第4話 スライム変異種
「リンシア、牧場……」
リーネが、目の前の風景と照らし合わせるように呟く。牧場という言葉は、ダンジョン生まれの彼女にとって馴染みはないものの、一応どのような場所なのかは理解していた。
だから、目の前に広がる壮大な自然を前にして、リーネは知識との乖離に戸惑う。
ここには、家畜一匹存在しなかった。
「リンシア牧場は創業したてで、ここから離れた場所でこじんまりとやってるんだ」
リーネの戸惑いを晴らすようにアルマが言った。
そして、思い出したように、少女の右ももに巻かれたエリアスの一部を見やった。
「それで、怪我の方はどうかな?」
「う、うん。エリアスさんのおかげで、すごい楽になったよ」
「エリアスさん、か。随分慕ってるじゃないか。僕のことは、呼び捨てだっていうのに」
「うっ……。で、でも、すごいね、エリアスさん。今日だけでも、すごいところいっぱい見ちゃってるよ……」
何も聞いていないと言わんばかりに、リーネは話を無理やり続ける。
そんな彼女の健気な努力に微笑みながら、彼は言った。
「エリアスは、ここで生まれたんだ。今から、彼の故郷へ案内しよう——」
◇ ◇ ◇ ◇
なだらかな草原の丘を何度か越えると、前方に木々が密集する地帯に到達した。
そして、森林を背にして、草原の広場にぽつんと石造りの家屋が姿を表す。素朴な見た目はどこか、牧歌的な風景に馴染んでいた。
「今は、ここを活動拠点にしている。粗末な家だけどね」
「ううん。すごく素敵……。一人で全部造ったの?」
「一人と言えば一人だね……」
「え……? す、すごい……」
一体どれほどの苦労があったのだろうかと、リーネは不思議に思った。
「ここで待ってて。打撲用の塗り薬を取ってくるよ」
その言葉とともに、彼は自身の家の方へと走り去っていった。
打撲一つでここまで気を遣ってくれるアルマに、リーネは心が温まる思いがした。
まもなく、アルマが、薬を携え小走りでリーネの元に戻ってきた。
「エリアス包帯を外してっと……。うん、だいぶ変色もよくなってる。後はこの薬をつければ、すぐに治るんじゃないかな」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
リーネが感謝とともに微笑むと、アルマもそれに答えるように優しい笑みを返してくれるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
……それにしても、リーネには納得のいかないことがあった。
「あの……、ここって牧場なんだよね? 牧場って確か、たくさん動物を飼ってるって聞いたことがあるけど……」
「動物……? ああ、そうか。まだ言ってなかったっけ……」
そこで彼は、少し困ったような表情になった。
「実際に見たほうが早い。もう直ぐだから付いてきて」
そう言ってアルマが導いたのは、木々が生茂る方角だった。
一歩森の中に足を踏み入れると、じめっとした空気が肌にまとわりついた。奥へ進むにつれ、森の中は薄暗くなる。
二人の足音が、静まりかえった森の中に響く。妙に静かだった。
ソワソワと落ち着きがなかったリーネは、ここにきて声を漏らした。
「ここって、ダンジョンなんだよね……。モンスターとかは、出てこないの?」
「いや、出るよ」
「で、出るの!?」
「当たり前じゃないか、ここはダンジョンなんだから……」
「そ、そうだけど……」
美しい風景に当てられて、ついつい、ここがモンスターの巣窟たるダンジョンであることが信じられなくなる。
「でもまあ、安心しなよ。彼らは、襲ってきたりはしない」
そして彼が見せた光景に、リーネは唖然とした。
森の中に突如、ひらけた空間が現れる。
リーネは最初、それは青々とした湖かと思った。
だけど、そうじゃなかった。
それは、すべてスライムだった。
一体、何匹いるのだろう。少なく見積もっても百はくだらない。
リーネには、全く理解の追いつかない光景だった。
だけど、わかったこともある。
「リンシア牧場は、魔物を飼ってるの……?」
「そうだ。……正確に言えば、飼育し、交配もしている」
「……増やしてるってこと?」
「もちろん」
「…………」
リーネが押し黙る。
ショックを受けたか、とアルマは思った。それもそうだろう。モンスターを繁殖させるなど、ダンジョンの常識では、ありえない。
およそ、他人に明かせる秘密ではないのだ。
リーネがアルマに向き直る。
「どうしてそんなことをしようとしたの!? い、意味がわからないよ!!」
やはり、想像通りの反応をされる。
……と思ったが、やけに少女の頬が紅潮していた。
「——けど、すごいよ! モンスターってそもそも増やせるんだ! てことは、赤ちゃんのモンスターもいるってこと!?」
可憐なダークエルフの少女が、急に饒舌にしゃべり出した。
「いるんじゃないか? —―ほら、あそこにいるちっさいやつ」
「えっ! あ! 本当だー!」
リーネのはしゃぎように、アルマは不安が外れたことを知る。はしゃぎ方が、異様な気もするが。
「それじゃあ、ここが……」
「そう。エリアスはここで生まれ育ったんだ」
その言葉とともに、今まで二人の後ろを付いてきていたエリアスが、二人を追い越して、スライムの群れに向かっていった。
エリアスが群に集まる様子を見つめていたリーネが、「えっ」と声を漏らす。
「色が、違う……」
それは、一目瞭然の違いだった。
今までエリアスだけを見ていたから、違和感すら抱かなかった。
しかし、他の多数のスライムに比べて、エリアスの色味が明らかに異なっていた。
リーネの知るスライムの色と言えば、今、目の前に群をなす大量のスライムのような青味がかった色合い。それに比べて、エリアスは、異様なほど透明で、金剛石のような輝きすら、ほんのりと放っているように見えた。
「エリアスは、この牧場が生み出した傑作なんだ……」
エリアスを見遣りながら告げるアルマ。
「とても長かったし、大変だった……」
彼の瞳には、今までにない悲壮さをたたえているようだった。そのまなざしは、先刻、自身にはテイマーの資格がないと語ったときと同じものだと、リーネは感じた。
◇ ◇ ◇ ◇
「エリアスは、スライムの変異種みたいなものだよ」
そう言いながら、アルマはスライムの群の寸前にまで歩み寄る。
「ほら、近づいて見てみなよ」
彼はしゃがみ込んで、スライムの群の足場を示す。
リーネもそれに倣う。
よく見ると、スライムたちのいる地面は、広大な森の広場の土を掘り起こしたようで、およそ足をつければ脛のあたりまで窪んでいる。
そして、その窪地を埋めるように水が張ってあったのだ。
「東洋の国に、水田という農業技術があるんだ。これは、その風景から着想を得ている。リーネ、ちょっと水に触れてみて」
言われた通り、リーネは恐る恐る指先を、水に浸した。
「すごく冷たい。それに、この感じ……、魔素?」
「正解。やはり僕の見込み通りの感覚だよ」
率直に褒められ、顔を赤くするリーネ。
「霊水。この広場に張っている水は全てそれだよ。ここで育つスライムは、不思議なことに通常の個体よりも、高い濃度の魔素を体内に宿す。霊水以外の水も試したけど、効果はなかった」
「霊水……。わたし、聞いたことあるかも……。何でも、迷宮の下層に行かないと汲めない、魔の水だって……」
「よく知ってるね」
「……大変なんじゃないの? だって、そんな貴重な水を、この中に溜め続けなければならないんでしょう?」
「そうだね。でも向こう数ヶ月の霊水は、家の地下に備蓄しているから問題ないよ」
何でもないという風に、軽く言ってのけるアルマ。
目の前のすべての光景に対して、リーネはモンスターの飼育に対する、彼の狂気的な情熱を感じる。
リーネは問わずにはいられなかった。
「どうしてそこまでするの……?」
アルマは静かに答える。
「もう二度と……仲間を失わないためさ」