創作論
あらゆる創作に共通する困難ではありますが、何も無い所から自力で全てを作り出すのは非常に難しい。思考が半分壊れたような天才のみが成し得る偉業と言っても過言ではありません。凡人が同じ事を成し遂げるのは絶望的と言わざるを得ません。
ならば凡人に創作は不可能かと言えば、そんな事はありません。一般的な創作の方法としては次の2通りがあると私は考えています。
1. 小さな飛躍の積み重ね
2. 予想外の要素の組み合わせ
何も無い所で大きな事は出来ませんが、土台があれば増築や修繕を細かく何度も繰り返せるでしょう。それが前者です。
何も無い所から誰もが驚く物を取り出す事は出来ませんが、部品があれば知らない組合せを試せるでしょう。それが後者です。
これらに共通する思考原理は、連想です。物事に対して、情報を精査し、ごく一部分に注目し、同じ情報を持つ別の物事を思い浮かべます。
ここで重要な鍵になるのが常識です。どの部分に注目するのか、何を思い浮かべるのか。非常に大きな偏りが発生します。この偏りが重要であり、社会の文化を構成する鍵だと考えられます。
創作の現場に限って言えば、連想の偏りは邪魔になります。意図的に排除する必要があり、排除できる環境を用意しなければなりません。具体的には、すべての思い付きを表明する事、表明された思い付きを絶対に否定しない事。どんなに無茶でも、下らなくても、腹立たしくても、馬鹿馬鹿しくても、無条件で「それは面白いな」と言う事。
いずれにしても先行事例を大量に調査する必要があります。調査さえ済めば、後は決まった手順で何かを創れるでしょう。才能はあまり関係ありません。凡人でも創作が出来ます。
極論すれば、こういった手順を踏む事が出来るなら、才能どころか凡庸な人間すら必要ありません。人工知能に真似できない人間独自の能力として創造性が挙がる事が多いようですが、創造など人工知能にとって比較的簡単な仕事だろうと私は予想しています。
そうすると、人工知能が発達した社会では人間など不要になってしまうように感じられるかも知れません。そういった社会における人間の役割については、拙作「日本人は働く必要が無くなりました。」で触れました。蛇足ですが。
今回は中世ヨーロッパの史実の調査から始めました。「異世界小説のネタ」なるエッセイを書いていまして、その過程で多少は中世ヨーロッパ事情を目にしています。しかし高校時代には世界史が赤点だった私です。何が中世でどうヨーロッパなのか、さっぱりわかりません。
久し振りに勉強しました。