6.カールツェン・ドライツェン
第1都ラーマ近郊、ドライツェン邸宅
「想像してたよりだいぶ大きな家だなぁ……」
王族の中でも変わり者で有名なドライツェン家。
一族の悲願として英雄ジャンソンの足跡を解明することに没頭していることはもはや国中で知らぬものがいないほどである。
そんな変わり者一族筆頭、現当主のカールツェン・ドライツェンが今回『ジャンソンの謎を追え』のクエストの依頼者だ。
カールツェンの変わり者っぷりはそれだけではなく、エルフでありながら魔法ではなく剣術に重きを置いている。本人としてはエルフ特有の魔法至上主義からくる傲慢さが気に食わず、ささやかな反抗のつもりで剣術を選んだのだが、またドライツェン家が変なことをやっているとしか思われてはいなかった。
ちなみにエルフが剣術を学ぶということは、悪魔が聖書を嗜むとまではいかないまでも、世間一般の常識からすればかなり逸脱したものとだけ言っておこう。なにせ魔法に秀で、魔法によって精霊と対話し、故の王族であるはずのエルフが、魔法を否定し剣術に走っているのだから。
「ヴァン、いい加減その開きっぱなしの口閉じたら?」
ヴァンは、眼前に広がるドライツェン家の館を門の外から眺めつつ、初めて鯨を見た子供のような顔をしていた。
るーに呆れ顔で話しかられ、自覚していなかったのか、ヴァンは言われた瞬間顎が外れていないかと心配するほどに開いた口を閉じたが、すぐにまたもとに戻った。
ヴァン・シュタイン・リッヒーは平民の出で、幼少は孤児院で暮らしており、冒険者となってからも田舎町専属であったため、王族の館など当然みるのは初めてだったのだが、はじめはそれが家なのかどうかすら理解できない程だった。
一体なぜこんなにも大きな家に住んでいるのだろうと疑問に思うヴァンであったが、一方で、さすがに王女からすれば、この程度の屋敷には驚きもしないのかと感心していた。
「もう、しゃきっとしないさい」
ヴァンの背中を、ドラゴンの一撃かのようなるーの平手打ちが一閃する。
「痛い!――――分かった、分かったから!!」
二人が夫婦漫才を繰り広げているところに、ドライツェン家の執事らしき老人が現れた。
「私ドライツェン家で執事をしておりますジースと申します。漆黒の炎帝、ヴァン・シュタイン・リッヒー様とお見受けいたしますが……」
その老人を執事と判断できたのは服装のみで、どちらかと言えば剣と鎧の方が似合いそうな佇まいだった。
「あ、はい。ジャンソンのクエストの件でリリンカールギルドより参りました」
「お待ちしておりました。どうぞこちらに」
ヴァンとるーは、十分ほど庭を歩き、館の客間に案内された。
館の中はいかにも王族と言った煌びやかな装飾品など一切なく、見渡す限り本で溢れかえっていた。客間として案内された部屋のテーブルの上にも所せましと書物が積みあがっている。本以外のものは剣や甲冑が置いてあるが、明らかに装飾品ではなく実用品だ。
ジースはテーブルの上の本を無造作に押しのけ、ようやく作ったスペースにお茶を並べた。
「もうそろそろ、旦那様もいらっしゃると思いますが、お待ちいただく間にお茶でも……」
ジースがそういってお茶を用意していると客間の扉が開いた。
現れた男はいかにもエルフと言った面持ちで、髪は金色、瞳は深緑、耳は尖りっている。面識はなかったが、ヴァンはその男がカールツェンだと気づいたのか慌ただしく席を立ち挨拶をしようと近づいた。
「はじめまして、ジースから何か聞いているかもしれないが、私がクエストを依頼したカールツェン・ドライツェンだ。君が噂に聞くドラゴン殺し、漆黒の炎帝ヴァン君かい?」 ヴァンよりも早く自己紹介を済ませるカールツェン。
「あ、はい、ヴァン・シュタイン・リッヒーです。よろしくお願いしますドライツェン様」
王族との面識などないヴァンは明らかに動揺している。
「様は止してくれ。確かに由緒正しき王族ではあるが、柄ではないんでねカールでいいよ。そちらのお嬢さんは?」
「私はるー・るるー・るー、ヴァンの嫁です」
「また珍しい名前のお嬢さんだが……嫁とは、若いのに身を固めるのが速いんじゃないかいヴァン君」
「冗談ですのでお気になさらないでください」
一体あと何度このセリフを言う羽目になるのかとヴァンは思った。
「さて、さっそくですまないが本題に入らせて頂こう。ヴァン君には霊峰ドランブールの頂に行ってもらいたい」
「はい、ギルドでクエストの内容は伺っています。ドランブールの頂に行くためにゲートを見つけるんですよね」
ヴァンはそう言いつつ、ギルドから渡された書類を確認した。
「いや、それについてなんだが、実はすでにゲート自体は見つかっていてね、あとはドランブールの頂に行くだけなんだが……」
「え?では僕はなにを?」
もともとギルドに依頼のあったクエストの内容は、『ジャンソンはゲートをくぐってドランブールの頂に転移したのではないか』という仮説の元、残っている文献から可能性のありそうなゲートを見つけるというものだった。
「実はゲートを見つけたはいいんだが、飛べないんだ」
「マナ不足ですか?」
ゲートとは、自然発生的に生まれるワープ装置のようなものである。
極地的に圧縮されたマナが空間を歪め、遠く離れた場所どうしを繋げてしまう。
圧縮されたマナの濃度に比例して、つながる場所の距離も遠くなる。
その存在は古くから確認されているが、なぜマナの圧縮によって空間が歪められるのかは不明であり、また意図的に作り出せないうえに、どこにつながっているのかはゲートを使用してみないことには不明なため、よほどのギャンブラーでなければゲートをくぐったりはしないというのが世間の常識である。
「いや、飛んだ先にドラゴンの群れが居てね、とてもじゃないがジャンソンの足跡を追える状況じゃあないんだ。」
「ドラゴンの群れですか……何匹くらいですか?」
「確認しただけでも十匹だね」
「十匹ですか……」
二、三匹ならなんとかなるかと思ったヴァンだったが、十匹と聞くと眉間にしわを寄せた。
「すみません、一つ確認なんですが」
「なんだいお嬢さん」
「なんでゲートの先がドランブールの頂だと断言できるんですか?」
「ドラゴンの群れなんてドランブールくらいにしかいないだろ? あとは酸素濃度がデスゾーンだったからね」
「なるほど、ではドラゴンの群れを突破しつつ、ジャンソンの足跡を追うってことですか」
「そういうことだ。可能かね漆黒の炎帝さん」
「どうでしょう。ドラゴン一匹なら実績はありますけど、群れともなるとさすがに……」「ゲートを出入りしてヒットアンドアウェイでどうにかなったりしないのかい?」
カールの提案にヴァンが聞く。
「僕実際にゲートを使って見たことないんですけど、そんなほいほい飛べるようなものなんですか?」
「そうだな、体感的にはいつ飛んだかわからないくらいだ。気づいたら景色が変わっているって感じだな」
続けざまにるーも聞いた。
「でもそのゲートって、ドラゴンも通れたりしないんですか?」
「その心配には及ばない、ゲートが小さすぎてドラゴンは通れなかったよ」
「ちなみにそのゲートってあとどれくらい持ちそうなんですか?」ヴァンが聞いた。
「そうだね、王国の魔術師連中に試算させたところではあと一週間くらいらしい」
「一週間ですか……」
「ゲートまではここから1日程度はかかるからね、あまり悠長にことを構えている暇はないね」
「ゲートって時間制限があるの?」るーが言った。
「空間を繋げるのにマナが必要なんだけど、マナが尽きるとゲートが閉じるんだ」ヴァンが答える。
「再びゲートが開くほどのマナが蓄積するまで、ゲートの種類にもよるが数年から数百年くらいかな、今回見つけたものは数百年クラスだ」カールが合わせて答えた。
一週間という制限時間に対し、ドラゴンの群れを討伐できる戦力を整えるには時間が足りなさすぎる、かといって諦めてしまえば次のチャンスまでは数百年待ち。
一族悲願のために何としてもドランブールの頂でジャンソンの足跡を追い求めたいカールであった。
「わかりました、なんとか出来るだけやってみます」
「それはありがたい、ひとまず今日は休んで明日の朝に出発しよう。差し出がましいが君の装備を新調しても構わんかね?さすがにドラゴンの群れに放り込むにあたって、レザー装備とロングソードでは申し訳ないのでね」
「あ、はい、助かります」
――――翌々日、ゲート前
ドライツェン邸から、約一日かけて移動した先は、所謂精霊の森と呼ばれる地域。
精霊が多いからマナが多いのか、マナが多いから精霊が多いのかは不明だが、都市近郊とは比べ物にならないくらいのマナで溢れている。
感受性の強いものからするとマナ酔い必至であり、ヴァンも到着直後は卒倒していた。
「さて、では準備はいいかいヴァン君」
「はい、大丈夫じゃないですけど大丈夫です」
エーテル器官の優れているエルフでもここまでのマナ酔いはしないのでカールは驚いていたが、ドラゴンを単独で屠り去るのだからこれくらいは当然かと思い直した。
「それじゃ行きましょうかヴァン」
「え? るーもいくの!?」
「そりゃ行くに決まってるじゃない何言ってるのよ」
「でもこの先はドラゴンの群れで」
「大丈夫よ、足手まといにはならないと思うし、もし死ぬようなことがあったらその程度だったってことよ」
「いや、どうなっても知らないぞ、るー」心配するヴァンをよそ眼に
「それじゃカールさん、行ってきますね」るーはスキップをしながらゲートに飛び込んだ。
「それじゃ君たち、くれぐれも無理をしないように頼んだよ」ゲートに消えていく二人の背をカールが見送った。