9.魔王はじめました
―――それじゃ試しに魔法を使って見ようかヴァン君
ヴァンが目を覚ましてから三日、ようやくそれなりに身体が動くようになっていた。言われるがまま歩くこと数分。小屋の中がなぜこんなにも広いのかということには、もはや疑問を感じることはなくなっていた。
見渡す限りの地平線を眺めながら歩くのにも慣れては来たが、変わることのない景色をひたすら歩くというのは、なんとも気持ちの悪いものだが、足取りは思いのほか軽やかだった。霊物学的進化というものがどの程度の変化を自分に及ぼしているかということに期待に胸躍らせている証拠だろうか。
幼少のころに絵本で知って、当時は友達とともにジャンソンごっこなんてものをしては、誰が英雄役をするのかと喧嘩になったことをふと思い出していた。
よもや自分がその英雄と同じ力を手に入れたらしいということに、まだ実感は追いついていない。
「この辺でいいかな」
イザベラは徐に足を止めた。辺りを見渡しても別段なにかがあるわけではない。 ただ浩然と何もない空間が広がっているだけだ。
自分が何かを見落としているだけなのかと、ヴァンは周りに気を巡らせてみたがやはり何かがあるようには感じられなかった。
「ちなみにヴァン君は普段どんな魔法を使っているんだい」
イザベラの声が探索に割いていた意識を引き戻した。
「えーっと……炎を標的に向かって突き刺す感じですね」
「なるほどなるほど。ちなみに魔力調節って何段階くらいでできる?」
「魔力調節ですか……?弱中強の三段階ですかね」
「三段階かぁ……」
イザベラは何やら考え込んでいた。
宙を指でなぞり計算らしきものをしては首をかしげていた。
三段階ではまずかったのだろうか。やろうと思えば五段階くらいの調節はできるのだが、質問の真意が読み取れなかったので敢えて訂正はしなかった。
「あの、イザベラさん?」
「――――あぁすまない。まぁあんまり細かいことを気にしてもなんだしね。とりあえず最大限手加減して、あれに魔法を使っておくれよ」
そう言ってイザベラが指さす先には、巨大で無機質な真っ黒の立方体が姿を現していた。百メートルほど先であるにもかかわらず、落下の衝撃で地面が揺れるのを感じた。目算でも十メートル四方だろうか。
「なんですかあれ?」
「純度百パーセントのアダマンタイト鉱石だよ」
「ま、まじですか……」
アダマンタイト鉱石と言えば、惑星シャーレで手に入る鉱物資源の中では最も堅く。その強度から武器や防具などの素材としては高値で取引されている。
手のひらサイズの鉱石でさえ半年遊んで暮らせるくらいのお金にはなる。
「どうしたのヴァン?」
るーが不思議な顔をして、今にも目玉が飛び出しそうなヴァンの顔を覗き込んでいた。
「いや、ここ最近の常識の破たんの中では最大級だったからつい」
別の惑星からやって来た少女も、竜王に出会ったことも常識の外ではあったが、あまりにも常識に反していたため案外受け入れられていたのかもしれない。
一方で、下手に現実味があるだけ、目の前のアダマンタイト鉱石には驚きを隠せなかった。アルメリア王国の宝剣もアダマンタイト鉱石でできているが、あれを使えば宝剣が何本作れるのだろうか。
「そ、それじゃあ行きますね」
動揺はいまだ消え去ってはいないが、ヴァンは久々の魔法を発動させる。
イザベラの言う通りになるべく手加減をして、赤子の頬をつつくほどの力加減で、アダマンタイト鉱石に向かって力を放った。
感覚はいつも通り、標的に対して発現したい現象をイメージし、頭の中でトリガーを引く。
魔法発動のためのマナもごく少量、正常に発動すれば標的を包む程度の炎が現れるはずだったが、刹那目の前に現れたのは巨大な嵐のような炎の渦だった。
百メートル先にある巨大なアダマンタイト鉱石はいくらかも耐える素振りもなく跡形もなく蒸発し、その圧倒的な熱量は離れている筈のヴァン達にも迫っていた。慌てて避難しようとしたが間に合わない。目の前まで炎が迫ってきていたが寸でのところで見えない壁のようなものに遮られていた。
ふと目を横にやると、イザベラが壁を作ってくれていたようだ。
まるで神話に出てくる神の息吹のようなその炎嵐。
一番驚いているのは当の本人のヴァン、るーも呆然とその場に立ち尽くしている。
「と、止まらない!?」
悲鳴めいた声をヴァンは上げた。
普段なら使ってしまえば勝手に止まるはずのそれは、永遠と続く地獄の業火のように燃え続けていた。
「普段はどうやって止めてるんだいヴァン君」
「い、いつもは勝手に止まりますけど!?」
「なるほどぉ、その理屈だと一年くらいは止まりそうにないねぇ」
イザベラは呑気そうに笑っている。
るーはあまりの熱量に根を上げたのかヴァンの後ろに身を隠している。
いくら手綱を引こうが止まることがないそれは、初めて荒馬に乗った時を思い出す。どうすればこれは止まるのだろうか、一度出した魔法の止め方なんてものは学んだことがない。むしろその必要性を認識している人間がこの世にどの程度存在しているのだろうか。
魔法だろうとなんだろうと、原料を使い切ってしまえばそれは止まる。
発動させるために使ったマナを使い切ればそれは当然すぐに止まるはずなのだ。
「もしかして、本当に止め方知らないのかい?」
呆れ顔で聞いてくるイザベラに、必死に首を縦に振った。
「それじゃまずは力加減と止め方を覚えないとねぇ」
”パンッ”とイザベラが手を叩くと、先ほどまでの炎嵐は跡形もなく消え去っていた。
るーはキラキラとした瞳でヴァンを見つめているが、当のヴァン本人は恐ろしく暗い顔をしている。脂汗でべったりの額を拭っては見たが、嫌な汗はとどまることを知らない。この汗は決して熱気のせいではなく自分が手にしたものの巨大さに気づき、唖然とするほかにないのだ。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、果たしてこの人の身に余る力を、自分は御しきることができるのだろうか、少年の不安の根源はあまりにも強大かつ巨大なものになっていく。
「事態は飲み込めたかいヴァンくん?」
イザベラからの問に、ゆっくりと首を振ることしかできなかった。
先ほどのイザベラの質問の意図も理解できた、こんなもの到底使えるはずはない。
あまりに緊迫しているヴァンの表情にるーも何かを悟ったようだ。
「力の使い方、教えてもらえるんですか?」
「もちろんさ、そこまでが契約内容だからねぇ。ま、その前にご飯にしようじゃないか」
気づけばるーはすっかり料理当番になっていた。
本人もなかなか気に入っているらしく、作る品の数は日に日に増えていった。
曰く、料理なんて一度もさせてもらえなかったのから楽しいのだそうだ。王族なんてものはそういうものだろうか。
料理を頬張りながら、ヴァンはイザベラの説明に耳を傾けていた。
魔力制御の基本原理、そもそも魔法とは何か、アストラルサイドとはetc。
どれもこれもギルドで学んだ内容とは異なっていた。いや、大筋では同じなのだがニュアンスが異なるといった感じだろうか。
そもそもギルド学んだ内容にアストラルサイドなんて話は出てきていないので、これの理解が最もヴァンを苦しめていた。
「アストラルサイドでのエーテルの魔法変換って、具体的にはどういうことですか?」
「ざっくり言うと、頭の中のイメージを魔法としてこちら側に物理現象として置き換えてるってだけなんだけどね。」
「それって想像したものはなんでも出せるんですか?」
「そうだね、理論上は可能だよ」
「もはや神様見たいですねそれ」
「ずばりその通り。魔法っていうのは神様に願い事をしてるようなもんさ。通貨として必要なのがエーテルで、その材料がマナってところかね。で、アストラルサイドにエーテルを渡すにはチャネルを通す必要があるんだけど、それをこじ開けて広げるのが霊物学的進化さ」
「で、コントロールってのはどうやってすれば」
「それはもう、身体で覚えるしかないんじゃないかな。おねーさん分かんなーい」
魔法の止め方については早々に理解できたし実践もできた。
詰まる所、なかったことにする魔法を使えばいいということだった。
力加減も気にする必要なんてない、自分が作り出したものの一切合切をなかったことにするだけでよいのだ。
一方で力加減を覚える作業は想像を絶する苦労を伴うこととなった。
指を動かすか動かさないか程度の力加減、この程度でさえ先のリリンカールドラゴン襲撃時同様に街中で使えば、街の壊滅は必至であろう威力である。
目に見えない針に糸を通すような繊細さが必要だった。
ジャンソンの逸話がなぜすべて派手なものばかりなのかと不思議に思っていたが合点がいった。おそらくその規模でした制御できなかったのだろう。
「それに……しても……」
精神疲労が極限まで蓄積したのか、ヴァンはその場で眠りについた。