開戦 ~ダメだ、異世界である意味がない~
とある異世界。
村人のアレクは、怪我をした一匹のドラゴンを見つける。
彼は見惚れていた。特段珍しくもないドラゴンの姿にではなく、その前肢からどくどくと流れる琥珀色の体液に。
以降、体液に病的な執着を見せるようになったアレクは、片っ端から異世界のモンスターを解体するようになってーー
と、ここまで書いたところで、右腕の痙攣が収まらなくなり、執筆を断念せざるを得なくなってしまった。
本来ならばここで、うおあああああああと叫び、どたどたと地団駄を踏み、下のフロアの住人にしこたま苦情を言われまくるのだが、今回は対策を打ってある。
「はい、もしもし」
「柳田か!!? 私だ!! 同じ大学の江藤だ!! 昨日言ったように発作が起こったので、約束通り話を聞いて欲しい!!!」
一刻の猶予を争っているのにも関わらず、唯一の友人は「うるさい」だの「本気だったのかよ」だの悪態をつく。それが終わると今度は「準備するから待ってろ」と来た。
急げ、早くしなければ憤死してしまう。急げ急げ急げ。
その祈りは届かず、柳田の声を次に聞いたのは現実世界換算で2分も後のことであった。私の世界からすれば、それは2日相当と同じであり、則ち、この友人は私が心停止してから2日も放置していたことと同義である。
「手短に済ませてくれよ、明日も早いんだから」
「異世界である必要性が、一切感じられないんだ!!」
再びの沈黙。もはや拷問である。
やむを得ないので、私の方から事情を話すことにした。普通はこういうのは相談に乗る側がエスコートして然るべきなのだが、柳田という男は実に無愛想であるので、仕方がない。
彼を殺人犯にするのは、どうにも忍びない。
「私は今、異世界ファンタジーを書いているんだが、それがどうしても納得いかないんだ」
「納得いかないなら、書き直せばいいじゃん」
これはわざとなのだろうか。私の寛大さを利用した冒険のつもりなのだろうか。
「そういう問題ではない。色々と考えた結果の作品なのだから、今さら考え直すことは出来ない」
「と言われても、何にも見てないからコメントのしようが」
はああああああ。
私は吐き気を覚え、コンビニ袋を右手に握った。これでいつ来ても問題はない。
こいつは無愛想で無神経の上、無知でもあるというのか。
そんなもの、執筆中小説を見れば良いだけの話ではないか。
「ああ、わかった。一から説明しよう。その小説というのがだなーー」
ひとしきり説明した私に対し、電話の向こうにいる人物の回答は想像を超えるものだった。
「別にいいんじゃないの?」
はああああああ!!?
私は吐いた。コンビニ袋に商品の成れの果てが溜まっていく。
反射的に通話終了ボタンを押すところであった。それほどまでに解せない話である。
こいつは私を何だと思っているんだ。何のための電話だと思っているのだ。「問題なし」だったら電話なんてかけたりしない。当たり前のことではないか。
しかし、めげてはいけない。解決案の模索こそが電話の目的。なんとか話を続けなくてはいけない。
「何を思って『別にいい』という結論に至ったのかは知らないがーーまあ、いい。私にとっては、そんな返答はどうでもいいし、求めてもいないのだから」
「求めてないなら、切るぞ?」
「待て。私の目的は君の感想ではない。どうしたらこの小説を納得いくものに出来るか、という案を検討することなのだ」
「もう既に納得してるのに、これ以上何を求めるっていうんだ」
頭が痛い。心拍の度に脳細胞が死んでいっている気がする。
一体、あとどれだけ譲ってやればまともになるのだろうか。
「ううむ、どうすればわかってくれるのかーーああ、そうだな、まずは冒頭の部分だ。村人のアレクがドラゴンを見つける、ここについてどう思う?」
「どう思うって、まあ、異世界モノとしては有りがちなんじゃないの?」
胸が締め付けられる。腕が震えだし、うまくスマートフォンが持てなくなる。
どうしてこんな低レベルな回答が返ってくるのか、不思議でならない。頭の構造が。
「有りがち、という話を聞いているのではない。変なところがあるとは思わないか?」
「そんなこと言ったら、異世界の時点でつっこみどころだろ」
はあ。
「そうだよ!!!」
「え?」
「そこなんだよ!!! 一番最初に言った通り、異世界である必要性が全く感じられ」
「ちょ、ちょっと待て。お前、異世界ファンタジー書いてて、異世界に突っ込みいれる馬鹿いるか?」
何を言ってるんだ、こいつは!?
せっかく息が合い始めたというのに!!
「柳田。異世界というのは、一体なんだ?」
「何を言ってるのかはわからんが、この世界とは違う世界のことだろう」
やれやれ。そこから話さなくてはいけないのか。
友人の不甲斐なさに改めて、自分の中にある慈悲の心を噛み締めた。
「何が違うんだ、具体的には」
「何って、そりゃ、物理法則やら種族やら、色々だよ。だからこそドラゴンって存在が許される」
「なるほどな。それじゃあ、村人のアレクはどうやってドラゴンに会ったんだ?」
「いや、お前。そんなのお前が考えることであって、俺は」
「関係ない。そうだな、設定を考えるのは作者側のやることだ。読者は既に固まったものを読んで、合理性云々の判断を下すわけだ、しかし」
「しかし?」
「その合理性は一体、どこから生まれてくるのだろう」
「知ったことか。そんなもの、作者が考えてくれればいいんだよ」
やはりだ。柳田という男は、情報を受けとる側の人間である。
情報を与える側に立ったことがない者に、この苦しみはわかるはずもない。
「これはあくまで私個人の見解だが、読者が作中世界に関して何の情報も与えられないままに、登場人物の行動を評価するとしたら、それはやはり現実世界における判断基準がそのまま当てはまるものだろうと考える」
「ふん、まあ、言われてみればそんなものじゃないか」
「ここの時点で、かなり大きな問題が存在する。価値基準が現実世界に依っている時点で、異世界である必要性がほぼなくなる」
「なんでそうなるんだよ。話が飛躍しすぎだろ」
「考えてみろ。異世界を舞台にするなら、わざわざその世界における基準を事細かに説明しなくてはならないんだぞ? 現実世界ならば許されるであろう描写の割愛というやつが出来なくなる。これは大きな手間になる上、読者側からすればひどい枷になる」
「んなもの、誰も気にしてないだろうが。異世界ものでもほとんど現実世界と同じ規則になっているものが出てるだろう」
「じゃあ、なおさらのことだ。どうして異世界にこだわる」
そこまでいって、柳田は沈黙した。
私の理屈にようやく自分の愚かしさを感じ始めたか、それとも同じように開き直るか。
どちらでもいい、私の目的はマウントをとることではないのだから。
長い溜め息のあと、低い声音で柳田が語り始めた。ひどく厭世的である。
「なんか、こんな根本的なことから話さなきゃいけないっていうのも、すごく面倒なんだが」
早速、こちらの台詞を取られてしまった。意外心外予想外だが、様子見することとする。
「異世界でなきゃ出来ないことならいくらでもあるだろ、現実世界で魔法が使えるか? 現実世界にギルドやダンジョンはあるのか? 現実世界にモンスターは? 現実世界にスキルや戦闘職はあるのか?」
質問責めである。しかし、どれも低レベルな指摘である。
「いいか、異世界は欲望が具現化した場所なんだ。現実世界とは明示的に区別されなくてはいけないんだ」
正味な話、反論になっていない。
なぜなら、これらはーー
「ううむ、柳田の言いたいことはよくわかった。それを踏まえて、ひとつだけ聞きたい」
「なんだよ」
「それって、現実世界で起こしちゃダメなのか?」
その後の柳田の狂乱ぶりは凄まじいものがあった。
現代の物理法則でどうにかできるのか、やら、お前の言っている現実世界とは「現実世界風異世界」であるやら、そんなに否定するなら電話なんてかけてくんなやら。
困ったことになった。別にそんなことを問答するために電話をかけたわけじゃあないのだが。
腰が重いのは、自分の思いを整理出来ていないから、なのかもしれない。
そんな淡い期待を込めて、それならここでかけるだけ書いてみようとなったわけです。
酷い末路が約束されています。