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「砂時計の話」

 穏やかな休日の昼下がり、行きつけの店で彼とお茶をした。

お茶、と言っても、実のところしっかりとランチを食べ、セットでお得なケーキとドリンクを注文し、一日に必要とされるカロリーの大半を摂取してちょっぴり後悔してしまっている。そうして現れた後悔の念も、自由に選べるケーキのワゴンが運ばれてきた瞬間、どこ吹く風とばかりに思考の外へと飛び出したのだった。

 彼はどちらかというとコーヒー派だが、私が最近紅茶にハマっている影響からか、行く先々で紅茶をオーダーする機会が増えた。最近茶葉の違いが分かるようになってきたから、こういう本格的な店で紅茶を飲んでみたいなどと言いながら片手を勢いよく挙げて、このロイヤルなんとかくださいと得意顔で注文していた。

 ケーキとティーポットに入った紅茶、ティーカップなどが並べられ、華やかなカップの柄をうっとりと眺めていると、店員さんが砂時計をひっくり返して、トンと机に置いた。中の砂がすべて下に落ちたときが、紅茶の飲み時らしい。

 彼は二人のカップの柄の違いを見比べたり、ティーポットの蓋をわずかに開けて匂いを嗅いだりしていたが、やがてその視線をサラサラと落ちていく砂の方に向け、話し始めた。


                         ◆


 昔、砂時計職人を目指して単身イギリスに渡った、佐藤という少年がいた。少年は貧しい家庭で育ったので、中学校を卒業したら手に職をつけて自立した生活を送りたいと両親に懇願して、イギリス行きの切符を手配してもらった。両親も幼い息子を海外に向かわせるにはひどく不安だったが、息子に芽生えた小さな希望を摘み取ることはできなかったんだ。

 少年は、イギリスでも有名な砂時計職人の街へ向かった。有名といっても、砂時計作りを生業にする人たちのほとんどは豊かな暮らしができるわけではなく、楽器職人はもとより硝子職人にも遠く及ばない暮らしぶりだった。ほとんどの人間が、自宅に小さな工房を一室設け、夜な夜な砂時計作りに励み、日中はそこに暖簾(のれん)を下ろして自作の砂時計を販売する、というような生活を送っていた。

 少年は町中でも特に大きな砂時計店の扉を叩いて、弟子にさせてくれるようお願いしたが、取り合ってはもらえなかった。砂時計のすの字も知らない子供で、しかも日本人なんか迎えることにはできないと、門前払いをされた。少年は日が暮れるまで扉を叩き歩いた。そして時が経つ毎に、叩く扉の構えは小さく、みすぼらしくなってゆくのだった。これでは弟子入りどころか寝る場所も見つからない。ここで駄目なら今夜は野宿だと肝を据えて、最後の扉を叩いた。

「なんだ」

「ぼくは日本から砂時計職人を目指すためにここへ来ました。どうか弟子にしてください」

「弟子なぞ取らん。出て行け」

「お願いします!どうかぼくに砂時計の作り方を教えてください!」

「出て行け」

家の主はわずかに開けた扉の隙間から手首を払うように動かし、しわがれた声で言った。少年はうつむき、白い息を吐きながら分かりましたと小さく答えると、近くにあった煉瓦(れんが)の壁にしゃがみ込み、白くなった掌に息を吹きかけた。少年はセーターの襟首を鼻元まで持ち上げ、自分の心情とは裏腹に見事に藍く澄んだ星空を眺めた。


 とても静かな夜だ。

 自分の国と同じ空のはずなのに、とても果てしない。

 まぶしく光る星が、息の白さで霞む。

 自分の体温と一緒に、何か大切なものまで奪われてゆく気がする。


 その時、目の前に小さな明かりが現れた。星ではない。もっと大きい。

 目を凝らすと、先ほどの老人が手にランプを持って歩いてきているのが見えた。

「入りなさい」

 そういうと、老人は僕に背を向けて家で進みだした。寒さで固まった脚を懸命に起こして、小走りで老人の後について行った。

 老人は今まで叩いた中でも一際古びた扉を開いた。キィという音がする。中に入ると、暖炉に赤く燃える炎が目に入った。その側にある小さな木の机に、大小さまざまな作りかけの砂時計と、彫刻用のナイフが無造作に置いてある。

「ほら、立ってないで、その椅子に掛けなさい」

 そう言うと、老人は奥の部屋に入って行った。棚の中には、見たこともない砂時計たちが並んでいる。赤や黄色の砂が入ったもの、見事な装飾を施されたもの、日本では見たことがないものばかりだった。

 キィという音がして、老人が器を二つ持って出てきた。黙ってそれを僕の前に差し出すと、老人は自分の器からスープをすくって飲みだした。おじぎをしてそのスープを飲んだ。

こんな美味しいものは食べたことがなかった。白く変色した身体に命が巡った。砂時計の(から)の硝子に砂が注がれるように。


 その日から、僕は老人のもとで砂時計作りを学んだ。彼の名前は聞いていたが、僕はおじいさんと呼んだ。最初は師匠とか先生とか呼んでみたが、そんなふうに呼んでくれるなと険しい顔をされたのだ。おじいさんと言ったときだけ顔色が変わらなかったので、そう呼ぶことに決めた。

 おじいさんの砂時計職人としての腕前はとても優れたものだったが、それでも他の砂時計職人と同じように、昼間は砂時計を売って食いつないでいた。時には僕に売り子をさせた。僕は砂時計で埋め尽くされた大きな(かご)を首に掛けて、町中を歩いた。

 春が来て、僕の存在もだんだんと町の人に認められた。いつものように籠をさげて歩いていると、今日も頑張ってるな、とか、毎日大変だろう、無理するなよとか、親切に声をかけてくれるようになったのだ。

 だが、おじいさんだけは僕のことを認めてくれなかった。柱の曲線の彫りが甘いとか、こんな分厚い硝子じゃ酒も飲めんなどと、僕が作るたびに叱りつける。僕はこれでも日本にいる時から砂時計には特別に思い入れがあったし、技術だって十分身に付けたはずだ。おじいさんは僕の腕前を認めたくないんだ。僕のことが嫌いだから――。

 春が過ぎ、夏が過ぎた。

 秋が来る頃には、砂時計職人としての腕前はさて置き、売り子としての力は我ながら板についたと感じられるようになった。僕は子供だし、日本人というのも珍しいのだろう。情けで買ってもらうのは本意ではないが、僕のことを認めてくれている証拠だ。僕は、ちゃんと成長している。

 冬が来ても、おじいさんの僕への評価は変わらなかった。

「そんな削り方じゃ、匙《さじ》の一本も作れないぞ!」

「砂時計職人なんてやめちまって、ビー玉でも作ってろ!」

「やる気がないんなら国へ帰れ!」

 もう限界だ。ここに居ては何年経っても砂時計職人になんかなれやしない。


 僕は、家を飛び出した。こんなところを選んだのが失敗だった。もう十分技術は身に付けた。これからはおじいさんなんか居なくても一人でやっていける。

 日が沈んで人通りの少なくなった路地を速足で歩いていると、目の前に大きな看板が目に入った。(かし)の木をフクロウの形に切り出し、腹のところに「ロック砂時計店」と彫り込んである。看板の下をくぐり中庭を抜けると、身長の倍もあるような大きな門に辿り着いた。横には大きさの違う三つのベルが掛けられている。

 ベルを鳴らすと、中から眼鏡をかけた金髪の男が現れた。

「何か用かね?」

「僕は、砂時計職人を目指している佐藤と申します。この町で一番大きなお店を見つけたので、恐れ多くも僕の作品を見ていただきたいと、失礼を承知で参りました」

 男は品定めをするようにじっと僕の瞳を見つめた。

「なるほど、若い砂時計職人か。どれ、中に入りなさい」

男は遠慮なく入りたまえと付け加え、戸惑っている僕を親切に中へ迎え入れてくれた。

外で見る以上に、店内は広く、華やかだった。赤いクッションの椅子に腰掛けると、今まで使ったどのベッドよりも柔らかいことに衝撃を受けた。白い石造りの什器(じゅうき)に、整然と砂時計が並べられている。芸術的な彫刻品よりも精細に作りこまれた砂時計、三つの砂時計が黒い木枠に納められ、それぞれの砂が違うスピードで流れている。どういう仕組みか、波打った硝子の管を流れていくものもある。

「珍しいかね?」

「はい、どれもこれも、素晴らしい作品ばかりです。こんなに華やかなものは初めて見ました」

男は、はははと声をあげて笑った。

「いや、ここにある商品なんて、生みの親である私が言うのもなんだが、まだまだ不十分なものばかりだよ。もちろん商品として売る限りは自身を持って出せるものばかりだが、まだ私が完全に満足するものは作れた試しがない。おっと、そういえば名乗るのを忘れていたね。私はロック・ディーズリー。見てのとおり小さな町の砂時計屋だよ」

 小さな町の砂時計屋、というわりには随分豪華な店構えだったが、彼の言葉に嫌味は感じられなかった。

「どれ、君の作品を見せてみなさい。私ごときがちゃんとしたアドバイスをしてあげられるかどうか自信はないが……」

 僕はかばんから作ったばかりの作品を取り出して、一瞬手元で眺めた。自分で見る印象としては、ここにあるような華やかなものではないが、無駄のない、美しい仕上がりに思えた。軽く頷き、手にした作品をディーズリーさんに渡した。

 僕が店に入ってから、ディーズリーさんはずっと和やかな表情をしていたが、砂時計を見た途端に顔つきが変わった。厳しい職人の目だ。手にとった砂時計をひっくり返したり、テーブルに置いて水平な位置から砂を覗いたりしている。

 僕はその鑑定の結果を待ち、ごくりと喉を鳴らした。

「ありがとう、たしかに見せてもらったよ。とてもよく出来ているね。小さいながらも立派な腕を持ってる」

 思わず笑顔がこぼれた。だが、その思いに反してディーズリーさんは依然として真剣な面持ちをしている。

「よく出来ているが、まだ足りないものもある。この硝子は少し分厚いようだね。これじゃ砂が滑らかに動かない。ただ下に落ちるだけじゃ駄目なんだよ。この木もね、彫り込みに手を抜いちゃいけない。砂時計は道具でもあるが、芸術品でもあるんだ。彫刻家が作る立派な像と同じ思いを、この枠にも込めないといけないんだ。ただの道具を作る気持ちでは本当の砂時計職人にはなれないんだよ。君はちゃんと基礎を学んでいるとお見受けしている。だからこそ、今厳しいことを言わせてもらってるよ。君が長い時間をかけて築き上げた土台を、ちゃんと作品に生かさなきゃ駄目だ。この作品には、完成したものを作ろう、作ろうとしている君の心が表れているよ。焦っちゃ駄目だ。ひとつひとつの部品に長い時間をかけてやってほしい、自分の子供を育てる気持ちで。そうして初めて、立派な作品に仕上がるんだよ」

 一緒だ。

 おじいさんが今まで僕に言ってきたことと。

 ぶっきらぼうな伝え方だったが、おじいさんも僕の未熟な部分をちゃんと指摘してくれていた。

「だが、君にはいい先生がついているようだね。そのはやる気持ちを抑えて作品と向き合えば、必ずいいものに仕上がる。僕も様々な知識と経験を蓄えたが、君の先生より立派な教えを君に与えることはできないよ」

 そう言うと、ディーズリーさんはにっこりと微笑んで、砂時計を僕に返した。僕は深く頭を下げてそれを受け取り、走って店を出た。ディーズリーさんは「またおいで」と言ってくれた。

 外は随分暗くなっていた。腕を大きく降って走っていると、白いものがポツ、ポツと袖に当たる。

 雪だ。

 走る僕の腕が、体が、白く包まれていく。全身が薄い白色に染まったころ、町の景色も同じように白いベールに包まれた。

 町の端まで走ると、見慣れた小さな扉の前に辿り着いた。ドンドンとノックすると、腕に積もった雪が下に落ちた。

 反応がない。

 ドアを開けると、チカチカと燃える暖炉の火が目に入った。部屋は暗いが、暖炉の火でわずかに作業机の周りが照らされている。その椅子に、おじいさんの背中が見えた。

「おじいさん」

「戻ったか」

「すみませんでした」

 おじいさんは、体をひねり、僕に器を渡した。

 そのスープは、僕がおじいさんと出会った日に飲んだものと同じだった。

 僕はスープを一気に飲み干し、おじいさんの顔を見た。暖炉の火は燃えているのに、おじいさんの顔は外で見た雪に負けないくらいの白に染まっていた。足元に目を向けると、その靴は、雪の町を走ってきた僕の靴よりもびっしょりと濡れていた。

 僕をずっと探しててくれたんだ……寒い寒い雪の中を。

「今日は遅いから、もう寝なさい」

 僕は言葉が見つからず、頭を下げて二階の寝室に向かった。夜な夜な作業場として使っていたベッドの横の机に、ひとつの砂時計が置いてある。

 一見どこにでもある砂時計だが、とても丁寧で、真面目な佇まいをしている。枠には「SATO」の文字の焼き印が押してある。ひっくり返すと、中の砂たちが真っ直ぐと、流れるように下へ落ちてゆく。季節の変わり目に移動する鳥たちのように、たくさんの命が一つの目的をもって、同じ場所を目指している。

 僕はその流れに魅入られて、部屋のランプに灯をつけた。

 砂が白い。

 真っ白だ。

 路頭に迷う僕を拾ってくれたあの日の雪の色。

 暖かいスープを差し出してくれたあの日の雪の色。

 涙がこぼれ落ちた。

 おじいさんは、心から僕のことを大切にしてくれていた。

 そんなことにも気付かず、僕は家を出ていってしまった。

 おじいさん。

 自分ひとりの生活だけでも大変だろうに、こんな僕を、大切に育ててくれた。

 おじいさん。

 僕はひどいことをしてしまった。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 それからというもの、少年は今まで以上に、一心に砂時計を作り続けた。程なくして先生からは一人前だと認められ、彼は自分の作品を世に出したんだ。ここにある砂時計を見てごらん。ほら、「SATO」という焼き印があるだろ?ちなみにその横に書いてある⑤という数字、これらをもって、この作品は「佐藤の五番」と呼ばれてるんだ。少年がさらなる修練を経て完成させた作品で、数ある砂時計の中でも最も真摯な作りをしているものとして、今も愛され続けている。別名「黒鉄五号」とも言ってね。この中に入ってる砂の色が黒いだろ?これが砂鉄に似てるから、黒鉄とも呼ばれてるんだ。

 え?なんで先生が少年に贈った砂時計の砂が白かったかって?それは少年の名前が佐藤だからだよ。砂糖。分かるだろ?


                         ◆


 彼は全部砂が流れきった砂時計をひっくり返して、うっとりした顔でその流れを再び見つめていた。な?いいだろ?「佐藤の五番」などと言っていたが、私はなんだか響きが「サトウのごはん」に似ているなぁと思った。


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