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 三学期が始まって、一番最初にやらされたことは、書き初めだった。

 うちの高校は、なんだか、よくわからないけれども、変な伝統とか風習とか行事とかが、ごまんとあって、この書き初めもその一環だった。

 なんでも、うちの高校では三学期が始まる日の最初の日には、全校生徒に「今年の目標」と題した書き初めをやらせて、これを一月一杯廊下に貼り出すのが伝統なんだとか。噂では、昔、書道部が年始の企画として始めたのが全校に普及したとか。何代か前の校長が書道好きだったからとかいう話だ。

 小学校や中学校で使っていた習字セットを後生大事に高校生になっても取っておくなんて奴はあんまり多くはなく、自分で習字セットが用意できない奴には、学校側から習字セットが貸し出されていた。

 かくいう俺もそんな一人だった。学校が貸し出す習字セットは多くはなく、一クラスに五、六個というところで、当然ながら道具が手元にない奴は余ってしまい、他の連中が終わるのを待っていなければならない。

 当然のことながら、限られた数の道具で、全員が書き初めをやっていれば時間がかかる。皆、経験があるだろうが、習字は、ただでさえ、準備や後片付けや何やで時間がかかるものだ。

 しかも、学校は習字の時間なんて親切なものを用意してくれてはいない。学校は学校でどんどん進めないといけない用事があるのだ。生徒諸君は、その合間合間を縫って、書き初めしなければならない。最後まで道具を手にできなかった不幸な連中は放課後に残ってやる羽目になる。

 その中には俺も含まれていた。

 そんなに急がなくてもいいや。後でやればいいか。道具が空いたらでいいよ。と、後回し後回しにしていたのが、よくなかった。結局、放課後になっても、道具は誰か彼かが使用中で、俺はひたすらそれを待って、ようやく手にしたときには、俺の後に控えている奴は誰もいなかった。

 習字セットを受け取り、机の上に半紙を広げ、墨汁を含ませた筆を持ち、さぁ、書くぞといった段になって、ふと、俺は動けなくなる。なんて書けばいいんだ。

 書く内容は決まっている。「今年の目標」だ。ただ、そのまま「今年の目標」という字を書いて提出したら担任は「ふざけてんのか」と俺を叱るだろう。

 つまり、書かなければならないのは、俺の「今年の目標」である。今年、何を目指して頑張るか。そういうことを書けというわけだ。特に部活動にも学習にも熱心ではなく、ただ、毎日を時間が流れるままに、だらだらと過ごしている俺には中々難しい課題だ。

 さて、なんて書いたものかと思案する。時間はたっぷりあったんだから、道具を手に入れる前に、何書くかくらい考えておけよ。と、思わなくもないが、俺だって、色々と忙しかったんだ。ほら、えーと、昼寝とかさ。

 とにかく、何らかの目標を書かねばならない。

 テストで一〇〇点取る? 友達一〇〇人作る? 一〇〇m一〇秒で走る? どれもかなりの難題だ。目標に据えても達成できる見込みがない。別に達成したくもない。

 じゃあ、どうする?

 ぼんやりと考えながら、俺と同じように、放課後まで残って書き初めをやる羽目になっている隣の席の奴の手元を見やった。他人のを参考にしようというわけだ。

 短い黒髪に、小さな鼻、薄い唇。やや茶色の瞳に、横長の眼鏡をかけているせいか、理知的な印象の顔立ち。小柄で、身長は一五〇cmを辛うじて超えているといった程度。それが俺の隣の席の委員長だった。

 委員長の机の上にも、俺の机の上と同じように、半紙が置かれ、彼女も、また、墨汁を含んだ筆を持って停止していた。半紙は真っ白だ。

 俺の視線に気付いたのか、委員長がこちらに視線を向ける。

「何」

「いや、委員長は何を書くのかと思って」

「私のを参考しても意味ないと思う」

 彼女は真っ直ぐ俺を見つめて素っ気なく言った。

「まだ書いてないから」

 それは見れば分かる。

「うん、まぁ、そりゃそうなんだけど、何も思いつかなくてな」

「そう」

 委員長の反応は薄く、素っ気なく、ぶっきらぼうにも思える。無表情ともいえる顔でその反応なのだから、物凄く冷たい感じも受ける。彼女は元より、そういう人なのだ。いつも無表情で、無感情で、素っ気なくぶっきらぼうで、発する言葉も多くはない。

 しかし、だからといって、彼女は冷たい奴なんかではなく、どちらかといえば、親切で優しい娘だ。頼み事は断らないし、誰にでも挨拶はするし、困っていそうな奴がいれば声をかけるし、言うべきことはきちっと言う。

 このことをうちのクラスの連中は半年くらいかけて学んだ。それ故に、彼女はうちのクラスの委員長という役目を負っているのだ。

 さて、そんな頼りになる委員長に相談してみようか。

「で、委員長はなんて書くつもりなんだ?」

 彼女はちょっとの間、停止していたが、やがて、薄く口を開く。

「考え中」

「そうか」

「そう」

「俺も考え中なんだよ。困ったもんだな。これ、書かないと帰れないしな。いっそのこと、書かないで帰っちまうか」

「やめた方がいい」

 半ば自棄になってきた俺の言葉を、彼女ははっきりと否定する。

「書き初めしないで帰った生徒は、反省文だって」

「それ、本当か?」

「先輩が言ってた」

「じゃあ、大人しく書いてくしかねーか」

 俺が言うと、彼女は微かに顎を引いた。首肯したようだ。

 暫く、俺たちは真っ白な半紙と睨めっこする。こんなのてきとうに、担任に怒られない程度に、小真面目なことを書いちまえばいいような気もするが、その小真面目そうで手ごろな目標が頭に浮かんでこないのだ。

 そうこうしている間に、俺と委員長以外にも、書き初めをしていた連中は一人、また一人と後片付けをして帰っていってしまい、ついには、放課後のがらんとした教室には俺と委員長の二人だけになってしまった。

 三学期が始まったばかりのこの日は、部活で残っている生徒も少なく、校内に人気はない。窓の外は風もなく、しんしんと雪が降り積もっていく。窓際にある暖房器からしゅーと暖風が吹き出す微かな音と、時折、温度か気圧の関係かよくわからないのだが、どういうわけだか、暖房器がカンカンガンガン鳴る以外は、物音一つなく、息が詰まるくらいの沈黙が教室を支配していた。

「委員長。何か書けそうか?」

 なんとなく、沈黙が気まずいのと、ただ黙って今年の目標を考えているだけなのは暇でしょうがないので、委員長に声をかける。

「いや」

 短く否定の声が返ってきた。

「しかし、委員長が悩むってのも珍しいな。てきとうに勉強頑張るとかじゃダメなのか?」

「抽象的すぎる」

「じゃあ、テストで満点取る」

「それは、あまりにも実現が難しい」

「九〇点に妥協すれば?」

「目標に上限を設けるのはよくない」

 わかった。こいつは、アレだ。目標を考えるにあたって難しく考えすぎなんだな。で、俺は適当過ぎると。二人を足して上手いことガラガラポンしてやれば、いい感じに物事を上手くやれる人間ができあがるのかもな。

 ほとほと嫌になってきた俺は、ちょっとした冗談のつもりで、言ってみた。

「あー。もう、いっそのこと、彼女つくるとかって目標にしてやろうか」

「じゃあ、私は君と恋人になるにしよう」

 再び放課後の教室内を沈黙が支配した。

「ん? ん? ん?」

 俺は「ん」を連発しながら、首を傾げる。今、なんか、ちょっと、聞き逃せない言葉を聞いたような気がする。

 委員長を見ると、彼女は真正面を向いたまま、ゆっくりと瞬きをした後、俺を見据えた。

「今のは……」

 彼女は視線を左右に揺らす。言うべき言葉を探しているようだ。

「うっかり」

「うっかり?」

 俺が聞き返すと、顎を微かに引く。

「うっかりしていた。取り消す」

「はぁ」

「それだけ」

 そう言って、再び、半紙に視線を落とす。

 そうか。うっかりか。うっかりミスか。なんだ。それだけか。

「いや、ちょっと待てっ!」

 席を立って叫んだ。これが叫ばずにいられるかっ!? いや、いられないっ!

「いきなり大きな声出さないで」

 俺の叫びに、委員長は少し眉根を寄せて言った。

「驚く」

「いや、驚いたのは俺だよっ!」

「そう」

 混乱して、大声を出す俺に対して、彼女はあくまでクール。無表情もいつもの通り。

「今、なんて言ったっ!?」

「そう」

「いや、そうじゃなくて、もっと前」

「驚く」

「あ、えっと、だな。あー、なんつうか、俺が、さっき言ったときに、委員長も言ったよなっ!?」

「さっきから、会話してる。言われたら、返事してる」

「そうじゃなくてっ!」

 話の通じなさに身悶える。何だ、このイライラは。わざとやってんじゃないかっ!?

 一旦、深呼吸して、己を落ち着かせてから、ゆっくりと話す。

「さっきな。俺が、もう、彼女つくるを目標にしようかって言ったとき、委員長、何か言ったろ?」

「言った」

「なんて言った?」

「何で、それを君に言わないといけない」

 いや、まぁ、そりゃそうだけどさ。

「ちょっと、あり得ないような言葉が聞こえたような気がしたので、確認したいんだ」

 俺が言うと、彼女は再び眉根を寄せた。眉間にきゅっと皺ができた。

「その発言は取り消された」

 そういえば、そんなことを言っていたな。

「委員長。知ってるか? 言葉ってのは、一度、発したら取り消せないものらしいぞ」

 一度発した言葉を取り消してなかったことにできるんなら、我が国の大臣の平均在任期間は二倍に伸びてるだろうさ。

 俺の言葉に、彼女は、極めて珍しいことに、無表情じゃなく、明らかに感情を顔に出した。なんとも渋ーい、嫌そうな顔で俺を見つめた。

「今更、私が改めて言わなくも、君は私の発言の内容を覚えているはずだ」

 確かに。確かに、覚えはいる。忘れてたら、これほどこだわったりしない。よく聞こえてなかったとしても、こんなにこだわらない。聞き間違いだろうと流していたかもしれない。

「覚えてるからこそ、なかったことにして流せないんだろうが」

「そこをなんとかして流して欲しい」

「水洗便所じゃねえんだから、そんなホイホイ流せるか」

「つまらない下ネタを言うな」

「スマン」

「許さない」

「おい。それくらい水に流せよ」

「水洗便所じゃないから無理」

「下らん下ネタ言うんじゃねえ」

「ゴメン」

 一連の流れを終えて、俺と委員長は満足げに頷き合う。良い会話というかコントの流れだった。流れだけに。

「で。話を戻すが、あー、その、何だ。委員長が言ったのは冗談だったのか?」

 椅子に座り直してから、尋ねると、彼女は視線を左右に泳がせ、顎を左右に揺らせた。否定の意味だろうか。

 まぁ、冗談であれば、取り消さず、その場で彼女が「冗談」と言ってしまえば、終わりだったのだから、今更、あれは冗談でしたーなんてことはあり得ない。

 委員長もそれは理解している。顎を軽く左右に振って、冗談ではないかという俺の問いを否定する。

 彼女はゆらゆらと瞳を泳がせ、小さな口を開いたり閉じたりを繰り返した後、俺をじっと見据えて口を開いた。

「君が、彼女をつくるなんていうから、ふと、私も、恋人が欲しいと、いや、もっと具体的に、君が恋人になってほしいと、つい、口に出してしまった」

 つまり、その件の台詞は、本心であり、彼女の願望であったということらしい。改めて、そのことを自覚すると、あんまりにも、突然で、唐突な事態に、俺は茫然とする。頭の中は真っ白で、一体全体、どうしたもんかと思い悩むばかり。

 とりあえずは、真っ白な中に浮かんできた疑問を一つ一つ解決していくことにする。

「な、何で?」

「何でとは?」

「何で、俺?」

「私が君を恋人にしたい理由か」

 俺は黙って頷く。面と向かってそんなこと言われると気恥ずかしいな。

 しかし、彼女はさほど恥じることも照れることもなく、大真面目な顔で真っ直ぐ俺を見つめながら、はっきりと言い切った。

「君は私に大事なことを教えてくれたからだ」

「俺が?」

 彼女は黙って頷く。

「委員長に?」

 再び首肯。

 俺が委員長に教えたこと。高校に入学してから九ヶ月程度、クラスメイトとして過ごした日々を思い返す。

「わからん」

「わからないか」

「わからん」

「少しもか」

「少しも」

 きっぱりはっきりと無回答を貫くと、委員長は無表情で俺を見つめた後、ふっと溜息を吐いた。

「そうだろうな」

 顔はいつもの無表情のままではあるが、なんとなく寂しそうな雰囲気を感じる。

「私が、君に教えられたことは、素直になることだ」

 そんなことを委員長に教えた覚えはない。というか、素直になれ。なんて偉そうなことを人に言った覚えなんて一度たりともないぞ。

 俺が首を捻っている間に、彼女はつらつらと語り出す。その話の内容というのは、去年の春先、俺たちがこの学校に入学した頃の話だ。

「私は、こんなふうに表情が薄くて、あまり話す方でもないから、中々クラスに打ち解けることができなかった」

 そうだ。そういえば、確かに、委員長がクラスに打ち解ける、というよりも、クラスメイトが、こいつは良い奴なんだと彼女を理解するのには、少々時間を有した。

「そんな現状を、私は、寂しいと思っていたが、私は臆病で、声を出せなくて、いつも一人だった」

 そんなふうに孤立していた彼女がクラスに打ち解けたのは、本当に些細なきっかけからだった。

素直クールヒロインを目指して書いたのですが、書いているうちに、最初の方はちょっと違う感じになってしまいました。

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