少女との契約
「――はぁ、はぁ」
体の痛みは、いつもより抑えめだった気がした。それでも滅茶苦茶痛かったし、男の俺が大泣きするほどには激痛だった。定期的にこんな痛みに苛まれる俺は、とても不幸な人間だと思う。
(ったく……本当にツイてねぇ。「機人」が居た以上ここにはいられない、今すぐにでも離れねぇと……)
「かなり痛そうだったけど、もう起き上がれるのかい?」
――声。反射的に左腕を向ける。だがそこにいたのは追手の「機人」ではなく、女の子だった。黒い短髪に綺麗な碧眼。煤まみれでよく見えないが、何となく綺麗な顔立ち。服装はボロボロの雑巾という印象だ……。と、座りながら見ていると、その子の方から俺に近づいて来た。
「へぇ、君が噂の英雄の息子君か。なるほど噂通り赤い髪、青い瞳……そしてこの義手は、『機人』共の唯一神エルメスの物って訳だね?」
「噂……? 君は俺の事を知っているのか?」
英雄の息子という単語も気になった。確かに、俺の父親は「機人」の神エルメスを破壊し、その左腕を両断した……俺はそれを全部見ていた。エルメスが倒される瞬間も、斬り飛ばされた義手が俺の左腕に喰いついてきたことも……。父さんが最後、笑って俺を送り出したことも。
「……」
立ち上がり、俺はその場を立ち去ろうとした。ここに居てはこの子が危ない……そう、思ったのだが。
「私はレイン。英雄君、君の事もっと教えてよ」
ついて来た。興味本位だろうか? だとしたら納得がいく……いいや、追い払わねば。
「教えない、どうせ広めるんだろ? 情報提供だけで金貨一枚はするからな。それより、俺に着いてこないほうがいいぞ」
「今は金貨三枚、だね。でも安心するといい、相棒。私はお前を売らない……っていうか、お前みたいな面白い奴、独り占めしたいに決まってるじゃないか」
あ、相棒? やけに馴れ馴れしい人だ……。そう思っていたら、隣から俺の目の前に立ちふさがった。これは引き剥がすのに苦労しそうだ、明らかに気が強そうだった。
「そこで、取引といこうじゃないか。君の目的には大体予想がつく……機神エルメス、彼をぶっ壊してやりたいんだろう? ――君のおとうさんが、やったように」
「父さんを知っているのか!?」
「いや、君たち親子は私たち人間にとって憧れの的だよ? 侵略者である機人の親玉を生身で打ち倒し、滅びかけていた人類に希望を与えてくれた希望の人……絵本にもなってるけど、知らなかった?」
やけに冷めた様子の少女。舞い上がっている自分を客観視した俺は、少女の肩から手を離した。少女は肩の煤を払った。
「さて話に戻ろうか。こんなんでも私は対機人のスペシャリストとして生計を立てている……機人の内部構造を知り尽くし、人間でも機人を倒せる方法を教えたり考えたりしている。君、その様子だと機人に勝てるのだろう? 是非とも私を連れて行ってほしい」
「君みたいな子供が何を言っているんだ。機人は容赦なく殺しにかかってくる、駄目に決まって……」
言いかけた瞬間、少女は俺の衣服に手を突っ込み、ある部分を触った……黒痣だ。
「こんな見た目でも二十三だ。それに……礼はするさ。君の寿命をほんの少しだけ伸ばしてあげよう。老化を止めることは出来やしないが、エルメスを壊すまでの延命ぐらいならしてやれる」
「――」
俺は、警戒すると同時に困惑した。それを愉しむかのように少女は笑い、話を続けた。
「私の推測だと……君はもう一週間、悪ければ明日にでも体全体が黒くなる。そうなれば、激痛に耐えられなくなった君の体は滅茶苦茶になるだろうね」
「……何処でその情報を」
「情報通なんだよ、まぁ苦労したけどね。さぁどうする? 君自身も分かっているだろう? ――時間が足りない。エルメスの元に辿り着くまでに、君は間違いなく絶命する」
俺は藁にすがろうとしている。分かっている……俺を救う方法なんてない、俺を蝕んでいるのは神……エルメスの力だ。奴の力は誰にも解けなかった、こんな少女一人が、どうにかできる事ではない。
「初めに言っておくが、命の保証はできないぞ」
「……契約成立だ」
本当に、これでよかったのだろうか。いいやいいはずがない……本人の同意があるとはいえ、無関係の少女を巻き込んでしまった。父さんが見れば呆れて倒れてしまう事だろう。
「ところで、君の名前は?」
「……カルナ」
「ほほぅ、インドの英雄の名前……しかも神殺しの英雄と来た。君にぴったりだな。さてまずは安全な場所に行こう。君に死んでもらっては困るからね、すぐにでも延命措置を取らせてもらうよ」
「具体的には何をするんだ? きっとこの腕と関係があるんだろうが……」
「それは到着してから説明する。ついてきてくれ……ああ、まずはここから降りなきゃね。」
溜息をつき、自分の中で自分なりの理由を付けて納得させる。
「人気の少ない場所に行こう」
そう言った俺の言葉に頷いて、少女……いや、レインは俺の前を歩き始めた。