107話 異世界で大晦日を迎える
夜9時を回って誰もいなくなったティアラ冒険者ギルド。
本館の裏手に設置された風呂場にて、俺は湯船に浸かりながらゆったりしている。
日本人には一回り大きなサイズの浴槽は、余裕で足を真っすぐ伸ばせる。油断すると体が滑ってドボンと頭まで浸かってしまいそうだ。
数回顔を洗い、肩まで浸かって目を閉じる。
「今年もいろいろあったなー……ってあり過ぎやろがい!」
誰もいない風呂で一人ツッコミ、振り上げた手で水しぶきが飛ぶ。
今日は12月30日、大晦日である。
ところが明日は1月1日ではない。
この国の暦は一ヶ月三十日なので、十二ヶ月だと三百六十日、地球の公転周期に五日足りない。そこで帳尻合わせに大晦日のあと、五日間の『休息日』がある。
休息日といっても宗教的理由ではない。
この世界の暦は発掘された知識で、それをそのまま利用している。なので休息日の意味を知らないらしい。
何じゃそりゃって感じだな……まったく。
いきなり異世界の森に飛ばされて半年、よく死なずに生きてこれたもんだと思い返している。
「そういや地球じゃ俺、どうなってんだろ……失踪からの行方不明だろうな」
何となく覚悟は決めてるんだけど、地球に帰れる気配すらない。
指輪を外す方法を探せとか創造主に言われたけど、「それするんお前やろ!」と言いたい。
っていうか、創造主とまったく連絡が取れないんだけど……。
事あるごとに空に向かって呼びかけしてはいるんだけど、とんと音沙汰がない。
やりかた間違ってるのか? 強く念じるとかだったりするの?
わからんことがあったら遠慮なく聞けと言ったくせに……どうなっとるんじゃまったく。
「向こうからアクセスしてくるのを待つしかないのかー……」
お湯を手で掬って顔を洗う。
この時間いつもは静かな夜、しかし今日は賑やかな声が広場や大通りから聞こえている。
どの月にも属さない休息日の五日間は、一年を締めくくるという意味で盛大に騒ぐのだそうだ。
休息というより『五日間の大感謝デー』だ。
「そういや数日前からいろんな店が準備してたからな……ぶらぶら見て回るのもいいな」
休息日はギルドもお休み……つまり明日から五連休なのだ。
今日は午前中にお給料もらってお昼で終了。次の営業は1月1日からだ。
別の街に実家がある職員は早々に帰省し、この街に家族がいるものはゆっくり過ごすのだそうだ。
俺はというと、寝正月ならぬ寝休息日だ。
ギルドから三十メートル先の宿舎が全てなので、のんびり本でも読んで過ごす予定。
遠出したくても地理に疎いし寒い。ぶらっと賑わいを見る程度で済ます。
もう少しちゃんとした移動手段が欲しいよな。
魔法で空飛べたりしないのかねー……。
湯船に鼻の下まで沈め、『来年の抱負』とやらを考えてみることにした。
お金については、普段の給料だけで生活できる。正規固定職バンザイ。
それに先の魔獣討伐の貯金もあるし、しかもこれから洗髪料のマージンが入ってくる。
カルミスさんに「商業ギルドに口座を作っておいて」と言われてるので、来年早々に手続きをしておこう。
諦めていた風呂が手に入ったのはよかった。
ギルドの福利厚生……経費にしようと思えばできそう。でも割増料金で建設しちゃったからな。さすがに怒られる。
食事についても、飢えてない国なので困らない。グルメじゃないし、屋台のテイクアウトで十分だ。
日本の料理が恋しくもあるが、米が食えなきゃ死んじゃうなんてこだわりもない。
まあ醤油や味噌を探してみたいかなーとは思う。機会があったら食品調査だな。
それより冷蔵装置がないのがかなり痛い。
開発するには氷がいる。どこかから仕入れる方法があるか、もしくは魔法の発見が必要ってとこか。
……そうそう、その魔法だ。
今得ているのは『魔法書の魔法言語』『エルフの魔法言語』『シシル教の魔法言語』『身体強化術』の四つ。
エルフの魔法以外は全て過去の遺跡からの発掘技術。
自分たちで開発したものじゃないので進化の技術ツリーがない。
そのため進展もなければ間違いも多い。詠唱の短縮を試みないところがまさにそう。
おそらく言語も全部は解読できていない様子だ。
というわけで、自力でいろいろ試してはいるが中々発見に至っていない。
石――素材変更がまったくできない。鉄も銀も金も出せなかった。
そもそもなぜ石なのだ……石にもいろいろあるだろ。
水――温度調整パラメーターがあってもよさそう。絶対にあると思うんだけどなー。
お湯が出せれば、お風呂は一気に近代化するのにな。
風――なぜか空気。酸素や二酸化炭素といった元素指定ではないのが不思議。これもわからない。
もしかして目に見えない、風の精霊にでもお願いしてたりするのか……なんてな。
雷――帯電だけ? 電気ウナギ的に身を守る手段?
超電磁砲みたいな技が出せそうな気がしなくもないが……。今度、小鉄貨でも飛ばせないか試してみるか……。
見方を変えると『固体、液体、気体、電気』という物質の状態であるともいえる。
水とか石とか素材で考えるのが間違っているのだろうか。視点を変えて考える必要もある。
となるとやはり王都の魔法学校か……どういうところかの情報を得たい。
まずは魔法士の友人を作るところから始めないとな。
エルフの魔法、これも地域のコミュニティーごとに差異がある。
ということは他にも有用な魔法がありそう……他のエルフの情報も得たい。
「そういやマルゼン王国にあと2人いるつってたな……会いに行けたりしないかな」
ティナメリルさんが文通してるってのを思い出した。
「今度ティナメリルさんに聞いてみるか……」
まったく情報がないってことはないだろう。
お願いすれば手紙の一つでも出してくれるかもしれない。
お茶会のときのネタとして切り出すか。
少し温まりすぎたので風呂から上がって髪を洗う。
「魔法が使える世界に来たわりに、全然魔法使えてないよなー」
と思ったが、よく考えたら結構使っている。
『生育』と『保存』は使用頻度が高い。霊芝ちゃんは順調に育っているし、食品関係はほぼ保存をかける。
『探知』や『隠蔽』は出かける際に不審者チェックで使う。
『俊足』と『跳躍』は移動で、『剛力』は荷物持ちでと、エルフの魔法も大活躍している。
治癒系の『ヒール』も先日、火傷治療したし、自己回復や完全回復の使い方も理解した。
身体強化の『遠視』や『動体視力強化』も訓練中で、少しずつ時間を延ばしている。すぐに頭痛がするようじゃいざってときに使えない。
「地味な魔法ほど便利っていうしな」
シャンプーを洗い流し、再び風呂に浸かる。
「うーむ……やはり付与魔法が欲しいな」
付与魔法が得られれば魔道具が作れるだろう。そうなれば一気に生活がよくなるはず。
水が付与できれば水道、風が付与できれば送風機、熱系の魔法発見して付与できればコンロ、オーブン、冷蔵庫などが視野に入る。
「まあまだ半年だ。地道にやっていこう」
風呂の縁に頭をつけ、目をつむって遠くの喧騒に耳を傾ける。
大通りに人がいるのかな。酒が入っているとはいえ、外寒いのによく騒げるよなー。
しばらく何も考えずに湯の温かさを味わう。
ふと魔法のアイデアが浮かんだ。
「……水を出すのは『マナを水に変換』してるんだよな」
風呂の湯に目を落とす。
「……じゃあ『水をマナに戻す』ってのはできんのかな?」
思いついた呪文を唱えてみる。
「たとえばそうだな……《詠唱、水除去》とか」
湯船を見る。何も起きない。
「ん~……《詠唱、脱水》……《詠唱、除水》……《詠唱、水どける》……《詠唱、水消去》……」
思いつく単語を並べてみたが、何も起きなかった。
「う~むダメか……」
大きくため息をつく。
「なかなか新魔法発見とはいかんよなー」
さて、そろそろ上がろうかな……。
と、風呂の縁に手を乗せて出ようとしたそのとき、あることに気づいて中腰姿勢で止まる。
……そういや発動するときって最後に《発射》って言ってたな。
「……《詠唱、脱水発射》 なんてな――」
ボシュン!
突然、湯船のお湯が消えてすっからかんになった。
体を支えてたお湯の浮力が無くなり、バランスを崩して浴槽にドシンと落ちる。
「あいたっ!」
皮膚に触れてたお湯が、一瞬で乾いた空気になったみたい。
「うぉおおぉぉ! びっくりしたぁああぁぁぁっ!!」
思わず大声をあげる。
落ち着いて周りを見ると、湯船が乾いた状態である。
足を動かすと、風呂の底が少しザラッとした。おそらくお湯の中の汚れだろう。
見ると体は乾いており、髪の毛もさらさらしていた。
「……魔法、見つけたじゃん!」
ゆっくり立ち上がり、素っ裸の状態でもう一度よく観察する。
偶然にも『脱水の魔法』を発見したのだった。