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「香川、定吉」
甲斐雪人の口が動く。
「まったく。甲斐が初めから自分の身に起こったことすべてをわたしに報告していれば、もっと早くに歯車がそろい、からくりは完成していただろうに。そうすれば自然とラプラスの悪魔がすべてを明かしてくれたのだぞ」
篠塚桃花はベッドの端に座り、横から甲斐を睨みあげる。
「昨日の時点で分かっていれば、だ。ここから抜け脱して香川の動きを制止できたかもしれぬというのに」
「僕の、せいなのか?」
「いや、甲斐を責めているわけではない。わたしの無知が招いた結果だ。それに、犯人についてならばいずれは日比野が特定できただろう。それくらいの能力はありそうだ」
「僕が第一容疑者みたいだったけどね」
「今のところだろう。あれも動機が大切だと気が付いていた」
「ももも動機が大事だと言った」
「言った。動機を特定しなくては、また同様の事件は繰り返されるだろうし、香川も反省はすまい」
篠塚が顔を戻し唇を噛む。
「それに、甲斐の話を総合すると、この図書棟に秘密がありそうだ」
十年前に純清香が失踪。ほぼ同じ時期から、毎年のように繰り返される幽霊の噂。今年の噂が通年よりも大きな広がりを見せたのは篠塚のせいだろう。だが、篠塚が意図的に幽霊の噂を広めるよりも、他の意思により、噂は広められていた。図書棟に近づくのは危険だと、噂は伝える。きっと、人間よりも幽霊を信じるというのは、昔から繰り返された噂のせいなのであろう。
芹沢雅は体育館で学園集会をたびたび開いていた。その目的は、篠塚に会いに来るためである。学園の生徒が体育館に集まっていれば、図書棟はほぼ無人になるし、それだけ危険が少ない。見咎められることなく、この場所まで来ることができる。
甲斐のように図書棟が閉まる人がまばらのタイミングにこの部屋に来ることもできるが、もし係の者がモニターを凝視していれば、甲斐の反応はある場所で消えることになる。もちろん甲斐は、係の者がそこにいない時、最後見回りのために席をはずすタイミングを確認してから、ここに来ているが。
だが、偶然によってなのか、香川はそれに気が付いていた。もちろん、この場所のことまでは知らない。知っていれば、間違いなくここに乗り込んでくるだろう。香川は学園集会のときに芹沢が図書棟に行っていることに、気がついた。気がついたからこそ、芹沢に警告をした、図書棟に近づくな、と。
「香川が噂を流している犯人でもあると?」
「僕はそう考える」
そう考えると、つじつまが合う。
「芹沢さんが、この図書棟で何をしているのかを知りたかったんじゃないか?」
「……そう、か」
篠塚は首を振りながら、小さく頷く。
芹沢は篠塚に会いに来ていた。けれど、それを彼女は香川に言えなかった。篠塚がここにいるのには、おそらくは深遠な、甲斐には分かりえないような理由があるのだろう。けれど、それを香川は許すことができなかった。図書棟に隠された秘密を、芹沢は調べているのかもしれない、香川は、その可能性があったからこそ、芹沢に警告をし、そして最後には実行に移した。
「つまり、この図書棟には、香川が隠さなければならない秘密がある。それが、純清香の失踪と関連している?」
自問に近い声の大きさだったが、甲斐は頷く。
「この図書棟に、純清香の、死体が隠されている」
「わたしがいるこの空間以外に、隠し部屋があると?」
「ももがここに来た時、彼女の死体はなかった?」
「もちろんだ。ここにあれば、香川はここを知っていることになるが、それはない」
「だから、他の隠し部屋。可能性はあるんじゃないかな。一つとは限らない」
「それは、そうだろう。だが、空間的にこの図書棟にそんなスペースはもうないと思うのだが。こちらの南側の壁面だけ窓を高くしてあるのだし」
「ない、かな」
甲斐は下を向くように篠塚を覗き込んだ。彼女は腕を組み、眉を少しひそめている。彼女にとってこの図書棟は自分の部屋のようなものだ。勝手知らない場所など考えられないのかもしれない。
「とにかく、甲斐は話していろ。この学園に来てから見たものや、印象について。今度は甲斐自身の印象を交えて」
甲斐は素直に頷くと、転校して初日、門を見上げたところから話し始めた。




