闇よ盗むなかれ ~ダンジョンに「あれ」がある理由~
背後には、奴らが迫っていた。
俺は血走った目で、松明の明かりを迷宮の奥へと向けた。
天然の洞窟を利用して造られた回廊が、
ゆらめく光にその禍々しい胎内をさらけ出す。
おっと、裂け目だ!
恐ろしく硬いはずの壁が、考えたくもない何かの力に崩されて、ぽっかりと横穴を開けていた。
俺は這うようにして、その中にもぐりこむ。
奥には、安宿の部屋程度の空間が広がっていた……
けちな盗賊がひとりぼっちでくたばるにゃ、ちょうどいいとこだぜ。
脇腹の傷からは、血膿が噴き出していた。
あのとき……
くそじじいがドジさえ踏まなきゃ、こんな目に会わずにすんだのに。
よりによって、呪文の途中で咳き込むんじゃねえよ。
俺は、死にかけた魔法使いが最後に見せた奇妙な視線……
もうすぐおっ死ぬってのに、澄みきった不思議な目付きを思い出した。
魔物の逆襲をくらったじじいは、 俺の袖を掴むと、かすれた声でこう言いやがった。
『あとを頼んだぞ……』
言う相手が違うぜ、まったく。
いつもいつも俺に説教してたから、カン違いしたのかもな。
俺はしがない盗人だ。頼みごとならあいつに言えってえの。
あいつ……俺たちの頭、いや、頭だった男だな。
俺たちを集めて、魔物の根源に挑んだ勇者どの。
お気の毒に。
魔法使いのじじいが倒れても、まだ助かる機会はあった。
その剣がぽっきり折れなかったら。
どうしてあの筋肉馬鹿は、親父譲りなんだか知らないが、古ぼけた剣を後生大事にしてたんだ?
あいつが片腕を食い千切られたとき、俺は思わず口笛を吹いた。
俺はずっと思ってたぜ。
こいつはきっと俺のことを見下しているな、と思ってたぜ。
宝箱の開け係としか、認めていないんだろう、って……
いい気味だ。
傷ついたあいつを見て、俺は頭の片隅でそう思った。
『逃げろ』
あいつが魔物の前に立ちふさがり、俺に向かって言うまでは。
魔法使いのじじいと同じ、変に澄みきった目で。
おいおい、そんな台詞は恋人に言うもんだぜ。
おまえの恋人の、僧侶の女に……
俺がその日暮らしの盗賊稼業を止めて、
魔物討伐なんぞの馬鹿話に乗ったのは、
あの女…僧侶さまの、あの女がいたからだ。
勇者どのと僧侶さまがデキてるってことに気付いたのは、
もうすでに旅立った後だった。
でもよ、俺は悪党だ。悪党らしく隙を見て、あの女を押し倒した。
その聖衣を引き千切って思いを遂げようとしたそのとき、あの女は……
『あなたを信じます』
そう言って、裸のまま身体の力を抜いて横たわった。
俺はなぜか、それ以上何もできなかった…
『あなたを信じます』
僧侶どのが最後に言ったのも、同じ台詞だった。
澄みきった瞳で俺を見つめながら……
魔除けの光を盗賊にかざす暇があったら、勇者どのの傷を直してやればよかったのに。
そうすりゃ自分も助かったのかも知れなかったのに。
そうさ。
俺は惚れた女を見捨てて逃げた、クズ野郎よ。
松明の明かりが、だんだんと小さくなる。
俺の、残された命のように。
俺は道具袋をあさって、薬草を取り出した。
こんな雑草でも、痛み止めぐらいにはなる。
雑草……
『雑草のように生きなさい』
俺の耳に、ガキのころ聞いた言葉が蘇った。
死にかけた人間が、昔のことを思い出すというのは、本当のことらしいぜ。
『雑草のように生きなさい』
そう言ったのは、俺のおふくろだ。
おふくろは、俺と一緒によく薬草摘みに出かけたもんだ。
薬草は売りものじゃなかった。おふくろが自分で使った。
そう、薬草には色々な種類がある。
ある商売をしている女が、必要になる薬草もある……
女手ひとつで息子をどうやって食わしているのか、
そろそろ気付きかけていた俺は、おふくろにこう言い返した。
『雑草は弱いじゃないか!』
ガキの俺は、薬草摘みに慣れて、少しばかり小賢しくなっていた。
本物の雑草のことを知らない人間は、よくこう言う。
『雑草は、踏まれれば踏まれるほど強くなる』
そんなわけがない。雑草は弱いから雑草だ。
踏まれ過ぎれば、簡単に枯れてしまうんだ。
雑草がそんなふうに強く見えるのは、枯れた後、もともと土の中に潜んでいた種や、風に乗って飛んできた種から、新しい雑草がすぐに生えてくるからなんだ。
雑草は、雑草でしかねえよ。
雑草に生まれたら、雑草で生きるしかねえよ。
おふくろがそうじゃないか。俺だってそうじゃないか……
『……だからこそ、雑草のように生きるのよ』
おふくろは俺にそう答えたっけ……
そうだ……
そのときの、おふくろの目付きは、あの奇妙に澄みきった瞳だった……
俺の顔をのぞきながらも、どこか遠くを見つめる、夢みるような、それでいて、ゆるぎない何かを信じている瞳……
あいつらと同じように……
あれは、なぜ……
神様。
そうか、そうだったんですね。
俺は気付いた。
俺と同じような目に会ったすべての盗賊たちが、かならず気付く答に、俺もようやく気付いた。
たったひとつの、残酷な答。
その答は、迷宮の中に無数に転がっていたのだ。
俺には……
俺にはまだ、やらなければいけないことがある。
ひとりの、雑草のように生きる人間として……
俺は道具袋をあさって、松明の木切れや、針金、皮鎧など、使えそうなものを取り出した。
うまく出来るかどうか分らない。そんなもの一度も作ったことはない。
しかし、きっと出来るような気がした。
日の射さない洞窟の中で、どのくらい時間がたっただろうか。
やがて、それ、は出来上がった。
ありあわせの材料で作ったそれは、おもわず笑ってしまうほど、今まで迷宮の中で見慣れたものとまったく同じだった。
それは、ひとつの宝箱。
まじないのかかった道具袋の布で裏打ちしたから、見かけよりはるかに頑丈だ。
中に入れるものは、もちろん、手持ちの中で最も上等の武具だ。
これは、どこで見つけた宝箱に入っていたんだっけ?
最後に俺は、薬草を入れた。
この薬草を使えば、俺はほんの少し長生きできるだろう。
だけど、それよりもいい使い方がある。あるはずだ。
俺たちと同じ志を持つ、誰かの手に渡るなら……
そいつらはいつか、俺の宝箱を開ける。
そいつらにとってこれが不要の物だったとしても、何かは伝わる。
今の俺が気付いたように。
俺は仕上げに取り掛かった。
魔物の中には、ひどく利口なヤツもいる。
そんな魔物にも開けられないように、慎重にカギとワナを仕掛ける。
ワナがあれば、危険を避ける本能がある魔物は、宝箱に近づかない。
持って行くことはあるだろうが、中身は盗まれない。
そして、俺のような腕のいい盗賊にしか、これは開けられない。
魔物の叫び声が近付いてきた。
間に合ってよかった……
おふくろ。
生きているのか死んでるのか知らねえが、今度会うときゃ、胸を張っていられそうだぜ。
あんたの息子は、とうとう立派な仕事をしたよ。
臆病だから、逃げ足が速いから、最後まで生き残る。
罪を犯したから、盗んだことがあるから、宝箱を作ることができる。
弱いから、何もとりえがないから、ありもしない未来を夢見ることができる。
けちな盗賊だからこそ、あいつらは俺に託した。
俺は短剣を松明で焼くと、脇腹に押し付けた。
いやな匂いと激痛をこらえると、しばらくは動けそうな気がした。
漏らした小便で濡れた服も乾いた。
俺は震える膝で立ち上がる。
さあこい、魔物ども。
おまえらから見りゃ、俺たちゃ確かに雑草さ。
踏みつけられてくたばる、か弱い生き物さ。
それでも、最後に勝つのは……
袖でぬぐった短剣の刀身に、俺の顔が映っていた。
くっきりとあらわれた死相の中、瞳だけが奇妙に澄み切っていた。
おふくろや仲間と同じように……
そこにあるのは、希望と呼ぶにはあまりにも捨て身の、雑草の願い。
……後に続く者を、信じる瞳。
そうさ。
俺はひとりぼっちで死ぬわけじゃねえよ。
読んでいただいて、ありがとうございます。




