第6話 魔物研究所
「働くって言われてもな……。人を雇う余裕なんてないし」
リーネの宣言に意表を突かれたのも束の間、アルマは極めて現実的な言葉を口にする。
実際、リンシア牧場は、牧場とは名ばかりの、モンスター繁殖施設である。そんな施設が、この国の経済の営みに組み込まれることなど、断じてありえないのだ。
それゆえ、従業員に足して支払われる賃金を工面する方策が、まずもって存在しない。
”ここ”は、あくまでアルマの個人的な野望ひとつを拠り所に稼働されている。その事実を今更ながら、アルマは胸に刻んでいた。
「そんなことは、後から考えればいいことだよ! 最初はタダ働きでもいいから。ねっ!」
「簡単に言ってくれるね……」
考えなければならないのは、何も賃金の話だけではない。一体、彼女はここで働くと言って、今後どのような生活を送ると言うのだろうか。住み込みなのか、出稼ぎなのか。それひとつとっても、この話は、そう簡単にまとまるとは思えない。
しかし、そう言った課題を差し置いて、彼はもっとも気になっていたことを、目の前の少女に尋ねた。
「……なんで、ここで働きたいんだ?」
「アルマひとりじゃ、頼りなさそうだから」
「…………」
リーネがきっぱりと言い切った。およそ真剣に言っているようにも思えず、アルマはじっと少女の瞳を見つめた。
アルマの視線の圧力に耐えきれず、リーネは茶化した表情を正す。
「……アルマは、わたしのこと、”ヒト”だって言ってくれたけど……。それでもわたしは、この世界の多くの人たちにとって、れっきとした魔物なんだよ」
リーネが静かに語る。その言葉のひとつひとつには、彼女がこれまで経験してきた痛みや孤独を思い浮かばせる悲壮がにじんでいた。
彼女は言葉を繋ぐ。
「アルマのやり方は、正直納得できないけど……。それでも、まちがった世界のあり方を変えようって思いは——それを実際に行動に移してるアルマは、すごいよ……」
「そうだろうか……。僕は、僕のやりたいことをやろうとしているだけだ。そんな崇高なものでもないさ」
アルマは、偽らざる思いを口にする。
彼を脅かす不安——己の野望は、人類にとって間違った方向へ導くものではないのか。そういった不安が拭われることがない以上、彼は孤独に戦い続けていく他ないと思っていた。
「アルマはそれでいいよ——だからこそ、アルマは、わたしを救ってくれたんだもん。……だから、わたしもアルマの手助けがしたい。ただ、それだけ……」
その言葉は、不思議とアルマの心の奥底に響いた。
それは多分、大迷宮に足を踏み入れてからの日々で、はじめて、己の野望を真っ向から受け止め、肯定してくれたからかもしれない。
はじめてリーネを見たとき、確かにアルマは、彼女に対して感じるものがあった。類まれな、魔力のコントロール。自暴自棄の状況にあって、他者を傷付けまいとする心。
そして気づけば、彼女をリンシア牧場に導いていた。
アルマは、リーネの瞳を見る。
そこには、少女の確固とした意志が見てとれた。
「そこまで言ってくれるなら、僕は拒まないよ。手伝ってくれるかい、リーネ」
「うんっ!」
少女は満面の笑みで頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇
日はあらかた沈み、リンシア牧場に闇が覆われ始めていた。
草原の風に肌寒さを感じ、何はともあれアルマは、リーネを家に迎えることにした。
石造りの家に近づくと、リーネが感嘆の声を漏らす。
「うわぁ……。近くで見ると、すごく大きな家だね」
アルマは改めて、薄暮れに沈む我が家を眺める。
確かに、一人で住むには大きな家だった。
アルマは、建築当時の記憶を蘇らせ、わずかに頬をゆるめた。
「ほんとはもっと小さくてもよかったんだけど、エリアスたちが張り切りすぎたんだ」
「あっ! 一人で造ったって、そういうことだったんだ……」
「間違ってはいないだろ?」
そう言ってアルマは、一時はスライムの水田に帰っていったものの、再びふたりの後を付いてきたエリアスに視線を送る。
エリアスは、リーネの反応を見てどこか誇らしそうに飛び跳ねた。
実際、目の前の家屋は、ほとんどエリアスら、スライムの手によるものだといってもよかった。
リンシア牧場のスライムは、野生のスライムに比べて、力のステータスが高く、体内に重い石材を取り込んだ上で、自由に動き回ることができる。
エリアスはと言えば、自身の水質を強力な接着液に変えて、この家の安定性と頑丈さを確かなものにした。
アルマ自身は、彼らに的確な指示を送ったにすぎない。
何とも便利な存在なのだ。
一通り、建築の経緯を語り終えたのち、アルマは家の木戸に手を掛けた。扉が、軋みを上げて、外側に開く。
リーネとエリアスを部屋に迎え入れ、彼は扉を閉める。
当たり前だが、家の中は闇に呑まれていた。
玄関脇の壁に据え付けられた魔力灯に、アルマは微量の魔力を注いだ。
魔力灯がゆっくりと暖かな火を灯し始める。
そして、一つの魔力灯に呼応するように、家中の魔力灯が点火していく。
大元となる玄関の魔力灯から、微量の魔力波が飛び、家の中を瞬時に明るくする、地上の必需品の一つだ。
「ふわぁ〜……」
リーネの口から、とろけた吐息が漏れた。
「これが、人間のお家なんだね。……すごい本の数……」
玄関を入って最初の部屋が、大広間になっていて、この家の大部分を占めていた。そして広間の空間を満たすのは、数えきれないほどの書棚だった。
故に、この家に入った途端、強烈な紙の匂いが二人の鼻を刺す。
「これほど本にあふれた家っていうのも、なかなかないと思うけどね……」
アルマの声を聞きつつも、少女は一つの書棚の前に立って、並ぶ本の背表紙を確認していた。
するとまもなく、アルマが予期していた反応が返ってきた。
「すごい……。これ全部、魔物の本だよ……」
そう。ここは、アルマにとっての魔物の研究所でもある。古今東西の魔物に関する本のみならず、彼自身が調査し記した研究ノートを数多く収められている。
魔物の研究など、地上でならば白い目で見られかねないが、ダンジョンの中でなら心置きなく没頭できる。その意味でも、彼はここに、多少の苦労を負ってでも、自分の家を造りたかったのだ。
「アルマは勉強熱心だったんだね……」
リーネはその後も、飽きるまで本棚の前を行ったり来たりしては、不思議なものを見るような眼差しで、本の背表紙とにらめっこしていた。
それから数刻も経たないとき、広間を探索していたリーネは、突然、期待と恥じらいのこもった視線をアルマに向けてきた。
「どうした? そんな変な顔して」
「へ、変な顔っ!?」
アルマの言葉に、リーネは顔を赤く染める。
「いえ、あの、何と言いますか……日も暮れて、良いおじかん……」『ぐーーーーーーーー』
リーネがそこまで口にしたとき、部屋の中に、くぐもった鈍い音が響き渡った。
——リーネのお腹から。
「…………」
二人と一匹の間に、沈黙が降りた。
そして、ダークエルフの少女の、淡く褐色した肌が、今度こそ真っ赤に染め上がった。
「……アルマ」
「何だい?」
「ご飯」
リーネが潤んだ瞳で、アルマを睨み付ける。急に強気になられても、困るのだが。
そんな訳で、二人は夕食の準備にとりかかった。
とは言え、少女の方はすでに空腹で倒れそうな有様で、アルマが一人で調理する。台所の勝手も知らないだろうし、その辺りは、後日改めて教えていこうと決めるアルマだった。
◇ ◇ ◇ ◇
台所とダイニングスペースは、大広間の奥に位置していた。
二人は、テーブルに向かい合って、黙々と料理を口に運んでいた。
大したものは用意できなかったけれど、リーネは神の施しを受け取るように、幸せな表情とともに、食事を堪能している。
そんな少女を眺めながらも、アルマは、言わねばならないことを、ここで言おうと決心していた。
「リーネ。君に伝えたいことがある」
「ど、どうしたの?」
突然改まった口調のアルマに、動揺を見せるリーネ。
そんなリーネに向かって、アルマは実直に伝えた。
「僕は君をここに迎え入れると言った。……だけど、僕は僕のやり方を変える意志はないよ」
「…………」
リーネは、アルマの言葉へと、一身に耳を傾けていた。
「明日からも、変わらず僕は、最強の魔物を生み出すために、リンシア牧場を豊かにしていくつもりだ。……もちろん、君にも、その手助けをしたもらいたい」
リーネが、神妙な面持ちでアルマの言葉を咀嚼していた。しかし、そんな表情も束の間、少女はひとつため息を付いて答えた。
「もう、真剣な顔して何かと思ったら。……いいよ。どうせ、今のわたしはアルマの足手まといでしかないからね。アルマの言うことに従うよ」
「あ、ああ……」
あっさりと引き下がるリーネに、むしろ当惑を覚えるアルマ。
「だけど、アルマがまた頼りなくなったら、わたしが乗っ取っちゃうかもね、リンシア牧場」
アルマの当惑も束の間、リーネは不適な笑みを、可憐な顔に浮かベる。
唖然とするアルマを見て、リーネは可笑しそうに言った。
「冗談だよ! 明日から、ご指導よろしくお願いします、アルマ」
アルマとリンシア、二人のダンジョン牧場での新たな日常が始まった——。