スケープゴート編(4)
理世は、スケッチブックと筆箱が入ったカバンを持ち、麹衣村に流れる川辺を歩いていた。
よく晴れた土曜日のせいか、川辺では釣りをしている大人や遊んでいる子供達の姿が見えた。
川から少し離れた土手に座り、スケッチブックを広げた。
この場所からは、教会の建物も見える。理世はその風景をスケッチブックに描いていた。絵の世界に入ってしまえば、さっき礼央や石子から聞いた話は、だんだんと忘れられてきた。
「お姉ちゃん、その絵何?」
そこに子供から声をかけられた。子供は、森口の息子・圭吾だった。あのチラシ通り、あまりルックスは良くない子供だった。歳は10歳ぐらいで秀太と同じぐらいだが、キラキラした目で絵を見ている姿は、子供らしい。心の中で秀太にルックスを散々悪く言ってしまった事に後悔してきた。
「君も絵を描いてみる?」
「いいの?」
圭吾にスケッチブックと鉛筆を渡した。絵が出来上がるまで、理世は少し休憩する事にした。
事件の事ばかり考えすぎていたかもしれない。春の風や川の音、鳥の鳴き声などを感じながら、しばし心を落ち着かせた。やっぱ石子や礼央は特別変な大人だろう。そう思うと、さっきまで感じていた心の不快感も癒されていくようだったが、それも一瞬だった。
「え、この絵何……?」
「僕と先生の絵だよ」
圭吾が描いた絵は、限りなく闇深かった。小さなウサギが、大人に食べられかけている絵だった。大人はどこかで見たことある顔だった。銃価の教祖の顔にそっくりだった。やっぱり礼央の陰謀論は正しかったらしい。教祖が子供に性的な虐待をし、その見返りにお金や仕事を得るというのは、間違っていないようだった。
吐きそうになるが、これも事件の手がかりだ。現実から目を逸らしても、いいことはなさそうだった。
「この後に、劇団で僕が主役に選ばれたんだ。みんな秀太が主役がいいっていうからさ、むかついて秀太をいじめてやった」
「い、いじめはダメだよ。どんな理由があっても」
「そう?」
圭吾は、邪悪な笑みを見せた。圭吾は秀太をいじめていたのも完全に大人が原因を作っていると思う。理世はさらに具合が悪くなってくるが、ここで逃げてしまうのは違う気がした。
「ダメだよ、いじめななんて」
「そうかなー?」
「この絵の事は、パパやママに言った?」
ゆっくりと圭吾は首を振った。
「信じてくれない。ママもパパも主役になってよかったねって言うだけ」
「そ、そっか……」
「正直、ママが誰かに殴られたのも仕方ないよね。でも僕じゃないよ。僕はずっと美素町のおばあちゃん家にいたし」
「君の体力では、大人を殴るのは無理でしょう」
「だよね。僕はホームレスだと思うなぁ」
圭吾がそう言った瞬間だった。川辺にいかにも汚らしい格好をしたホームレスの姿が見えた。百合名から聞いた証言や理世が描いた似顔絵とも一途している。
「ちょ、お姉ちゃん! どこ行くの?」
理世は、圭吾が止めるのを無視してホームレスを追っていた。理世が追うと、ホームレスも走った。
相手は大人の男性なので、追いつけそうに無いが、このまま放っておく事はできなかった。
川辺を抜けて、あの森の方のホームレスが逃げていく。息が上がり、走るのもしんどくなってくるが、ここで逃げるのは何か隠している証拠に見えた。
無茶で走っていると銃価の会館の前まで走ってきてしまった。なぜか圭吾も理世の後を追ってきた。
「ちょっと、何で追ってるの?」
「お姉ちゃんが走ってるからじゃん。っていうか、あのホームレス怪しいよ!」
叫ぶように圭吾が言った瞬間だった。石につまづいて圭吾は転んでしまった。
「大丈夫?」
理世は立ち止まり、圭吾を抱え起こした。圭吾の膝は少し血が滲んでいた。幸い、かすり傷程度だったが、痛そうだった。
理世は、圭吾に視線を合わせて少ししゃがんだ。
「おい、クソガキ。大丈夫かよ」
そこにホームレスがやってきた。ウェットティッシュで圭吾の膝を拭いていた。ボロボロのコート、ジーンズ。髭だらけの黒くて汚れた顔だったが、似顔絵で描写した通りのイケメンだった。目の大きさや鼻の高さは、不潔感極まりない格好でも隠せていなかった。それに声も低く、よく響いていた。
「う、大丈夫だよ」
圭吾は平然と言っていたので、理世はホッと胸を撫で下ろした。
「ところで、お前たち。何で俺を追ってたんだ?」
ホームレスは、特に理世を睨みつけた。理世は熊に狙われたリスのように震え上がってしまったが、こんな時石子だったらどうするか考えた。石子はあまりお手本にしたい大人ではないが、こういう時は平然として対処していそうだ。
「わ、私は教会の関係者です。ホームレスがいるのは、社会福祉をやってる教会で気になるんです」
口から出まかせだった。確か牧師が何かの雑談で、生活困難者の為にフリーマーケットやボランティアをやっていた事を思い出し、そんな事を言っていた。我ながらよくこんな嘘がスラスラ言えると思ってしまう。
「教会か? ああ、あの教会ね」
ホームレスは最初は怪しんでいたが、教会と聞くと、少し表情を緩ませた。
「このカルト教会よりはマシだわな」
「だよね!」
なぜかホームレスと圭吾は意見を一致させて頷いていた。
銃価の会館の前には、掲示板があり、以前と同じくように広報も出ていた。広報は新しく変わったようで坂下の顔写真が載っていた。今月の献金や勧誘数で表彰されたらしい。
「あなた、名前はなんていうの?」
理世は思い切って訪ねてみた。心臓はドキドキしていたが、これはさっきまで走ったせいかもしれない。
「そっちこそ、どうなんだ? 自分から名乗れよ」
鋭い目で睨まれて、理世は再びリスのように震えてしまうが、ぐっと拳を握り、正常心を保つ。ホームレスとはいえ、自分よりはるかに背が高く、 体格がいい彼に怖気付いてしまう。視線も鋭く、ホームレスというよりは野生のオオカミみたく見えた。
「私は雲井理世です」
「僕は、森口圭吾だよ。おじさん、家どこにまるのさ? ホームレスなんてやってて楽しいの?」
圭吾は空気を読めない発言をしていて、ホームレスの視線をさらに鋭くなる。ただ、圭吾の名前を聞いた後、瞬きの速度が少しゆっくりになったのを見逃さなかった。やっぱり何かホームレスは知っていそうに思えた。
「そうか。俺は、砂原玲だ」
「え、スナ? スナフキン?」
「雲井は何言ってるんだ。砂原だよ。砂原玲」
ホームレスは、呆れたように自分の名前を繰り返した。
その表情は、さっきよりもいくらか柔らかくなり、少し優しそうにも見えてしまった。
銃価に会館の目の前にいるというのに、なぜか理世はホッとした気分になってきた。
この瞬間だったら、ホームレスの砂原に直接聞いても良い気がした。
「森口さんの事件について何か知ってませんか? この子のお母さんが、何者かに殴られてしまったんですよ」
「うん、僕のママが殴られたんだよ。警察も動いているけど、今のところ犯人はわかってない。おじさん、何か見てないの?」
砂原は、グッと下唇を噛んでいた。視線は、銃価の掲示板に向けられていたし、何か知っていそうな気がした。
そう言えばあの掲示板に飾られた広報には、森口の写真が写っているものもあった。何か、事件と関係があるのだろうか。
「お前、銃価に教祖に何かされたか?」
圭吾は、砂原に問われて身体が固まっていた。その理由は理世も察せられた。
「そ、それは」
圭吾もリスのように震えていたが、砂原は舌打ちすると、再び走って逃げた。
「ちょっと、待ってよ!」
「おじさん、待って!」
理世と圭吾は、二人で追いかけたが、相手はかなり足が早く、全く追いつけなかった。
森の中は警察の立ち入り禁止テープが貼られていたが、砂原は無視してそこに入って行ってしまった。さすがに理世も圭吾もその中に入る事は出来なかった。
「やっぱり、あのおじさんは何か知ってるよ」
「怪しいよね……」
結局、理世と圭吾は森から村に戻り、川辺で別れた。圭吾はこれから美素町の祖母の家に行くという。
犯人は香村刑事か華名は関わっていると思っていたが、違うかもしれない。
もしかしたら、ホームレスの砂原が犯人である可能性も高いかも知れない。
睨んだ顔はオオカミみたかったし、もしあの男が犯人だとしたら、リスはすぐに丸呑みにされてしまうだろう。
改めて単独行動は危ないと思った。こんな行動はもうしない方が良いだろう。
理世は足早に石子の家に帰った。砂原を追う為に走ったから、お腹も減ってきた。お腹は情け無い音を立てていた。




