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半人前人魚

「……ん……ぅ……?」


 意識が浮かび上がり、ジーノは目を開いた。


 ぱちぱちと瞼を二、三回瞬かせれば、ぼんやりとした視界がクリアになっていく。

 枯茶色の木でできた天井。上体を起こしてみれば、同じく木でできた室内にいることが分かった。


「……ここは……? オレ、は、一体……?」


 ぼんやりとする頭で思考を巡らせる。先程まで、何かの夢を見ていた気がするが、それが何か思い出せない。いや、そもそも自分はどうしてこのような見知らぬ場所で眠っていて……


「ッ!! レイル!? サーヴァ!?」


 覚醒した脳が、直前の記憶を思い出させた。

 自分達は、エルドと名乗る少年と戦い、そして彼の仕掛けたであろう最後の罠にかかって、鉄砲水に巻き込まれたはずだ。

 自分が眠っていたベッドから飛び起き、きょろきょろとあたりを見回した。

 左耳に手を当てれば、イヤリングの硬質な感触が伝わってくる。ベッドの脇の小さな机にはたたまれた外套とベストが置かれ、自分の剣が鞘に収まり立てかけられていた。


「あらあら~、気が付いたのね」


 不意に呼びかけられ、ジーノはバッと声をした方を向いた。

 ぽっちゃりとした体形の、穏やかな笑みを浮かべる女性。貝殻のバレッタでまとめた波状に波打つピンクの髪。それをかけた耳は、自分達とも、エルドとも違い、魚のえらのような形をしていた。その特徴的な容姿から、ジーノは彼女が水を自在に泳ぐ力を持つ民族・メーレ族であることに気が付いた。


「いやぁよかったねぇ。うちのがあの場所で遊んでなかったら、アンタ達今頃魚の魔物の腹の中だったわよ」


 ニコニコというその微笑に敵意が感じられず、ジーノは肩の力を抜いた。


「あ、あなたが、助けてくれたんですか? ありがとうございました」

「そうかしこまるもんじゃないわよ! 何があったのか知らないけど、困った時はお互いさまよ」


 頭を下げて礼を述べるジーノに、女性は笑ってそう返した。


「そうそう! アンタのお連れさんはもう起きて外にいるよ」

「……! そうですか、ありがとうございます!」


 女性の言葉に二人の無事を知り、ジーノは顔をほころばせた。ベストと外套を纏い、剣を腰に提げ直し、ジーノは女性にもう一度礼を述べて外に飛び出した。

 外に出れば、目の前に青い青い海が広がっていた。

 ざぁ……という潮騒の音。鼻をくすぐる、独特の塩気を含んだ匂い。キラキラと光り、穏やかに波を繰り返す海上には、木でできた水上家屋が建てられていた。


「おう、ようやく起きたかジノ坊!!」


 聞き慣れただみ声に呼ばれてそちらを向くと、サーヴァが屈強なメーレ族の男と談笑していた。

 淡い水色の髪を無造作に掻きあげてまとめ、身長こそサーヴァに劣るものの、負けず劣らずの筋肉を纏った巨躯をさらけ出すメーレ族伝統衣装を纏った男は、ジーノを興味深げに見つめてニヤリと微笑んだ。


「ほう? あの娘っ子よりもねぼすけとは、彼氏としちゃあなっちゃないんじゃないかね?」

「かっ!?」


 その言葉に、ジーノの顔が真っ赤に染まった。慌てて首をぶんぶんと横に振り、両手も同じように振って否定のサインを出した。


「ち、違う!! 違いますって!! というか、いきなり何を言い出すんですか!?」

「そうだぜルシオ。ジノ坊は今必死になって振り返ってもらおうと、ガキなりに頑張ってんだ。そう茶化してやんなよ」

「それも違うって!!」


 サーヴァの的外れなフォローの言葉により否定の言葉を荒げるジーノは、若人のひた隠しにしようとして隠しきれていない恋心を見抜いた男達に遊ばれていることに気づいていなかった。


「そ、それより! レイルと……エルドはどこに?」


 らちが明かないとジーノが話題を変えると、あからさまな態度に、サーヴァとルシオはくつくつと笑った。


「レイルはこの町を回ってるぜ。運よくわしらは、目的地のサタマリンに流れ着いたらしくてな。情報収集と買い出し兼ねて、散策に行ってるぜ」

「そっか。何はともあれ、結果オーライだな」

「……エル坊に関してはわからん。わしらが倒れていた場所にはいなかったらしい。まあ勘ではあるが、あの坊主も案外しぶとそうだし、うまく生き延びてるとは思うが」


 レイルが無事であること、そしてなんだかんだで予定通りに事が運んだことに安堵するが、エルドの所在が分からなくなったことに関しては、ジーノの心に影を落とした。たとえ敵とはいえども、願わくば生きていて欲しいと思う自分は甘すぎるのだろうか、とジーノは誰にも言わずに自問自答した。


「……ん?」


 その時、ジーノは視線を感じて振り返った。

 何の変哲もない、木造建築の建物が並ぶ街並み。その陰からこちらを窺う人物がいた。

 建物の陰に隠れ、頭半分だけを出してこちらを覗き込んでいたのは、十歳前後と思われる少女だった。

 ピンク色の髪は、先ほどであった女性よりも淡く、桜貝のようだ。瞳は髪色を濃くしたような、大きく丸い桃色水晶。ちらちらと見えるのは、水色と紺のツートーンのサマードレス。ぴょこっと飛び出した、メーレ族特有の鱗の耳も、幼さゆえの愛らしさを醸し出している。


「あの子は……?」

「タリ嬢ちゃん! んなとこに隠れてねぇで、こっち来な!」


 首を傾げるジーノをよそに、サーヴァがそう大声で招いた。


「ぴっ!!」


 しかし、少女はそんなすっとんきょうな悲鳴を上げたかと思うと、スカートの裾を翻し、一目散に逃げていってしまった。


「あ~あ、逃げられちまったな」

「悪いなぁ。うちの娘はどうも引っ込み思案でいけねえ」

「娘?」


 ジーノが聞き返すと、ルシオはこくりと頷いた。


「名前はタリ。俺とシャノアの一人娘だ。かみさんに似てかわいいだろ~?」


 にっかりと笑い、嫁バカ兼親バカともとれる発言をするルシオ。おそらくシャノアとは、先ほど会った女性のことだろう。しかし、この豪放磊落としたルシオと、肝っ玉母さんという言葉が似合うほがらかさをもったシャノアとの間に生まれたとは思えないほど、あの少女は震えていた。


「人見知りが激しくてなぁ……この町にさえ、ろくに友達も作らずにひとりでふらふらと……悪い子じゃあ断じてないんだが、ああもビクビクしてたら作れる友達も作れんだろうに……」

「まあ、それに関しちゃあ、嬢ちゃんの心のタイミングに任せるしかねぇだろうな」


 キセルを片手に溜息を吐いたルシオに、サーヴァがそう説き伏せる。「わかっちゃいるけどよぉ……」とうなだれるルシオからは、本当に娘を大切に思っていることがひしひしと伝わってきた。


「……」


 ジーノは、タリが走り去った方角を見つめた。

 ひかえめに、しかしじっと自分を見つめていた瞳が、わずかに揺れていたのが見えた。


「……オレ、あの子を探してくる」

「ん? いきなりどうしたジノ坊?」

「特に理由は無いけど……いくら自分の住んでる町とはいえ、女の子一人でうろうろしてたら危ないから。それに、助けてくれたお礼も言いたいしな」


 そうとだけ告げると、ジーノはタリを追いかけてサタマリンの町を駆けた。


 港町ということもあり、町は活気に満ちていた。外交が霧によって封鎖されてしまったとはいえ、近海でとれる海の幸や、他国の文化を吸収して独自に発展させた食や雑貨類を売る屋台が立ち並び、平穏さと賑やかさを併せ持った独特の雰囲気を持っていた。


「……さすがに、こうも人が多いと見つからないな……」


 きょろきょろと視線を動かして、あの少女を探す。しかし、普通の人間ならばまだ目立つが、桃色の髪はメーレ族には珍しくない。加えてあの小ささでは、簡単に人込みに紛れてしまうだろう。


「……あの子は人見知りだって言ってたから、人がいない場所の方がいるのかな……」


 そう思い付き、ジーノは町はずれへと足を向けた。

 地図を見たところ、船着場から少し外れた場所に入り江がある。そこなら、少しは人の往来は無いだろう。そう思って歩を進めていったところ、しかしその予想とは裏腹に、数人の声が聞こえてきた。


「……子どもの、声?」


 居るとしても、岩部に生息する貝などを取りにきた漁師程度だろうと思っていたのだが、聞こえてきたのは声変わり前の子どもらしい、甲高い声だった。それに違和感を覚え、ジーノは声が聞こえる先へと駆けだした。


「おい! 早く入れよ!」

「さっさと行けよ弱虫!」


 聞こえてくるのは、明らかに誰かを罵り傷つけるような刺だらけの言葉だった。

 岩陰から様子を窺えば、メーレ族の子ども達が輪になって何かを……いや、誰かを囲んでいた。


「あっ……!」


 いじめっ子達に囲まれていたのは、タリだった。地べたにペタンと座り込み、えぐえぐと涙を流していた。そんな彼女を取り囲む五人の少年少女達の誰一人、彼女を案ずることはなかった。


「ねえ! あなたがどんくさくってわたしにぶつかったせいで、パパからもらったブレスレットおっことしちゃったじゃない! ちゃんともぐってひろってきてよ!」

「で、でも……タリ、およげな……」

「なんで泳げないの!? あたしたちと同じメーレ族なのに!?」


 女子二人にそう詰め寄られ、タリは反論すら出来ずに縮こまることしかできなかった。


「メーレ族のくせに水がこわいなんて、はずかしくないのかよ~」

「な~きむし! よ~わむし!」

「う……ふえぇ……」


 そんな少女を男子が茶化して追い詰める。ついにタリは声を上げて泣きだしたが、それでも子ども達はタリを解放せずに、ブレスレットが落ちたのであろう海中へと突き落そうとした。


 その時、バシャンという音を立てて、水面から飛沫が上がった。

 そう時間がかからずに、音の正体……水の中に飛び込んだジーノが浮上して、入り江に上がってくる。そして、見知らぬ人物の登場に目を丸くする子ども達に近づき、そして女の子の前にしゃがんだ。


「ほら。落としたのはこれかな?」


 ジーノが手渡したのは、貝殻で作られた花があしらわれたブレスレットだった。少女は戸惑いながらも、それが自分のものだと確認し、「ありがとう……」と小さな声で呟きながら受け取った。


「みんな、嫌がってる子に、それも女の子に寄ってたかって海に落とそうとするのはダメだぞ?」

「だ、だってこいつが……」

「確かに、タリがブレスレットが海に落ちる原因だったかもしれない。でも、だからって無理矢理海に落としたりしたら、いくらメーレ族でも危ないだろ? それに、悪口を言って女の子をいじめるなんて、カッコ悪いぞ?」


 男子が納得できないと言わんばかりの表情を浮かべるが、ジーノに諭され押し黙った。そして「こんな足場の悪い場所で遊んでたら危ないぞ」と言うジーノの言葉にこくりと頷いて、子ども達は町へと帰っていった。


「あ……の……」


 彼らの背を見送ると、座り込んだままだったタリが、おずおずと声をかけてきた。


「大丈夫? 怪我はない?」

「あ……う……」


 ジーノがにこりと微笑んでそう問いかけると、タリは顔を真っ赤にして不明瞭な声を発しながらもこくりと頷いた。


「……ごめんなさい」

「どうして謝るんだ?」


 ジーノが首を傾げると、タリは体育座りの体勢になり、スカートを纏った膝に顔をうずめた。ジーノはその隣に、そっと腰を下ろした。


「……きいてたんでしょ? タリのこと」

「……泣き虫だってこと?」

「ううん。……タリが、およげないこと」


 タリは海を見つめながら、寂しげにそう言った。


「みんなはね、海をすいすいおよげるの。だって、それがふつうだから。でも……タリだけが、みんなとちがっておよげないの」

「何か、理由があるのかい?」

「……タリが、こわがりなせい。前に海に落ちて、その時はまだうまくおよげなくて……がんばっておよごうおよごうってしてるのに……ぜんぜん……!」


 徐々に嗚咽交じりになっていく告白。ついにタリは顔を手で覆い泣きじゃくり始めた。


「わっ!? ご、ごめん……!」


 慌てふためき躊躇いながらも、ジーノは彼女の波うつ桃色の髪をそっと撫でた。

 触れた瞬間、その小さな肩がびくりと跳ねたのは、いじめられた時に叩かれでもしたからだろうか? しかし、グローブ越しの手が、害意の無い温かさに満ちていることをすぐに感じ取り、タリはジーノの手を受け入れた。


「……パパも、ママも……ぐすっ……みんなさいしょはそうだからって……ひっく……でも、でもタリ、こわくて……海はすきなのに……すきなのにこわくてぇ……」


 しゃっくり交じりの泣き声を上げる少女の頭を、ジーノはそっと撫でてあやしてやった。

 周りの誰もが当たり前のようにできることがままならない。そして、自分自身がそれを嫌いと思っておらず、むしろ好いている、できるようになりたいと思っている……ジーノは、タリのその想いに、ずきりと胸を痛ませた。


「……タリは、臆病者なんかじゃないよ」


 そんな言葉に、タリはおずおずと顔を上げた。


「タリのお母さんが言ってたよ。川でおぼれたオレ達を見つけて助けてくれたのは君なんだろ? ありがとう、オレ達のことを助けてくれて」

「そんなこと……タリは……」

「きっとオレ達のことを無視して逃げたりできたはずだよ? でも、そうしなかったのは、タリの優しさで、強さだよ」


 ジーノが微笑んでそうお礼を言うと、タリは気恥ずかしそうに視線をそらしてもじもじと身体を動かした。


「……お兄ちゃん、どうしてタリにやさしくしてくれるの……?」

「……どうしてだろうな」


 タリの言葉に、ジーノは曖昧にそう答えた。

 その瞬間だった。


「うわああああっっ!!」


 子どもの叫び声が木霊して、ジーノとタリはハッと息を呑んだ。


「今のって……」

「さっきの子達か!」


 ジーノは立ち上がり、うろたえ立ち尽くすタリを見て、手を伸ばした。


「タリ、一人でいるのは危険だ! 一緒に行こう!」

「う、うん!!」


 差し伸べた手をしっかりと握りしめたタリを連れて、ジーノは声のする方へと駆けだした。


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