暴行事件編(2)
謎の若い男は栗原礼央といった。結婚して麹衣村に最近越してきた英語教師という。環奈が通っている高校で教師をしていると言っていた。これから出勤するのかスーツ姿だったが、 理世の苦手なタイプだった。
礼央はジャニーズ風のイケメンだった。どうも見かけの良い男が慣れず、家の中とはいえ、緘黙症の症状がバリバリと出ていた。自己紹介は石子が代わりにしてくれたが、呆れた様子だった。礼央は時々石子の家で朝食をご馳走になる中らしい。同じ教会に通っている仲間なので、石子は放って置けないと言ってはいたが。
リビングのちゃぶ台の上には、こんがりと焼けたピザトースト、ゆで卵、それにアイスコーヒーがある。ピザトーストの上には輪切りのゆで卵がトッピングされ、美味しそうだ。ひとまず理世は黙って食事に集中する事にした。チーズとパンの焼ける匂いは、食欲が爆上がりしてしまう。
「うわぁ、石子さんのピザトーストめちゃくちゃ美味しそう!」
礼央は子供のように目を輝かせながら、ピザトーストに齧りついていた。ザクザクっといい音も響く。
隣に苦手なタイプの礼央がいて、理世は落ち着きがないが、鬼頭の事で反省したばかりじゃないか。
このまま人見知りみたいな態度をとっているのは、違う気がしてきた。ピザトーストの上に乗っているゆで卵も美味しく、理世の緊張も緩んでいたという面もある。
「ねえ、礼央さん? なんで朝食をここで食べてるの? 薬指に指輪してるよ、ね? 奥さんはご飯作ってくれないの?」
そう言うと礼央の顔が明らかに曇りはじめた。
「実は、嫁の美幸が作った料理はまずいんだよなぁ。こんな素晴らしいピザトーストは、無いんだ」
「え?」
どういう事かわからないが、石子が苦笑しながら説明してくれた。
礼央は筋金入りの陰謀論者で、奥さんの美幸とも反ワクチンの集会で知り合ったらしい。礼央は添加物や農薬の陰謀論にもハマり、自給自足のためこの麹衣村に越してきたわけだが、美幸はさらに上をいくスーパー陰謀論者だった。何日も断食し、その上ベジタリアンにもなり、完全に礼央と食の趣味が違ってしまった。
「もう勘弁してくれって感じだよ。さすがに仙人みたいに断食するのはムリだよぉー」
礼央は弱音をあげた。陰謀論者というのもドン引きだが、こうして弱音をあげ、人の家のご飯を食べている……というのは大人としてどうなんだろう。おかげで礼央はちっともイケメンには見えなくなった。それどころか、ヘタレにも見えてしまい、理世の緊張感も抜ける。緘黙症の症状もあまり出てこない気がしてきた。
「そんな弱音吐くんじゃないわよ。健やかな時も病める時もって神様に誓ったでしょ。奥さんの断食ぐらい付き合ってあげなさよ」
「ムリですー。もう毒みたいな添加物入りだって散々バカにしてたマックやケンタッキーも恋しい。ファミチキやからあげくんも食べたいよ!」
「情け無い陰謀論者ねぇ」
石子と礼央のポンポンと弾む会話を聞きながら、理世はちょっと笑ってしまった。漫才というほどでもないが、ボケとツッコミみたいで面白い。石子は確実にツッコミタイプだと理世は思う。
「理世ちゃん、笑っているね。そうだよ。日本の学校教育はクソだからさ、登校拒否するのは正しい選択さ」
「えー? そう?」
何故か礼央に励まされてしまった。
「特に歴史と英語は嘘ばっかりだからね。俺も英語教師だけど、五文型や自動詞他動詞なんて知らなくても英語勉強できる。むしろ文字ばっかり読んでると、リスニングの能力も下がる気がする。俺は、ジョン万次郎方式の英語勉強が一番いいと思うんだよな。今度勉強教えてあげようか?」
「いいんですか?」
礼央は色々変な人に見えたが、学校の先生をやっているのは事実だろう。それにこんな風に休学して学校の勉強はどうなるか不安もあった。
「いいじゃない。私がご飯を礼央くんに作ってあげる。その変わり、礼央くんは理世に勉強を教えてあげる。ウィンウィンね。勉強は環奈ちゃんとやってもいいし、どうよ? 理世?」
その提案は願ってもない事で、理世はすぐに頷いた。
「わかった。いつもご飯奢ってくれてるし、理世ちゃんに勉強教えるよ」
「ありがとう、礼央先生!」
理世は笑顔で礼を言った。この事で勉強の不安は、とりあえず解消されたようだった。陰謀論者というのはちょっと嫌だが、こうして石子と会話をしている様子を見るからに悪い人には見えなかった。ピザトーストや茹で卵美味しいし、理世は感謝の気持ちでいっぱいになった。
「ところで石子さん。この麹衣村の森のホームレスがいついてるっていう噂があるんだけど、知ってる?」
「ホームレス? 知らないわね」
石子は綺麗に剥けた茹で卵をかぶりつくと、顔をしかめた。ちなみにゆで卵は、水を入れたタッパーに入れて軽くふると綺麗に剥けるらしい。グランマの知恵袋だとドヤ顔していた。
「俺と同じ歳ぐらいの若いホームレスらしいんだが、あっちの森の方は銃価の会館もあるしなぁ。うちも嫁がいるし、安心はできないね」
「ホームレスか。まあ、教会で食糧支援でもして福祉に繋げればいいんじゃない? 問題はカルトの銃価よね。うちの村の人、案外多いのよ」
石子はそう言って、首をすくめた。
「銃価は厄介ですよ。政治やメディアにもかなり深く支配してるし、警察も銃信者が多いらすい。オウム事件みたいにひどい事にならなきゃいいけどな」
礼央はため息をついて、アイスコーヒーを啜った。
理世がカルトの事などはよくわからないし、興味もないが、大人達の様子を見ながら嫌な予感もしてきた。
「まあ、銃価の事なんて考えても仕方ない。今日は昼から教会でみんなで集まって理世の歓迎パーティーよ。ゴスペル歌えるのが楽しみよ」
「石子さんはゴスペル上手だからな。理世ちゃんは、聞いた事ある?」
理世は首を振った。
「グランマ、歌も上手なの?」
「ええ」
石子が胸を張っていた。
家事もできるし、料理上手。知恵袋も豊富。暗記もできるし、体力もありそうで、歌も上手い。
どうやら石子はなんでも出来るスーパーおばあちゃんではないか。ちょっと頼もしく感じてもいた。
もっともタバコ臭いのは勘弁してほしいが。