103話 メレンゲクッキー
次の日の朝。
「おはようござ……ん? スンスン…何?」
「何だかすごく甘いにおいがしますけど……」
レスリーとロックマンが、ギルド内に漂う甘ったるい香りに反応する。
そしてリリーが炊事場の入り口で中を眺めている。
「瑞樹さんが夜通しで何か作ると言ってました」
2人も中を覗き、ある物を目にする。
そこにキャロルも出社した。
「リリーさん、あれ何です?」
「いや……何作るか聞いてなかったから……」
指さした先にあるそれは、2つのボウルに山盛りになっている小さな食べ物のようだ。
ラーナが出社、瑞樹を探す。
「……彼は帰ったの?」
「さあ……」
「で、何かしらこれ?」
瑞樹の机に、紙で作った入れ物がいくつも用意してある。
皆が炊事場の入口でたむろしていると、主任とガランドも出社。
「どうしました?」
「あ、いえ…瑞樹さんが作ったものが置いてあったので……」
キャロルがツカツカとボウルの近くに行く。すると皆も釣られて入った。
見るとそれは、綺麗な蜂蜜色をした4センチ程のお菓子……それが大量に積まれている。どうやら甘い香りの元はこれのようだ。
するとラーナがゴミ箱を目にして驚く。焦げたり潰れたりした失敗作が大量に廃棄されているのだ。
「わっ見て、すごい量! かなり大変だったんじゃない?」
「石窯使うの初めてって言ってましたから……」
キャロルは目の前にある美味しそうな食べ物を手に取りたくてしょうがなかった。
「これ食べちゃ――」
「ダメに決まってるでしょ!」
リリーはピシャリと注意する。
その時、仮眠室から「ピピピ」という、聞きなれない音が聞こえてきた。
◆ ◆ ◆
「ん……あ、時間か」
スマホのアラームの音で目を覚ますとすぐ部屋を出る。すると炊事場から出てくる皆を目にした。
「うおっびっくり!?」
「瑞樹さん、泊まったんですか?」
「あ……あっはい。さっきまでかかったので……」
「えぇ!?」
結局、ほぼ徹夜だった事実にリリーさんは驚いた。
すかさずキャロルが期待に満ちた目を俺に向ける。
「ねぇ瑞樹さん、あれ何ですか?」
「ん? あーあれは『メレンゲクッキー』ってお菓子」
「メレンゲクッキー?」
「うん。卵白とハチミツだけで作るお菓子だな」
実はこの世界に来てというもの、甘いものにはとんとお目にかからない。
もちろんないわけではない。ただあまり庶民には一般的ではない感じ。砂糖が高価なせいだと思われる。
なので俺がお菓子を作ったという事実にみんなポカンとしている。
「で、あれどうされるんです?」
「そりゃもちろんみなさんに配りますよ。味見はしたんで大丈夫です」
それを聞いたキャロルがとても喜んだ。
「じゃ食べてもいいの?」
「昼に配ります」
「え~~~!!」
「えーじゃなくてまず仕事です」
不貞腐れたキャロルを連れて皆、職場に戻った。
朝一の来店客が「何かいい香りがしますね」と声をかける。するとリリーさんとラーナさんは顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。
そして昼になり席を立つ。
そして作っておいた『紙箱』に『メレンゲクッキー』を小分けして皆の席に配る。
「まあ……多分大丈夫だと思いますが、食べてみてください」
口にすると、初めての触感と味に舌鼓をうつ。そして口々に感想を述べた。
「これ…卵の白身なんですよね? こんな柔らかくなるんですか?」
「メレンゲってどういう意味です?」
「ほんのり甘いですね……ハチミツですか」
「なるほど……スッと溶ける感じが面白いですね」
「外はカリッとしてるのに……不思議ですね」
「美味しい! 美味しい!」
「瑞樹さん料理もできるんですね」
おおむね好評で、ホッと胸をなでおろした。
「まあレシピ通りにやっただけなので、覚えれば誰でもできますよ」
などと言っているが、実際は相当難しい作業である。
まず『泡立て器』がない。
リリーさんに聞いたら知らないと言われた。わりとショック。
仕方ないので木のフォークを4つ束ねて代用し、必死に泡立てる。
定期的にヒールをして腕の負担を軽減したものの、しんどいことには変わりなかった。
次に『絞り袋』がない。
これはもう素直にスプーンで掬って鉄板に落とす。見た目が悪いがしょうがない。
そしてこの世界での最大の問題点……『温度計』がない。
ただでさえ温度管理が難しい石窯において、温度がわからないというふざけた環境での作業だ。
100度を知るために、フライパンに水を入れて石窯に投入。「泡立ったのでヨシ!」という感じで確認した。
当然火力調整が難しく、何度やっても焦げまくる。
しかもメレンゲクッキーは焼くのに1回1時間弱かかる。日付が変わった頃に何とかコツを掴んでそこから4回転。
終わったのが朝7時過ぎ……マジで皆の出社ギリギリ前までかかった。
リリーさんがクッキーを入れた紙箱に興味を示す。
「これは紙ですね。作ったんですか?」
「はい。入れ物が無かったのでそこの紙で作りました。使い終わったらそのまま捨てられるので便利でしょ」
メレンゲクッキーを頬張りつつ箱の出来に感心している。
「これも『折り紙』ですよね。今度教えてください」
「いいですよ」
そして皆が食べているのとは別に、クッキーを入れた紙袋をガランドに渡す。
「よければ奥さんにお土産にしない?」
「いいんですか?」
「うん。だって大量にあるんだもん。持って帰ってほしいぐらい」
にっこり差し出すと、「じゃあ遠慮なく……」と袋を受け取った。
主任にも同様に手渡し受け取ってもらう。
「他にもいる人がいたら貰っていいですから」
その言葉にキャロルがはしゃぐ。
そして購買の2人に持っていくと、またもやオットナーがこれを商品にしようと催促する。
さすがに辟易した顔をして「勘弁して」と断った。
そして、ボウルに入ったままのクッキーを抱えて他の部門へ向かう。
「お疲れ様です。ちょいとクッキーを大量に作ることになったのでおすそ分けに来ました。よければ食べてください」
先日の洗髪料の一件で顔を覚えてもらえている。それも好印象。
女性職員はもとより、男性職員からも気軽に声をかけてもらえるようになった。
理由は奥さんや彼女がいる人に洗髪料を進呈したからだ。
とても喜ばれたと評価も上々だ。
メレンゲクッキーを頬張ると、口々に美味しいと言ってくれた。ホッとして笑みがこぼれる。
また少し好感度が上がったかな……。
次に3袋持ってギルド長のもとを訪れる。
「ギルド長、甘いものはお好きですか?」
「ん? まあ嫌いではないが、なんだ?」
「じゃあこれどうぞ。昨晩作った『メレンゲクッキー』というものです。1つはギルド長に、残りはお土産にどうぞ」
「これか。甘い香りがしていたのは……」
「ええ」
洗髪料の作成で卵白が余り、作らざるを得なかった事情を話した。
「そうそう、あれすごいな。妻と娘が絶賛してた。久しぶりに娘に感謝されて嬉しかったぞ!」
「それは何よりでした」
笑顔で話すギルド長を見て、俺はにんまりした。
そしていよいよ本命の場所、別棟のティナメリル副ギルド長のもとを訪れる。
コンッコンッ
「どうぞ」
「失礼します」
机に向かっていた彼女が顔を上げる。
「副ギルド長、今晩お時間取れますか?」
表情を変えずにしばし間が空く。そして「大丈夫ですよ」と返事をいただいた。
「じゃあ仕事が終わったら伺います」
彼女は小さく頷いた。
◆ ◆ ◆
ある冒険者がマグネル商会を訪れていた。
「すみませ~ん!」
「いらっしゃいませ」
「こちらに荷物を届けるよう配達依頼で来ました」
「はいはい」
従業員が依頼書を拝見、内容を確認して受領のサインをした。
「ご苦労様」
冒険者は頭を下げて商会をあとにする。
そして受け取った従業員は、急ぎカルミスのもとへ向かう。ある人物からの配達は最優先で届けるように指示がされていたからだ。
「カルミスさん荷物が届いてます。ティアラの瑞樹様からです」
その言葉にガタッと席を立つ。
そして荷物を受け取り中身を確認する。が、中身は手紙と……小袋に入ったお菓子だった。
「……これですか?」
「はい。これです」
彼女は首を捻り、手紙の内容を確認した。
「会長、瑞樹さんから手紙と荷物が届きました」
「ん? なんだ……」
「一つは『大工を紹介してほしい』ことと、もう一つは……『お菓子の作り方』です」
「は!?」
会長は意味がわからず困惑する。
大工については、ギルドに風呂用の建屋を作ることになったのでその職人を紹介してほしいとのこと。
話が進んだなら何より……と、職人に当てはあるので大丈夫と答えた。
だがもう一つは意味がわからない……なぜお菓子の作り方なんだ?
手紙によると、余る卵白の処理案がお菓子作りだということで、小袋に入ってたお菓子がそれだという。
なお、これは瑞樹が作ったものだという。
「今、トリートメントの製作はどうなってる?」
「まずはサンプル生産の段階ですので大した量では。余る卵白はうちの食堂で活用する手配になってますから、今のところは特に……問題ないと思います」
カルミスが小袋に入っていたお菓子を皿にあける。
「えーと……『メレンゲクッキー』というそうで、卵白とハチミツだけで作ったそうです」
「…………これが卵白?」
「みたいです」
2人はつまんで口にした。
「ほう、サクッとしたあと、スッと溶ける感じだな。ほんのり甘くて旨いな」
「そうですね。これ……彼が作ったんですか?」
「何でもできるな彼は……」
「ホントに……笑っちゃいますね」
カルミスが呆れるように笑い、会長も釣られて笑う。
そして2人は、この『メレンゲクッキー』のレシピが無料で提供されたことにも驚いている。
この世界では『料理のレシピに価値がある』ということを瑞樹は知らなかった。なので人に教えることを何とも思っていない。
それに2人は料理に詳しくないため、このときはこのお菓子のすごさがピンとこなかった。
だが後日、料理人にレシピを参考に作らせてみるが、全く作れないと言われた。
どうも『書いてあることがまるで理解できない』という――
まず『ツノが立つまで泡立てる』の意味がわからない。
実は『泡立てる』という行為はお菓子作り以外ではしない。普通の料理は『混ぜる』だけ。
しかも現代の『泡立て器』みたいな道具もない。混ぜるのは大きなフォークを使う。
そしてケーキ作りをしたことがある人なら知っているが、卵白を混ぜても簡単には泡立たない。
泡立て器を使っても重労働、フォークで少々混ぜた程度では絶対に無理だ。
極めつきが『温度』の概念がない。なので『100度で1時間』を伝える手段がなかった。
瑞樹が大量の失敗作を生み出しながら何となく温度を掴んだように、石窯で作ろうとするなら経験が必要というわけだ。
結局、卵白の処理については当面、自前の食堂で対処する方針になった。
その後、メレンゲクッキーの作り方を教わりに泣きを入れる羽目になるのはもう少し先の話である。