口だが、実際に災害に遭うと初動が全然違うんよな。
この話に主任も興味を示す。
「瑞樹さん、その『避難訓練』というのを詳しく教えてもらえませんか?」
「えぇ!?」
面倒くさそうに返事する。
だが周りを見るとみんなの視線が俺に向いている。
店内にいた十数名の客もカウンター越しに話を聞いてるし、購買のオットナーとミリアーナさんもいた。
参ったな……大げさになってきた。
「いや……そんな上等な話じゃないし、おそらくドラゴンに対して役に立ちゃしませんよ……」
「でも大事なんでしょ?」
冒険者の誰かが叫んだ。俺より若い青年で高校生ぐらいかな……新人冒険者か。
見知らぬ人からの思わぬ発言に驚いたが表情は真剣そのもの。うーん、これは真面目に答えないといけないかな。
「まず確認なんですけど……皆さんドラゴン知ってます?」
その質問に「知らない」「いるのは知っている」「大きな空を飛ぶ魔物である」「絵本で見たことがある」といった答えが返ってきた。
どうやら実物を見た人は誰もいないようだ。
おそらくこの国の人間は誰も見たことがないのだろう。となると討伐なんて論外だな。してれば話ぐらいは残ってるだろうしな。
「うちの国にはドラゴンいないんですが、とんでもない災害を起こす生物だとは知っています」
これはもうアニメの知識で話をするしかないが、見当違いでも災害の話をするなら別にいいだろう。
「襲撃の話を耳にして不安になるのは当たり前です。要は『どうしたらいいかわからない』ってことでしょ?」
彼は頷いた。俺も「わかるわかる」とにこりとしながら頷く。
席を立ち、カウンターに近づいて彼に話す。
「だからね……もし今『ドラゴンが来たー!』って声が聞こえたとき、『ハイ、じゃあコレ持ってココ通って逃げましょ!』って前もって決めとこうってことです。でも決めただけじゃ本番で絶対できません。なので一度でいいから訓練としてやっときなさいって話。それが『避難訓練』です」
偉そうなこと言ってるなと自分でも戸惑っている。
「でもそれしてたからって必ず助かるわけじゃないですよ? ドラゴンがこの真上にドンって来たらまあ死ぬでしょう。それはもう考えてもしょうがないこと……でもそうじゃなく、逃げられる時間が少しでもあって、心構えと段取りを理解してれば、素早い行動がとれる。そうすると助かる率が上がるよ……ってだけのことです」
腕組みして聞いていた購買のオットナーが口を開く。
「具体的に何すりゃいいんだ?」
「うーん……具体的にって言われても、ドラゴンのこと何もわからないですからねー」
肩をすくめる。
とはいえ中身がないままでは締まらないな。学校で習った話でもするか。
「そうですねー……一般的なことで言えば――」
掌で指折り数えながら必要な項目を列挙する。
「ヘルメット、笛、防寒具、数日分の保存食と水、それらを入れた背負い袋を身近に用意しとく。逃げるルートをあらかじめ理解しておく。何かあったらそれ持って、職員の点呼を取ってみんなで逃げる……こんな感じですかね」
見事に無反応。頭の上に見えないクエスチョンマークが出ているな。
まあ当然だ。完全に教育の差だからどうしようもない。理解できない話は面白くないだろう。
「つまんない話だったでしょ」
ふっと笑うとみんなビクッとした。何も言わないがそんな空気だ。
小さく「うんうん」と頷くと、カウンターにもたれて話を続ける。
「うちの国……日本はですね、災害が多いんですよ。地震、台風、洪水……もう毎年起きます。火山も噴火するな」
「地震って何?」
キャロルが質問した。
「地面が揺れたり割れたりする災害です。知らない?」
皆、知らないらしい。
地震を知らないとなると、この国はよほどの内陸部なのかな。
「うちの国のある地域で十数年前に地震が発生して、津波という……水が街に押し寄せる災害で数万人死にました」
死者の数の大きさにどよめきが上がる。
フランタ市の人口は何人いるのかよく知らないが、どうみても万はいないと思う。
つまりこの街の住民が全員死んだと思ってもらえればいい。
「でも『避難訓練』してた人は助かった率が高かったんです。その人たちは逃げる場所、逃げる道を知っていたからです」
皆の理解度を確認するように、一呼吸置いて話を続ける。
「俺がこの街に来て建物を見たとき、『これ地震が来たら倒れるな』とか『大通りだけは覚えとこ』とか、この街は東が高くて西が低いから『洪水のときは東門に逃げればいい』とか、何となく理解しましたよ」
日本人はわりと無意識に災害に関する知識を刷り込まれてる。
旅行先で木造建造物を目にしたとき、『綺麗だなー』とか思いつつ、『でもこれよく燃えそうだな……』と知らず考えてたりするものだ。
「瑞樹は逃げられる自信あるの?」
ガランドの質問に少し考える。
「どうだろう……もし『ドラゴンが来た!』って声が聞こえたら、この中の誰よりも早く建物から出てる自信はあるかな」
にっと笑うが、皆の戸惑う顔が見てとれる。
おそらく『それが何?』という感じだろうな。もう説明はしなくていいだろう。
「要は心構えの問題です。何か準備しとけば不安にならないよってだけの話です。死ぬ死なないはもう運ですから」
ためになったかどうかは知らないが演説は終了した。
冒険者の人たちは俺にお礼を言って帰っていった。
「しゅに~ん……勘弁してくださいよ!」
「いえいえ、十分ためになりましたよ」
変な方向に話が転がり、ご高説を垂れてしまった自分に少し恥ずかしい思いを抱いていた。
「で、瑞樹さんはどうするんです?」
席に戻ると、リリーさんはまだ俺の机の横にいる。
「ん? ん~そうですね……今のところは全力で東門まで走って森の中へ逃げ込む……でしょうかね。街が壊滅ってことは街を狙ってたってことかなと……」
「倒すって選択肢はないんですか?」
キャロルはいまだに倒せると思っているみたい。
「さぁね~……ダイラント帝国って軍事国家でしょ? そこが手も足も出なかったんじゃダメなんじゃない?」
いい加減話を終わらせたい。
「もう考えてもしょうがないことですし、この話は終わりましょう」
そう言って俺は書類の束を手に取った。