焦がれたものは視えない
注:このお話はうっすらではありますが腐的な表現がございます。閲覧の際はご注意ください。
「安万侶!」
俺を呼ぶのは、同僚だ。
そして、俺を呼ぶ理由など、ひとつしかない。
あいつだ。
あいつが、また何かやらかしたんだ。
「安万侶! 安万侶!」
ああ、うるさいなあ、とため息をついてしまう。
穏やかに晴れた昼下がり。俺は静かな宮中の静かな倉庫で、ひたすら書物を読みふけっていた。
倉庫に保存されている情報をひたすら頭に叩き込み、それを自分のものにせんと必死になっていた。
書見は苦じゃない。むしろ、ひとりしずかに物を読むのは好きだ。
そう。静かなことがすきなのだ。
裏を返せば、その逆――騒がしいことは好きではない。
同僚が俺を呼ぶ理由は、騒がしいことが起きてしまったからだ。
その騒がしいことの中心にいるのは――。
「安万侶、出番だ!」
「……またか」
俺は聞こえよがしにため息をついた。
「お前の嫁だろ? 扱い方も心得てんだろ」
「っ、誰が誰の嫁だ!」
そこはきっちりと否定せねばならない。
「お前が、あいつの、旦那」
「言い方変えただけだろう。俺はあいつを嫁にもらったおぼえなぞないわ」
「そうかあ? 主上も認められるほどの公式な夫婦だぞ、お前ら」
「ぐ……おのれ、そこで主上の御名を出すとは卑怯な……!」
「そうすれば否定はしないだろ、お前。それはいいとして、ほれ、行って来い。嫁が宮中を抜け出した。連れ戻してこい。甘い言葉の一つでも囁いてやれ。歌くらいたしなんでんだろ?」
「誰が嫁かッ!!」
しかし、そう否定してはいても、俺は主上から『正式』に奴の目付を頂いている。それを無下にするというのは、主上に逆らうということ。
畏れ多くも、俺は主上を敬い申し上げている。そのお言葉を蹴るなどできやしない。
俺は心底うんざりしながら、宮中の外へと足を運んで行った。
嫁だなんだと言われている諸悪の根源は、宮中から少し離れたところに広がる林で、のんびりと誰かと談笑していた。
談笑相手は分からない。少なくとも、俺には視えない。
ということは、お相手は人間ではない。神だ。
俺はしずかに阿礼に近づき、ひたりと立ち止まる。
俺に気づいた阿礼は一旦会話を止め、ぱっと微笑を俺に向けた。
「やぁ、安万侶。どうしたんだね、こんなところに来て。きみは確か、薄暗い倉庫でひとりさびしく無数の書物とむなしいにらめっこをしていたんじゃなかったか」
「言葉を選べ、阿礼」
林の入口付近の平たい石に阿礼は腰かけている。その右隣の誰かと会話をしているらしかった。
阿礼は薄紅をさし、つやつやした黒髪を綺麗に結い上げ、耳や首、手足を金の装飾品で飾る。ゆるく着た紅梅の装束が似合っている。
指先は細く、体も華奢だ。ぱちりと開いた瞳は漆黒。着物からわざとのぞかす足は、形が美しい。
妖しげに微笑ませれば、事情を知らない男は誰もが落ちる。要するに奴は顔立ちが美しい。体型もまた、引き締まっている。
ただひとつ、奴が男ということを除けば、完璧であったのに。
稗田阿礼は、女の格好や化粧を好む、正真正銘の――――男だ。
「ふふ、言葉が過ぎたね。では……ここまでご苦労なことだね。血相変えてどうしたというのだい、旦那様?」
「阿礼、言葉を選びすぎて一周しているぞ」
「そうかな?」
「はあ……。おまえが何も言わずに宮中を出たから連れ戻してこいと言われただけだ。でなければ、俺が倉庫から出ることもあるまいて」
「それは言えてるねえ。君ってドン引きするほど真面目だから人付き合い下手だし、融通きかないから扱いにくいって上から言われ放題なんだろう?」
阿礼は俺が反論できないことをずけずけと言い放つ。悔しいが阿礼の言葉に間違いはない。俺は自分が生真面目で扱いにくいということをとても自覚している。
「で、不正取引を持ち掛けた上司に逆らってここへ流されたんだっけ? そんなもの見て見ぬふりするかトチ狂ったフリするかして、どうにかこうにか切り抜ければよかったのに。きみときたら、しかるべき場所に伝えてしかるべき処置をするとかなんとか言い放って、口止めと上司の保身のためにここへ流されてしまったのだから。ばかだねえ。きみ、もうすこし柔軟にゆきたまえよ。体は柔らかいけれど、頭はがちがちだねえ。石頭って意味も含めてさ」
「そろそろおしゃべりは終わりにしようか。戻るぞ」
「こらこら、図星だからって怒らないの。わたしはここのお客様となかよくお話していたのだから」
「……俺には視えん」
「そりゃ視えないよ。だって、彼女は神様なのだから」
阿礼は優しく答えた。
稗田阿礼。この女装好きの変人は、見聞きしたものを正確に記憶するという能力のほかに、もう一つの特筆すべき力を持っている。
それは、日本におはす八百万の神々を視ることができるという力だ。
今の時代、神々を視認できる人間はそうそういない。いるとすれば、帝である。
阿礼が常習的に宮中を抜け出すのは、こういった神々と交流をするためだ。今回も、例に漏れないだろう。
阿礼には決して言わないが、俺は阿礼の力がうらやましいと感じる。
日本を人間に託して、いつの間にかふっとお隠れになった神々を視ることができるというのは、素晴らしいと思うのだ。
人間と神々が近しかったころは、誰もが神を視ていた。だが、今は違う。別の信仰が入ってきたのもあるのだろうが、人間は必ずしも神々を必要としなくなってしまった。
俺は、忘れ去られかけている神々に、勝手に思いをはせている。だから、阿礼の力にも焦がれてしまうのだ。
「視たい?」
「え?」
「わたしの手をにぎってごらんよ。わたしを通して、きみも一時的に、彼女を視認できるはずだよ」
頼もしく阿礼が左手を差し出した。俺は、少しためらって、その手を握ってみた。
すると、阿礼の右隣にちょこんと座っている小さな女神を見つけた。
女神と目が合った。俺を見た女神は、あどけない笑顔を俺に向けてくれた。俺は腰を下ろして、おそるおそる礼をする。小さくとも、彼女は神なのだ。
小さな手が、俺の頭を撫でたように感じた。視認はできるが、声はわからない。だけれど、視ることができただけでも、俺には充分だ。
女神が、ぱたぱたと駆けていく。お別れの時間のようだった。惜しみなく手を振りながら、彼女は走って行った。
「……きみは物好きだね」
「は?」
「わたしの力をうらやましいだなんて。気味悪がられることはあっても、うらやましがるのはきみが初めてだよ」
「気味が悪い? 馬鹿を言え。かつてこの地に暮らしていた神々と意思を通わせることができるんだぞ。……人は、いつから視えなくなってしまったのだろう。いつか、そのまま忘れてしまうんだろうか」
「忘れないよ。忘れさせない。そのために、わたしときみが選ばれたのだから」
「……」
俺と阿礼は、とある任をいただいている。
それは、神々の力と記憶を、記録すること。
阿礼がそらでそれを口に出し、俺がそれを文字として残す。
そんな大役を任されたことが、畏れ多いと同時に、この上ない興奮と歓喜を覚えたのも確かだった。
神々の記録を後世へと残していくことで、神々の存在をずっと守っていく。
神々に恋い焦がれる俺にとっては、天職といっていいほどだった。欲を言えば、相棒はせめて女装趣味のないまともな人間であってほしかったが。
「帰ろうか、安万侶」
「……そうだな。いい加減、戻るぞ、阿礼。嫁だなんだとうるさい連中を黙らせなければ」
「嫁? きみがかい?」
「なわけあるか!!」
「だよねえ、ごめんごめん。きみはわたしの愛しい旦那様だものね」
「頼むからもういい加減黙ってくれ……」
「あっははは。きみ、もう少し気楽にしたまえよ」
こいつの減らず口は終わらない。
だが、時々、少なくとも今は、その減らず口も悪くはない、と思えてしまう。
「安万侶」
「なんだ」
「きみとわたしは、ずっと一緒だ」
「……今更確認か」
「ふふ」
穏やかな昼下がり。
俺は阿礼がふらふらとどこかへ行ってしまわない様、その華奢な左手を強く握り締めていた。
阿礼が、その手を握り返したのは、気のせいであってほしいものだ。
長らく古事記コンビ書いてないなあ描いてないなあと思いつつ、ふと浮かんだお話を書いてみました。