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02 えちおぴあ大福




 視線がパチッと合って「しまった」と思った時には、もう遅かった。


「これは、伊藤(いとう)案件だな」


 織田(おだ)課長が、まるで獲物を見つけたかのようにニヤリとした笑みを浮かべると、私のデスクにいかにもズッシリと重たそうな資料の束を置いた。


「ひょっとして、また論文冊子のお仕事ですか……?」


 前回担当した苦労の数々を思い出して、思わずゲンナリとした目で資料の山を見やると、大きなため息をついてしまった。


 でも、すぐに「これしきのことで弱音を吐いちゃ、いけない」と気を取り直す。

 なんてったってこの会社には、就職活動で惨敗続きだった私なんかを拾ってくれて、ここまで育ててくれた感謝と恩返しの気持ちがある。


 だから、さっきまで無言で“ジブンノトコロニハナルベクコナイデ〜”オーラを放ち、無事に生け贄が決まって安堵の表情を浮かべていた他のスタッフたちに、つい恨めしい視線で念を送ったとしても、和気あいあいとした愛すべき職場に変わりはない。


「前回、初めて伊藤に制作担当を任せてみたが、その仕事ぶりを先方の担当チームの一人が高く評価してくれてな、今回もぜひ伊藤にとの指名依頼を受けた」


 織田課長の言葉に、ほんのちょっとだけポンッと気持ちが上がったような気がした。


「本当ですか?」


 それならそうと早く言って欲しかった。


 正直、今の仕事は、自分のやりたかったこととは違う……。

 だけど、就活をしていた頃の私には実力も生活の余裕もなく、とにかく雇ってくれるところを必死に探す他なかった。

 それでも、何年か続けてきてその働きを認めてもらえるのは、素直に嬉しい。


「そういえば、最初の顔合わせの時は、その彼だけ都合がつかず伊藤とはまだ面識がなかったな。またそのうち機会もくると思うが、今日はその彼から差し入れの品までいただいてきたから、感謝の気持ちで仕事に励めよ」


 主に先方との打ち合わせを担当している織田課長がそう言うと、目の前に紙袋を差し出してきた。


「え〜♪ 何、何?」


 すると、先ほどまで我関せずといった様子のスタッフたちも、差し入れ目当てにわらわらと寄ってきた。


「えちおぴあ大福?」


 包み紙を開けて、聞き慣れないが妙にインパクトのある商品名に皆が面白がっている中、私だけはそれに困惑していた。


「これ、私の地元にある御菓子屋さんの……。確か、店主がインディー・ジョーンズの映画が大好きとかで……」


「へぇ、面白いですね! あ、じゃあ、もしかして朱里さんと同郷の方なんでしょうかね?」


「っ……!」


 同僚の何気ない一言に、思わず動揺してしまった。

 これは地元でも、地域をピンポイントでついてくるようなローカル過ぎる商品なのだ。


 ――もし、知り合いとかだったら……。


 嫌な予感に、咄嗟に唇を噛みしめる。


「ほら、ひとり一個とったら、仕事に戻った、戻った。今日は定時に帰るぞ」


 織田課長のひと声がかかったおかげで、我に返り小さくホッした。


 そして、複雑な思いはあれど、私も個包装されたそれをちゃっかりひとつ手に取った。大福に罪はない……。何気に好物のひとつでもあるし。


 そんな私に、


「伊藤には、安心して重要な仕事を任せられる。頼んだぞ」


 織田課長からの不意打ちに、悔しいけれどやる気スイッチが押された。


 彼が率いる制作3課に配属されて早2年、何かと大変そうな案件が入ってきた時は、たいてい私のところに回ってくるような気がしてならない。

 けれど、織田課長にはこういうどこか人を動かす力みたいなものがあって、若くして今のポジションに抜擢されると、その交渉術で着実に実績と信頼を積み上げている。


「はい。わかりました」


 任された以上は精一杯取り組もうと、さっそく目の前の資料に手を伸ばした。



◇◆◇



「ただいま〜。あー、今日もくたびれたっと……」


 独り暮らしも10年経つと、ひとり言も増えていく。


 お腹もぺこぺこだけど、いったん腰を下ろすと何もしたくなくなるので、コンビニのお弁当が入った袋をテーブルに置くと、着ていた服をそこら辺に脱ぎ散らかし、だらしない格好のまま部屋の中をウロウロしながら必要なモノを手に取ると、そのまま浴室へ直行した。


 多少さっぱりした気分でお風呂から上がると、お弁当をチンしている間に超絶手抜きスキンケアをパパッと済ませ、お行儀悪くスマホのチェックをしながら脂っこいおかずをモソモソ食べていると……。


 ――うげげっ……。


 母からの年末年始の帰省を促すメールに、思わず心の中で奇声を上げてしまった。

 就職してから何かと理由をでっち上げては、のらりくらりと避けてきた。

 ただ、仲が悪いとかではなく、かわりに両親が度々こっちへ泊まりがけで遊びに来てくれるから、定期的に顔は合わせている。

 一応、両親はそのことに理解を示してくれているので助かっているけれど、やっぱり心のどこかに申し訳ない気持ちもある……。


 モヤモヤとした気持ちを振り払うようにお弁当をかき込むと、そうそうに歯磨きを済ませ、ベッドに倒れ込む。

 こういう時はとっとと寝るに限ると、寝返りを打ったところで、ふと机の脇に追いやられていたノートパソコンが目に入った……。


 咄嗟に、視界を遮るために布団の中に潜り込んだ。


 ここ半年は、ずっとこんな調子だ……。

 以前は、どんなに残業で遅くなっても、夜な夜な画面とにらめっこしていた時期もあった。

 だけど、それも、もう意地だけでずるずる続けてきたようなものだったのかもれしれない。


 ――あんな事さえなければ、今とは何か違っていたのかな……。


 すでに起こってしまった事は変えられないとわかっていても、何度も何度もその時のことを思い返しては「たられば」を考えてしまう自分にうんざりする。


 どんな事があっても、頑張れると思っていた。

 だけど現実は、だんだんとやらない言い訳が増えていき、日常生活との折り合いをつけていくうちに、今ではもう、あの頃のキラキラとした想いは、すっかり空っぽになってしまったような気がしていた。

 でも、ちゃんと働いて生活は出来ているんだから、もうそれでいいんじゃないかと思ってしまう時もある。


「いい加減、吹っ切らないと……」


 ぽつんとつぶやいたあと、ふと、思い出してカバンをたぐり寄せると、中身を探って取り出したのは『えちおぴあ大福』。


「これも、何かの思し召し……かな」


 歯磨きを済ませたあとだけど「もういいや」と包みを開け、やや小ぶりなそれを口の中へ放り込むと、枕元のスマホを手にしてなかば諦めの境地で帰省をする返信をしたのだった。





少しでも、楽しんでもらえたら嬉しいです。


今日は夜にも更新する予定なので、よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  仕事は、できる人に来るとはよく言ったものです。朱里さんはできる人なんですね。織田課長も良い上司みたいで、忙しいのを除けば、職場環境は悪くはなさそうですね。  えちおぴあ大福のネーミングセ…
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