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黒衣の男

「レイルッ!!」


 祠の中をひた走り、ほどなくして狭い道から開けた場所に出た。備え付けられた魔石の淡い光で、仄青く照らされていた。

 眼前には、岩肌に半分埋まるようにして作られた、石造りの小さな祭壇。そこには翼の生えた女性の像が、黄色に光る宝玉を両手で掲げている。


 そして、その像の前に佇む人影があった。

 真っ黒な、膝まで達する丈の黒いコートを羽織り、フードを被ったその人物の顔は全く見えない。明らかに、ダイトの住人でも、ただの旅人でもなかった。

 黒フードの人物はジーノには気づかぬまま、像の掲げていた宝玉を手に取った。


「これが……これさえあれば……」

「ッ! ま、待て!」


 ハッとして、ジーノは声を荒げた。その叫びに、ようやくその人物はジーノの方を向いた。

 こちらに向けられた顔。しかしそれは、両の目元から右頬にかけてを黒々とした仮面で覆われていて、表情を伺い知ることはできなかった。


「……貴様、あの町の住人か」


 少し高めの男声。しかしその響きは冷たく、ぞっと背筋が凍るような感覚を覚えるものだった。


「……ああ。その宝玉は、精霊の力が宿るとされる、大切なものなんだ。今すぐ像に戻してくれ」


 言いようもない不安に駆られつつも、ジーノは剣先を下ろし、黒衣の男にそう頼んだ。


「……その前に、こちらもひとつ聞きたいことがある」


 男は宝玉を手にしたまま、ジーノに問いを返した。


「聞きたいこと?」

「この町に、二頭の龍の痣を持つ女がいるはずだ。そいつはどこにいる?」

「な……!?」


 その問いに、ジーノは言葉を失った。


 二頭の龍の痣……男は『刺青』ではなく、『痣』と言った。そんなものを持っているのは、レイル以外にいない。

 加えて、レイルはあの痣を、まじない代わりの刺青だと周囲に告げていて、彼女が幼い頃からずっとある不思議な痣だと知っているのは自分と、彼女の保護者ぐらいしかいないはずだ。


「君は、レイルのことを知っているのか!?」

「……レイル……か……。……ああ……知っているとも……」


 動揺するジーノに、男はそう呟き、にやりと笑った。

 口元でしか判別できない、その表情。しかし、口角を上げたその瞬間、ジーノに戦慄が走った。

 ほんのわずかな表情の変化。そこから迸るのは、禍々しいまでの狂気だった。理由はわからない。だが、ジーノの脳内は、この男が危険な存在だと警鐘を鳴らしていた。


「……もう一度だけ訊くぞ。あの女……レイルはどこにいる……?」


 再び氷のような無表情に戻り、再び男が問いかけた。

 言外に、「言わなければただでは済まさない」と脅されている。ただそこで立っているだけで、押し潰されそうなほどのプレッシャーをひしひしと感じる。

 しかし、ジーノは男を睨み、剣を構えた。


「……オレも知らない。でも……知っていたとしても、お前には教えない!」


 切っ先を男に向け、ジーノはそう言い放った。


「お前が何を考えてるかはわからない。……でもレイルを……オレの大切な友達を傷つけるって言うなら許さない! 宝玉を返して、この町から出て行ってくれ!!」

「……そうか……それが貴様の答えか……」


 言葉でどうこうできる相手ではないと悟り、剣を向けてくるジーノの姿に、男がぽつりと呟いた。そして徐に、宝玉を持っていない左手をジーノに向かって突き出した。


「……《グリフィア》」

「ッ!!」


 たった一言。それだけを引き金に、男の手から黒紫の炎が迸った。

 間一髪、横に飛ぶことでそれをかわしたジーノだが、彼のいた場所は炎に穿たれ焼け焦げていた。


「……かわしたか。口先だけではないようだな」


 無感動な賞賛の言葉。すぐさま体制を立て直したジーノの額を汗が伝った。

 魔術を行使するには、起動語である名称を叫べばいい。だが、強力な魔術を使う場合、原動力である魔力(マナ)の干渉をスムーズにするために、術のイメージを言語化し、詠唱するのが普通だ。

 だが、男はそれを行わなかった。つまり、わざわざ詠唱をしなくとも術を発動できるほどの魔力の持ち主だということだ。


「……手間はかかるが、致し方ない。貴様を屠り、町ごと破壊して、あの女を炙り出すとしよう」

「そんなこと……させるもんか!」


 レイルだけでなく、共に過ごした町の人々すら脅かそうとする男に、ジーノは強く地面を蹴って突進した。その勢いのまま、男に剣を振り下ろす。


 ガキンッ!


 しかし、その刃は男を捉えることはできなかった。

 一瞬のうちに男が取り出した黒い鎖に、ジーノの斬撃は防がれた。男がどこからか取り出した鎖を鞭のように振るい、ジーノを跳ね飛ばす。


「くそっ! ……まだまだぁ!」


 衝撃をいなし、ジーノは再び男に切りかかった。


 ジーノの剣の腕は悪くない。むしろ、町の大人達にも負けないほどに長けていた。

 しかし、男の方が上だった。まるで生き物のように蠢く鎖は、ジーノの鋭い斬撃の全てを弾き返していく。相手は左腕一本しか使っていないにも関わらず、ジーノはかすり傷ひとつすら負わせられないでいた。


「……どうした? 町を、友を守ると息巻いておいて、この程度か?」

「く……」


 男に挑発され、ジーノは歯を食いしばった。

 悔しいが、否定できない。森で魔物を追い払うのとはわけが違う。突破口が、全く見いだせなかった。


「……失望させてくれるな」


 焦りが隙を生み、対峙する相手はその隙を見逃してくれるほど甘くなかった。

 男の拳が、ジーノの腹部に叩き込まれる。


「《カース・プレリュード》」


 とどめと言わんばかりに、男か拳に魔力を注ぎ込む。黒い闇が衝撃波となり、至近距離からジーノを襲った。


「がは……ッ!!」


 吹き飛ばされ、ジーノは地面に叩き付けられた。

剣が手から零れ落ち、カランと乾いた音を立てて落ちる。蹲り、げほごほと咳き込むジーノを、男が冷たい目で見降ろしていた。


「……勝負あった、な……」


 鈍痛に呻き、這いつくばるジーノに歩み寄り、男はジーノに左手を向けた。先ほども放った禍々しい炎を、掌に灯して力を込めていく。


「せめて、苦しまないように、逝かせてやろう……」

(くそ……ここまで、なのか……?)


 間近に感じる死の気配に、ジーノはぎゅっと瞼をつぶった。

 網膜に、町の人々の笑顔が浮かぶ。まるで全体がひとつの家族のように温かなあの町が。

 そして、レイルの笑顔が。無鉄砲で放っておけない、大事な大事な親友の、太陽のような笑みが。


(……いやだ)


 立ち上がれない身体で、拳を握りしめた。


(……オレは……守りたい……。レイルも、町のみんなも……。だって、オレは……!!)


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