101話
瑞樹がマグネル商会へ出かけて程なく、洗髪指導を済ませた受付の3人は戻ってきた。
ラーナはかなりご機嫌のようで、意気揚々とその足で主任に歩み寄る。
「主任、お風呂を設置しましょう!」
「はい!?」
書類に目を通していた主任は驚いて顔を上げる。
いきなり何を言い出すんだ……という表情で彼女を見る。
すると耳にしたキャロルが同調。
「それすごくいい! 主任、お風呂置きましょうよ~!!」
主任は呆れてため息をつく。
今日は洗髪料の一件で朝から大騒動。皆が浮き立ってて仕事にならず、それだけでも頭が痛い。
もちろん自分も瑞樹に頼んだ手前、大目に見て目をつむっている。
だが風呂まで要求されるのは論外だ。昨日実物を目にしているので何かはわかる。
当然、拒否する。
「無理です。場所もないでしょ」
「じゃあ場所があればいいんですね?」
「そういうことじゃなくて……ここ職場だから」
「え~だって瑞樹さんも言ってたじゃないですか! 職場の『フクリコーセー』は大事だって!」
「言ってました。『フクリコーセー』で従業員のやる気がアップするって!」
主任は右手でこめかみを押さえながら首を振る。
彼女たちがここまで風呂に入れ込むとは……特にラーナの執心っぷりが尋常ではない。
それも瑞樹が昨日の帰りに余計なことを吹き込んだからだ――
マグネル商会をあとにした帰り道、女性たちは大盛り上がり。
ついてきてよかったと満面の笑みを浮かべ、初めてお湯に浸かるという体験にとても感動したと話す。
ラーナは、体がいつまでもポカポカと温かいことが本当に嬉しそうだった。
その様子に瑞樹は誇らしげに笑みを浮かべ、そして少し照れていた。
彼女たちから「もう少し広いお風呂がいいね」と聞くと、彼は日本の風呂事情について自慢気に語りだした。
ところがそれがあまりに夢のような内容だったのだ。
何でも日本には『銭湯』という、家一軒お風呂になってる施設があるという。
他に『露天風呂』という、外に囲いを作って景色を眺めながら入るお風呂、さらには『温泉』という『肌が美しくなる』お風呂もあるそうだ。
髪が美しくなった洗髪料の一件もあり、是が非でも日本に行きたいと大騒ぎ。
さらに『福利厚生』という名目で、従業員用のお風呂を設置している職場もあると聞き、何度も羨ましいを連呼していた。
「とにかくお願いします! お風呂…作ってください!」
「しゅに~ん! おふろ~絶対要りますって~~!」
「はいはいもう仕事に戻って! 彼が帰ってきたら聞いてみなさい!」
主任は騒動の元凶を作りだした人物に投げることにした。
「瑞樹さんができるって言ったらいいってことですね?」
「いいって言いましたね?」
「言ってません! とにかく仕事しなさい!」
主任は手で追い払う。
興奮気味に席に戻った2人にリリーはくぎを刺す。
「ラーナさんもキャロルも少し落ち着いて……ね」
「うわ~~リリーさん、何かいい子ぶってる~~!」
「そ…そういうわけじゃ……」
ラーナは彼女の肩をポンと叩く。
「リリー……あなたもお風呂、よかったでしょ?」
「それは……そうですけど……」
「じゃあギルドにも欲しいわよね?」
彼女の圧に少し怯む。
「う……それはあったら嬉しいですけど、でもさすがに無理なんじゃ……」
キャロルがはたと閃いた。
「瑞樹さんなら何とかしてくれます。なんならまた裸見せてやる気出してもらいますもん!」
「そうね……」
その台詞に経理の男どもは一斉に振り向いた。
「「「今なんて!?」」」
リリーは額に手を当て首を振った。
「キャロル……」
◆ ◆ ◆
約2時間後、俺はいくつかの荷物を小脇に抱えてギルドに戻った。
「すみません、遅くなりました」
席に戻って一息つくと、皆の視線が俺に向く。
「いや……ちょっと買い物に手間取っちゃいまして……」
さすがに数時間も穴をあけたのはマズかったかな。
帰りが遅れたことを申し訳なく思い、そそくさと書類を手に取る……が、雰囲気が変なのは俺のせいじゃなさそうだ。
「…………何かありました?」
「瑞樹さん……キャロルの裸、見たんですか?」
「んあっ!?」
ロックマンの言葉に一瞬、思考が停止する。即座にキャロルを見る。
ところが彼女は悪びれた素振りがない。
「お風呂作ってください!」
「は……見……え!?」
なんじゃそりゃ!
いやいやそれより、まずなんでラッキースケベがバレてんの?
誰が漏らしたかっていうと……まあ間違いなくキャロルだよね。なんでそんなことになってんの!?
そしてお風呂がなんだって?
振り向いて主任を見ると、ご機嫌斜めでラーナさんを指さす。
どうやらラーナさんが何かやらかしたらしい。
彼女を見ると、声を出さずに口を動かした。
「オ・フ・ロ・ホ・シ・イ」
え……なんて!?
それを理解する間もなくロックマンが口を挟む。
「瑞樹さん……キャロルの裸、見たんですか?」
「んぐっ!?」
ロックマンがいつになく真顔、思わず表情が強張る。
「…………ミテ……ナイヨ!?」
俺が出かけている間に一体何があったのか、とりあえずこの場から逃げ出したい。
するとリリーさんが静かに席を立ち、俺を奥の炊事場へと手招きした。
男性陣の視線を受けつつ向かい、そして状況説明を受けた。
要するに、ラーナさんとキャロルが、ギルドにお風呂を設置してほしいと主任に懇願し、その無茶ぶりを怒られた。
その際、俺が裸を見ちゃった件をポロっと言っちゃった……というわけか。
裸を見せたらやる気を出すってか……まあ、キャロルのヌードはご馳走様でした。
チラっとリリーさんの胸元に目がいく。
リリーさんやラーナさんのタオル巻きの上乳もご褒美感あったしなー。
気づかれる前に目を逸らす。
「なるほどね」
昨日の今日でそこまで入れ込んでしまったのか……。
まあ相当気に入ってたし、帰りに日本の風呂の話をした件も持ち出したという。
ラーナさん冷え性らしいし、人一倍強烈な印象だったんだろう。
俺は腕組みしながら口に手を当てて考える。
――だがこれは悪くない流れだ。
ギルドの風呂が実現できるかどうかはともかく、風呂を知って気に入ってくれた人たちが増えたということだ。
設置に前向きに持っていけるチャンスでもある。
現状、風呂が完成したのはいいが、設置場所がなくて困っている。
宿舎に設置など到底無理だし、ギルドに……というのも俺に権限があるわけない。
せめてどこかに空いている部屋でもあれば……という考えもあったのだが、風呂となると話は別。簡単には設置できない。
問題点は『水の搬入』『排水』『排煙』の3点だ。
この国は水道がないから井戸水を使っている。なので井戸の近くでないと厳しい。
だが幸いギルドには井戸がある。なのでギルドに設置はアリなのだ。
となると残りの問題は排水と排煙、やはり別に建物が必要な感じ。
……いや、別に建てなくても露天でも構わない。要はギルドの外に置く許可をもらえればいい。
場所の検討と交渉、女性も使うためには仕切り……いや簡易でも建屋がいるな。
ラーナさんとキャロルは味方、おそらくリリーさんも賛成してくれるはず。
そして今回、洗髪料の件で女性職員の票も稼げたはず。
男性陣は……そういやファーモス会長も絶賛していた。その話を切り出そう。
「俺がラーナさんに話をします」
リリーさんにお礼を言うと、ラーナさんの席へ向かう。
「ラーナさん……気持ちはわかりますが、いきなりは無理がありますよ」
「ダメですか?」
「うーん……」
自前で購入するにしても場所がないと無理な施設、ギルドに設置したいというのは俺も同じではあるが……。
「……そうですね。欲しいのは俺も同意見ですし、何かいい案ないか考えてみましょう」
「ホントに?」
口角を上げてにっこり笑う。
ラーナさんは、諦めろと言われなかったことに頬が緩む。
そしてキャロルに顔を向け、目で訴える。
「キャロルさん……俺が見たのは『タオルを巻いたお姿』であって、水を足すときにほんのちょっと……チラっと見えただけですよね?」
キャロルは話のわかる女性だ……そうだな?
「ソウソウ、ハダカミラレテナイデス」
「まったくも~~すぐ話を盛るんだから~~キャロルは~~」
「ごめんなさ~~い!」
男どもに向き直り、2人揃って作り笑いを浮かべる。
「――ていうか俺、明後日までに洗髪料作らなきゃならないんで、騒動は勘弁してくださいよ!」
ラーナさんとキャロルも溜飲を下げた模様。洗髪料の盛り上がりっぷりに当てられたのだろう。
ちょうど冒険者がカウンターにやって来たので話はそれで終わった。