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「クラゲの話」

 これは、私の彼に関する記録である。

 

 私の彼はどちらかと言うと物静かなタイプだ。いつもは私が思いついたことを思いついたようにしゃべり、それをうん、うんと上手に聞いてくれるような人間だ。仕事の話なんかは、私が望めばいくらでも話してくれるのだが、普段彼が経験したことを積極的に語るようなタイプではない。軒並みの表現をすると、「クール」といったところか。

 そんな彼だが、稀に突拍子もない妄想話をすることがある。私ひとりが聞いて胸の内にしまっておくのもなんとなくもったいないので、ここに認めておこう、という運びだ。いつか忘れてしまうかもしれないし。


 ――ある週末、私は彼と海にデートに行った。私は日に焼けるのも泳ぐのも好きではないので、ぶらりと海岸沿いを散歩することにした。彼は落ちていた木の枝を拾って、砂浜に線を描きながら歩いている。もう片方の手には私の手。

 すると、目の前に得体の知れない物体が落ちていた。三十センチくらいの塊で、少し赤みがかったような透明。彼で持っていた枝で突くと、寒天のような触感である。

 クラゲだ。

 彼を描いていた手を止め、話し始めた。


                        ◆


 クラゲ界では今サーフィンが流行っていてね。

 サーフィンと言っても、僕ら人間のようにサーフボードを使うわけじゃあない。クラゲは知ってのとおり海を浮遊できるから、自分の身ひとつで波に乗れる。だから、サーフィンができること自体はなにも珍しいことじゃあない。クラゲサーフィンの醍醐味は、どれだけ人間界に近づくことができるかというところにあるんだ。

 人間界に近づいたクラゲは、他のクラゲたちから大層持てはやされる。周りのクラゲからもキャーキャー言われて、人間の姿を見て帰還したクラゲなんかは村の英雄として語り継がれることだってあるんだ。人間で言うと、戦争から生きて帰ってきた兵士がその帰還を祝福されるようなものだ。格闘技を観戦するして白熱する感覚にも似ている。

 このクラゲは、正式にはビゼンクラゲと言って、毒性のない、どこにでもいるクラゲだ。クラゲ界では、毒の強い種や派手な色をした種が偉いとされる。だが、ビゼンクラゲには天性の素質はない。だが、生まれを嘆いても、何も始まらない。


 コイツは幼少の頃から、自分が他より劣っていることを自覚していた。だが、天性の素質がなくとも、努力でカバーできる。そう思った彼は、クラゲサーフィンで自分の地位を築こうと、猛特訓をはじめた。ワカメに足を巻きつけて引っ張る触手トレーニング、傘の力だけで真上に泳ぎ進むトレーニング、どんな困難にもめげず、日夜精進に明け暮れた。ただ自分の存在を周囲に認めさせるために。

 トレーニングの結果、彼はクラゲサーフィンの手練れとして、周囲に力を誇示した。周りからもあと一歩でプロになれると持ち上げられ、本人もまんざらでもない様子だ。

 そんなある日、彼は周りのクラゲたちに、人間界にちょっと行ってくると告げた。周りのクラゲたちは、まだ早い、プロでも近づかない瀬戸内海の荒波に乗り込むなんて命を捨てるようなもんだと、必死に彼を制した。しかし、彼は聞く耳を持たない。俺にはできると、ただそう答えて、その地を跡にした。

 生まれ持った素質のない自分でも、人生に華を咲かせることはできる、努力さえすれば誰だって立派なクラゲになれる、その一心で、彼は押し寄せる波を力いっぱい掻き分けた。

いつしか彼の夢は、自分一人のものでなく、日の当たらないクラゲたち全員の希望を背負ったものとなっていたんだ。

 交流のあるヒトデ界からは、クラゲどもは軽率だと馬鹿にされてきた。じっとしとけばいいものを、あてもなくフワフワと浮かんでいる。見た目だけ派手に着飾って、当の体は貧弱なもんだ。おまけにサーフィンなんかに興じて、自ら命を捨てている。なんとも滑稽な馬鹿どもだよ、と。

 そんな思いが頭をよぎるが、俺は結果を残して証明してみせる。周りでのうのうと生きている奴らに、俺の力を認めさせてやると、その力をより一層奮って人間界に突き進んだ。

 ついに、果てに着いた。あれが人間か。初めて見る。透明感のない肌、黒々とした毛、なんとも忌々しい存在だ。だが、今は人間たちが神に見える。黄色い砂浜、緑色の木々。どれも海底にもあるものだが、海水という色眼鏡を通さない景色はここまで違って見えるものなのか。

俺はやった。ついにやったんだ……。

 その瞬間、彼の思考は止まり、体は動くことを拒絶した。夢を果たしたことで、限界をとうに超えていた命の灯が消えてしまった。生まれて初めて触れた黄色い砂の上で、目指していた人間界の大地で、彼は最期を迎えたのだ。


 夢に生きることは、はたして価値があることなのか。

 彼の親は、馬鹿な子だったと嘆きながらも、夢に生きた彼の短い一生を否定することはしなかった。諦めずに彼の帰り待ち続ける仲間たちも、消える前に燃え上がった彼の命の灯をその心に受け取ったことだろう。

 僕たちは、この愚かで無謀な、だけど真っ直ぐな彼の生き様を、今この目に焼き付けたんだ。


                        ◆


 彼はそう言って、手にした木の枝をクラゲの亡骸の横に突き立てた。

「帰ろうか」

 そうして私と彼は、帰りに昼ごはんをたらふく食べ、お腹いっぱいになったせいか眠たくなったので、昼寝をした。

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