湯西川にて(後)
短編『湯西川にて』(6)
智恵子の安達太良山
8月も世間のお盆休暇が終わると、観光地は一段落をします。
この時期にはいってから、観光産業にかかわっている人たちが
それぞれ交代で、遅い夏休みをとり始めます。
「どこがいい?」
清ちゃんの3日間の夏休暇と、
私の夏休みが重なることが知れると、早速、
打ち合わせと称して、本家・伴久へ呼び出されてしまいました。
いつものように、「かずら橋」をわたり、伴久のロビーへ着きました。
清ちゃんと若女将は並んだまま、大きなガラス越しに日本庭園を眺めていました。
伴久自慢の、手入れが良く行き届いた中庭です。
「裏へまいりましょうか」
若女将に案内されて、
フロントの裏に有る小部屋から裏庭へ出ました。
雑木林がそのまま残されている小路を歩いていくと、ほんの数分で
湯西川を見下ろせる高台へと出ました。
「ここはとっておきの、私の秘密の空間です」と、若女将が
そこから蒼い川面を覗き込みました。
数歩遅れて歩いていた清ちゃんが、ぴたりと背中に寄り添ってきます。
「安達太良山が、見たいなぁ。」
「智恵子抄に出てくるあの、あだたら山?
登山でも、するの。」
「ううん、
どんな山なのか、近くで見たいだけ。
大好きなんだ、智恵子の話。」
「そう・・・。
うん、ならいいさ、そこでも。」
「ねぇ、知っている?
千恵子が油絵を書いていたってことを。」
若女将の姿が木陰に隠れはじめると、清ちゃんが肩を寄せてきました。
「あまり目立ち過ぎてもねぇ・・・」と、
案内をしてくれた伴久の若女将が、清ちゃんに背中をむけたまま、
独り言をつぶやきはじめました。
「いろいろとありましてねぇ、
私も。
ここから湯西川のせせらぎの様子を見降ろして、
その都度、何度も心を洗われました。
いつ見ても、この清廉な湯西川のたたずまいは素敵です。
水の流れとこの静けさが、
ずいぶんと、私のこころを鎮めてくれました。
あらまぁ・・・・
若いお二人に、私がいつまでもまとわりついていたのでは、
お話も出来ず、野簿でしたねぇ。
じゃあね、
邪魔者はもう消えますよ。」
後で、お茶をしましょうと、若女将が立ち去りました。
「智恵子は東京に空がないと言ふ、
ほんとの空が見たいと言ふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である」
大正3年に結婚した智恵子をうたった、
高村光太郎の「あどけない話」を、清ちゃんが口ずさみました。
洋画家を志したという智恵子は、どうしても東京に馴染むことが出来ず、
一年のうちの3、4ヶ月は実家に帰っていたそうです。
その油絵もなかなか評価されることが無く、
智恵子は悩んでいたといわれています。
光太郎によれば、
智恵子は素描にはすばらしい力と優雅さとを持っていましたが、
油絵具を十分に克服することが、どうしても出来なかったと語っています。
「東京に空がない。」という智恵子の痛切な訴えも、
光太郎は「あどけない話」として受け止めていたようです。
出発は早朝でした。
白い帽子に、水玉のワンピースを着た清ちゃんは、いつもとは別人です。
いつも着物に隠されたままだった、綺麗にすらりと伸びた白い足が
とてもまぶしく輝いていました。
「さぁて、3日間を、心いくまで満喫しましょう。
大好きな、千恵子と安達太良山に会えるんだもの・・・・
私の胸は今から、ドキドキが止まりません。
あなたにも、良い思い出が、
たくさん残るといいですね・・・」
なにげない出発時での一言だと、その時は聞き流してしまいました。
しかしこのひと言の中に、実は清ちゃんの深い思いが
凝縮して閉じ込められていたのです。
切れ長の目の奥には、もう私たちのその先の運命が
見えていたのかもしれません。
そんな深淵な意味には一切気がつかず、ただ曖昧に聞き流したまま
ハンドルを握りました。
「あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。ここはあなたの生まれたふるさと。」
「智恵子は本当の空が見たいという」と高村光太郎がうたった安達には、
「智恵子抄」で有名な、高村智恵子の生家がありました。
智恵子が愛してやまなかった「ふるさと……安達」。
その純朴さを残す町並みの中に、一見、宿場を思わせるような
二階建ての造り酒屋がありました。
その屋号は「米屋」で、売られていた酒の名は「花霞」です。
二階にある智恵子の部屋からは、
今にも智恵子が降りてきそうな気配が漂っています。
表には格子戸を巡らして、軒下には杉の葉で作った新酒の醸成を伝える、
杉玉(酒林)が下がっていました。
裏庭には、酒蔵をモチーフとした「智恵子記念館」が建っています。
そこには奇跡といわれる、智恵子の美しい紙絵の世界が広がっていて
人生の軌跡とともに、智恵子の精神世界が語られていました。
裏の丘陵地には、「智恵子の杜公園」があります。
光太郎と智恵子の純愛が、ここから育まれたのだと思わせるほど
優しい風と空が輝いている、広い大地がひろがっていました。
木陰を抜ける風の音や、木の香りに満たされた澄みきった空気だけが
何処までも雄大に広がっていく・・・
そんな想いが心にしみる風景です。
清ちゃんは、とても長い時間をかけて安達太良山を見つめています。
鞍石山は、安達太良山と阿武隈川が同時に眺められる、
唯一の場所とされる景勝地です。
そんな眺望の中を、
光太郎と智恵子の二人の姿を思い浮かべながらの散策は、
日暮れ近くまで続きました。
短編『湯西川にて』(7)
「安達太良と、あぶくま」
旅の2日目は、そのほとんどを
部屋で過ごしそうな気配になりました。
「21歳になった私を見たがままを、書いて頂戴」と、
テラスのガラステーブルの上には、スケッチブックと鉛筆が用意されました。
いつの間に用意していたのでしょう。
もともと絵は好きで、一時は桐生の繊維産業で、
織物の図柄を生み出す図案師にあこがれたこともありました。
しかしそれは、清ちゃんが芸妓修業に入った後のことで、
絵を描くということは、たぶん知らないと思っていたのですが・・・。
清ちゃんが大好きだという安達太良山が、手に取るほど
まじかに見ることができるホテルの一室でのことです。
「もう一年もなると言うのに、
ゆっくり、お話もしていないわよね、わたしたち。
ねぇ、綺麗に書かなくてもいいけれど、
手だけは抜かないで頂戴。」
普段は「鬘」を付けているために
意識して見たことが無かった清ちゃんのうなじが、あまりにも白く
透き通っていたのを見つけて、思わず息が止まりそうになってしまいました。
「なにさ、いまごろ赤くなって?
どこか変、わ・た・し。」
黙ったまま、鉛筆だけを動かすことにしました。
朝風呂に一時間も浸かったまま、安達太良山を眺めてきたという清ちゃんは、
いまもまた、遠い目をしてその山容を眺めています。
デッキ・チェアーに横たわった清ちゃんは、デッサン中だというのに
胸のポケットからサングラスを取り出しました。
「覚えている?
私が転校してきたときのこと。
不安な気もちが一杯で、教壇で紹介してもらっている時に、
一番最初に目線が合って、笑顔をくれたのはあなたなのよ。
2番目がレイコちゃんだった。
覚えている?
あなたったら、そのあと私に向かって、
小さく手を振ろうとしてたくせに、周りの目を気にしすぎて
しっかり固まってしまったのよねぇ。
ちゃんと気が付いていたわよ、
あたし。」
そう言うと、サングラスをかけてしまいました。
風が綺麗に揃えた前髪を、かきあげるようにして吹き抜けても
まったく気にせずに、一つ伸びをしてから両腕を頭の後ろで組みました。
また、安達太良山に見入っています。
「休み時間になってから、
私が、ひとりで金木犀を見上げいた時もそうだった。
がき大将の浩太君が、私に近寄るのを見て、
有無を言わせず
みんなのいる鉄棒の方へ引っ張って行っちゃたんだってねぇ。
そんな話も、後からレイコに聞かされました。
ねぇ、聴いているの、人のはなし・・・
返事しなさいよ、ねぇ~」
「記憶に、ない。」
「ふ~うん、そうなんだ。
わたしも、なんとなく運命の人だとは思っていたんだけど、
でも本命には、なれそうもないと気がついた。
レイコと深くつき合うようになってから、嫌というほど
それは思い知らされちゃいました。
レイコったら・・・・
あんたにゾッコンなんだもの。
それにしてもさぁ、
こんなところをレイコに見られてしまったら、
大変な騒ぎになってしまうわね。」
鉛筆の手が止まってしまいました。
清ちゃんの白い指が伸びてきて、スケッチブックを押さえました。
そのまま覆い被さるように、良い匂いのするショートヘヤ―が近寄ってきます。
サングラスが外されて、切れ長の黒い瞳と、
薄い紅がひかれた形の良い唇が、ほんの10数センチにまで迫ってきました。
「あきらめていたのに、
あなたの方から、私の胸に飛び込んできたのよ。
わかる?
でも今の関係は、
決して本当のことではないと思ってる。
漠然とだけど、それはあなたも感じているだろうし
私も同じように感じているわ。
いつか、お互いの生きる目標がもっとはっきりしたら、
別々の道を歩き出しましょうね。
お互いの、ために。」
「でも、今は無理。
レイコには可哀想だけど、離さない。
横恋慕でも、幸運が舞い込んできたんだもの、
悪い女のままでもうすこし行くつもり。
あとちょっとだけ、良い思い出の貯金が溜まったら
私の方から、たぶんあなたと別れます。
またどこかで、
笑って会えるように別れたいと思います。
でも今は、降ってわいたようなこの再会を、もう少しだけ
大切にしたいとも思っているの。
あらぁ・・・・やばいなぁ、
あたしったら、一人勝手に全部、
白状しちゃったわ・・・
さぁて、いい女に書いてもらったことだし、
もう出掛けて、あぶくま洞にでも行きましょうか?」
呆気にとられるほど、切り替えの早い娘です
さっさとフロントに電話を入れると、出かける準備を始めてしまいます。
助手席の清ちゃんは移動中の車の中で、古い言い伝えを語り始めました。
あぶくま洞を持つあぶくま山系に残る「大多鬼丸」という、
歴史上の秘話でした。
平安時代の頃、陸奥の国は朝廷が強い力で押さえつけ、
弱い立場の陸奥人を、長い間苦しめてきました。
当時、大滝根山に白銀城を築き周辺を治めていた大多鬼丸は、
困る人には食を、病に伏せば良薬を与え、豊かな集落をつくっていました。
大多鬼丸は、いずれ朝廷に抗して大きな火を噴かねば
収まらない人物だったのです。
ある時、大多鬼丸のもとに
「汝が支配する領土や民は皆朝廷のもの。これを都に差し出せ!」という文書が届きました。
そして、坂上田村麻呂が軍を率いてこの地に現れ、戦が始まりました。
地理に明るい大多鬼丸軍は、巧みな戦術で戦い続けましたが、田村麻呂軍はやがて優勢となり、
遂に暗闇に乗じて大多鬼丸の本陣を取り囲みました。
白銀城から鬼穴(洞窟)の中に移り、指揮を執った大多鬼丸ですが、
とうとう力尽き、「敵の手に捕らえられては末代までの恥辱。
わしはこの洞窟の中で果てることとする。」と決心しました。
鬼といわれた大多鬼丸は「お伴します」という妻を斬り、
返す剣で自分の首を斬りました。
大多鬼丸軍は将の自刃を知ると、
朝廷軍に降伏して、大滝根山から続々郷に降りていきました。
田村麻呂は、勇猛に戦った大多鬼丸を惜しみ、その首を
あぶくま山系一円が展望できる仙台平の高台の大怪石のもとに
丁重に葬ったといわれています。
短編『湯西川にて』(8)
「別館の特別室」
板前修業の2年目の冬も終わり、
桜の蕾が膨らんでくると、山肌に残った雪がようやく溶け始めました。
桜の開花の様子と残雪の残る山合いの景観は、湯治客には
格別な目の保養になるようです。
例年を上回った「花と雪見三昧」の賑わいが一段落をすると、
温泉街は5月連休前の、しばしの閑散期にはいります。
連休用のイベントと料理の打ち合わせも終わり、
寮へ帰ろうとした矢先に、フロントで呼び止められてしまいました。
差し出された電話の相手は、本家・伴久の若女将でした。
「清ちゃんが、少し荒れて
呑みすぎて、潰れてしまいました。
あなたが迎えに来なければ、絶対に帰らないって、
そりゃぁもう大変なの。
とりあえず部屋に閉じ込めましたから、手が空いたら
迎えに来てくださる?
そう、助かります。」
伴久のロビーでは、すでに照明を暗くしています。
大きなガラス越しに見わたせる、手入れの行き届いた日本庭園の
ライトアップが始まったいました。
月明かりの下で、銀色に光る植え込みの裸の梢には、
点々と新緑が萌えはじめています。
とはいえ春の遅い湯西川で、本格的に新緑が萌えるのは
5月連休をすぎてからになります。
ゆったりと窓辺に並べられたソファーには、1組の初老の夫婦と
ポツンと離れた場所に若いカップルが陣取って、それぞれに
流れる時間を慈しむかのように、庭園の様子に見入っていました。
フロントの若女将が、別館のカギを手渡してくれました。
「ごめんね、別館なの。
十二単館の4階にある
角部屋の特別室、『うれし野』です。
後ほど、お伺いをいたしますので、
それまで、よろしく。」
別館は、本館からは30mほどの専用通路でつながった
鉄筋作りで、落成したばかりの4階建てです。
内部を純和風に仕上がられた十二単館からは、平家の落人集落を
目の真下に見ることができます。
しかしこの時間帯の館内は、ひっそりとしていて人の気配がまったく有りません。
空調の軽い響きが聞こえるほど、どこまでも静寂につつまれた
長い廊下が続いています。
10畳2間つづきの特別室、『うれし野』には、
カギはかかっていませんでした。
2部屋とも照明は落とされたままで、内風呂を取り囲んだテラスにだけ、
明るい薄黄色の光が満ち溢れていました。
伴久の浴衣に半纏を羽織った清ちゃんが、手持ち無沙汰風に
椅子の背もたれに首を乗せて、ぼんやりと集落を見おろしていました。
「だいじょうぶかい?
呑みすぎたって言う電話がかかってきて、
女将に介抱をしてくださいと頼まれたけど・・・・
呑み過ぎたという雰囲気では、なさそうだね」
振りかえった清ちゃんの顔が
半分だけの月明かりを受けて、それが妙に青白く見えました。
黙ったまま「座って」というように手招きをします。
背後で、カチリとドアが開きました。
若女将が、日本酒の支度を整のえたワゴンを届けにやってきたようです。
お邪魔をしても無粋ですからと静かに頭を下げたあと、後ろ手にドアを閉め、
カチリと小さな音が響いて、カギがかかりました。
地元の吟醸酒をグラスに注いで、乾杯をしても
今夜の清ちゃんは、虚ろな様子でいつまでたっても無口のままでした。
窓から星空ばかりを眺めていた目が、やっと振り向いてくれたのは、
1本目の吟醸酒が空になってからのことでした。
「いざとなったら、私に、意気地がなくなってしまいました。
でも、いつまでも砂上の楼閣と言うわけにもいきません。
やっとのことで、私も覚悟は決めました。
私の我がままなお願いごとですが、
聞き届けていただかますか?」
ようやくいつもの、切れ長の清ちゃんの瞳が戻ってきました。
そんな流れも予感していましたので、正面の椅子に背筋を伸ばして向き合いました。
2本目の吟醸酒を清ちゃんのグラスに注ぎます。
「芸者さんの世界のしきたりとして、
『水揚げ』という言葉がありますが、
いまさら説明するまでも無く、あなたはこの意味を、
知ってるわよね。」
覚悟を決めたときの清ちゃんの言動は、何時でもが直球勝負です。
今夜もいきなり真っ正面からの、問答無用のパンチが飛んできました。
芸妓とは、
あくまでも、芸を売って座の取持ちを行うのがその勤めです。
しかし、江戸時代以来、芸妓もその他の遊女と同様、前借金などを抱えた年季奉公であり、
過去の花街では、人身売買や売春の温床になっていました。
でも構わずに身を売ることは「不見転」として戒められていましたが、
第二次世界大戦後までこうした不見転は、ほぼどこの土地で見られました。
また、置屋でも積極的にこれを勧めることが多かったようです。
しかし、あくまで芸妓は遊女とは区別をされ、
一流の芸妓は「芸は売っても体は売らぬ」という心意気を持ちました。
決まった旦那にのみ尽くし、その見返りに金銭が報われるというのが
花街での建前になっています。
むろん、こうした実態を嫌い、芸妓は客の自由にならぬものという気概を貫きとおして、
一生涯、旦那を持たないという名妓たちもたくさんいました。
なんの自由も無いと考えられがちである芸妓たちなのですが、
恋愛の自由は、昔からかなり認められていたようです。
自らの芸によって生活する芸妓は、
明治以降、一種のあこがれの存在としてとらえられることも多くなり、
雑誌で人気投票が行われたり、絵葉書などが好評を博したことも
多々ありました。
短編集『湯西川にて』(9)
湯西川芸者の別れかた
芸妓の世界では、かつてはこの「旦那様」は不可欠でした。
芸妓が存在する土地には必ず、旦那様の存在があり、
いわゆるパトロンやスポンサーといった人物のことを指していました。
しかし、適度に援助したり協力するといった程度のものではなく、
芸妓一人を見出し決めると、ほとんど生涯にわたりその世話をしてくれるもので、
芸妓が若手見習いから一人前になるまでに、たいへん多額な費用がかかりました。
この旦那様は着物から持ち物、装飾品や生活費までの、
数百万円~数千万円を負担します。
なかには数億円を出すことも珍しくないようです。
この莫大な費用からしてみても、だれでも旦那様になれるわけではなく、
必然的にその土地の財界人や、トップクラスの企業の経営者などに限られています。
多額の金銭をポケットマネーでまかなえる人物達の特権でした。
一方の芸妓も、芸妓になれば誰にでも旦那様がつくわけではなく、
美貌と、卓越した芸などが備わった芸妓に限られていました。
若手の時に旦那様がつけばいわゆる「水揚げ」となり、
ある程度歳を重ねていても、旦那様はつきます。
芸妓はその旦那につくことになり、
旦那様は、その芸妓の一番のひいきとなり面倒を見ることで、
お互いの信頼関係が構築されていくのです。
芸妓には目に見えてのメリットがありますが、旦那様には、
通常家庭を持っていたりするため、ある程度割り切った生活となり、
これといったメリットはないようです。
所詮男女なのでそのようなこともあるようですが、
建前としては、健全な協力関係にあります。
旦那様のメリットは、「男の甲斐性」にあるようで、
「あの芸妓にこれだけのことをしてやった」「こんなに金を出した」という粋なはからいや、
また各土地の屈指の金持ちであるから、まわりへの財力のアピールにもなるわけです。
通常は、家庭と芸妓の両立が原則ですが、、中には芸妓にのめりこみすぎたり、
悪い芸妓に利用されたりもして、破産をした者もいたようです。
ただ現在では、この旦那様はほとんど皆無に近い状態といわれています。
それは時代にそぐわない制度であり、また内容でも有るせいだといわれています。
「それがねぇ・・・
駆け出し芸者の4年目の時に是非にと、あたしに「旦那」の話がきたの。
地元の人ではないけれども、地方では名のある名士でした。
請けるわけにもいかないけれど、断るわけにもいかないので、
思い余って、いつもく贔屓にしてくれていた、
ここの若女将に打ち明けてみたの。」
流し込むように吟醸酒を飲み干した清ちゃんが、立ち上がると、
くるりと背中を見せて、窓ガラスに額を押しつけました。
「もともとあたしは不器用で、
芸事も伸び悩んでいたし、
自分の気持ちをひた隠しにしてきた、
そんな・・・昔っからの片想いの人も居た。
芸者なんて、辞めようかと本気で思った。
同級生たちはみんな恋をしているのに、あたしだけが
なんだか一人ぽっちの様な気もして、
この先どうしょうかと、思い悩んでいた時期のことでした。
でも、若女将の助言はシンプルでした。
まだ若すぎるから、
あれこれと悩む前に、
とにかく、3年間だけは芸事に精進をしなさいと言われました。
同じように片思いも、そのまま自分の心に閉じ込めなさいと言われたわ。
芸も生き様も、旦那のことも、3年先に結論を出せばいいと言いました。
そのころになれば、おのずと自分が見えてくると言われて
わたしも、ひたすらその通りにしてきました。
でも、ひとつだけ誤算がやってきた・・・
まさかあんたが、湯西川にやってくるとは思わなかった。
もう、気持ちの上では、とっくに忘れていたはずなのに、
それが、成人式で行き会って、
また、湯西川で突然再会するなんて、
余りにも、運命が皮肉すぎる。」
話を聞いているうちに、
見えていなかったあのころの清ちゃんが、少しずつ甦ってきました。
小学校時代に、レイコと校庭で遊んでいた清ちゃんのはじけるような笑顔が、
霧の中から浮かび上がってきました。
中学生になるとセーラー服を翻して、夕暮れの校庭を走り抜けていきながら
笑顔で手を振る清ちゃんが、そこにまた現れてきました。
「若女将に話しをしたら、
笑って、それなら、「運命を受け入れろ」と言われました。
どうせ後悔することになるのですから、自分の気が済むようにすべてを受け入れて、
後で、たっぷりと後悔をしなさいと言われました。
でも、決して交わることができない道なんだから、引き返せなくなる前に
運命だと思って、潔くあなたの方から身を引くのよと、
何度も何度もクギをさされました。
運命と言うのは、あなたと私の生きる世界があまりにも違いすぎるということです。
いくら好きでも、愛していても、世間には
交じわることが許されない仲や、そんな生き方が沢山ある。
それが、女の涙の源になると、
若女将と、置き屋のお母さんから教りました。」
清ちゃんが、強い想いを見せて振り返ります。
いつもの切れ長の目に、すこしだけ滲むものが見えたような気がしました。
「お願いと言うのは、
あなたに、このまま湯西川から去ってほしいのです。
このままあなたに居られたら、
あたしの心がどうしょうもなく辛くなってしまいます。
駄目だと知っているのに、もう心が止まらくなってしまいました。
堪えていたわたしの心が、壊れる寸前になってしまいました。
でも、あなたには何一つ責任はありません。
もうこのあたりで・・・・
身勝手な清子の、勝手な一人芝居に、幕を引かなければなりません・・・・
それは最初から、「必ずそうなるよ」と、
何度も何度も、若女将にクギをさされていました。
辛くなる前に、別れるんだよって・・・
神様が、ほんの悪戯心でくださった、ひと時の運命にだけ感謝をして、
あとは引く勇気が残っているうちに、綺麗に別れなさいって言われ続けました。
それが芸者の清子の、運命だとも言ってくれました。
ごめんなさい、もうこれ以上は申せません。
でも・・・
清子は、湯西川で一番の、小粋な芸者になれるそうです。
置き屋のお母さんも、10年に一度の芸子に必ずなれると太鼓判を押してくれました。
若女将も、そう言って褒めてくれました。」
そこまで語った清ちゃんが再び、
背中を見せて、窓ガラスに額を寄せてしまいました。
いつの間にか、ライトアップ用の街灯はすっかりと消され、月明かりの下では
湯西川の暗い山肌と平家集落の茅葺屋根だけが、
ところどころに鈍く光って見えていました。
(完)