だっておいしいお菓子をくれるからの!!
いいかい? 月のない夜は外に出ちゃだめだ
こわーい狼や幽霊が、きみをさらいにやってくるからね
……だけど、今日だけは特別さ
今夜はとっておきの魔法がきみを守ってくれる
だからお父さんやお母さんを連れて、みんなでおいで!
――さあ、楽しいサーカスのはじまりだ!
「へえ、サーカスが来るの」
食後の紅茶を片手に、マリーがいう。
「はい、そのように報告が上がっております。つきましてはマリー陛下より公演の勅許を賜りたいとのこと……いかがなさいますか?」
ぴんと背筋を伸ばしてそう聞いたのは、かつてわらわの側近であった“さいしょう”。
たしかグラなんとかという名前だった気がするが、ちょっと長すぎて覚えておらぬ。今もこのフェンネル皇国で“さいしょう”をしているので、たいした問題ではなかった。マリーなんて『はらぐろメガネ』と呼んでおる。あいかわらずマリーのつけるニックネームは独特じゃ。でも、たぶん、わらわの「ミーちゃん」が一番かわいい。……むふ。
そうして、隣でいつまでも木の棒みたいに返事を待っておるさいしょうに向けて、マリーは優雅な仕草でティーカップを置き、答えた。
「……うん。いいんじゃない? 別に」
「……陛下。いつも申し上げておりますが、もう少し間者などの可能性も疑って、熟考した上で勅許を出していただければと……」
「あー! もう! うるさいうるさーい! だったらなんで聞いた!? ねえ、なんで聞いたの!? ちゃんと長めに考えたじゃない!?」
「陛下、熟考とは長く考えればいいというものではなく……」
「いいの! 私はみんなのこと信頼してるんだから! ――優秀なあんたが、本当に危ない案件なんて通すわけないでしょ!」
――出た。
ナプキンで口元を拭いながら、わらわは思った。
「マリーはすぐれた料理人であると同時に、天然の人たらしだ」と、ゼロスがいっておった。あまりくわしい意味はわからぬが、なるほどこういうことか、という場面は何度も見ておる。
今もさいしょうは顔を真っ赤にして、そうかと思えば深々と腰を折り、「陛下のおおせのままに」といって食堂を出ていきおった。……ごはんの時くらいゆっくりしておればいいものを、本当にせわしないやつじゃ。
「…………マリーよ」
「ヒッ!? な、なななななによ、ゼロさん!?」
「もう数えるのも馬鹿らしくなるほど忠告したが、呼吸するように人を誑かすなと何度」
「ちょっ、近――――っ!? み、みんな見てる! ね! ほら! ミーちゃんも…………あれ、見てないや……ちょっとー、誰か助け――」
なにやらゼロスが静かに怒っておるが、どうせいつものことじゃから誰も気にしておらぬ。
ゼロス――ゼロスフィードは、竜の王じゃがいまはどういうわけか人間の姿でいつもマリーのそばにおる。
危険が迫れば誰よりもはやく迎撃し、氷がなくなったといわれれば厨房に向かう。
どうして気高き竜の王がそんなことを……と最初は不思議に思ったが、なんということはない。ゼロスもマリーが「好き」なのじゃ。わらわも同じ、ほかのみんなもきっとそう。
マリーはどんな魔物も勝てなかった最強の元『聖剣の勇者』で、今はみんなに愛される最強の王様なのじゃ。
なので、これといって心配はいらぬ。元『鎧の勇者』であるルーシェはあれを「ちわげんか」と呼んでおった。ケンカはあまりよくないが、あれは二人がもっと仲良くなるためのケンカらしい。やっぱり人間のしきたりはよくわからぬ。ほうっておくのが一番じゃ。
それに――――わらわは、デザートのシュークリームを食べるのにいそがしい。
マリーが作ってくれた食後のおやつ。お行儀悪く大きな口でかぶりつけば、外はサクサク、中からあまーいクリームがあふれてくる。まろやかなカスタードクリームと、やさしいホイップクリーム。二つのあまみと香ばしい生地がまざりあって、かみしめるごとにしあわせな気持ちになる。
食べ終わったら紅茶をひと口。さっぱりした口で、もうひとつのチョコ味のシュークリームにかぶりつく。今度はチョコレートのこゆいあまみと香りがぶわっと口いっぱいに広がった。
うむ、やはりこの順番をたがえてはならぬ。カスタードのあとにチョコ。これがもっともしあわせになれる順番、今のわらわの大正義じゃ。
……よその国ではありえぬが、大食堂に集合した仲間たちも、それぞれにあまーいデザートと紅茶を楽しんでおる。
うむ。わらわは今、すごく「しあわせ」じゃ。
怒ると誰よりも怖いけど、そのぶん誰よりやさしいお母さんがいて、たくさんの仲間にかこまれて、毎日ごはんとお菓子がとってもおいしくて。
――“魔王”であった頃よりも、ずーっと、しあわせ。
☆彡
わらわの本当のお父さまは、二百年前に亡くなっておられる。
とはいっても、いつもいそがしそうじゃったから、あまりお顔をあわせたことがない。お母さまはわらわを生んですぐに亡くなられたそうなので、余計にお顔がわからぬ。
ごはんはいつもひとりぼっち。お友だちも、ふつうにお話しする相手すらいなかった。
――そんなある日、魔王城に「勇者」を名乗る男たちがやってきて、何時間も戦い続けたのちにお父さまを殺し、最後の力でわらわとさいしょうを結界の中に封じこめた。
ずっとお城にいただけなのに、どうして憎まれなくてはならないのか。あの頃のわらわにはよくわからなかった。ただわらわに向けられる「勇者」たちの眼がとても怖かったことだけはおぼえておる。たぶん、あの者たちは“魔族そのもの”を憎んでおったのであろう。
……だから、正直にいうと、最初はマリーたちのことも怖くてしかたなかった。
またあの真っ暗なところに閉じこめられるのかもしれない。ひょっとしたら今度こそ殺されてしまうかも……そんな風に考えて、夜もよく眠れなかった。
けど、魔王城にやってきたマリーはちがった。
食べものをそまつにしたわらわを叱って、おいしいお菓子をくれた。みんなでお風呂にはいって、みんなでおいしいごはんを食べた。
生まれてはじめて「食べもの」がおいしいと思えた。
――あの日のお菓子とごはんの味を、わらわはきっと一生忘れない。
それから色々あって、マリーたちは『国』をつくった。
人と魔族が仲良く暮らすための国。ほかにもたくさんの種族がここには住んでおる。
みんなをつなぐのは、マリーがつくるとーってもおいしい『お菓子』。
最近は“弟子”のルーシェたちもめきめき腕をあげて、ずいぶん楽になったとマリーがいっておった。
でもわらわからすればまだまだあまい。やっぱりマリーのお菓子が最強じゃ。……もちろんルーシェたちのお菓子もおいしくいただくけれども。“ししょくがかり”の座は誰にもゆずらぬぞ。
そんな王様の娘たるわらわの一日は、なかなか忙しい。
朝は読み書きと計算のお勉強。昼はお城の外のしさつ。夕方からはお店や晩ごはんのお手伝いと、いつも予定でいっぱいじゃ。
とくに「しさつ」は気を抜けぬ。
しせいの人々の暮らしを知るのも王族の大事なつとめじゃからの。
今日も白虎族のフェイをともに、お城の外を見回っておる。
マリーの準備してくれたサンドイッチ入りのバスケットを片手に街を歩きながら、わらわは気になっておったことをフェイにたずねた。
「のう、フェイは『サーカス』なるものを知っておるか?」
「さーかすぅ? ……うーん、聞いたことないなあ」
わらわよりもちょっと年上のフェイは、こてんと首をかしげた。黒のシマがはいった長くて白い尻尾も「?」のマークになっておる。
まるで年下のように見えるが、これでもこやつはれっきとした「お姉さん」なのじゃ。わらわが八才で、フェイは十二才。粉砂糖のように白い髪とトラの耳がすごくかわいい女の子。
話し方はふわふわしておるものの、これがケンカになるとすさまじく強い。この前も城壁の外で騒いでおった怪鳥とやらをブッ飛ばしてきたという。たぶん、わらわも魔法を使わねばふつうに負ける。その怪鳥はゼロスが「きたない魔物だから近寄ってはならん」というので目にしたことはないが、白虎族にやられたのであれば無事ではすまんじゃろう。
そんなフェイならもしやと思うたが、やっぱり“サーカス”とやらのことは知らんようじゃ。
「うむー……じつはマリーにも聞いたんじゃがな。なにやら『すごく楽しいところ』としか教えてくれなかったのじゃ」
「あー……それは、ひょっとしたら、マリーさまも知らないんじゃないかな?」
そうなんじゃろうか? 聞いてみたら「歌とか踊りとかいろいろあって、すごく楽しいところよ…………たぶん」といっておったのじゃが。
――マリーは小さい頃から料理の修行をしておったそうなので、ひょっとしたら見たことがないのやもしれぬな。それでも楽しいというのならぜひとも一緒に行ってみたいものじゃ。
そうして『サーカス』なるものの想像をふくらませておると、急にフェイが足を止めた。
「あれー、ちょっと待って……城壁の外で誰か襲われてるっぽい」
「なに!? それはまことか!」
「うん。今日の警備当番は……あー、シユはちと遠くにいるんだねー……ちょっと行ってくるよ。すぐにすむから、ミーちゃんはここで待っててー」
いうがはやいか、フェイはまるで風のように走っていってしまった。
白虎族は耳と足が強い。おそらく仲間からの合図があったのじゃろう。
……しかし、王様の娘であるわらわが黙って悪いやつを見すごしていいものであろうか。
ちょっと考えて、マリーのすさまじく怒った顔が頭に浮かんで、すごく怖くなってガタガタ震えながら……それでも、たいせつな国の人々を守りたいという“心”が勝った。
「――翼よきたれ」
みじかく呪文を唱えると、背中がむずむずとして、すぐに「ポンッ」と小さな羽が生えた。
うむ、これくらいはわらわにとって朝めし前じゃ。たくさん練習したからの。
『飛翔術』はまだ練習中じゃが――――今日は、なんだか、ちゃんと飛べそうな気がする。
「……よし、ゆくぞ!」
気合いを入れて、わらわは大空へと羽ばたいた。
☆彡
「とっ、とと、とめっ……とーめーてえええええええ――――っ!?」
――こ、こここここんとろーるがっ、う、うまくっ、いかぬううううううっ!?
「おお!? なんだなんだー?」
などとのんきな声で微妙に驚きながら、それでもフェイは落下するわらわをしっかりと受け止めてくれた。…………よ、よかった。死ぬかと、おも……
「コラ! 待ってなっていったろー?」
「いっ――――?!」
そういって、フェイはげんこつをゴッと落とした。――ちょっと、シャレにならないぐらい、痛い。
割れそうな頭をおさえてのたうち回っていると、あきれたようなため息が上からふってきた。
「ミーちゃんはまだ飛ぶの苦手なんだから、無理したらダメだろ? 大ケガしたらどうするのさ。そんなことになったらマリーさまが悲しむぞ。あたしだって悲しいし、きっと泣いちゃうよ。――ミーちゃんはそれでもいいの?」
フェイの真剣に怒る言葉が……わらわの胸に、ズキッと刺さった。
バカじゃった。そんなことはわかっておる。今日はだいじょうぶと思った、なんて、いいわけにもならなくて。
「ご……べ、なざ……いっ」
「……うん。わかればいいよ。次からはもうしちゃダメだからね」
そういったフェイはわらわをそっと抱きあげて、頭をなでてくれた。
そのやさしい手つきはいつもマリーがしてくれるのと同じで、余計に涙がとまらなくなった。
フェイの胸元にしがみついてわんわんと泣く。……すると、ふいにちがう場所から知らない声が聞こえた。
「あの……だいじょうぶ、ですか?」
心配するようなその声は、ふしぎな音色をしておった。
今まで聞いたことのない、ふしぎな、それでもすごくきれいな声。
思わず泣きやんでそちらを見ると、ここらでは見かけぬ女の子の心配そうな顔があった。
こやつの服は見たことがある。たしか、絵本にかいてあった砂漠の民の踊り子が、あんな服を着ておった。……じゃが、どうして踊り子がこんなところに?
――――そして、わらわはピンときた。
まちがいない。こんなことに気づくとは、ひょっとしたらわらわは天才やもしれぬ。
「――おぬし、さては『サーカス』の人間じゃな?」
「ふえっ!? え、あ、えと…………そ、そう、です……」
「やはりか! マリーから聞いておるぞ、なにやら楽しい歌や踊りを見せるのであろう」
「あー……まあ、はい。それだけじゃないけど、一応は……」
「へえー、この子が『さーかす』の。なんかキレイな格好だねー」
フェイがひらひらした布をぺろんとめくる。すると踊り子は「ひうっ!?」と悲鳴をあげて遠ざかった。
「これフェイ! 女の子の服をめくってはならぬ!」
「ああそっか、ごめんごめんー」
にへへーと笑ったフェイがあやまるが、踊り子の娘は怖がっておるようじゃ。かわいらしい顔を真っ赤にしてこちらを見ておる。まったく、こやつには「でりかしー」というものがないのじゃ。わらわよりお姉さんじゃというのに。
「すまぬ、あやつに悪気はなかったのじゃ。許してくれぬか」
「え!? あ、いや、別に怒ってるわけでは…………あ、あの、それより、あそこの……」
震える指がさす方を見る。
そこの地面から――三本の足が、はえておった。
「な、ななななななんじゃあれは――――っ!?」
「あー、ミーちゃんは見たことないんだっけ…………それが“オイトシー”だよ」
「なんと!? これがあの怪鳥なのか!?」
「かい、ちょう……?」
踊り子がふしぎそうな顔をしているが、まだこの国にきて日が浅いのなら知らなくてもしかたあるまい。この近くに大きな巣があるという――「きたない怪鳥」を。
わらわもちゃんと見るのはこれがはじめてじゃ。
……しかし、鳥の魔物じゃというのに、まるで人間のような足をしておる。地面から突き出した関節から先の部分はピクピクと震え、その表面にはドス黒いブキミなもようがびっしり浮かんでおって、なんとも気持ち悪…………この「もよう」、フェイがよく地面にするラクガキに似ておる気がするのじゃが、見まちがいかの……?
さらにあの真ん中の足。やたらと細長いが、あれはひょっとして怪鳥の尻尾じゃったのか。なんだかキラキラと金色にかがやいて、これだけがすごくきれいじゃ。ちょっとマリーの持つ『聖剣』と色が似ておるやもしれぬ。
おそるおそるそれに触ってみると――――尻尾が、抜けた。
「〜〜〜〜っ!?」
「あー、ミーちゃん抜いちゃったー。いけないんだー」
「どどどどどどうしよう!?」
「うーん、それがないとホントにただの雑魚になっちゃうからつまんないんだけど……ま、そろそろいいかな? 持って帰っても」
「持って帰ってよいの?!」
ほ、ほんとうによいのじゃろうか? 「きたない怪鳥」とか呼ばれておる魔物のパーツを、持って帰っても……?
「あ、あの、どうなってるのかまったく分かりませんが……埋めたままで大丈夫なんでしょうか? その、ひ……」
「白虎族には汚れたものを地面に埋めて浄化する習わしがあるんだ。大地に宿る精霊が、不浄の存在をキレイにしてくれると信じられていてね。この性根が腐った汚らわしい怪鳥も、こうして埋めておけばいつかはキレイになって巣へと帰って行くんだよー」
「は、はあ……そんな拷問じみた風習があるんですね……」
なるほど、殺してはおらんのじゃな。
フェイはケンカっぱやい性格じゃが、やっぱりやさしいの。怪鳥にすら情けをかけるとは。
「……まあマリーさまが『無益な殺生はしちゃだめ』っていうからしないけど、群れの長を貶めるようなやつは本来なら全身の皮を剥いで串ざしのうえ丸焼きなんだけどねー」
「ヒッ!?」
……う、うむ。わかった。フェイだけは怒らせてはならぬ。というより、こやつらの一族か。
白虎族は「十人いれば国ひとつ落とす」といわれておるからの。
――そんな猛者を従えておるマリーは、やっぱりすごいのじゃ。
「それで、おぬしはこんな所でなにをしておったのじゃ?」
「あ、はい……わ、わたし、次の公演で歌う曲の練習をしていたんですが、そしたら急に、その……おい、としー、さん……? が、襲いかかってきて……」
「ほんとサイテーだな、こいつ」
フェイが怪鳥の足をドシィッと蹴った。ちょっと生き物の身体から鳴ってはならんような音がした。……大丈夫かの?
「それは災難じゃったの……そうじゃ、はじめましてのごあいさつがまだだったのじゃ。わらわの名はミルエージュ。みんなにはミーちゃんと呼ばれておる」
「あ、ごめんなさい。気付かなくて……わたしは、クラ……リスと、いいます」
「うむ、クラリスじゃな。よろしくなのじゃ」
「あたしはフェイだよー。よろしくねー」
ひと通りあいさつを終えると「くぅ」という小さな音が聞こえた。
見ればクラリスがお腹を押さえて赤くなっておる。
……ふむ、わらわもお腹がへったの。
「どれ、せっかく知りあった記念じゃ。おぬしにわらわの『おべんとー』をわけてやろう。こちらで一緒に座るがよい」
「えええ!? い、いいですよ! そんな、悪いし……」
「なーに、エンリョするでない。マリーの作る料理はとーってもおいしいぞ。おぬしにもおすそわけしてやるのじゃ」
怪鳥のブキミな足が視界に入らぬ場所まで移動して、バスケットを開ける。……うむ、ちょっとかた寄っておるな。空を飛んだからしかたないか。
じゃが、これくらいなら問題はない。大切なのは味じゃからの。
中には三種類のサンドイッチが二つずつ入っておった。どれをわけてやろうか……ええい、わらわも王の娘じゃ。ケチくさいことはいわず、半分クラリスにやろう。
「ほれ、これがクラリスのぶんじゃ」
「あ、あの……本当に、いいんですか……?」
「うむ! ほっぺが落ちるくらいおいしいから、食べておどろくがよい!」
そうしてわらわは、すこしさびしくなったバスケットからサンドイッチをひとつ掴んだ。
最初はトリ肉とレダスの葉のうえから溶けたチーズをかけたサンドイッチ。かじりつくと、香ばしいトリ肉とまろやかなチーズのにおいが口いっぱいに広がる。うむ、うむ。まだほんのりと温かいおかげでチーズがとろーりとのびる。これはたまらん。レダスのしゃきしゃき感とあいまって、いくらでも食べられそうじゃ。
お次はぶあついベーコンとトメトにするか、ふんわりタマゴのサンドイッチにするか……。
迷いつつとなりを見ると、クラリスがいきおいよくサンドイッチを食べておった。
おいしい、おいしい、とつぶやいて。
春の空の色をした瞳から、ぽろぽろ涙を流しながら……。
……うむ。その気持ちは、わらわにもわかるぞ。
ほんとうにおいしいものを食べた時は、どうしてか泣けてくるものなのじゃ。
それはたぶん、料理にこめられたやさしさが……その温もりが“心”に伝わって、さびしい気持ちもぜーんぶ「しあわせ」に変えてくれるから。
「……やっぱり、マリーの料理はすごいの」
なんだかうれしくなったわらわは、急いで次のサンドイッチにかぶりついた。
……すでにわらわの二倍はあったおべんとーをたいらげたフェイが、こちらのサンドイッチまで狙っておったから――。
「あの、こんなので、お礼になるかわかりませんけど……」
そういって、クラリスは薄い木の板をくれた。そこにはなにやら文字と絵がかいてある。
ふふん、読み書きのお勉強をしておるわらわには、さほどむずかしくもない文字じゃ。
これは『サーカス公演招待状』と書かれておる。
「……よよよよいのか!?」
「はい。……私には、これくらいしかお返しできるものがありません」
「なにをいう! わらわはとってもうれしいぞ!」
もらった招待状をぎゅっと抱きしめる。
これで……これで、わらわは『サーカス』に行ける!
「みんなを連れて、絶対に見に行くのじゃ。――ありがとう」
お礼をいうと、なぜかクラリスの顔が真っ赤になった。
うん? どうしたのじゃ、クラリスは。
それにしても、これはよいものをもらったの。
さっそくマリーに自慢せねば!
☆彡
「――そっか、あいつ……死んじゃったんだ」
その日の夜、サーカスの招待状と、ついでに怪鳥の尻尾をマリーに見せたところ……なぜか先に受け取られたのは金色の棒の方じゃった。マリーはその弓みたいな尻尾をそっと抱えて、とてもさびしそうな表情を浮かべておる。
……あれ? ひょっとして、持って帰ってはならんものじゃった……?
「……不思議だね。あいつのこと、すっごい嫌いだったし、いけすかないヤツだと思ってたけど…………やっぱり、知ってる人が死んじゃうのは寂しいよ……」
う、うん…………? 誰か、死んだのかの? お友だち? ……いや、でもキライじゃったというておるし…………。
――うむ。キライな人が死んでも悲しいマリーは、やっぱりやさしいのじゃ。
わらわは、うつむくマリーをぎゅっと抱きしめた。
「わらわがいるのじゃ! わらわは、ずぅーっとマリーのそばにおる!! だから、さびしくなんてないぞ!」
「ミーちゃん……うん、そうだね。ありがとう」
マリーが頭をなでてくれる。その声はもういつもの明るいマリーに戻っておった。
うむ! 元気が出たようでなによりじゃ!
「――よし、これも何かの縁だ! あの馬鹿を盛大に弔ってあげますか!」
「おーっ!」
なんだかよくわからぬが、それがよい!
次の日、フェンネル皇国で『弓の勇者のこくべつしき』がおこなわれた。
場所は街が見わたせる小高い丘の上の墓地。みんな黒っぽい服を着て、ドワーフが大急ぎで作ったお墓をかこんでおる。その下の深く掘られた穴には、なぜかあの怪鳥の尻尾を入れたひつぎが埋められた。
なるほど、勇者のひとりが死んだのじゃな。あまり仲はよくなかったようじゃが、マリーはやさしいから、知り合いが亡くなって悲しいのじゃろう。
先頭に立ったマリーが花束をおそなえすると、みんなが黙って下を向く。
お祈りの時間じゃな。昨日の夜にマリーから聞いたのじゃ。
静かに祈るマリーの後ろで――――なんでじゃろう、ほかのみんなは微妙な表情を浮かべておった。
とくにゼロスあたりがひどい。
なんじゃ? そんなにきらわれておったのか、弓の勇者とやらは。
ゼロスはともかく、あのやさしいルーシェやガルムにまで……?
――そしてフェイはなぜ必死に笑いをこらえておるのじゃろう。
『こくべつしき』がはじまるずっと前からじゃ。さすがに子供のわらわでもこういう場で笑ってはならんことくらいわかるぞ。まったく、あやつはほんとうに「でりかしー」がない。
そうしてわらわも見たことのない弓の勇者に祈りをささげていると、今日の警備当番であった白虎族のシユキがとことこ走ってきた。
「まりーさま、怪鳥オイトシーをやっつけてきました!」
「もう、またなの? なにもこんな時にまで出なくてもいいのに……」
「こてんぱんにしておきましたー!」
「ありがとう、シユちゃん。たくさんごちそう準備しておくから、あとでいっぱい食べてね」
「あい!」
うむ、シユキは働きものじゃの。ちっちゃく見えるがフェイより年上じゃし、ケンカも強い。わらわもいつかはあれくらい強くなりたいものじゃ。
そしてフェイは、シユキがきた瞬間にふき出して、父親からブン殴られておった……。
――さて、あとはみんなで『サーカス』じゃな!
☆彡
「……おのれさいしょーめ、こんな時にお仕事をたくさん持ってきおって」
「しょうがないねー。なんだか変なのがこっそり国境こえてきたらしいから」
ぶつくさ文句をいうわらわの頭を、フェイがそういいながら「よしよし」となでる。
ここはクラリスと約束した『サーカス』の会場。街の大広場ではられた大きなテントに、百人くらいのお客さんがひしめきあっておる。
クラリスが準備してくれたのは、なんとステージの真正面で一番前の席じゃった。
こういうのは「とくとー席」というらしい。すごくよい席、という意味じゃ。……だというのに。
「――代わりにこのボクが来てあげてるんだ。ミルエージュはそれで満足するべきだね」
本来ならマリーが座るはずだった席に座っておるのは、真祖の血をひくヴァンパイヤ――シルヴァじゃった。
十四、五才に見えるこやつはすごくきれいな顔をしているのじゃが……なんというか、いつもやたらとエラソーなのじゃ。今もせまい席で膝など組みおって。こぞーのぶんざいでマリーの代わりとか、なにさまのつもりじゃ。……それを口にするとわりと本気で傷ついた顔をするので黙っておくがの。わらわは「気づかい」のできるよい子なのじゃ。
「でもまー、シルヴァまで寄こしたってことは……」
「……何か起きるかもね。ま、このボクがいれば誰が来ようと微塵も関係ないけど」
「わー、相変わらずスゴイ自信だあー」
なにやら二人がわらわの頭の上でごそごそ話しておる。
あまり意味はわからぬが、もうそろそろはじまるぞ? 静かにするのじゃ二人とも。
『会場へお越しの紳士淑女の皆様! 大変お待たせいたしました、間もなくスピカ一座のステージが始まります! どうか一度、盛大な拍手を!』
小さな魔法で照らされた舞台の上、やせた小男がそんなあいさつをした。
テントのすきまからのぞく空は夜。
会場をゆるがすような拍手とともに……クラリスたちの『サーカス』がはじまった。
――すごい! すごい!
組み立てられたステージでくり広げられる妙技の連発に、わらわは興奮しっぱなしじゃった。
ひとつしか車輪のない乗りものの上で、器用にいくつものビンをお手玉する者。天井からつられたブランコをくるくる回りながら何度も行ききする者。はりつけられたお姉さんの頭上にあるリンゴをナイフで射抜く者。火の輪をくぐるライオン、玉乗りをするクマ……。
どれも魔法をつかえばできるかもしれんが、そんなこんせきはちっともない。あやつらは、魔法もつかわずに人間ばなれした技をくり広げておる。
これでどうして興奮せずにいられよう。わらわの視線はずっと目まぐるしく色を変えるステージにくぎづけじゃった。
だというのに、
「――ステップが甘い。ほら、今もテンポがずれた」
…………このばかたれが、横でぶつぶつと文句ばっかりいっておる。
こやつはなんなのじゃ。おかげでイマイチ楽しみきれぬではないか!
「こらシルヴァ、文句があるなら見るな! さっさと出ていくがよい!」
「いいや、違うよ。文句じゃなければ批評でもない。これは純粋な“分析”だ」
なにをわけのわからんことを……こやつ、マリーから「エセ王子」とか呼ばれておるくせに……!
「あー……ミーちゃんには悪いけど、あたしも似たような意見かなー」
「なっ!?」
「設備の古さの割には、技術にアラが目立つんだよー。獣人じゃないことを差し引いても、アクロバットの技はみんな結構ムリしてるっぽいしねー」
「下手ではないけど、稚拙だね。なんというか、不慣れな印象を受ける。……それに」
「ま、まだあるのか……?」
うなずいたシルヴァは、ちらりとステージに目を向けた。
そこでは、クラリスとはまたちがった踊り子が、はやいテンポのダンスを踊っていた。
「……演者がみんな痩せすぎだ。いったいどれだけ食べてないんだろうね?」
それは決して悪口をいう声ではなかった。
――ただ相手をあわれむような声。
そういえばクラリスもずいぶんと細かった。ひょっとして、あまりごはんを食べれていなかったのか?
ふいに浮かんだ心配をよそに、またステージの色が入れかわる。
今度は深く静かな「青」。
なんだかさびしい光を浴びながら、ゆっくりとステージに現れたのは――踊り子の服をまとうクラリスであった。
「く、クラリス!」
わらわの声が聞こえたのか、舞台のクラリスはこちらを見て……一度だけ、にっこりと笑った。
むむ、この前とはまるで別人じゃ。
なんというか、身にまとう気配がまったくちがう。
そうして、ライトと同じくさびしい楽器の音色にのせて、クラリスはおごそかに歌声をつむぎはじめた。
……その瞬間、会場はいっきに静まりかえる。
「――へえ、これは見事な“アリア”だ」
あの文句ばかりたれておったシルヴァですら、そんな言葉をもらした。
わらわは返事もできず、ただただクラリスの歌声に耳をかたむける。
それは深い空の向こうから聴こえてくるような――そんな、はかなくも美しい歌じゃった。
誰もが息をすることさえ忘れ、舞台の「歌姫」に注目しておった。
気がつけば楽器の音は止み、クラリスが深々と腰を折る。
演奏が終わったと気づくのに、しばし時間がかかった。けれど、次の瞬間には誰もが競うように手を叩いていた。もちろんわらわも力いっぱいの拍手をクラリスにおくる。
――すごい、と心から思った。
胸の奥が震えて、いまもまだそれがおさまらない。
ステージの奏者が楽器をかまえる。
ああ、またあの歌声を聴けるのか、と期待がふくらむ中――シルヴァが、ぽつりとつぶやいた。
「……まったく、人間には芸術を理解できないクズが多くて困る。こんな素晴らしい歌に心動かないなんて――それは愚鈍にも勝る“大罪”だよ」
言葉とともに、血のような色をした杭が現れる。それはシルヴァが指を鳴らした瞬間、天井に向けて放たれた。
「ぐあああああ!?」
響きわたる苦しそうな声。
そして、上から足を杭につらぬかれた男が降ってきた。
「シルヴァ!」
「チッ、数が多すぎる……フェイは観客の避難を優先しろ、皇国の民には指一本触れさせるな」
うなずくがはやいか、フェイは風のように席を飛び出した。
シルヴァが呪文を唱え、大量の血の杭が浮びあがる。
会場は悲鳴と叫び声でいっぱいになった。
――でも、わらわにはそれらを見る余裕がまるでなかった。
テントの外側からまるで虫のようにわき出てくる黒い影。そやつらの足は、迷うこともなくまっすぐにステージへと向かう。
「あの歌姫が狙いか? ……あ、こらっ! ミルエージュ!」
呼び止める声にもふり向くことはない。
一歩でステージへ跳び、逃げ道をなくしたクラリスの前に立つ。
シルヴァの魔法が次々に影たちをぬい止めていくが、それでは間に合わぬ。
「――暗闇の最果てより来たる者、血と成れ、肉と成れ、我が命に従い、光断つ刃よ敵を討て!」
はるか天空から何本もの真っ黒な剣が影を目がけて降り注ぐ。
わらわが今持っておる中で最大の闇魔法。殺しはせぬが、せめて敵の動きを止めねば。
「み、ミルエージュ、ちゃん……?」
「安心せよクラリス。おぬしはこのわらわが守る」
……しかし、ほんとうに数が多いの。
シルヴァが「そんな大魔法を序盤にぽんぽん使うな!」と怒っておるが、だったらどうしろというのじゃ。わらわは手加減のしかたなど習っておらぬというのに。
やっつけてもやっつけても、敵は次から次へとわいてくる。中には魔法を使う者もおった。いったい街にどれだけ入りこんでおったのか。
「ミルエージュ、退路を開く! 敵をおさえるから逃げろ! キミに守りながらの戦いはまだ荷が重い!」
叫ぶ声と同時に、紅色の杭がテントの一角に集中して放たれた。影の波が割れて、そこだけぽっかりと大きな穴が開く。
前後左右から押し寄せる敵をさばくのはたしかにむずかしい。破壊することに特化したわらわの魔法ではクラリスを守りきれん。ここはシルヴァのいうことに従った方がよいじゃろう。
「ゆくぞ、クラリス!」
「あ、は、はいっ!」
クラリスの手をとって走りだす。
――つないだその手は、悲しくなるくらい細かった。
☆彡
大広場からお城までは少し距離がある。
会場にいた影はシルヴァがおさえてくれておるが、街の中にもまだ敵がひそんでいた。
……そして、その中にはいつも「しさつ」の時に見かけた、国民の顔もまざっておった。
なんで? どうして?
いつもあいさつをしてくれたのに。お休みの日にはみんな教会に通って、まじめにお祈りをしていた……やさしい人々じゃったのに。
頭がぐるぐると回る。けれど、追いかけてくる敵は待ってなどくれない。
魔力はもう底をつきかけていた。わらわにはまだお父さまのような強い力はない。
クラリスの体力も限界が近い。きっと、あれからほとんどなにも食べておらんのじゃろう。
残された道は、ただひとつ。
――空を飛ぶ。
考えて……けれど、わらわは首をふった。
わらわは飛ぶのが苦手じゃ。いつもコントロールがうまくいかずに落ちてしまう。
ひとりでも飛べぬのに、クラリスを連れて空を行くなど…………絶対に、ムリ……。
「……の、のう、クラリス」
「…………は……は、い……?」
「わらわたちは、その……お友だち、か?」
……だというのに、気がつけば、わらわはそんなことを聞いておった。
後ろには敵の足音。のんきにお話ししているような時間はない。それはよくわかっておる。
しかし、
「は、い……! おともだち、ですっ!」
――クラリスは、息を切らしながら、そう答えてくれた。
「……わらわを、信じてくれるか?」
「はい! 信じて、います……っ!」
絶対に失敗する。前にも怒られた。うまくなんて、いくわけがない。
怖い。怖い怖いこわいこわいこわいこわいこわいこわい、怖い………………だけど、
「――――たったひとりの“お友だち”も守れず、なにが王の娘か!!」
弱虫な心を気合いで追っぱらい、短く呪文を唱えた。
背中に羽が生える。
――“お友だち”を守るため、いつもより大きくなった翼が。
「飛べええええええええええっ!」
大声で叫び、強く地面を蹴る。わらわたちの身体を魔法の空気が包みこんだ。
やがて二枚の翼は――空に向けて吹く風を、つかまえた。
身体が天高く舞いあがる。つないだ手を離さぬよう、しっかりと握りしめた。
悲鳴さえあげることのなかったクラリスは、「信じている」と言葉を伝えるように、強く手を握りかえしてくれた――。
恐れておった失敗といえば、うまく魔力をコントロールできずに落ちること。
しかし、これはなんとか風に乗れたことでうまくいっておる。多少はふらつくが、さしたる問題ではない。
次に魔力が底をつく。これもコントロールがうまくいけばなんとかお城までもつ……はず、であった。
――後ろから、敵の魔法使いが追いかけてきていなければ。
ちょっと考えればわかることじゃった。『飛翔術』は風の魔法。たとえ人間でも、技術のある者なら練習さえすれば使える。ただ竜などのおる空を人間が安全に飛ぶのはムリがあるから、誰も外では使わないというだけの話で。……街の中ならば、魔法使いは空を飛ぶ。
後ろから放たれた魔法が頭上を飛びこえていく。わらわがふらつくせいか、向こうもどうやら狙いをつけにくいようじゃ。ついておるといえばついておるが、おかげでもう魔力が限界じゃった。
わらわの手にぶらさがったクラリスは、さっきからぐったりとしておる。空を飛ぶのはおどろくほど体力をつかう。なれておらぬ者ならなおのこと。すでにへとへとだったクラリスにはつらいじゃろう。
ようやくお城が近づいてきた。魔法がかすって身体がブレる。思わず、クラリスを落としそうになる。
でも、
「……わらわは、負けぬうううううっ!」
全身の力をふりしぼる。……あと、もうすこし。
心臓がばくばくとうるさい。息が切れる。身体のすぐそばを、魔法が通りすぎていった。
チカチカしはじめた視界に――――それは、うつった。
「――よく頑張った。誇れ、気高き王の娘よ」
とす、と軽い衝撃で、わらわたちの身体はがっしりとした腕に抱きとめられた。
顔をあげれば、そこには夜空の風になびく長い白銀の髪。
――――竜王・ゼロスフィード。
「愚かな羽虫ども。貴様らにふさわしい地獄を見せてやる」
「ヒッ!? に、逃げ――!?」
「もう遅い。凍れ――『氷柱吐息』
暗い空に、いくつもの巨大な氷のかたまりが現れる。……その中に、敵の魔法使いたちが閉じこめられておった。
――ああ、やっぱりゼロスは強いの。
それで安心してしまったせいか、急に眠気がやってきた。
地面に氷のぶつかる音が響く中、わらわの視界は、ゆっくりと白くなっていった――。
☆彡
――目が覚めて最初に見えたのは、涙でくしゃくしゃになったマリーの顔じゃった。
「よかっ、た……ミーちゃん、無事で……」
ぎゅっと抱きしめられる。……おおう、苦しいのじゃ。
しばらくぼんやりとしておったが、急に大切なことを思い出した。
口を開くとせきが出た。うむ、のどがカラカラじゃ。ようやく身体をはなしたマリーが、お水を飲ませてくれる。
「クラ、リス、は……?」
「ミーちゃんのおかげで無事だよ。サーカスの人たちも……けど」
マリーはなんだか気まずそうな顔をしておった。
ぽつぽつと教えてくれたのは、もうクラリスたちがこの国にはおらぬということ。
どうやらあのサーカスは誰かに追われておったらしい。マリーたちが皇国にいるようにいっても「もうこれ以上は迷惑をかけられない」と出て行ってしまったそうじゃ。
部屋の中にはみんながおった。誰もが安心したように「よかった」と頭をなでてくれた。あのフェイですら涙ぐんでいたから、わらわはよっぽど長く眠っておったのじゃな。
「……申し訳ありません、ミルエージュ様。こたびの騒動、全てワタシの責任です……」
「違うよ、グラン。最後に決定を下したのは私なんだから……それに、移住してきた時は普通だった『教国』の人たちが、あんな風に豹変するなんて誰も思わないもの……」
――『教国』という名前は、わらわも聞いたことがあった。
そこはめずらしく魔族を敵としておらず、すべての生命の友愛と平和を神様に祈る国。
世界中を旅したマリーたちもかつてそこに立ち寄ったらしく、やさしくてまじめな人がたくさんいたから、皇国にきた時も拒まずに受け入れたのだと。
「どうやら教国では第一、第三の王子派と第二王子派の二つに分かれて跡目争いが起きているようです。今回の暗殺未遂は『第三王子が神を冒涜した』と過激派が虚偽の噂を流して信徒を扇動したのが原因だと報告があがっています」
「そう……すごく、優しい人たちだったのに」
「信仰は良くも悪くも直線の感情ですから……よほど己の芯を強く持たなければ、人は容易く道を見誤ってしまうのでしょう」
さいしょうの言葉に、マリーは悲しそうな表情を浮かべた。
それを見て、わらわはガマンできなくなった。
言葉の意味はよくわからぬ。だけど、マリーが泣くのはイヤなのじゃ。
「マ、リー……」
服をくいくいと引っぱる。するとマリーはすぐにこちらを向いてくれた。
「ミーちゃん……どうしたの?」
「……わらわは、信じることを、マリーに教えてもらったのじゃ……だからマリーは、信じることをやめてはならぬ…………クラリスも、マリーの料理に救われておったのじゃ……」
どうか、そのやさしい目を。
――わらわを真っ暗な場所から救い出してくれた“心”を、くもらせないで。
「うん……うん、そうだね。ありがとう、ミーちゃん…………よく頑張ったよ。えらかったね。ミーちゃんは、私の自慢の娘だ」
そういって、マリーはぎゅっと抱きしめてくれた。
今度はやさしく。まるで包みこむみたいに。
その言葉がなによりもうれしくて……わらわは、温かい胸の中で少しだけ泣いた。
しばらくすると、街には平和な空気が戻ってきた。
暴れた者やそれを手伝った者は、すべてさいしょうたちが元の国におくりかえしたようじゃ。ここ一週間でだいぶとゲッソリしておったが、なにやら満足そうな顔じゃったので、たぶん問題はない。どうか安らかに眠るとよいのじゃ。
わらわはといえば……うむ、毎日ボーッとしておる。
ずっと「しさつ」もおやすみ中。これではいかんと思うておるのじゃが、どうにも力が入らぬ。よく様子を見にくるフェイも心配そうな顔をしておった。もうしわけないのじゃ。
なにもせずボーッとしておると、たまにクラリスの歌声を思い出す。
たぶん、あのサーカスはもうフェンネル皇国にはこないのじゃろう。クラリスと会うことも、もうない。
それはなんだかさびしいような……胸が苦しくなる気持ちじゃった。
そういえば、お友だちとさよならしたのはこれがはじめてなのじゃ。みんなはずっといっしょにおるから、お別れなんてしたことがなかった。それがこんなにツライものだとは、知らなかったのじゃ。
「ミーちゃん、入るわよ?」
ドアの向こうでマリーの声が聞こえた。
……なんじゃろう? ごはんはさっき食べたはずなのじゃが。
「身体の調子はどう? しんどくない?」
「うむ、もうばっちり元気なのじゃ」
「そっか。……じゃあ、用事をお願いしようかしら」
そういって、マリーは大きな包みを取り出した。
お届けものじゃろうか? なんだかいいにおいがする。……でも、いったい誰に?
「これをね、あのサーカス団のスピカ一座に届けてほしいのよ」
「クラリスたちが来ておるのか!?」
「いいえ、来てないわよ。あの人たちは、しばらくうちには来れないと思う」
うん……? どういうことじゃ?
よくわからずに首をかしげておると、マリーがわらわの手を引いた。そのままバルコニーまで連れていかれる。そこには……
「――特別に『超特急便』を出してくれるんだって」
そこには――――巨大な「竜王」の姿の、ゼロスフィードがおった。
『来い、ミルエージュ。――お前に本当の“空”を教えよう』
差し出された手のひらは、わらわの身体がすっぽりおさまるくらい大きい。銀色のきれいなうろこが太陽の光できらきらとかがやいておる。
おそるおそる足を乗せた。その指先はまるで揺れもせず、わらわのことを受け止めてくれる。
ふりかえると、バルコニーから手をふるマリーが見えた。
「いってらっしゃい! お友達によろしくね!」
なんだかよくわからぬうちに、みるみるその姿が小さくなっていく。『一応、つかまっておけ』と頭の上から降ってきた言葉で、わらわはようやく正気をとり戻した。
「い……いってきますなのじゃーっ!」
はたしてその声は届いたじゃろうか?
気がつけば、目の前にはさえぎるものもない――見わたす限りの青空が広がっていた。
――すごい! はやい!
見下ろす景色がすごいスピードで流れていく。身体はゼロスの魔法が守ってくれていて、それでもたまに入りこむいたずらな風がほっぺたをくすぐった。
人の姿はあまりない。みんな巨大な竜王が恐いのかもしれぬ。しかし、たまにいっしょうけんめいに手をふっているお姉さんの姿が見えた。ゼロスにたずねると『……あれはかつて違う村で暮らしていた娘だ』と教えてくれた。……よくわからぬ。ゼロスがお引っこしを手伝ってあげたのかの?
びゅんびゅんと風を切って、たどりついたのはどこかの小さな町じゃった。
そのはずれの空き地みたいな場所に――クラリスたちが、いた。
まるで身をかくすように小さくなっておるサーカスの人々に向けて、わらわは声をはりあげた。
「クラリス――――っ!」
「えっ!? ……み、ミルエージュちゃん?!」
うむうむ、びっくりしたようじゃな。まさかわらわが竜王に乗って現れるとは思うまい。わらわだってびっくりじゃ。
ゼロスに降ろしてもらって、まだ固まっておるクラリスの元へと歩み寄った。
「まったく、あいさつもせずにいなくなりおって。心配したんじゃぞ」
「あ、えと……それは……」
『安心しろ。もうお前らを追ってくる者などおらん』
「……え?」
竜王の言葉に、クラリスだけではなくサーカスの人たちもびっくりした顔をしておる。
なんじゃ? ゼロスはなにかしたのか?
『過激派の組織とやらは一掃した。むす――――ミルエージュに手を出したのでな。本来なら余計な火種を持ち込んだ教国ごと叩き潰すところだが、うちの国王が怒るのでそれは許してやる。国内の残党に関しては自分達でなんとかしろ。そこまでは面倒を見切れん』
サーカスの人たちはしばらくぽかーんとしておったが、ようやく意味を理解したのか、ボロボロ泣きながらおでこを地面につけた。……こうしておるとまるで竜王が悪者のようじゃの。ゼロスも気まずそうな顔をしておる。
うむ。なんの話かイマイチよくわからぬが、みんなうれしそうなのでよかったのじゃ。
「竜王様、これほどの大恩に、なんとお礼を申し上げてよいか……」
『あー、もういい……お前達はその包みを受け取って、さっさと国へ帰れ』
そういわれて、ゼロスを見上げておったクラリスがおずおずとこちらを向いた。なんだかせわしなく目を動かしておる。心なしかその顔も赤い。……なんじゃ、熱でもあるのか?
「あの……ありがとうございました。助けてもらったのに、お礼もいわず……ごめんなさい……」
「なに、気にするでない。国にいる人々を守るのは、王族のつとめじゃからの」
クラリスがおどろいたように目を見はる。……しかし、それはすぐまじめな表情になった。
きゅっと目元を引きしめたクラリスは、思いきったように口を開いた。
「あ、あの! 本当は――」
――しかし、なにかいいだす前に、わらわのお腹が鳴った。
「む……お腹がすいたのじゃ」
『お前の昼食は別にちゃんと準備してあるから、早くその包みを渡してやれ。中に料理が入っている。しばらくまともに食事をしておらんのだろう?』
「あ………………ありがとう、ございます……」
……なにやらクラリスがしぼんだの。
どうしたのじゃ。今日はなんか変じゃぞ。
「では、わらわはお腹がへったので帰るのじゃ。クラリスも気をつけるのじゃぞ」
「は、はい! ……あの、またフェンネル皇国にお邪魔しても、いいですか?」
おずおずとクラリスがそんなことを聞く。
なにをいっておるのじゃ、こやつは……。
「当たり前じゃ。――わらわたちは“お友だち”なのじゃから、いつでも遊びにくるがよい!」
そう答えると、クラリスは頬をそめて、元気よくうなずいた。
「――はい! いつか、必ず!」
うむ! 元気が出たようでなによりじゃ!
大きく手をふるクラリスたちに見送られながら、わらわたちは再び空へと舞い上がった。
☆彡
ゼロスの手のひらに乗って、どこまでも広がる空を行く。
「すごいのー。世界とは、こんなにも広いのじゃのう……」
『……ミルエージュよ、今も空を飛びたいか?』
「うむ! いつかは自分の翼で飛んでみたい! ……でも、なかなか難しいのじゃ」
『誰でも最初から上手く飛べるわけではない。私も、昔は風を見誤って色んなところにぶつかったり、落ちたりしていた』
「そうなのか!?」
ほへー、あの竜王がのう……ちょっと信じられん話じゃ。
――あと、そのぶつかったところとやらは大丈夫じゃったのか?
それがはてしなく心配なのじゃ。
『だから、まあ…………お前がどうしても上手くなりたいというのなら、たまにでよければ、私が練習を見ても……』
「ほ、ほんとう!?」
『こら暴れるな』
叱られたが、そんな声もまったく耳に入ってこぬ。
竜王が! 練習を見てくれる! すごいのじゃ!
『……まったく、お前はだんだんマリーに似てくるな』
あきれたようにゼロスがいう。
そうじゃろうか? でも、もしそうならうれしいのじゃ。
……だって、マリーはわらわの“お母さん”じゃからの。
『なあミルエージュ――お前、さっきのやつがずっと一緒にいたいといったらどうする?』
「うむ……? いっしょにおればよかろう? お友だちなのじゃから」
『いや、そうではなく。……たとえば、あいつの国で一緒に暮らしたいといわれたら、という話だ』
「む。それはダメじゃ」
『……即答だな』
「当たり前なのじゃ。わらわはマリーとずっといっしょにおるのじゃ」
たしかにクラリスはお歌もうまいし、大切なお友だちじゃが、それでも一番の大好きはマリーなのじゃ。そこだけはゆずれぬ。
だって、
「――だって、おいしいお菓子をくれるからの」
『お前……』
ゼロスが深いため息をついた。なんだかあきれられた気がするのじゃ。
むう。もちろん大好きの理由はお菓子だけではないぞ? ……ないが、今のわらわはお腹が減っておる。
すぐにでもマリーのおいしいごはんとおやつを食べたいのじゃ。今はそれしか考えられぬ。
わらわはゼロスをせかすように、竜の指をぎゅっと抱きしめた。
――――さあ、はやく帰ろう! わらわたちのフェンネル皇国へ!