小さな勇気
「っ……、はぁ……はぁ……」
その頃、灯台を抱く崖の上で、ジーノは剣を片手に荒い息を吐いていた。
地面に大きな穴をあけて出現したのは、巨大な植物の蔓だ。それらは生き物のようにうねり、ジーノを狙っていた。地面ごとジーノを押し潰さんと己を叩きつけ、またあるものは刃のように鋭い葉で切りかかる。それを躱し、剣で切断するが、新たな蔓が地面を割って現れ、ジーノに襲い掛かる。
その様子を、タリは灯台の陰に隠れて見つめることしかできないでいた。がたがたと小刻みに震え、瞳には涙が溜まり、攻撃を避けきれずに少しずつボロボロになっていくジーノの姿を見つめていた。
「ふふっ、エレメントの継承者というのも、大したことありませんのね。……もっとも……わたくしの呪いを受けて動ける程度には、力はあるようですが」
ジーノの姿を見て、眼前に立つ女性が妖艶な笑みを浮かべていた。彼女こそが、ドゥルケンハイト軍第四師団長にして、この騒乱のもう一人の元凶であるリリアーナ=エクセであった。
百合の名の通り、百合の花をモチーフにしたドレスを身に纏い、白いユリの花を象った杖を手にした女性の背後には、魔法陣が刻まれた大きな魔石が、オブジェのように置かれていた。
「どうしましたの? わたくしと、わたくしの魔術で生み出された魔法植物を倒さずとも、この魔石さえ壊せれば、わたくしの術は消えるのですのよ? そう悠長にしていてよろしいのですか?」
「はあ……はあ……。い、言われなくても……すぐに壊してやる……!」
「……そうですか。……ですが、今のあなたにできますかしらね?」
そう言うと、リリアーナは杖の先端をジーノに向けた。
「ぐぅ……!?」
その瞬間、ジーノは右手で心臓の辺りを抑えてうめき声を上げた。その隙を見逃さず、植物がジーノの身体を殴りつける。
「うあっ! あ……ぐぅ……!」
「ああ……ジーノ……お兄ちゃん……!」
「……大丈夫、だから……タリは……隠れてて……」
痛みに顔を歪めながらも、ジーノはタリにそう笑いかけた。
しかし、シャツの袖から覗く腕、果てには首元にまで、黒々とした茨が絡みついていた。それはジーノの身体を蝕み、その太刀筋を鈍らせていた。
「大丈夫とはよく言えたものですね……もはや立っているのもやっとでしょうに」
そんなジーノの強がりにあきれ果てたと言わんばかりにリリアーナが呟いた。
「あなたは愚かですわね? 子どものくだらない口論を止めるために海に飛び込んで、その結果今あなたはこんなに苦しむ羽目になっているのですよ」
魔石を介して見ていたのだと、リリアーナは言った。
「……そうだ……タリのせいで……。タリを助けようとしたから、お兄ちゃんは……」
「子どもの喧嘩に加担しなければ、あなたは呪いにかからなかった。それにこの町を見捨てれば、あなたはわたくしの手にかかることもなかったのに。しかも、わざわざお荷物の子どもを連れてきて、自分の退路を自分で塞いで……」
「こんな甘ちゃん一人倒せないなんて……ヴィンツェンツィオ少佐もエルド大尉も、手を抜きすぎですわね」とリリアーナが呟いた、見下すようなとげのある言葉に、タリはうつむき唇を噛んだ。
その通りだ。今のタリは、足手まといの何者でも無かった。
咄嗟に案内役を買って出たが、戦う勇気の無いタリは、戦闘になれば障害にしかならない。足が竦んで逃げることもできないせいで、ジーノはリリアーナと対峙するしかない。しかも、彼にかけられた呪いは、自分を守るための行為が原因だったのだ。
いじめっ子から助けてくれた……自分を弱虫じゃないと慰めてくれた……そんな恩に、仇で返しているようなものだった。
「……訂正……しろ……」
ジワリと滲んだ涙が、タリの瞳から零れ落ちそうになったその時、ジーノの声が耳に飛び込んできた。
剣を支えにして、ふらつきながらも立ち上がったジーノは、まっすぐにリリアーナを睨みつけた。
「タリは、お荷物なんかじゃない……」
「……何をおっしゃってますの? 現に戦うことも無く、そんな隅で震え上がっていることしかできない置物ですわよ?」
理解できないと、リリアーナが首を傾げる。しかし、ジーノは首を横に振った。
「タリは、オレ達を助けてくれた。それに、戦えないからってお荷物なわけじゃない。戦えないのなら、戦える人が守るだけだ」
熱で頭が重く、植物による攻撃で全身が痛みを訴えてもジーノは己の剣を構えた。
「オレはタリを守りたい。この町の人を守りたい。だから強くなれる! 絶対に負けられないって思える! お前達に、負けたりしない!!」
圧倒的に不利な状況でも諦めないジーノの視線に、リリアーナは息を呑んだ。
ああ……確かに危険だ。
この男は自分達の……そして何より『彼』の道を阻む、危険な存在だ。この場で排除しなければならない脅威だと、リリアーナは直感した。
「……負けられない? そんなこと……わたくしだって同じです!!」
リリアーナが叫びと共に杖を振り上げる。それに呼応し、ジーノの中に忍び込んだ呪いが暴れ回り、ジーノは苦痛によろめいた。
そして、振り下ろされた杖が蔦を操り、ジーノを縛り上げた。
「しまった……!」
空中に捕縛されたジーノは、必死に振りほどこうと身を捩る。しかし胴と首に回された蔦がギリギリと締め上げ、彼の呼吸を阻害する。
「……あの方のために、わたくしは負けることなど許されませんの……」
リリアーナは花弁状のフレアスカートをなびかせ、ジーノに歩み寄った。左腕を胴ごとがんじがらめにされたジーノには、彼女を攻撃する術は残されていなかった。
「さあ……どうしましょうか? その呪いで熱に浮かされて死にます? それともその蔦に締め上げられて窒息死? 全身の骨を砕かれるのがお好みかしら?」
「く……そ……」
次第に強まる締め上げ。右手で何とか首の蔦を引きはがそうとするものの、熱でうまく力が出ない。上手く酸素を取り込めず、ジーノの意識が朦朧としてくる。
必死に握りしめていた剣が左腕から零れ落ちたのを見て、リリアーナはジーノの死は確定的だと、踵を返した。
「……だめぇぇぇええッッ!!」
「なっ!?」
刹那、響き渡った子どもの叫び声にリリアーナは振り返り、目を疑った。
物陰から飛び出したタリが、蔦をぶちぶちと引き千切っていたのだ。
「そんな……! 鋭利な刃物ならばともかく、素手では大の男でも引き千切るなんてできないはず……!!」
信じられないと、開いた口が塞がらないリリアーナを尻目に、タリはあっという間にジーノを拘束する蔦を全て取り払ってしまった。
「タリだって……タリだってみんなを助けたいもん! パパも、ママも、お兄ちゃんたちも……タリだって、タリだって、力になりたいもん!!」
そう叫ぶと、タリはスカートの両サイドに付けていたピンクの大きな貝殻を取り外した。
二つを合わせた瞬間、魔力が集まり結晶化した。タリの身の丈の同じくらいの大きな刃が形作られ、反対側には青い真珠のあしらわれた柄が出現した。
タリはその大剣を持ち、リリアーナに……その先の魔石に向かって駆けだした。
「魔石を……そうは、させませんわ!」
「タリに、手出しはさせない!!」
蔦を操りタリを妨害しようとしたリリアーナだが、その前にジーノが彼女に体当たりした。リリアーナが魔術の照準を外した隙に、タリはその大剣を振り上げた。
「タリ……!」
「タリだって……タリだって! 強く、なりたい!!」
思い切り振り下ろされた剣は、幼い身体と不釣り合いな怪力を有するタリの腕力を受け、魔石を粉々に砕いた。黒々とした魔力が破片から解き放たれ、それと同時にジーノの身体に巻き付いた茨が消え去った。
「まさか……わたくしの魔石が、一撃で……!?」
わなわなと震えるリリアーナ。その時、ガルーダに乗ったルディがリリアーナの許に飛来した。
「……リリィ、任務は失敗した……」
「なんですって!? グリモ准将、あなたまで……!?」
「……魔物のみんなが、怖がって戦えない。呪術も解かれたし、勝機は無い……」
淡々とした声音で諭され、リリアーナは杖を握りしめた。そして、諦めたと溜息を吐き、ガルーダに乗った。
「……わかりましたわ。水のエレメントとこの町は諦めます。ですが……継承者の一人くらいは、仕留めさせていただきますわ!! 《フリーズアロー》!!」
瞬間、リリアーナが振るった杖から氷塊が発射された。それは呪いの影響でまだ足元が覚束ないジーノに直撃し、彼を吹き飛ばした。
「ぐはっ!!」
宙を舞ったその身体は重力に引かれて落下する。崖下の海の中へと、真っ逆さまに、墜ちていく。その様子を見届け、二人の師団長を乗せたガルーダは空へと飛び立った。
息を切らせて駆けてきたレイルが見たのは、まさにその瞬間だった。
「ジーノッッ!?」
レイルは必死に手を伸ばすが時既に遅く。ジーノはザブンッという音を立てて、海面に吸い込まれていった。
「ジーノ! ジーノッ!!」
「落ち着け嬢ちゃん! いくらなんでも、こっから飛び降りたら嬢ちゃんまで危ねえだろ!?」
半狂乱で飛び込もうとするレイルを、サーヴァが羽交い絞めにして取り押さえる。
「離してよおっさん! ジーノが、ジーノがぁ!!」
「わかってる! だからこそ、ここは落ち着いて下に……」
じたばたと暴れるレイルを説得しようとしたその時、小さな影が地面を蹴った。
スカートをたなびかせ、タリは迷うことなく崖から飛び降りた。「タリ嬢ちゃん!」とサーヴァが叫ぶよりも早く、ジーノよりも控えめな音を立てて、タリは海へと潜っていった。
全身に纏わりつく水の感触に、タリはギュッと目を閉じていた。
今よりも幼かった頃、入り江で足を滑らせて海に落ちた時の記憶が蘇る。
未発達な呼吸器官では、メーレ族とも言えども、水中で完全に呼吸できなかった。息苦しさからもがけばもがくほど、身体はどんどん沈んでいった。このまま海の底まで堕ちていく……幼い心に刻みつけられた、死の予感という名の恐怖。
(……こわい……こわいよ……。……でも……!)
その記憶を振り切り、タリはカッと目を見開いた。
その目が、沈んでいくジーノを見つけ出した。戦いのダメージと、海面に身体を打ち付けた衝撃で動けないのだろう。ピクリとも動かずに沈んでいくジーノに、タリはバタ足で追いついてしがみついた。
(タリは……タリはなきむしで、よわむしで、役立たずだけど……でも……)
(お兄ちゃんを、助けたい!!)
『……わかりました』
その幼く無垢な願いに、女性の声が応えた。
海中が淡い水色の光を帯び、タリとジーノを包みこむ。二人を海面へと押し上げながら、声の主がタリへと囁いた。
『貴女の願い、確かに聞き入れました。貴女の優しき想いに敬意を表し、私の力を授けましょう』
温かな光がタリの左手に集まる。小さな人差指に灯った次の瞬間、光が弾けたそこには水色の宝玉が煌めく指輪が嵌められていた。
『貴女に、わが水の力を授けましょう……。貴女の大切な方を守るため……恐れることなく、お行きなさい』
そう優しく告げられた瞬間、二人は吹き上がる水の柱によって、崖の上へと押し戻されていた。
「っ、げほっ、ごほっ!!」
「ジーノ!! ジーノ大丈夫!?」
「……れ、レイル……? ……ああ、大丈夫だ……」
飲みこんだ海水にせき込みながらも、ジーノは駆けよったレイルにそう返した。
不思議なことに、呪いによる熱はもちろん、蔦に付けられた傷もきれいさっぱり消えていた。そのことに首を傾げながらも、ジーノは自分を追いかけて海に飛び込んだタリに「ありがとう」と微笑んだ。
「っ!? おいタリ嬢ちゃん、その指輪……!」
その時、サーヴァがタリの左人差指に嵌められた指輪に気が付いた。同じくエレメントを持つ者だからだろうか、ジーノとサーヴァは一目でその指輪の正体に気が付いた。
タリは指輪をはめた左手を、右手でそっと握りしめた。ひとつ大きく深呼吸をして、タリはレイルを、サーヴァを、そして、ジーノの目を見て口を開いた。
「あのね……タリ、ジーノお兄ちゃんたちといっしょに行く!!」




