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108話

「瑞樹?」


 突然、風呂の外から聞き覚えのある素敵な声が聞こえた。ティナメリルさんだ。

 慌てて声のほうを向く。

 が、湯のない浴槽の中に突っ立った状態なことに違和感を覚え、思わず下半身に目を向ける。

 俺の大事なものがぶらんぶらん……見られてるわけじゃないのに手で隠す。


「は、はい!」

「何してるの?」

「え? あ……えと、風呂に入ってて、それで湯が消えちゃってその……びっくりしたといいますか……」

「風呂?」


 そういえば、彼女はまだ風呂が何かを知らない。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 運よく体も乾いている。

 慌てて風呂を飛び出し、上着に袖を通しながら表に出た。

 目にしたのは、月明りに照らされたティナメリルさん。

 グレーの丈の短い上着を羽織り、首には無地のショールを巻いている。あまり目にしないお姿に心をくすぐられる。

 仕事だったのだろうか、両手に書類を抱えて佇んでいる。


「す、すみません……って、ティナメリルさんはどうしてここに!?」


 バタバタと慌ててそばへ駆け寄る。


「……明日から休みなのでいくつか書類を取ってきただけです」

「そ、そうですか」


 外気の寒さに対し、体が温まってる俺からは湯気が立ち上っている。それを見て彼女は風呂のほうへ目を向ける。

 すぐさまピンときた……これはチャンスだ!


「あの、よかったらお風呂……入ってみませんか?」


 あ……お湯をスッカラカンにしてしまった!


「さ……三十分でご用意できます!」

「いいわよ別に」


 即答で拒否られた。

 だがここで引き下がられたらもう機会がない。

 ティナメリルさんと会えるのはお茶会の席だけ。その席で「今からお風呂入りませんか?」じゃ絶対に無理だ。

 今しかない! お風呂のそばにいる今しかないのだ!


「ま……えと、もう誰もいませんし、温かいです……絶対おすすめです。日本じゃこれみんな大好きなんです。ティナメリルさんにもぜひ知ってもらいたいんです!」


 必死のアピールにまったく無反応。打てど響かず!

 いやまだだ……その場から立ち去らずにいる。気にならないならさっさと別館に戻るはず……。

 魚が餌を突いてる状況……もう粘れば……。


「水浴びは経験……あるんですよね? これお湯……温かいお湯です。入ると気持ちが落ち着きます。絶対絶対おすすめです。準備させてください!」


 無表情ながらも足先はこちらを向いたまま、立ち去る気配はない。


「お湯触ってみて、やっぱりダメならそれでもいいです。でもこんな感じのものっての見てもらうだけでもダメですか?」


 彼女はじっと俺を見ている。

 風呂場を一瞥すると、俺の熱意に諦めたように鼻息を吐いた。


「わかったわ。準備ができたら呼びに来なさい」

「はい、喜んで!」


 よっしゃああ、釣り上げた!

 思わず敬礼する。

 ティナメリルさんにお風呂に入っていただける……。

 立ち去る直前、口元が緩んだように見えたのは気のせいだっただろうか。

 旧館に戻る後姿を見終えたあと、風呂の準備を急いだ。



 トンットンットンッ


「ティナメリルさん、お風呂の準備が整いました」


 副ギルド長室のドアをノックする……だが返事がない。


「……あれ?」


 トンットンットンッ


「……ティナメリルさん……お風呂……」


 やはり何の返事もなく、ドアの前でポツンと佇む。

 もしかして寝落ちしちゃった?

 ドア開けて確認しようか悩んでいたそのとき、隣の部屋のドアがカチャリと開いた。


「こちらです」

「あ……はい、すみません」


 目にした姿にドキッとした。

 クリーム色の丈の長いワンピース姿。私服……というか寝巻だろうか。

 シンプルにも気品漂うお姿に顔が緩みそうになる。


「そういえばここに住んでるんでしたね」


 普段と違う装い、自室からの登場と、オフモードの彼女にテンションが上がる。

 彼女が上着を羽織ると、風呂場へ案内した。

 中へ入ると、湯気が立ちこめる室内をキョロキョロと見渡している。


「お湯に手を浸けてもらっていいですか? 熱くないか確認してもらいたいんですが……」


 エルフの体感温度というのがわからないので温めにしてある。


「……大丈夫です」

「温かったら言ってください」


 そう言って風呂場を出た。

 風呂釜を確認しに更衣室横を通り過ぎる際、服を脱ぐ衣擦れの音が聞こえた。

 思わず足が止まる……。

 むっつり禁止!

 自分に言い聞かせ、何事もなかったように歩む。

 釜に薪をくべ、椅子に腰かけると、彼女の一挙手一投足が耳に届く。

 歩いて床板が軋み、手桶でお湯を体に掛ける。

 ゆっくり湯船に浸かるとお湯がこぼれ、そして彼女が大きく息を吐くのがわかった。

 俺は緊張した面持ちで少し待ったが、特にトラブルもなさそうな様子に安心する。


「ティナメリルさん、お湯加減はいかがですか?」

「ん~……大丈夫よ」


 返事の「ん~」が、いつもよりも高い声に聞こえた。

 気分的にリラックスされている感じだろう。手ごたえありだ!


「よかったです。何かありましたら声かけてください」


 タバコに火をつけて一服する。

 板一枚挟んだ向こう側で、美人のエルフが一糸まとわぬ姿で風呂に入っているというのに、エロい感情が全然湧かない。

 むしろ達成感に近い喜びに溢れている。

 ティナメリルさんにお風呂を堪能してもらえている。そのことが単純に嬉しいのだ。


 スマホを見ると時刻は23時を回っていた。

 深夜というのに大通りでは、いまだ賑わいの声が聞こえている。


「これ、夜通し騒ぐつもりだな……寒いのにようやるわ」


 彼女が湯船から上がる音が聞こえ、そろそろ出るのかなと椅子から立ち上がる。


「瑞樹」

「……はい」


 呼ばれてびっくりした。


「この緑の液体がシャンプーですか?」

「えっ、あ、はい。使って髪洗われますか?」

「ええ」


 自分から洗髪料を使うと言い出すとは思わなかった。

 あとで聞くのだが、女性職員から洗髪料の素晴らしさを語られ、ティナメリルさんもぜひにと勧められてたそうだ。

 誰か知らないがその女性職員よくやった!


「わからなかったら聞いてください」


 とは言うものの、外から使い方を説明するのはすごく不安。

 シャンプーとリンスはまだいい。ティナメリルさんも髪は洗うと言っていたしな。

 だがトリートメントは、塗ったあと髪をタオルで巻くという作業があり、説明に難儀した。

 どうやらうまくいったようでホッとする。

 彼女の裸を想像して悶々とする余裕もなかったな……。

 洗髪が終わったようで、もう一度湯船に浸かる音が届く。


「瑞樹……」

「はい」

「あなたの国ではみんなこれをするの?」


 これというのは風呂かな……それともシャンプーかな。まあ風呂として話すか。


「ええ、疲れを癒すのに風呂に入るんです」

「ふぅ~ん……」


 ティナメリルさんも穏やかになっているのが話のトーンから伝わる。

 ご満悦いただいた様子に、俺はにんまりした。


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― 新着の感想 ―
[一言] 必死のお風呂PRはなんとか成功したようでティナメリルさんにもお風呂入ってもらえましたね〜 ギルド住まいだし気に入ってくれたら一番お風呂好きになってくれるかもねえ
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