17 試食してみよう
ランチのピークも過ぎ、店内の客もまばらになった昼下がり。
キッチンの洗い場で奮闘していた俺は洗い物をシュババッと片付け終わり、一時の平和が訪れる。
「ユウヤさーん、休憩の時間ですよー」
ユナの声が背中越しに届き、俺は安堵の息を漏らす。
同じ姿勢で凝り固まった全身をほぐすように大きく背伸びをした。
「控え室で待ってて下さい。まかないを持って行きますのでー」
「おう……ちなみに今日はどんな料理なんだ?」
「フフフ、それは見てからのお楽しみですよー」
満面の笑みを浮かべて、ユナは調理場に向かっていった。
――まあいいや、空腹は最大の調味料って言うしな。
制帽を脱いで、俺はスタスタと控え室へと向かう。
控え室のドアをがらっと開けると、同じく休憩中なのであろう、壁にもたれて座っているシズハさんが何やら妙に分厚い本を読んでいた。
「……あれ、ユウヤも休憩?」
「ええ、いやー疲れましたよ」
いそいそと靴を脱ぎ室内へと上がる。
「ところで何読んでいるんですか?」
俺の問い掛けに、シズハさんはゆっくり顔を上げニヤリと微笑む。
「……『異世界に伝わる呪術入門初級編』だよ。あっ、ひょっとして興味ある?」
「いえ、ないです」
右手を小刻みに振ってばっさり否定する。ちょっとでも気があるような素振り見せたら何されるか分かったもんじゃないからな。
「……相手を惚れさせたい場合は、対象となる人物の髪の毛を藁人形に埋め込み丑三つ時に――」
訊いてもいないのに何かペラペラ朗読しだしたぞ! というかそれって惚れさせるというより呪い殺すおまじないなんじゃないのか?
シズハさんの会話――というより独り言は右から左へ聞き流し、俺は腰を下ろすと壁に背を預けた。
――あー早く昼飯来ないかな。チャーハンとかラーメンとかガッツリしたもの食いたいな。
うつむき加減でそんな事を考えていると、スッと人影が覆う。
「ん?」
見上げると、シズハさんが吐息が掛かるほどの距離にまで顔を近付けていた。
「……ハァハァ」
「うぉっ! な、何ですか!」
「……ねえユウヤ、髪の毛一本ちょうだい?」
「えっ? いやいやいや――」
さらに距離を縮めてきたシズハさんは、俺のほっぺを人差し指でプニプニ突いてくる。
はだけた胸元が目の前まで接近し、色白なメロン畑が絶妙な角度でコンニチワしていた。その美肌からは大人びたローズマリーのほんわかした香りが漂ってくる。
「……じゃあ別の毛でいいから――十本ちょうだい」
「なんで増えてるんですか! ちょっ、やめっ――」
下腹部に手を伸ばしてくるシズハさん。どこからむしり取ろうとしてるんだこの人は!
「分かりました! 髪の毛一本あげますから!」
ぐいっと両肩を押して距離を放すと、頭髪から一本引き抜き手渡した。
「……やった。これであんなことやこんなことが出来る。フフッ」
何をする気だこの人は……。
ぶつぶつ呟きながら再び読書を始めるシズハさん。
丁度そのタイミングでドアががらっと開き、ユナが現れた。手にしたお盆の上にはすり鉢状の器が乗っかっている。
「おまたせしましたー。ウツロ特製魚介ラーメンですよー」
おっ、ラーメンか。丁度食べたかったんだ。
ユナはテーブルに器を置き、
「今度お店に出す試作品として調理してみましたー。食べ終わったら感想をお願いしますねー」
「おう……って何だコレ?」
魚介と言うから澄んだスープを想像していたのだが、器に盛られていたのは茶色がかった粘り気のある濃厚そうなスープだった。
「魔貝アサリの出汁をベースに、幻海灘産の難手骨鯛をドロドロになるまで煮込んだ特別なスープですー」
俺はノドをゴクリと鳴らす……別の意味で。
その見た目は、まるで雨上がりの野原の窪みに貯まった泥水――いやいや、早々に判断するのは良くない。
「さあどうぞ、やれどうぞ、すぐどうぞ。わくわく」
目を輝かせながら試食を進めてくるユナ。よほどの自信作なのだろうか。
「じゃあ――」
俺は添えられているレンゲを手に取りスープをすくう。ねっとりとした粘着質なスープがレンゲにまとわりついてきた。
「うわぁ……」
思わず正直な感想が口から漏れた。
とりあえずレンゲをゆっくり口元に持って行き、すんすんと匂いを嗅いでみる。
――良かった、香りは俺が知ってる魚介の風味だ。
ちょっと安心して、ゆっくりと口にスープを含む。
「おっ、意外といけ――ぶふぉっ!」
思わず口元を手で押さえ咳き込む。ノドの粘膜が焼けるように痛い。酸性ってレベルじゃねーぞコレ!
「あれれー、ちょっと出汁が濃かったですかねー。メモメモ」
「お前、味見してないのかよ!」
ユナは手帳に何やらせっせと書き込んでいる。俺で人体実験するんじゃねーよ!
「せっかくなんで具の方もぜひ味見してください!」
「まじかよ……」
ラーメンの具の一つに、人型のニンジンといった形な小振りの食材が乗っかっている。その表面には、顔にも見えるシミのような浅黒い斑点が浮かんでいた。
俺が箸でつまんだ瞬間、
『ヤメテータベナイデー』
「ユナさーん、これ何か喋ってるように見えるんですけど」
「あっ、気にしないでくださーい。気にしたら負けですよー」
……何の説明にもなっていない。それどころか、ユナとシズハさんは何故か耳を指で塞いでいる。
俺は怪しいニンジンもどきをゆっくり口元へ運び、
『ヤメテーヤメテー』
……ゴクッ。
意を決して、先端部分をそっとかじってみる。
ガリッ。
『ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーース!!!!』
「うわっぁぁぁぁぁぁ!」
悲痛な叫びが鼓膜を直撃し、脳が揺さぶられたようにクラクラする。まるで船酔いでもしたかのような不快感。
「……ユナちゃん。それって魔法植物マインドレイクンでしょ?」
「ピンポーン! 正解ですシズハさん!」
「……ちょうどこの本に載ってたから」
シズハさんは手元の本の開いたページをこっちに見せてくる。
「効能としては、全身麻痺や幻覚効果、潜在能力の覚醒などを引き起こしてくれる万能食材なんですよー」
「ごほっごほっ、なんちゅうモンを食わせてくれてんだよ!」
「えへへー、どういたしましてー」
「だから褒めてねえから!」
とてもじゃないが食べられたもんじゃない。
俺は箸をテーブルに置き、立ち上がった。
「もういいや、どっか外で食べてくる」
「なら、あたしも休憩時間なんで案内しますよ! すぐ着替えますねー」
「お前はラーメン食わないのかよ!」
俺の問い掛けをスルーしたユナは、部屋の隅にあるカーテンで仕切られた簡易更衣室に入り、着ている作務衣をささっと私服に着替えて出てきた。襟と裾がひらひらのフリルでコーデされたワンピース姿だ。
「さあ、行きましょう!」
「お、おい」
「……行ってらっしゃーい」
シズハさんに見送られながら、ユナは俺の手を強引に引っ張り外へと連れ出した。