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「それで、ももはいつからここにいるの?」
甲斐雪人はその夜、再び篠塚桃花を訪れ、今日一日のできごとを報告した。このときも甲斐は自分の意見を極力はさまず、客観に努めたつもりだ。そうしなければ、芹沢雅が女神像に縛られ、左胸を刺されていたことをどう表現すればいいか、分からなかった。
「それで? だと。まったくお前というやつは」
呆れたようにため息をつき、篠塚は首を振る。
「私は存外この場所を気に入っておるのだぞ。確かにその日比野というやつの頭は非常に切れそうだし、いずれここも見つけられてしまいそうだがな」
「うん。だから、先に手を打っておこうと思ったんだ」
「わたしがここに来たのは、そうだな。三年くらい前か。否、まだ二年と少しだな。中等部を卒業するまでは、ここにこんな素敵な場所があるなんて、思いもしなかったからな」
「ちょっと待って。二年前ってことは、もも、三年生てこと?」
「そうなる。もっとも高等部には入っていないが」
「それじゃあ、芹沢さんと、同じ歳?」
「正確に、同じだな」
「……ありえない」
つい口からこぼしてしまう。目の前の少女は、自分ではそう言っているが、どう考えても甲斐よりも幼い。背も低ければ、所作も子供っぽい。秀でていると言えば、はるかに甲斐よりも頭がよく、声もハスキーで、聞いただけでは男の子と思ってしまっても不思議はない。男の子、声変わりをする前の少年のことだ。
「まったくお前というやつは」
「ごめんごめん」
苦笑しながら甲斐は続ける。
「となると、やっぱり十年前の幽霊の噂は、ももは関係ないんだよね」
「小等部にわたしはいたはずだが、どうだろうな。その頃はまだそんな噂には興味がなかっただけかもしれないが、記憶はない。少なくとも断言できるが、その幽霊がわたしであることはない」
「だとすると、ももは、どう思う?」
「十分に動機となりうるだろうが、そのためには失踪した純清香を見つけなければなるまい。最も、動機とは言ったが、彼女と犯人との関係も分からないしな」
その通りだ。そして、そもそも犯人が誰なのか、まだ甲斐は分かっていない。
「ももは、犯人が誰か、もう分かっている?」
「おおよその歯車はほぼ埋まった。あとはそれを辿って行けば犯人を特定できる」
「誰になる?」
「そのためにあと一つだけ、歯車が足りない。わたしは雅に一つ罠を仕掛けるように言っておいたが、甲斐、お前は気がつかなかったか?」
「罠を? いつの間に?」
「甲斐が来て二度目の集会のときだ。雅はひどく怯えておったからな。方法さえ分かれば、罠を仕掛ければすぐに引っかかると思ったんだがね」
「どんな罠だよ」
「甲斐よ。まだわたしに伝えていないことがあるのではないか? 甲斐も重要な歯車の一つなのだぞ。他人の状況よりも、お前の状況もわたしは知りたいのだが」
「だからどんな罠を仕掛けたんだ?」
「お前が自己紹介をしている間、マイクの電源を切ってあった」
「マイクの?」
そういえば、神田隆志が今朝マイクという言葉を言いかけたような記憶がある。あの時はちょうど警察に呼ばれてしまい、さして気にすることはなかったが、甲斐の自己紹介は聞こえていなかったということか。
「マイクの、電源が切ってあったって?」
「そうするように言っておいた。何か思い当たる節があるな?」
「どうして、あいつは僕がしゃべった内容を知っているんだ?」
「犯人だからだ」
「だけど」
「会話をしていた、ということは、だ。相手の声が聞こえるのはもちろん、こちらからの声も届いているということだ。マイクが切れていたことを知らなかった犯人は、お前の自己紹介の内容を犯人を含め皆が知っているのが当たり前だと思っていた。誰が罠にかかった?」
「どうやって?」
「一々説明が必要なのか? 面倒なやつだな。体育館はどのような形をしている?」
「オムレツのような……」
「うむ。まずは平面で考えてみよ。あの形を何と呼ぶ?」
「楕円?」
「楕円の定義は?」
「二つの焦点からの距離の和が等しい」
「空間にも適用すると、ちょうどあの体育館の形になる。外からの見た目より、中からは一層正確な形であったろう。舞台の上、一方の焦点に雅や甲斐が立っていた」
「もう一方に、犯人がいた、と?」
あの時、確かに正面にいた。
「お前から発せられた声は、どの方向飛ぼうとも、すべてもう一つの焦点に向かっている。それがゆえに、焦点どうしては通常よりも小さな声で会話をすることができる」
「本当に?」
「少なくとも、雅以外にお前の自己紹介の内容を知っている人物がいるのだろ?」
甲斐は頷く。
「誰だ?」
学園集会のあと、夢宮さやかに捕まったところを、助けられた。そして、課題のことを聞いていたのは……
甲斐の口が動く。




