表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/15

第1話 無職でした

 暗雲立ち込めるこの空の下、一つの命を削らんとする大きな戦いに終止符が打たれようとしていた。

 それは希望か絶望か。はたまたそれとは別の感情か。様々な感情が浮かばれるが、事実は一つでしかない。


 受験勉強という名の地獄において、結果を残さねば家を追い出されかねない状況にあった少年は、何があったのか気付けば異世界で勇者と呼ばれる存在になっていた。

『勇者様…!どうか我々をお救いください!』

『は?ちょっと待て、俺のピザはどこいった!?』

 あの理不尽な出来事は全て目の前にいる魔王という存在が起こした事象であり、この魔王がすべての原因であることは、この5年間で嫌という程体験したことだ。

 そしてなにより、受験という一種の社会的地位を決める戦争に参加できなかった自分が、あの世界に戻ったらどうなるだろうか。中学校すら卒業してない自分があの異端児を排他する世界へと落とされたらどうなるだろうか。

 なるほど、すべての原因やこれから起こる不幸は全部この魔王のせいだ。何が何でも倒さねばならん。別にピザの恨みとかではない。


「とかなんとか思うんだろうけど、正直俺はお前の事嫌いじゃないんだよ。どうだ?一緒に生きていかないか?」


 その言葉は嘘か真か。その審議を決める事もなく、空にあった暗雲は消えゆく。遥か彼方から俺の事を勇者と呼ぶ声も聞こえるが、恐らく仲間たちだろう。

 正義は為され、魔王という強大な敵を打倒した。

 そういった結末で全てを締めくくり、勇者である彼はあの王国で戦力兵器として数々の戦場を経験するのだろう。こっちの世界もなんだかんだ言って黒い部分が存在しているのだ。


 だが、終わったものは終わった。そう括って仲間の元へと歩もうとした次の瞬間、今まで以上の衝撃が彼を襲う。

 こちらへ召喚された時と似たような魔法陣が突如描かれ、かの魔王と勇者である彼さえも超える魔力が集結する。まるで、用が済んだら捨てるかのように。


「なるほど、俺は強くなりすぎたわけか」


 こうして異世界において勇者伝説が成立する。

 暴虐の限りを尽くさんとした魔王を倒すべく、異世界より突如現れた勇者は数々の難敵を打倒し、時には味方へと引き入れながら遂に魔王を打倒し得る。だが、勇者は栄光を手にする事もなくこの世界から去っていくのであった。




 ◇



「知らない天井だ」


 目が醒めると真っ白な天井がそこにはあった。窓も王国で見ていたような窓ではなく、勇者として召喚される以前の高度な技術を施してある窓である。

 窓の外には多くのビルが立ち並び、空には飛行機が飛んでいる。道行く人々はスーツを着用し、ケータイ片手に忙しむ人もいれば真逆の人もたしかにいる。


 なるほど、帰ってきたのか。


 何故か微妙に身体が重いが、向こうの世界ではあり得ない程柔らかいベッドで寝たお陰で身体の疲れは吹っ飛んでいる。

 彼はベッドから起き上がろうとすると、病室の扉がノックされ看護師が入ってくる。しかし、彼の姿を見ると慌てて部屋から出て行った。


 その後、医者から様々な質問をされたが、とりあえず5年という空白の期間を何をして過ごしていたのかなども聞かれたが、記憶にないと伝えた。彼が一番気になっていたのは、恐らく勇者として動いていた時についた身体の傷だろう。もちろん記憶にないと伝えた。


 病室に解放された後に待っていたのは、温かい家庭などではなく、警察であった。この歳で警察のお世話になったのだ。

 警察曰く、彼は5年前に誘拐事件として世間を賑わせたらしいのだが、誘拐犯と思われる人物が特定できなければ、彼の存在さえ掴めなかったため、現代におきた神隠しとして迷宮入りした事件になったのだという。

 本当の事など言えるはずもなく、記憶にないと言い張ってなんとかしたが、5年の間に自分のお墓があるというのが一番の驚きであった。もちろん引っこ抜いた。

 家に帰宅したのはそれから数日後であった。




 ◇


 彼を待っていたのは、温かい両親と家族などではなく、父親と祖父母だけであった。なんでも彼がいなくなった事が理由に両親は喧嘩が何日も続くようになり、遂には離婚したのだという。

 母親は、妹を連れてどこかへ行ってしまったと聞いて、二度と妹には会えないと思うとやるせない気になった。しかし、その原因も自分にあると思うと無性に死にたくなった。

 だが、悪い事ばかりではなかった。

 まず、父親は彼が生きている事を最後まで信じていたため、彼が生きているという報告を受けて泣いて喜んだという。まあ、不器用な彼はその姿を見せようとはしないのであるが。

 次に祖父母だが、彼らも死んだと思っていた孫が生きており大変喜んだ。死人が蘇ったようなものであるからなと結論づけた。その日の夕食はとても豪勢で異世界の料理に勝らずとも劣らずといったものであった。


 そして、今は絶賛就職活動中なのだ。


「ああ、君は5年前の。うーん、5年間のブランクがあるとねぇ……」

「学歴が義務教育すら終了してないようなものでしょう?そんな人は雇えないよ」

「無理無理、他を当たってくれ」

「あー、今回は縁がなかったということで」

「残念ですが、我が社以外での活躍を……」


 連敗中である。

 父親もこれには苦笑いである。自営業を営んでいる父親が「一度、うちに来るか?」とも誘ってくれたが、これまで沢山の苦労をかけてここでも迷惑をかけるわけにはいかないと思い、勿論断った。理由を伝えたら泣かれた。何故だ。


 とりあえず、バイトから始めるべきだと思い、バイトを探しまくるのだが、コミュニケーション能力も欠如しているのかバイト探しですら苦労したものだ。

 今は親切な店長のもとで怪しい本屋でバイトをしている。なんでモデルガンが売ってるのだろうか、ここは何でも屋なのだろうか。


「いらっしゃいませ、え?最近話題のあの本?知らないっす自分で探してくださいっす」

「こらこら、須川くん。お客さんを相手にする時は誠心誠意を持って対応する!はい、お客様、お探しの商品はこちらでしょうか?」


 働くって大変なんだな。

 父親にそういったらまた泣かれた。




 ◇


 仕事にも慣れ始め、毎日の日課に筋トレとランニングを欠かさないようにしているある日、幼馴染に会った。家がそこそこ近く仲良くしていた女の子だ。


「たかしくん、生きてたって聞いたけど本当だったんだ…」

「たかしじゃないです」


 人の名前を間違える人間に碌な奴はいない。俺は異世界でその事を千年間戦い続けた吸血鬼伯爵から教えてもらった。あいつは何回も俺の名前を間違えるし、人の邪魔もするしでなかなか大変だった。

 そんなことより今は斉藤さんの話を聞かなければならない。


「私、安倍だけど覚えてる?」

「たかしじゃないです」


 なるほど、人の名前を間違える人間に碌な奴はいないわけか。


「今度お家に行ったとき、またお話聞かせてね?」

「たかしじゃないです」


 彼女はそう言って駅の方へと歩いて行った。彼女は今は大学生なのだろうか。自分とは違ってちゃんと勉強する人間でだったので、恐らく頭の良い大学にでも行って彼氏も作ってるのだろうな。

 少しずつだが憂鬱な気分に陥りかけたので、全力で走って全力で筋トレした。やっぱり筋肉こそが真の相棒だ。

 その後、昔馴染みのたかしに会った。久しぶりだったが、彼が給料の良いバイトがあると誘ってくれたので、1日だけ誘いに乗る事とした。しかしあの魔物のような匂いはなんだったのだろうか。


 その日の夜、なんとなく小腹が空いたのでコンビニへと向かっていたら、狼さんがいた。異世界でたくさん相手をしたあの狼さんだ。一緒に野原を駆けた思い出が蘇ってきたので、「よっ」と声を掛けて手を上げたら襲いかかってきた。無視されたのでぶっ飛ばしておいた。


「素晴らしいですね!!!そのスピードに対してその破壊力!やはり異世界で勇者をやっていただけはあります!」

「お前誰」


 そこに白衣を着た謎のおっさんが現れたので、狼さんをぶっ飛ばしたのは失策であった。少なくとも狼さんをぶっ飛ばしていなければ、こんな変態じみた白衣の変態さんには出会わずに済んだからだ。


「ははは、工藤さん。是非私と一緒に天下を取ってみませんか!?」


 異世界で似たような人物は何人も嫌と言うほど見てきたので口から出る言葉はなんとなく予測できた。だが、その程度の誘惑で惑わされるなと師匠に教えを受けているので惑わされる事はない。

 そもそも、こんな怪しい奴が話しかけてきたら逃げるか警察を呼ぶかの二択しかないだろう。殴った程度でどうにかなるとも思えないからだ。


 問答無用で逃げる体勢になる。文明の利器、クラウチングスタートだ!


「あの、なぜクラウチングスタートになったのですか?」

「たかしじゃないです」

「知ってますよ!?工藤優斗(くどうゆうと)さんですよね?」

「たかしじゃない…だと…!?」

「驚くとこそこ!?」


 どうやら俺の見込み違いだったらしい。

 人の名前を間違える人間に碌な奴はいないが、人の名前を勝手に知ってる変態はどこまでいっても変態なのだ。そう、あの痛めつけられて喜ぶ自称魔王の側近のように。

 怖くなったのでクラウチングスタートでスタートダッシュを成功させる。これで失敗すると恥ずかしい思いをする。あれは中学一年生の体育祭で起こった事故だったのだ。


 そこから3キロくらい走ったところで後ろを振り返るが、白衣を着た変態はいない事を確かめられたのでよしとする。


「工藤優斗様ですね、私たちについてきていただきたい」


 やれやれ、一難去ってまた一難らしい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ