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 放課後の掃除の時間。俺たちの学校じゃあ、出席番号で分類された班ごとに分かれて、それぞれ、教室や廊下、特別教室なんかを清掃することになっている。担当区域は一週間ごとに交代するローテーション制だ。

 その班割りで、俺と委員長は同じ班に所属しており、放課後になる度に、一緒に清掃活動に励んでいた。

 学校の教室の清掃活動なんて、誰もが嫌がる仕事だ。汚い、臭い、面倒くさい、かったるい。かといって、サボるわけにはいかない。そういうわけで、どいつもこいつも仕方なく渋々とだらだらと掃除をしていた。かくいう俺もだ。自分の部屋の掃除だって億劫なのに、教室の掃除を真面目にできるものか。

 ただ、うちの班では彼女だけは非常に真面目で、自ら進んで積極的に清掃活動に従事していた。俺はその様子を感心して見守っていた。感心しているだけで、それを見習って少しでも真面目に掃除しようとか考えないあたり、俺のダメなところだ。本当に俺は阿呆で間抜けだった。

 そして、ある時、気が付いた。

 掃除の最後の最後。クラスで排出された一日分のゴミが収まっているゴミ箱から、ゴミの詰まったゴミ袋を取り出し、そいつを外にあるゴミの集積場まで運んでいく作業を、いつもいつも彼女がしていることに。

 ゴミが満載されたゴミ袋は、汚く、臭く、そして、重い。それが燃えるゴミと燃やせないゴミ。それから、空き缶、空きペットボトルの四種がある。彼女はその四つを、両手に下げ、廊下を歩いて、階段を降りて、玄関を出て、ゴミの集積場まで持っていくのだ。

 その間に、俺含めた他の連中は、もう掃除は終わったものと勝手に判断して、さっさと帰り支度をして、各々、部活に向かったり、家に帰ったり、遊びに行ったりしているのだ。

 そうして、誰もいなくなった後の教室に、彼女は一人戻ってきて、新しいゴミ袋をゴミ箱にセットしているのだろう。誰にも見られず、気付かれずとも、文句も言わず、無言で。

 気が付いたきっかけは、ゴミ袋を持って教室を出た彼女に、もう初老近い担任がかけた一言だった。

「なんだ。また、今日も君がゴミ捨てか」

 その一言で、俺は彼女がその作業をいつもやっていたことに初めて気が付いた。一瞬で、不甲斐ない気持ちと申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。いくら彼女が無言で自ら進んでやっているとはいえ、そんな体力のいる仕事を一五〇cm少ししかないような小柄な女子にやらせていいもんじゃない。鈍感にも程がある。阿呆で間抜けの馬鹿野郎だ。

 己のダメ野郎っぷりに腹が立った俺は、制服が汚れることも厭わずゴミ袋を抱えるように持った彼女からゴミ袋を取り上げた。手にしたゴミ袋は意外にずしりと重かった。

 その時の、彼女の顔を、俺はよく覚えている。いつも、能面か人形のように無表情な彼女が、唖然とした、驚いたような顔をしていた。

「おい、ゴミ捨てってさ。いっつも一人にやらせるのよくないよな」

 照れ臭かった俺は、彼女の視線を避けるように、顔を背け、まだ教室内に残っていた同じ班の面子に言った。

「え。ゴミ捨て?」

「あ、そういえば……」

「いつも誰がやってたの?」

 連中は揃いも揃って間抜けだった。俺含め。

 俺はいつも、彼女が一人でやっていたことを告げ、今日からは男子が交代でやろうと提案した。

 そして、そのまま、無言でゴミ袋を持って、廊下を進んだ。

 途中で追い抜いた担任が呆れたように言った。

「やっと気付いたか。今日で気付かなかったら、全員、呼び出して説教してやろうかと思ってたところだよ」

 どうやら、担任は俺たちを試していたらしい。

 ゴミを捨て、教室に戻ってくると、彼女含め班の面子は全員教室に残っていた。

 班の全員が恐縮して彼女に謝っていた。

「ごめん。気付かなくて」

「いつも一人でやってたんだ……」

「ごめんね。私たち、自分勝手だった」

 皆に謝られた彼女は、何度も首を左右に振って、

「いい。大丈夫。私が勝手にやってたことだから。皆が謝る必要はないと思う」

 と、申し訳なさそうに言っていた。

 俺も彼女に自分の鈍感さと間抜けさを謝ってから、一つだけ付け加えるように言った。

「あのさ。俺は鈍感で、空気読んだり、察したりするのが苦手だからさ。何か、言いたいことがあったら、何でも言ってくれ。これ、やってくれとか、手伝ってとか。言ってくれれば、馬鹿な俺も気付けて、助けになれるかもしれないからさ」

「そんな、いい。迷惑になる」

 彼女は遠慮した。

「迷惑なんかじゃないだろ。俺たち、まぁ、ただの偶然だけど、同じクラスの仲間なんだし……」

 言っててなんだか気恥ずかしくなってきて、俺は顔をしかめた。

「逆に、言ってくれた方が、ありがたい。今回みたいに、後で気付くのは、ちょっと、勝手な話なんだが、後味が悪いっていうか。まぁ、その前に、気付けって話なんだけどさ」

 俺の言葉に、同じ班の面子が同意した。

「俺もさ。言いたいことは言うから。それで、なんつうか、同じだろ?」

 そこまで言って、彼女は、いくらか無表情で考え込んでから、微かに顎を引いた。

「じゃあ、まず、一つ。言いたいことを言う。今日出てた数学の宿題意味不明なんだが、教えてくれないか? 頭良さそうだし」

 俺が言うと、彼女は無表情で俺を見上げた。表情はいつもと同じだが、なんとなく呆気にとられているような気がした。

「あ! それ名案!」

「俺も、その宿題、どうしようか悩んでたんだよ」

「しかも、提出明日とか。どんな鬼だってな!」

 班の連中が揃って賛成し、彼女を見つめる。

「数学得意? この間の学力テスト何点だった?」

 女子の一人が彼女に尋ねた。この間の学力テストとは、入学式から数日経って、いきなりやらされた五教科のテストだ。なんでも、生徒全員の学力レベルを計る為だとか。俺は悪くないとはお世辞にも言えぬ点数だった。

「確か、八五くらい……」

 全員が息を呑んだ。

 俺たちは無言で、素早く、てきとうな机を何個か繋げ、人数分の椅子を並べて、数学の教科書とノート、筆記用具を用意した。

 驚く彼女を全員で見つめて頭を下げる。

「教えて下さいっ!」

「あ、うん、わかった」

 彼女はふっと微笑むと、俺たちに図形とは何たるか。それを証明するには如何にすべきかをご教示して下さった。

 この日を境にして、彼女は言いたいことがあれば、言うべきことは何でも言うようになった。班の連中と打ち解け、やがて、友人と呼べる女子もできたようで、あっという間にクラスに馴染んでいった。


「私が皆と仲良くなれたのは、あのときの、ゴミ捨ての件がきっかけだった」

 彼女は俺を真っ直ぐ見つめて言った。

「だから、私は君に感謝している」

「いや、アレは、実は、担任がそれっぽいことを言ったから、俺は気付けたんだ。俺は鈍感な間抜け野郎だったんだよ」

 そんな鈍感で間抜けな阿呆野郎のことを感謝なんてするべきじゃない。

「それだけじゃない。君は、その後、私がクラスに打ち解けられるように、大事なことを教えてくれた。言いたいことを言うこと。つまり、素直になること」

 確かに、そんなことを言った。

「私はそれまでずっと言いたいことをずっと隠して黙ってきた。でも、それじゃあ、ダメなんだって、私から素直になって、話しかけていかないとダメなんだってことを君は気付かせてくれた」

 それは本当に俺の功績なんだろうか? いや、俺の功績だとしても、それくらいのことで、俺のことを好きになるってのは、短絡的すぎやしないか。

 その点を指摘すると、彼女は少し首を傾げ、沈思黙考してから、口を開いた。

「確かに、些細なことかもしれない」

 そのとおりだ。俺のしたことは、全く些細なことだ。自分の間抜けさに気付いて、ただ、言いたいことがあったら言ってくれとありきたりな台詞を吐いただけだ。

「とはいえ、往々にして、小さな、些細なことが、人の心を動かすことも多い」

 委員長の言うことは、一々御尤もだ。多くの人々が巻き込まれるような歴史的大事件も、きっかけは些細なことだったりすることも多い。それならば、人一人の心が動くきっかけというのは、本当に小さな、些細なことが、トリガーになるということも十分に有り得るというものだ。

「あのときの出来事は、本当に、ただのきっかけに過ぎず、その後、私がクラスに打ち解け、馴染むことができたのは、その後の色々な出来事によるのかもしれない」

 俺はそう思っている。確かに、あの出来事はトリガーではあったかもしれない。しかし、その後、彼女がクラスに打ち解け馴染んでいった結果を生み出したのは、彼女の行動によるものだったのではないか。

「それでも、あのときの、私の手からゴミ袋を取り上げてくれた君の姿が、皆に呼びかけてくれた君の声が、そして、私に教えてくれた君の言葉が、今も、私の脳裏に鮮明に焼き付いている」

 委員長は少し目を瞑ってから、席を立ち、数歩歩み寄ってきた。俺の前に立って、俺を見つめる。

「些末なことに心動かされる私の感情を短絡的だと思ってくれても構わない。その思考回路を単純だと思ってくれてもいい。ただ、一つ、確かなのは、私は、あのときの、君の言動で、君に惹かれ、君に好意を抱いているということだ。これだけは疑うべくもない明確な事実だ」

 彼女はまっすぐと俺の目を見つめて言い切った。

「君を愛しく想う気持ちは、紛れもなく、この胸に在るのだから」

 これは、おそらく、たぶん、愛の告白というやつだろう。

 俺は今までの人生で、こんなふうに、告白をされたことはなく、告白したことすらなく、恋愛には全く無縁な十五年くらいを過ごしてきた。そういうわけで、いきなり、起こったこの急展開に俺が混乱してしまうのは、全くもって自然なことだと思う。

 というわけで、俺はどうすればいいのか全くわからず、茫然としているだけだった。

 一方、委員長の方は、言ってから、今更ながら恥ずかしくなってきたのか。急速に顔が赤くなりはじめ、あっという間に、顔が夕日並みの朱色に染まった。ふいと視線を逸らし、明後日の方向を見つめながら、ややぶっきらぼうに言った。

「それで?」

「は?」

「それで……、その、君はどうなんだ?」

 顔はあらぬ方向に向けたまま、視線だけを寄越して尋ねてくる。

「普通。その、あ、愛の告白を受けたら、何か言うことがあるのではないか?」

「あ。まぁ、確かに」

 そう言ってから、俺は大変困った。こんな愛の告白を受けたときにどう対応すべきかなんて知らないぞ。誰も教えてくれたことはないし、想定したこともないしな。かといって、無碍な応答をして、彼女を傷つけるのは断固回避したいところだ。どういう回答が正当なのか全くもってよくわからない。

 とはいえ、あんまりずるずると回答を引き延ばして、曖昧な態度を取っていては、彼女にあらぬ誤解を与えかねない。

 こんなふうに。

「いや、やはり、いい。こんな、いきなり、こんなわけのわからない告白をいきなりするなんて、迷惑だよな。相手の気持ちも考えないで、なんか、暴走して、勝手なことを言うだけ言っておいて、相手に反応を求めるなんて、よく考えたら、迷惑そのものだ。よし。今のは忘れてくれ。なかったことにしてくれ。削除だ。削除」

 彼女はいつになく早口で、俺に言葉を差し挟む隙も見せないで、一気に喋り尽くすと、反転して、出入り口に向かって駆け出した。

次回最終話です。明日更新予定です。最後は少しえろくなります。

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