第10話 胸の内
僕の名前は名前は工藤義政。気付けば目の前に五十路が見えている、そんな年齢になってしまった。工藤一族の次男坊として産まれたは良いが、全てにおいて優秀な兄のお陰で魔術家業を継ぐ必要はなかった。それでも魔術に触れていったのは兄の存在が大きいだろう。
工藤一族は日本古来より存続する由緒正しき一族。その歴史は鎌倉時代まで遡れるらしい。自分は家業には興味がなかったため、その辺りの歴史には触れてこなかった。父親も「一族の歴史に触れるのは継承者のみ」と言っていた。祖父は自由にしろと言ってたっけ。
そんな一族に伝わる魔術は、『封印術』と呼ばれる特殊な魔術である。適性があまりない自分には強い封印術は使えないが、兄の使う封印術は圧倒的であった。
どんな攻撃も瞬く間に封じてしまい、時には生物さえも封じ込め、同じ封印術を使う術者であっても解くのはほぼ不可能。工藤一族に久しぶりに現れた天才と謳われていた。
だが、兄の凄い所はそんな魔術如きではない。誰にも有無を言わさない圧倒的な存在感にカリスマ性、どんな事でも適応してしまう適応能力の高さだ。1代で起業から大企業へと発展させた手腕は異常と呼ぶしかない。
そんな兄を憧れて魔術に触れたんだろう。お陰で色んな苦労をしてきたものだ。
魔術協会からは馬車馬のように扱われた事もあれば、身に覚えのない罪を着せられかける事もあった。しかし、なんと言っても親が決めた結婚だ。相手は落ちぶれたとはいえ江戸時代より続く名門であり、三百年を生きる怪物が住まう浅香一族の娘さん。自分なりに努力はしたが、彼女だけはどうしても好きになるのに時間が掛かったものだ。
だが、結婚して良かった事もある。息子と娘の2人が産まれてきてくれた事だ。2人とも可愛くて、それぞれ特徴のある性格をしてたなあ。特に優斗は行方不明になんてなってしまうんだから恐らく僕は神様に嫌われているのだろう。そこから発展して離婚する羽目になり、親権も取られてしまった。当時は全てが嫌になったものだ。
でも、その優斗が今はいる。
時々、魔力が存在している事も分かるが、優斗にだけは魔術の道を進ませない。これは僕が決めた事だけども、魔術のせいで碌なことがなかったからこそ僕は断言できる。優斗には絶対に魔術の道にはいかせない。
「とか思ってたんだけど、この魔力はちょっと問いただす必要があるかな。この魔力の量、兄さんの魔力何人分なんだろう。行方不明の間の記憶がないなんて嘘までついて何を知っているのか」
◇
ヤンを担いで帰宅すると、父親が待っていた。それもかなり怒りながら。
怒られるような事はこれからの筈なので、父親に怒られるような事をしてしまったのかを思い返す優斗であった。
「優斗、おかえり」
「ただいま……父さん、話があるんだけどいいかな?」
「こっちも聞きたい事があったんだ。丁度良い機会だし話し合おう」
「ありがとう、じゃあ先に紹介しとくよ。入ってきていいぞ」
優斗の掛け声によって山本が入ってくる。その後ろを美女美青年が続いて入ってくる。美青年の肩には世界最強の殺し屋として世界を股にかけている男、ヤンが担がれていた。
突っ込みたい部分が多すぎて、目眩がしてくる父親である。
「えっと優斗、この2人は?」
「まずは女性の方が魔王、名前はないらしい。男性の方がアルヴィン・スクアーロ・シャクティール伯爵。2人とも俺の大事な仲間だ」
大事な仲間という単語を聞き、人狼が1人で悶え始める。その場違い感に義政はツッコミを入れたくなるが、優斗の魔王という発言を聞いていたので耐える。
「そんな……優斗が私の事を大事って」
「一番最後のお前が一番大事なんて考えるとは、品も胸もないと思っていたがまさか考えもないとはな。魔王なんて辞めた方が良いんじゃないか?」
「もう一度同じ事を言ってみなさい。殺すわよ」
「殺れるものなら是非ともやって欲しいものだ。なんせ、千年近く死んだ事がないのでね。魔王など、取るに足らぬ存在だと証明してみせるぞ」
「お前ら辞めろよ。アルヴィンは結局俺に殺された……殺された?違うな、なんて言えば良いんだ」
「一心同体になった、私と主人はそういう関係だろ?そう、人狼より先にな」
アルヴィンはあえて人狼を見て笑う。そもそも、彼は異世界において千年間戦い続けた猛者の中の猛者だ。勇者と呼ばれるに値する実力者ですら屠った事のある。そして、それだけの猛者が真っ当な性格をしている筈がない。魔族の迫害を魔族全員で乗り越えるべき課題として魔族の未来を背負い立ち上がった魔王と違い、自分の欲望のままに戦い自分の欲望のまま死んだアルヴィンが魔王を揶揄わずにいる筈がないのだ。
「おい、辞めろって言ってんだ」
その2人を止められる者は、優斗しかいない。異世界に存在している強者達と死闘を繰り返してきた本物の強者である優斗にしか止められない。
「止めないで、私はこいつが許せないの。魔族の危機にあっても知らんぷりしてた本物の屑を処分しないと」
「ははは、何故私が魔族のために戦わねばならないのだ。いい加減な事ばかり言ってるとブチ殺すぞ?」
義政は逃げ出したかった。今まで出会った事のある格上が兄だけだったが、息子が世界最強の一角を担いできただけではなく、世界最強の一角どころか天下を取れそうな連中を引き連れてきたからだ。さらに、その2人の喧嘩を止められるのは息子のみ。
噂に聞く13代目裏切りのユダでさえ、泣きながら逃げ出すのではないかと思ったほどだ。
「あー、もう喧嘩すんなよ。魔王……なんてこっちの世界じゃ呼べないな、麻央!お前は今日から麻央だ!」
「家名は工藤ね、これで夫婦の座は硬いわ!」
「全く、これだから品が無いのだ」
緊張状態が一気に崩壊していった。一触即発な状況から冗談を言い合う程─魔王の場合、冗談とも言い切れないが─にまで空気を変えたのだ。驚くなという方が無理だ。
ましてや、ついこの間まで行方不明となっていた息子がこの状況を作り上げてるのだ。頭がおかしくなるのではと思っても仕方ないのではないだろうか。
「あー、父さん。行方不明の間の記憶がないって言ってたけどあれ嘘。本当は異世界で勇者やってた」
「今更じゃない」
「今更すぎるな」
「優斗なら勇者でも納得いく」
「流石優斗さんですね」
「あれ?みんな驚かないの?」
「優斗さんが勇者って実は知ってました」
「優斗以外に勇者とかいる筈がない」
山本の言葉はともかく、父親のこの溺愛っぷりには流石のアルヴィンもドン引きである。千年以上生きてきたため、様々な変態を見てきたが、息子相手にここまで溺愛する親バカは久しぶりだった。
そして、それは隣にいる人狼に対しても思っている事である。勇者である優斗と魔王であった人狼は謂わば人類と魔族の代表者のようなものである。恋に落ちたとしても絶対に逆らえない立場がある。ましてや、この人狼はあろうことか魔族の為に立ち上がった本物の馬鹿者。人類に屈する事は何があってもあり得ない事であった。だからこそ恋した。
というより、魔王と勇者の死闘を、優斗を通じて見ていたアルヴィンには分かっていた。
『こいつ……!殺し合いそのものに対して欲情してやがる……ッ!き、キモい!』
勇者相手に余裕の笑みを浮かべていたのではなく、勇者と魔王という相容れぬ2人が激しくぶつかり合うその行動そのものに欲情していたのだ。というより殺し合いが愛情表現だったのだ。あの笑みは余裕から来る笑みではなく、勇者と行う初めての共同作業に対しての悦びが天元突破して現れた笑みだったのだ。正直引く。
だが、アルヴィンからすればこの2人がくっついた瞬間に今までの人生がアホらしく見える程面白いものが見れると悟った。
殺し合いが愛情表現であり、殺し合いに対して欲情する究極のバカとそれに気付かない勇者が混ざり合うその瞬間を見る為にできる限り協力しているのである。
アルヴィンが人狼を挑発するのはそんな理由からであった。もちろん人狼に対しては近付かないで欲しいと思っている。
閑話休題。
義政は優斗が持っている魔力に対して危機感を感じている。父親に秘密を明かした事によって魔力を隠そうともしない優斗だが、魔術協会が黙って優斗を見過ごすわけがない─ヤンが魔術協会から送られてきたようなものです─。いや、魔術協会だけではなくそれ以外の組織─日本警察は山本です─も接触を取ってくる筈だと考えた。
「優斗、一度本家に顔を出そう。魔力があるなら工藤の加護を貰った方が良いだろう。そうと決まれば明日行こう!大丈夫、仕事は1ヶ月は休んでおくから!いや、優斗が満足いくまでいつまでも休むよ!」
「父さん、まずヤンさんの治療が優先」
様々な事が起きた所為で忘れかけられているが、優斗がヤンを担いできた本来の目的はヤンを治療するためなのだ。応急処置に近いものであれば治癒魔術によって終わらせてあるが、優斗の繰り出した技を受けて尚立ち上がったのだ。身体全体に対して入念に治癒魔術を発動しなければ、寿命がかなり縮まっても可笑しくない。
回復手段が治癒魔術しかないわけでもないが、もう一つの回復手段は寿命を削っているようなものなので、方法を知らない者には行使できないのだ。
優斗は担いできたヤンを自分のベッドに降ろす。かなり乱暴に扱うが、治癒魔術を行使するので関係ないと考える。
「おい、主人も寝ろ。主人も疲れてるだろ」
「この程度の修羅場、何度も潜り抜けてきたさ」
毒の沼地に突き落とされた事もある。そんな危機的状況から生還した自分が、この程度の怪我で治癒魔術を使えないとなったらかつての仲間や倒してきた強者に対しての侮辱みたいなものだ。そう考えた。
「こちらの世界の武器は特殊すぎる。あの武器はこちらの世界では珍しくないのだろう?ならば慣れない戦い方をして筈だ。私には分かるぞ」
「バレてたか。まあ、流石にあの速度の銃弾は初めてだからな。ギルアークの剣撃よりも速いんじゃないか?」
「あの皇太子か。別に奴は主人よりも強いわけではないぞ?奴は戦いの流れを自分のものにする神の恩恵とも思える才能を持ってただけだ。むしろあれに喰らいつく主人の方がおかしい程だ」
「勇者だからな」
アルヴィンに対してニッと笑う優斗。その笑顔を見た瞬間、死闘の中でしていた表情との違いに思わず見惚れてしまう。今まで人狼である魔王こと、新名工藤麻央が優斗に惚れた理由を少しだけ理解したのだ。
「全く、主人は人たらしなのではないか?人狼の事はどう思っているんだ?」
「麻央?大事な仲間だと思ってるぞ。確かに勇者と魔王という相容れない立場だったけど、昔は昔で今は今だ」
「いや、異性としてどうだということだ」
「ものすっごい美人」
アルヴィンは悟ってしまう。もしかしたら人狼は叶わぬ恋をしているのではないか、と。
そしてその予測は遠からず当たってはいた。
「それに俺は結果的に麻央の事殺しちゃってるわけだろ?ああ、アルヴィンの事もだが麻央は魔族を背負って立ち上がったのにそれを阻止わけだからさ。俺が麻央に対してしてやれるのは、今を楽しんでもらう事なんじゃねぇかなって思う」
「もし人狼が主人に特別な感情を持ってたらどうする?」
「わかんねぇ。でも大事な仲間って感情以外が麻央にあるんだとしても、俺の罪の清算ができるまでは進展させるつもりはねぇな」
その告白を聞いてアルヴィンは思い出す。この勇者は苦しんでる人がいるなら誰これ構わず助けようとする人物であったことを。
「生きにくい性格をしているな、流石は勇者だ」
「でもこれが俺の誇りだ」
「ああ、だからこそ惚れた。私とは真逆の道を歩み主人にな」
2人はヤンに対して治癒魔術を掛け始める。そこには男にしか通じない世界があったのだ。
◇
忌々しい吸血鬼ではあるが、今回だけはよくやったと褒めてやりたい気分な麻央であった。そう、優斗の本当の気持ちを自分がいないからこそ話させたのだ。
人狼の五感を舐めてはいけない。その嗅覚や聴力は人間では超えられない能力なのだ。
「はぁ、別に私に気を使う必要なんてないのに」
確かに魔族は魔王という希望を失った。再起するには多大なる時間を掛けなければいけない程には。だが、あの秘密会談で皇太子が宣言した。
『種族の差別をなくす、それが私と優斗の夢だ。そのためには人類も一歩を踏み出さなければいけない。この戦いが終われば、帝国は魔族を受け入れよう。』
そう、最後の戦いは初めから決まったようなものだったのだ。実際、あの皇太子は自分の父親から帝位を奪うと魔族だけではなく種族差別を無くす基盤を築き上げていた。優秀なスパイによって情報を握ったからこそ言えるのだが、優斗は初めから種族差別を無くす世界を目指し、リーダーにあの皇太子を考えていたのだ。
正直、彼の観察眼を褒めざるを得ない。王国によって召喚されたにも関わらず、多種族国家を成し得るのが帝国だけだと見抜いていたからだ。それだけではなく、多種族を抱えた場合の利益さえも説明できるのが優斗なのだ。人狼はスパイに向いていれば、龍人族は規律をきちんと守る事から治安維持に向いており、エルフは弓兵か魔術師、学者など。
そもそも魔族とは獣人とすら認められなかった者たちだが、獣人と変わらないようなものであるのだ。魔術に適正がある種族もあれば適正のない種族もある。そういった中でも迫害されてきたのが魔族なのだ。
実際、皇太子は優斗の考案した種族に適した職を与えるだけではなく、政治の世界へと参入できるような基盤を作っていた。彼は人が困っていたら、隣で困っている魔族まで助けるような人物なのだ。惚れるなという方が無理である。
「まあ、時間はたっぷりあるんだし少しずつ近付いてやるしかないわね」
麻央は笑みを浮かべる。その計画は未だはっきりしていない。