プロローグ
一寸先は闇という言葉があるが、理世の今の状況はそうとしか言えなかった。
「理世ってウザくね? っていうか、いつもオドオドしていて本当にウザいよな」
クラスのリーダー格であるクラメイトの一言から、いじめが始まってしまった。
しかも地味で見えにくいいじめだった。わざとプリント配られなかったり、連絡事項を無視されたりした。陰口も言われたが、これといって大きな証拠のないいじめで、理世の心はたった一年ですり減り、砂になってしまった。
最初が、近所でも有名なお嬢様高校に入学できて嬉しかった。その為に中学一年から受験勉強も頑張っていたわけだが、入学してわずか一カ月でいじめが始まってしまった。高校生活に希望を持っていた理世だが、そんなものは全く無かったようだった。
教師や親にも言ったが、誰一人まともに取り合ってくれない。証拠が無いので考えすぎとか、自己肯定感を持てとか、筋トレしろとか言われた。おかげでこの類いの自己啓発は大嫌いになってしまい、SNSで筋肉自慢をしている人を見るだけで身体がこわばるようになってしまった。
それだけではなく、だんだんと日常生活にも支障が起き始めた。
朝起きられないし、学校で言葉を話せなくなってしまった。毎日死ぬ思いで学校に行っていたが、「頑張れ、怠けるな!」と自己啓発を押し付けられ、すっかり病んでしまった。理世の母は、元看護師だったという事もあり、メンタルクリニックに連れて行かれた。家族とは話せるが、特定の場所で話せなくなる緘黙症というものを患っているようで、ストレスのない環境で、ゆっくり休みましょうと言われた。医者は話を一応聞いてくれたので、いじめは認め、幻覚や妄想の症状は無いという診断はついたが。
ストレスのない環境ってどこ?
理世はさっぱりわからない。
強いていえば、アニメ「楽しいムーミン一家」の中で描かれるムーミン谷だろうか。学校も休みがちになっていた理世は、家にあるアニメDVDをよく見ていた。特にいじめられて姿の見えなくなった少女・ニンニの話が印象的で、自分とも被り何度も再生していた。
アニメの中の長閑なムーミン谷を見ながら、そういえば祖母が住んでいる麹衣村も田舎で自然豊な場所だった事を思い出した。
葬式でしか会わない人物だったが。確か祖父の葬式の時でも妙に明るい変なおばあちゃんだった。日本人では珍しいクリスチャンで、教会での葬式は讃美歌が流れていて、妙に明るくポジティブな場所だった。痩せ我慢だったかもしれないが、そんな時でも明るかった祖母を思い出すと、会いたくなってしまった。
それにストレスが無い環境って、あの麹衣村ではピッタリではないか。山や畑だらけだったが、空気も良く、綺麗な川が流れていた。ムーミン谷とは言えなが、今の都心にある家にいるよりマシそうだった。
「お母さん、おばあちゃんのところでしばらく過ごしていい?」
その願いはあっけなく受け入れられた。理世の母は病名がついた登校拒否気味の扱いに困っていたし、祖母の家が大きく部屋も余っているという。
トントン拍子に話がすすみ、高校に休学も決定。この春から祖母の家でしばらく過ごす事になった。
さっそく祖母から手紙が届いていた。
理世へ
うちに来てくれるんですか?嬉しいわ。
おばあちゃんは、タバコ吸うけどちょっとそこは我慢してね。なるべく禁煙したいんだけど、タバコ大好きなのよね。
あと、日曜日は教会でゴスペル歌ってるからね。理世ちゃんも興味あったら、来てねって牧師さんが言ってたわ。佐藤恵理也っていうちょっと変わった牧師さんなのよ。牧師さんのところの環奈ちゃん、縞田医院とこの百合名ちゃんと仲良く出来るといいね。
それから私の事は、おばあちゃんって呼ぶの禁止! グランマって呼んで☆
私がまだボケても老けてもいませんからね。じゃあ、麹衣村で待ってるわ!
若々しくて元気なグランマ・石子より
そんな手紙と麹衣村の手書きの地図が入っていた。祖母、石子の家の周りは案外住宅や教会もあり、何もない田舎というほどでも無いようだった。もちろん、大手チェーンのスーパーやコンビニ、スタバや漫画喫茶などは無いようだが。
便箋はほんのりタバコの匂いがした。そう言えば、石子はタバコをプカプカ吸っていた事を思い出す。タバコ、教会、グランマ……。何やら不吉な単語が並んでいたが、今の家にいるより良いかもしれない。
果たして麹衣村は、理世にとってのムーミン谷になるだろうか?
未来の事は、何一つわからなかった。