ようこそ、麹衣村編(3)
石子の家は、田舎らしく広かった。
一階にある和室、リビング、石子の部屋、台所、客間までも広い。二階にある理世に用意された部屋に荷物も置きに行ったが、そこも広い。理世の家にある一人部屋が鶏小屋だと思うほどだった。
その分、掃除も大変なようでお昼ご飯を食べながら、石子は愚痴っていた。
広いリビングには、大きなちゃぶ台があり、そこに昼ごはんのパスタ、バゲット、アイスコーヒーが並べられている。アイスコーヒーのグラスや、フォークにはハローキティや不二家のペコちゃんのイラストが描かれていた。パスタ皿もよく見るとドラえもんの絵がついている。かなり古いもので、ハゲかけていたが。
「おばちゃん、このパスタおいしいよ」
「こら、グランマってお呼び!」
パスタは、バター醤油味っだった。菜の花とベーコンも入っていてかなりボリュームがある。元々少食の理世だったが、このパスタだったらペロリと完食しそう。圧が強そうな石子で、思わず「怖い!」と言いそうにもなるが、料理が上手らしい。その点は良かったと理世は、胸を撫で下ろしたくなるような気分だった。
リビングもよく見ると、センスのいい家具の配置をしている。和洋折衷というか。ちゃぶ台やタンスは和風だが、ガーペットやカーテンは洋風にまとめ、花瓶やちょっとした小物もセンスがいい。昭和レトロと言いたくなるようなリビングだった。たぶん、昭和レトロなインテリアや小物が世間で流行っているせいで、そう見えるだけかもしれないが、石子自身の美意識は低くなさそうだ。よく見ると服や化粧も圧が強い割には、下品ではない。絶妙なバランスで派手さが保たれている。
ムーミンママのような優しさは感じないが、下品でおばあちゃんと言い切るのは、偏見な気もしてくる。
「っていうか、グランマ。この菜の花ってやけに新鮮だけど、スーパーで買ったもの?」
パスタには入っている菜の花は、妙に生命力があるように見えた。一見、普通の菜の花と変わりないが、味や食感が生き生きしているというか。
「これはウチの畑で採れたものよ」
「本当?」
「そうよ。もう主人も死んだし、畑仕事はやってないけどね。今は趣味とご近所さん、教会の人に配る野菜は作ってるの」
「教会の人?」
「私は、これでもクリスチャンですからね」
そう言えば食べる前にお祈りをしていた。ド派手な石子がしおらしく祈っているのが、何ともミスマッチだった。強そうな石子だが、神様には逆らえないという事だろうか。
「クリスチャンなのに、タバコ吸っていいの?」
「本当はよくないのよー。牧師さんには減らすよう言われてる。まあ、あなたの前では吸わないわ」
しゅんとして話す石子は、やっぱりただ下品な人、気の強そうなおばあちゃんというわけではなさそうだった。
「だったらいいけど、教会には環奈ちゃんって子いる? さっき会ったんだけど」
「いるわよ。牧師さんの娘さん。でもママが早くに亡くなって苦労してるのよ。理世はまだ恵まれてるよ」
「でも……」
「単純比較はできないけどね。自分を不幸に思ったら、余計に不幸になるわよ。っていうか、あんたも教会行きなさい。その現代っ子病もよくなるかもねぇ」
石子はそう言って、テレビをつけた。ローカル局で放送している探偵ドラマにハマっているらしい。「おばちゃん探偵ミャープル」というドラマらしい。猫とおばさんの身体が入れ替わり、街の殺人事件を解決するコメディタッチのミステリーらしい。
「あっは、面白いわ。このドラマ」
「おば、グランマは探偵もの好きなの?」
「うん。若い頃はミステリー作家も目指していたのよ。まあ、ものにはならなかったけど」
意外な過去だった。
「貧乏だったし、子供も産まれちゃったしね。一時は最終選考にまで残ったけど、落選。そう思うと、私も案外不幸だったのかしら? でも、そんな事は一度も考えたことは無いわね」
堂々と話す石子に理世はだんだんと恥ずかしくなってきた。なぜか自分が今抱えている悩みは、ものすごく小さなものでは無いだろうかと思い始めた。ただ、ものすごく小さなものに躓いている自分って一体なんだろうろ。そう思うと、さらに居た堪れ無い気持ちにもなってくる。
「まあ、理世はとりあえず身体を動かしましょうよ」
「えー?」
「人間の悩みなんて動いていればどーにかなるわ」
そうかな?
半信半疑だったが、なぜか学校や家にいるよりは気持ちが楽になってきた。菜の花とベーコンのパスタが思った以上に美味しかったからかもしれない。アイスコーヒーもいかにもインスタントな味がするが、水がいいのか後味は以外とスッキリで美味しかった。パスタでお腹いっぱいになってしまい、バケットまで食べられなかったが、石子は食欲旺盛でいっぱい食べていた。
「あぁ、今日のドラマも終わったわ。さっそくお皿も片付けましょう。さ、理世も片付けるわよ!」
こうしてお皿洗いや食事の後片付けもやらされたわけだが、確かに身体を動かしていると、ちょっと元気になってきた気もする。おそらくこの家では緘黙症の症状は、出ない気がした。
「おば、グランマ。お皿洗いの洗剤ある?」
「そんなもんないわよ。うちは米糠と水でブレンドした特性洗剤か、米の研ぎ汁で洗ってるの」
「え? そんなもんで落ちるの?」
「落ちるわよ。これは、グランマの知恵袋よ。それにパスタは、茹で汁でも十分落ちるよ。洗ってみな?」
確かにパスタの茹で汁、それと石子特性の洗剤でするっとお皿が綺麗になってしまった。フライパンも苦労せず、油がすっきり落ちてしまった。
「なにこれ、手品みたい!」
「手品じゃないわ。グランマの知恵袋っておっしゃい!」
石子のもの言いは、ちょっと厳しくキツい所もあったが、なぜか理世はホッとしてしまった。おそらく石子は裏表がないからだろう。クラスメイトや両親は、どうも裏表がある気がする。特にクラスメイトは、言葉では「かわいい」と言うのに、明らかの理世をdisっている表情や態度をとっていた。それに比べたら、石子の態度はわかりやすいではないか。
確かに怖がる必要もないかもしれない。それにこんな洗剤を生み出せるなんて、ぜいぶんと賢い気もした。
「グランマ、この特性洗剤って原価いくら?」
「ほぼかかってないわね。容器代ぐらいなもんよ。それに市販の洗剤は、手荒れもするからね。
これは全部自然素材で作っているから安心よ」
「グランマ、すごい」
「すごくないわよ」
石子はそう言って理世の肩をバシバシ叩くが、少し尊敬めいた気持ちも生まれていた。
確かにムーミンママみたいに優しくなさそうだけど、生活の知恵と賢さはあるようだった。ミステリー作家を目指していたというのも本当のように感じた。単なるバカな人には決して見えない。
ちょうど皿も綺麗に片付け終えた時、チャイムがなった。
「たぶん、ご近所の人ね。理世、頑張って出てきてごらんよ」
「え、えー?」
「大丈夫だって。どうせ同じ教会に通ってる立花さんか、牧師先生よ。二人とも私と違って優しいから」
この時の理世はすっかり気が抜けていた。
「うん、じゃ、玄関行ってくる」
急いで台所から玄関の走り、戸を開けた時だった。
「きゃぁ」
思わず腰を抜かしそうになった。目の前には般若みたいな形相の女性がいた。年齢が若く30歳ぐらいだが、鬼のお面にそっくりな顔立ちだった。
「隣の鬼頭ですけど」
キトウって「鬼頭」って漢字?
理世の頭はすっかり混乱していた。
「あんたお孫さん? うるさいよ。ウチには、病人がいるんだから。もう、さっさと引っ越して欲しいものだわ!」
腰が抜けてその場にヘナへナとしゃがみ込んでいた。鬼頭からは、こちらに強い悪意のようなものを感じた。
この田舎でもうまくやっていけそう?
前言撤回だ。
むしろ逆方面の予感しかしなかった。