01 初めての彼氏
――傷つけたのは、私の方だった……。
「私、東京の大学に行くことにした」
ただのひと言も、相談することなく決めた進路。
「朱里さん、東大にでも行くんですか?」
けれど、目の前の彼はそんな唐突な事後報告にも、大して動じた様子も見せず、いつもと変わらない涼しげな表情で軽口を叩いた。
――吉沢 悠希くん。
私の初めての彼氏は、2学年下の男の子だった。
当時は、1学年違うだけでもずいぶん先輩と後輩の壁を感じたりもした。
けれど彼は敬語こそ使うものの、出会った時からあまりその差を感じさせない雰囲気を持っていて、自然と私の心にもスルンと入り込んできたような気がする。
「まさか。私の成績じゃ、逆立ちしたって無理なことくらい分かってるくせに……」
緊張していた私も、そんな悠希くんの態度にほんの少し肩の力を抜くことができた。
だから、ちょっとだけ彼の調子に合わせるように、わざとらしくスネたような表情をみせると、そんな私の仕草に悠希くんもいつものようにクスリ、と小さく笑ってくれた。
けれど、次の瞬間……。
「それで?」
表情を一変させた悠希くんの、痛いくらい真剣な眼差しが私の胸を貫いた。
「っ……」
心臓がドクリ、と大きな音を立てた。
私が相談もせずに答えを決めてしまったことがもうひとつあるということを、きっと聡い彼のことだから、すでに察しているんだろう。
罪悪感で、胸がジクジクと痛む……。
だけど、私の心はすでに決まっていて、たとえ彼からどんな言葉を投げかけられたとしても、きっと考えが変わることはなかったと思う。
私は胸の痛みを抑え込むように、緊張で冷たくなった指先をぎゅっと握りしめると、覚悟を決めて彼の瞳をまっすぐ見つめ返した。
「ここで、別れよう」
震えそうになる声を、振り絞る。
「悠希くんのこと、すごく大切に思ってるよ……。でも、だからこそ、遠距離で色んな我慢や無理をさせて、不安や辛い思いをいっぱいさせてしまうくらいなら、お互いのためにも今ここで終わらせた方が良いと思ったの……!」
この小さな田舎町から、汽車と新幹線を乗り継いで片道8時間。
いくら連絡ツールがあふれていても、大学生と高校生ではふとしたすれ違いで、簡単に途切れてしまいそうな距離に思えた。
「二人のことなのに、朱里さんはひとりで答えを決めたんですね……」
ポツリとこぼした悠希くんの言葉に、胸がズキン、と痛んだ。
彼を想う気持ちに、うそいつわりはなかった。
だけど、心のどこかで……。
――犠牲が、必要だと思った。
あの頃の私は、夢を叶えるためにはそれひとつのことに真剣に向き合わないと、何ひとつ掴めないんじゃないかって、どこか頑なにそう信じ込んでいた。
結局、私は彼のためと言いながら、遠距離を言い訳にして自分の夢のために悠希くんを傷つけてしまう罪悪感を、無意識に誤魔化そうとしていただけなのかもしれない。
放課後の空き教室で、一方的に投げつけた『さよなら』。
非難は覚悟の上だった……。それなのに彼は口元をかたく結んだまま、身勝手な私を責めるような言葉を最後まで口にすることなく、ただ黙って別れを受け入れてくれたのだった。
今でも胸の奥に、あの時の傷ついた悠希くんの顔がヒリヒリとした痛みとともに強く焼き付いている。
だからこそ、この先どんなに辛いことがあったとしても、絶対に乗り越えようって、そう心に固く誓った。
はずなのに……。
あれから10年の歳月が流れた。
28歳になった私は、挫折感にさいなまれたまま、すっかり社会の片隅で生活に追われる日々を過ごしていた。
私はあの頃思い描いていた夢を、今もまだ強く握りしめていると言えるのだろうか……。
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